[12]三島〜沼津

 

 

1.発言番号:168

    発言者  :巌  隆吉

    題名    :広重五十三次「三島から沼津」を歩く

    登録日時:97/11/22 16:20

 

 前回は箱根から三島間の記事を載せたが、去る11月17日今度は引き続き三島から沼津間を歩いた。

  当日は生憎前線の南下で、12時半過ぎ三島駅に降りたところ大雨。一同天気予報により予め雨具は用意しているので、何ら臆することなく先ず三島大社を訪ね参拝する。

 

@  三島大社

  この三島大社は元官幣大社で格式の高い、伊豆の一の宮。元は伊豆の白浜にあったがその後ここに移っているのだという。

  また、この祭神は瀬戸内海の大三島にある海の神様として信仰を集めている大三島大社の祭神と同じく海洋民族の神である。古来イのつく地名のイキ、イワミ、イズモ、イズ等は概ね海と関連がある由で、この伊豆も海と関係する地名という。

  ここで最も驚いたのは、樹齢600年の欅や樹齢1000年の金木犀の巨木であろう。有名な水の都であるので巨木も育ち易いのだが、その鬱蒼とした巨木を見るだけで源頼朝以来の古い歴史を偲ばせてくれる。

 

A  水の都三島

  富士山から地下水となり100年を経た湧水が流れている、源兵衛川には、今でも洗い場が設けられている位だ。この川は四宮家の一つであった旧小松宮邸で現在の楽寿園の湧水を水源としている。その河畔に時を告げた「時の鐘」やうなぎで有名な「さくら屋」がある。また、桜川河畔には牧水や井上靖の文学碑等もあるので、水の都をゆっくり散歩すればそれなりの趣にしたることが出来るであろう。更に小浜用水も湧水を水源としており町中このような数本の川が流れているのが大きな特徴だ。

  また道の途中の「めぐみの子」という二人の子供の人形が押すポンプがあり、その前に立つとセンサーで感じるのか水を汲み上げてくれる。全く水の都に相応しい展示だと思った。

  街道筋の途中蕎麦屋の前に本陣跡という石碑が建っていた。

 

B  伊豆国分寺跡

  現在も国分寺として寺院があるが、その裏に塔の礎石が八つ残っている。先生の説明中の僅かの時間でスケッチしつつ昔の面影を偲んだ。

 

C  千貫樋

  昔の伊豆と駿河の境に境川が流れている。その傍に三島が西風の強いため大火で焼けたので、二度と焼けないようにと祈りをこめた秋葉神社が建っている。寛永5年という灯篭もあり相当古い神社のようだ。

  その境川の上に大きな樋がかけられている。今はコンクリートになっているが昔は木製だった由で、この樋を千貫樋という。この樋には、まことに深い秘められた歴史がある。それは戦国時代、甲斐の武田は対上杉、相模の北条は関東制覇、駿河の今川は上洛企図とそれぞれのの思惑があって、武田、今川、北条三家の利害が一致して和睦同盟をした。そのあかしとして北条の三島の水を水のない駿河まで融通するための樋を作ったという。今でも用水として充分機能しているようだ。そのため、駿河は千貫といわれる位、大きな米の収穫増がもたらされている。

  昔の人も、川の上に大きな樋をかけて水を送るとは全く良く考えたものだ。

 

D  柿田川湧水地

  ここは現在大きな公園になっているが、柿田川の水源として、コンコンと湧水が湧き出ている。直ぐ上の展望台からも眺められる。富士山から地下を通って出るその水量は136万トンといわれ柿田川を経て狩野川に注いでいる。

  この見事な湧水は一見の価値があろう。推奨しておきたい。

 

E  対面石

  黄瀬川といえば、頼朝と義経の対面であるが、その近くの八幡神社にお互いが向かい合って坐ったという大小二つの石「対面石」がある。頼朝の石に坐って見たが比較的に座り心地は良かった。

  伝説ではあるが本当に興味深い。またその近くには、一里塚が昔のまま、こんもりと木が茂って残っている。

 

F  沼津

  古い城跡、三枚橋城の跡はあまり残っていないとのことだった。すっかり暗くなったので今回は見るのを見送った。明18日は、碁の例会で箱根に来ている深澤さん、太田さんと箱根から湯本までの所謂「箱根の東坂」を歩く約束をしていたので、急いで電車に飛び乗って、種々期待をしつつ明治生命箱根寮に向う。

 

 

2.発言番号:170(168へのコメント)

    発言者  :深澤 龍一

    題名   :広重五十三次「三島から沼津」を歩く

    登録日時:97/11/24 09:22

 

  前回の「箱根〜三島」に続いて「三島〜沼津」と、巌さんのタフなのに驚いています。しかも当日はかなり雨も降っていて誠にご苦労様でした。

  私も巌さんに発破を掛けられて「街道歩き」を始めましたが、色々歴史の勉強も出来ますし、未だ3回目ですがすっかり面白くなって、太田さんの言うように両手をついて勘弁して貰う所か、こんな楽しい機会を与えて頂いた巌さんに寧ろ心から感謝しながら歩いています。

  三島〜沼津ともなると「一里塚が昔の侭こんもりと木が茂って残っている」そうですから、田園風景も広がっているのでしょうね?

  私の歩いている所は街中が大部分ですので、排気ガスを吸いながらの街道歩きなので、歩く事自体は先日の 箱根路」の様な快適さはありませんが、それでも歴史を学びながら独りで楽しく歩いています。私がこれを始めた時の太田さんの「コメント」には、「箱根の杉並木の下の石畳や十国峠が行けますか?」などと憎たらしい事を並べ立てていましたが、そう言う本人が先日は「大変楽しかった」と丁重な「メール まで寄越してくれましたから、土下座して勘弁を乞うのは寧ろ太田さん本人の方

ではないでしょうか。

  これから寒さに向いますが、巌さんのペースに負けずに私も頑張ります。太田さんもお高くばかり止まっていないで、一つや二つ「宿場」を廻って少しは「五十三次消化」へ協力姿勢を示して貰いたいものです。

 

 

3.発言番号:181

    発言者  :太田 

    題名   :広重五十三次「三島から沼津」を歩く

    登録日時:97/12/06 18:14

 

  三島から沼津まで歩いたことはない。しかし両市を訪れたことは何度もある。

  その中最も印象深いもの一つずつを挙げよう。三島は北海道の炭坑から引き揚げて来て信託へ用務員で入った男とその友人との3人で出かけた。2人とも私より5−6歳上。伊豆長岡温泉へ行く乗換えの序に降りたのだ。巌さんのおっしゃるように三島神社の広大な神域とこんなに湧き出てよいのかと心配になる柿田川湧水池は10数年後の今でもはっきり覚えている。その男は間もなく癌を発病し半年後に亡くなった。それが最後の旅行になった。

  沼津は50年前学生時代の話。三島から駿豆鉄道に乗換え終点の修善寺で降りて、歩く。一行3名は皆学生だから気楽なものだが当時食料が無いのと金が無いのには閉口した。第1夜は天城山頂八丁の池の縁に野営。5月だつたから寒くはなかったが夜通し強風で天幕がばたばた、おまけに背中の下から池の水がしみて来る。寝られたものではなかった。

  翌日は「伊豆の踊り子」気分で下田まで下る。運良くバスの中で小学校の女教員と会う。「私が校長に話して上げるから」と作法室に泊めて貰ったので、その夜は手足をゆっくり延ばして寝た。

  その頃、伊豆の西海岸は道路が無かった。唯一の交通手段は海上の船だけで我々もそれに従った。第3夜は柳の下に鰌はいなかつた。土肥の港に近い小学校で宿直教員は我々の懇願をけんもほろろに断った。下田の例をもとに粘ったところ、漸く「教室なら」と板の間に寝たので、翌日背中が痛くて仕様がなかつた。

  そんな訳で、最終日沼津は持つていた米を全部出して新鮮な魚と焼酎で、ドンチャン騒ぎとまでは行かないが3泊4日の疲れを振り払った。

  巌さんの「五十三次」とは全くかけ離れた私の思い出話になつてしまつた。お許しを乞う。

  巌さんはそのお疲れにも拘らず、夜7時頃になって元箱根の明治生命寮へ駆けつけ、ダイヤネツトの会に加わった。

  そして、翌日深沢、太田の両名と一緒に元箱根から奥湯本まで歩いているのである。本当に誠実な方である。