[18]江尻

 

 

1.発言番号:290

    発言者  :巌  隆吉

    題名    :東海道五十三次江尻宿(清水)を歩く

    登録日時:98/05/19 21:56

 

  昨5月18日予定とうり江尻の宿、今の清水を小雨の中を歩いた。その模様を報告したい。

  集合時刻より1時間半ばかり前に清水駅に着いた。まずは駅に近い海に出て、スケッチでもしようと交番で尋ねると親切にも地図をくれ、道筋を説明してくれた。意外に近いところから市場のある現在の清水港に出られた。

  この港は昔の江尻の港ではなくその後作られた港。現在は更に遥か北東には、大規模な港が造成されている。私は市場近くに泊まっていた大きな漁船を中心にスケッチをして、昼食の後集合場所に行く。

  斑目先生の説明によれば江尻とは河口のことで巴川は平地を流れているので、その河口は枝別れせず、しかもその南には三保の松原の半島が天然の防波堤になっている。そのため、この江尻は昔からの天然の良港であった。現在の近代的な港よりは大分南になるようだ。

  今日のコースは、駅から旧東海道の江尻の宿場を通り、巴川にかかる稚児橋を経て追分の追分羊羹に寄り、その追分から、清水道を通って昔の清水港の町中の清水次郎長の墓のある梅蔭寺とその生家を訪ねることになっている。

  江尻の宿は現在では「清水銀座」等と名づけられた商店街となっていた。昔の面影は全くない。しかし道幅は広くなっているが歩道の上の屋根だけは昔の道路まではみ出しており、またその店も正面は狭いが奥に長いので多少は昔を偲ばせてくれる。

  程なく巴川にさしかかる。その稚児橋を渡る。この橋は家康が旅人のため作ったのだが、もとは「江尻橋」という名前の予定がその渡り初めの時、川の中からカッパがあらわれ最初に渡ったので「稚児橋」という名になったという。橋の欄干の上にカッパの像が飾られているのが愉快だ。

  昔城を作るのに最も苦労したのが城壁の石集めだったようで、家康の駿府城を作る際に巴川に落とした大石をその橋の傍に「三ツ石」として飾っている。それ程城にとって石は貴重なものだったという。江戸城は世田谷城の石や伊豆や房州の石を使い、柳沢の郡山城は墓石までをそのまま使ったという位だったと先生から説明があった。

  その橋のたもとに昔は高札が立っていた由でその説明によると、

  船が難破した時には必ず「助け舟」を出すこと。

  その褒美は、

      海船の場合   浮いた荷の  1/20

                   沈んだ荷の  1/10

      川船の場合   浮いた荷の  1/30

                   沈んだ荷の  1/20

    を与える。

となっているようだが、中々面白い取り決めと思った。

  この清水は水(川)運と海運の要衝で秀吉はこの海運を利用して大量の物資を集積し、小田原征伐を成功させたといい、昔からの交通の要衝であった。また鉄道も明治22年に東海道本線が開通したのに、この清水は既に明治20年に、静岡〜清水間の鉄道が引かれている程、ミカンやお茶の積み出し港として重視されていたという。また、東海道本線については当時の陸軍が将来艦砲射撃のおそれありとして中山道に変更すべきと反対していたという。先の大戦で確かに東海地区は艦砲射撃の被害を受けているので成る程とも思ったが..。

  追分に行く途中、臨済宗樹林山慈雲寺に立ち寄る。豊後から来たここの智牛和尚は三保の農地が砂地で貧しいので薩摩芋を取り寄せ薦めたところ、増収出来農民を助けたという。また、巴川に落ちた石は、ここでは「八ツ石」といいその二ツが残っているというので、寺に訪ねるとわざわざ庫裏に入れてくれて、庭の築山の中の石を見せてくれた。その石は苔むしたまま静かに坐っていた。このお寺は宝永、安政の地震と先の大戦の空襲で都度焼けており、現在は新しい建物になっていたが相当古いお寺のようだ。

  追分に着く。「是より志ミづ道」との古い石碑が建っている。その横には、「七面大明神」と書かれている。東海道と清水に行く清水道との分かれ道だ。

  ここには、創業元禄八年の追分羊羹の老舗がある。そのご隠居の89才の老翁(14代)より、中の座敷から美しい庭を見ながら色々とお話しを聞く。

  かってあった松並木は戦時中、松根油(航空燃料のオクタン化向上のため)採取でなくなったがその富士の見えるところの1本だけを残したのにその松すらも空襲で枯れた話とか、東海道はほぼ1日に1回は大名行列があったとか、次郎長は偉い人で明治維新で尊敬するのは海舟と隆盛と次郎長だという数々の話を聞く。その羊羹は中々の逸品で旨く、天皇も召し上がれたこともあり慶喜も好んだようだ。各自土産に仕入れる。

  また、床に慶喜、壁に鉄舟の書が飾られていた。慶喜の書は西南戦争のあった明治10年の9月24日に書かれているが「静中観物化」(静かに世の中の変わるのを見る)にどのような想いを託したのであろうか。

  なお、老翁の話によれば、羊羹は昔は猪(い)羹から羊羹であった。即ち猪や羊の肉を蒸したものを言っていたという。その後それに似せて今のような羊羹になったという話は大変珍しかった。

  それも最初は蒸し羊羹でその後練り羊羹が開発されたそうで、この追分羊羹は当然蒸し羊羹だ。同じような羊羹で鹿児島に馬のマラに似ているとした、「はるこま」という蒸し羊羹もあるそうだ。この羊羹の起源の話が一番印象的だった。私はその「はるこま」は全く知らないが・・・ 

  それからそのまま、東海道を西に歩くと、文久2年(1861)に森の石松の仇、吉兵衛が殺されたところに彼があまりにも可哀相と菩提を弔った碑が建っていた。やさしい人もいるものだ。

  そこから引き返して追分から清水道に入る。行き先は次郎長の墓のある梅蔭寺だ。ところがあまりにも老翁の長談義だったので、門限を過ぎていて入れない。一同折角のところをと大変残念がっていた。私は5年位前に訪ねていたので一応納得したのだが...。そしてその近くの次郎長の生家を訪ねる。この生家は昔そのまま残っていた。

  次郎長はもとは渡世人だが先に訪れた薩タ峠の望嶽亭より山岡鉄舟を迎えその鉄舟との関係が深くなってから全く世界観が変わっている。三保や富士山麓の開発、英語塾の開設、汽船会社、汽船宿の創業等その功績は大きい。その汽船宿にはあの日露戦争の勇士広瀬中佐も訪れているそうだ。

  また徳川方の軍艦咸臨丸は、この清水港で明治元年9月官軍の軍艦、富士、武蔵、飛龍に襲われ、その死体が海に流れているのを次郎長は微妙な時世にもかかわらず敢えてこの人たちを手厚く葬ったという。

  その義挙に感激した鉄舟が「壮士の墓」との墓銘碑を送っている。この「壮士の墓」は、かって訪れた函館の榎本軍の戦死者を葬った「碧血碑」と良く似ているなと思った。夕方近く、巴川を渡りその左岸にある「壮士の墓」にお参りして清水港を後にした。

  清水駅から、深沢さんとお話ししたと言っていた後藤さん等とご一緒に、何時ものように三島で新幹線に乗り継ぎ、車中チクワとビールで乾杯、疲れた身体を癒しつつ帰った。

 

 

2.発言番号:291(290へのコメント)

    発言者  :深澤 龍一

    題名  :RE:東海道五十三次(江尻ー今の清水)を歩く

    登録日時:98/05/22 10:36

 

  巌さんの力作、「江尻宿(清水)を歩く」を楽しく拝見して、色々勉強になりました。

  私が「代参」させて頂いた「蒲原」辺りから向うの東海道はなかなか面白そうですね。今回は次郎長物語も織り交ぜて、拝見しながら私も行ってみたくなりました。

  東海地方はこれまで私全く縁が無いので内容のコメントは出来ませんが、とうとう全行程の3分の1位の所まで来ましたね。

  話しは全く違いますが、先日「おいらく山岳会」で永年「街道歩き」のリーダーを勤められた方が亡くなって、「想い出のユガテ」と題した「追悼山行」があり、私も太田さんに促されて故人を偲びながら彼がこよなく愛した 奥武蔵」の山を歩いてきましたが、「反省会」の席上、これ迄に彼が歩いた「街道歩き」の日程表が皆に配られました。それを見ますと、太田さんが踏破した「奥州街道」の1年前に、故人は「東海道」も歩いていますが、「日本橋」から「三条大橋」間500.3Kを28日で踏破しています。その内一泊二日で歩いたのは、「四日市」〜「関」、「関」〜「三雲」(土山宿)、「三雲」〜「三条大橋」の3回のみで、後は日帰り日程のようでした。

  先日私も遊び半分に時刻表と首っ引きで「四日市」〜「草津」辺りの行程表を組んでみましたが、「鈴鹿峠」の難所を挟んだこの所は交通も不便で「チト大変だな」という感じが致しました。

  巌さんもこれから暑さに向う上益々遠くなりますが、「日帰り」を覚悟で頑張って下さい。「若い」私も及ばずながらできる限りのご協力致す所存であります。

  「コメント」にならないコメントで申訳ありません!。

 

 

3.発言番号:293(291へのコメント)

    発言者  :巌  隆吉

    題名    :東海道五十三次(江尻ー今の清水)を歩く

    登録日時:98/05/22 22:14

 

  東海道も大分歩きましたが、まだまだ京都は先のことですね。

  それにしても、NHKの講座は極めて楽な行程ですので山行のベテランにはいささか物足りないだろうかなと思っております。五十三次を僅か28日で歩かれた先輩のお話しを聞きまして、大したお方だなと感心しております。

  NHKの会は先日の薩タ峠が予めきついコースだと予告したばかりに退会されるお方がいる位で、益々楽なコースになっております。標高差800メーターをものともせずに挑戦される方々にとっては、まさに幼稚園のコースでしょう。

  でもご希望者がいるようならば、次回から1日単位での参加も認めるとのことですので、行きたいところで予定面で遣り繰りが出来れば、参加されては如何でしょうか。

  予定は一応第3月曜日ですが、6月は第3火曜日の6月16日12時45分JR新幹線「静岡駅」改札口集合ですので、ご希望のお方は巌あてご連絡していただければNHKに手続きをします。会費は未だ未定ですが5回分が1万5千円ですので1回の場合3〜4千円程度かなと思っております。

  深沢さんには私の都合の悪い時は、勝手ながら従来とうりご支援をお願いします。しかし、行きたい宿場町についてあまり歯抜けになるのもどうかと思いますので、ご一緒に歩くのも愉快ではないでしょうか。

  また、その他どなたでも、この宿場には行って見たいというお方は是非挑戦されては如何でしょうか。次回は府中宿(静岡)を歩き石部屋の「からみ餅」を試食の予定になっています。

  なお、今の段階で京都までは相当の日時を要すると思います。名古屋までは、日帰りが出来ても四日市からは宿泊しないと鈴鹿峠あたりを越えるのは、まず無理でしょうね。

  ダイヤネットの誰かが行った所は免除するとして協力すれば全五十三次の踏破も不可能ではありますまい。太田さんの檄に応えるためにも是非無理をしないで全行程を踏破すべくやって行きたいものです。

  皆さんのご支援をお願いします。