[9]大磯

 

 

  発言番号:779

    発言者  :深澤 龍一

    題名    :東海道五十三次(第八宿「大磯」)

    登録日時:99/09/20 11:39

 

 先日「データーライブラリー」の編集を担当されている樋口・松本両氏から、「お前の編集作業が遅れている」とお叱りを受けたので、急遽その「穴」を埋めるべく「大磯宿」を訪ねる事にした。残暑が少し和らいだ合間を狙っての「緊急取材」である。

  高校のクラス会に出掛けるという家内と一緒にJRに乗り、「大磯」て下車。1年前近く前に「平塚」に来た折の道を戻って「化粧坂」からその殆どが国道1号線に沿っての再出発である。

 

1.化粧坂

 林の中に「大磯八景の一  化粧坂の夜雨」と書いた石碑があった。広重が描いた「大磯  虎ヶ雨」はここ大磯宿の入口付近から眺めたものといわれるが、勿論今は海辺の松林は見えない。

 

2.化粧井戸

 「化粧」に付いては高来神社との関係も考えられるが、伝説によると、鎌倉時代の大磯の中心は化粧坂の付近にあった。

  当時の大磯の代表的女性「虎御前」もこの近くに住み、朝な夕なこの井戸水を汲んで化粧したのでこの名が付いたと言われている。街道沿いの少し奥まった所に枯れた古井戸が残されていた。

 

3.宮経山  延台寺

 山門の前の住職の書いた説明に曰く。当山は日本三代仇討ちの一、曽我兄弟の仇討ちにゆかりの深い鎌倉時代の舞の名手、伝説美女虎女が兄弟を偲んで庵を結んだあととも伝えられ、慶長4年(1599年)身延山第十九代法雲院日道上人によって開かれ、以来日蓮宗の寺院として今日に及んでいる。

  しかしながら江戸から明治にかけて三度に亙る大火により堂宇他悉く消失し、明治35年以来仮堂だったものを、八十数軒の檀信徒とこれに共鳴する多数の有志、設計施工業者の協力により、昭和57年に本堂・書院・庫裏を復興した。

  境内には正面に霊石「虎御石」を奉安する「法虎庵曽我堂」を配し、左には当庵初祖「法虎庵妙恵尼」(虎御前)の供養塔、虎池弁財天御神石、子授け祈願の石仏、大磯宿遊女の墓があり、右には虎女が十郎祐成を祈願したと伝えられる龍神をお祀りしている。

 

4.虎御石

 安元元年(1175年)大磯の山下長者に一人の娘が生まれた。長者は40才を過ぎても子に恵まれず、虎池弁財天に願をかけて授かったので虎と名付けた。この時、弁財天のお告げの印として小さな石が枕元にあり、長者は邸内にお堂を建て虎御石と名付けて大切にお祀りしていた。

  不思議な事にこの石は虎女の成長とともに大きくなり、虎女も舞の名手として広く天下に知られるほどに成長し、何時しか曽我兄弟の兄の十郎と恋仲になった。十郎が虎女の家で敵方の刺客に襲われた時、この石のお陰で命が助かったので、一名身代りの石ともいう。

  兄弟は富士の裾野で父の仇、工藤祐経を討ち本懐を遂げて死んだ。虎女は兄弟の最後の地を訪ね、「露とのみ 消えにしあとを 来て見れば尾花がすえに  秋風ぞ吹く」と詠んで庵を結び、兄弟の菩提を弔った。

 

5.小島本陣旧蹟

 NTT大磯の駐車場前に石碑があって曰く。「小島本陣は江戸時代約250年の間、東海道を旅する大名などの泊る旅館を営んでいた。明治元年10月9日明治天皇が東京遷都の為御東行の際、そのご宿泊所となった。」と。

 

6.尾上本陣跡

 正面には「大磯小学校発祥地」、裏面には「開校100周年記念  昭和48年11月15日」と刻まれ、側面に「尾上本陣跡」と刻した石碑が中南信用金庫前に建っているのみであった。

  大磯の照ヶ崎海水浴場は明治18年に開設された日本最初の海水浴場だそうで、「海水浴場発祥の地」との大きな碑が目に付いた。その直ぐ先には、「同志社大学創立者  新島襄先生終焉の地」の案内板があって曰く。「宿願の大学設立を企図して東奔西走中病に罹り、明治23年1月23日に療養先のここ大磯の地<<百足屋旅館>>で志半ばにして47才の生涯を閉じた。」と。

  歩いていると矢鱈とこうした案内板が目立つ。

 

7.湘南発祥の地  大磯

 立派な新しい石碑である。題して「湘南発祥の地、大磯の由来」に曰く。「崇雪という人が寛文4年(1664年)頃、西行法師の詠んだ名歌<<こころなき  身にもあわれは  知られけり鴫立澤の  秋の夕暮>>を慕ってここに草庵を結び、標石を立て東海道を往還する旅人に鴫立澤を示し、<<著盡(ああ)湘南清絶地>>と景勝を讃えて刻んだのがその始まりです。

  中国湖南省にある洞庭湖のほとり湘江の南側を湘南と言い、大磯がこの地に似ている所から湘南と呼ばれるようになった。」と。

 

8.鴫立庵

 前掲の如く崇雪がこの地に五智如来像を運び、西行寺を作る目的で草庵を結んだのが始まりで、元禄8年(1695年)俳人の大淀三千風が入庵し、鴫立庵と名付けて第一世庵主となった。

  現在では京都の落柿舎・滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つと言われている。

 

9.島崎藤村旧宅

 国道1号線から細い道を北に西にと民家の間をくねくね曲がった所にあった。昭和16年1月14日に郷土行事大磯のドンドン焼きを見て、その珍しさが気に入って昭和18年8月21日に71才で世を去るまでここに住んだ。今は本人の希望で小島本陣近くの地福寺境内に永遠の眠りに就いている。

 

  他にもここから西に伊藤博文邸跡(凌浪閣之旧蹟)・吉田茂邸跡と続くが、何れも今は西武が買い取ってプリンスホテル用地となっている。吉田旧邸奥の海辺にその像が建っている。