C3−2  遠い山・高い山

 

 

  (1)関東周辺の山

 

 

  [1]雲取山

 

 

    1.発言番号:419

        発言者 :松本 喜一

          名 :東京都の最高峰雲取山に登る

        登録日時:98/09/14 22:31

 

実施日  98年9月12日

集合      JR青梅線 奥多摩駅改札口

     午前10時30分

目的地    雲取山(2,018m)

宿泊地    三条の湯

歩行時間  第1日  3時間25分

          第2日  5時間45分

行程     第1日  奥多摩駅=西東京バス42分=鴨沢西=15分ー御祭ー2時鰍O分ー青岩谷出会−30分ー三条の湯(泊)

          第2日  三条の湯ー30分−青岩谷鍾乳洞分岐ー1時間40分ー三条ダルミー40分ー雲取山ー55分ブナ坂ー40分ー常所ー1時間ー小袖越−20分ー鴨沢=西東京バス42分=奥多摩駅

 

  東京都の最高峰であり、東京、埼玉、山梨の3都県に跨る山である。深い原生林に覆われ、尾根筋にはお花畑も見られる。そして、見事な展望は登りの苦しみを忘れさせてくれる。

  奥多摩駅を降りたら鴨沢西行きのバスに乗る。奥多摩湖を過ぎ御祭のバス停で下車、青梅街道を西に進み、右手に見える後山林道に入る。

  街道と別れて、単調な林道歩きがはじまるが、せせらぎの音や野鳥のさえずりが気持ちを和ませてくれる。長い2時間40分の歩きで漸く青岩谷出会まで辿り着く、なおも沢沿いの樹林帯を30分も登って行くと、前方の高台に今夜の宿三条の湯が見えてくる。

  三条の湯は雲取山、飛竜山の登山基地として親しまれてきた鉱泉宿で夕食が5時半から、消灯8時自家発電なので元を切られたら全くお手上げ、懐中電灯に頼るしかない、夜中に1度だけ目を覚ましたが、星空の奇麗なことには感激した。

 翌朝5時起床、6時には三条の湯を出発。三条沢を渡って水無尾根を巻き込みながら斜めに登って行く。急斜面をあえぎながら登ること30分、青岩谷鍾乳洞分岐まではかなりきつい。

  原生林から唐松の植林へ、さらに笹が目立ち始めると次第に道はゆるやかになる。左手に獅子岩の露岩を見ると、三条ダルミの鞍部も近い。

  奥秩父主要従走路との接点である三条ダルミは、南側に展望が開け、大菩薩方面が良く望める。ベンチとテーブルもあるのでゆっくりと休む。

  いざ山頂へ、三条ダルミで休養を取ったあと、真登で山頂へ至る尾根道をとる。標高差260mあまりの、ため息のでそうな急坂でかなりのアルバイトである。約40分の急登が終わればもうすぐそこは雲取山頂だ。

  奥秩父、大菩薩、南アルプスなどの南面の展望が良く、大菩薩連峰の左に富士山、右に聖、赤石、悪沢、塩見、北岳、甲斐駒と360度の展望が圧巻だ。

  下山路は石尾根従走路への道をとる。防火帯の幅広い尾根なので明るい展望が続き、まるで稜線漫歩。ヤナギラン、オオバギボウシ、ヤマトリカブトなどが見られるお花畑である。

  少々滑りやすい急坂を2個所通過すれば、水場のある奥多摩小屋脇にでる。ここで宿で作ってもらった弁当をひらく。シカ、熊、テン、タヌキ等が人間の食べ残しなど食べて病気になってはいけないので、絶対にゴミは持ち帰ることと言う宿の主人の言い付けを当然のことながら守り、リュックにゴミをつめこむ。

  なおも巻き道を下り木橋を渡ると、間もなく七ツ石尾根の道と合流する。しばらくはやや急な斜面を下る。アセビの多いやせた尾根となり、やがて堂所と呼ばれるところに出る。道はここから小袖川の山腹を大きく巻きながらの下りが、小袖乗越まで続く。ゆるやかだが長い道のりだ。途中廃屋を右手に見て、小袖最奥の民家を右にやり過ごせば林道はもうすぐである。

  一旦林道に出て小袖乗越を通り過ぎると、あとは権現山の右手を巻いて下れば鴨沢登山口のバス停に出る。

  万歩計を見ると第一日目14,035歩、第二日目22,639となっていた。久しぶりの山歩きで心身共に洗われた感じで爽快そのものである。

 

 

  発言番号:423(419へのコメント)

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :東京都の最高峰雲取山に登る

    登録日時:98/09/16 21:11

 

 松本さんも「雲取山」に登られるだけのお元気を未だお持ちでしたかと失礼ながら感心しました。何時か何処かへご一緒した時は千メートル足らずの山なのに「フウフウ」喘いでおられた時のお姿を承知しているだけに今回のレポートを拝見してとても嬉しくなりました。

  松本さんの行かれたコースは、丁度今月からNHKの「教育テレビ」でやっている「中高年の為の登山学」〜百名山を目指そう〜の第一回目に取り上げられたのと全く同じコースですね。NHKでも矢張り「三条の湯」に一泊していました。未だ新しい快適そうな小屋ですね。(第二回目は「剣山」<「剣岳」に非ず>、第三回目は「石鎚山」)

  私はもう10年以上も前になりますか、人に連れて行ってもらったので何処からどう歩いたのか全く記憶が定かではありませんが、その時は確か「雲取山荘」に一泊したと記憶しています。本格的な「山歩き」の始まりで大変緊張していた事だけを覚えています。夜は明かりが消えてその日の為に新しく買った登山用の「懐中電灯」をソット枕元に置いて皆で雑魚寝した事だけは今でも鮮明に覚えています。結構きつい山ですよね。何しろ2000Mを越えているのですから・・・。

  これからも節制に努めて「山歩き」をお楽しみ下さい。

 

 

  発言番号:431(419へのコメント)

    発言者 :太田 

    題名  :東京都の最高峰雲取山に登る

    登録日時:98/09/25 17:23

 

  大変遅いコメントで失礼致します。

  十数年前、信託同期のK君と両神山(1724米、2日間の日程)に登り、同じ奥武蔵にある雲取山(2018米)を次なる目標に据えていました。

  しかし、このことは何時とはなしに小生の脳裏から去っていました所、今回松本さんの山行記を拝見して、はっと我に返りました。

  一時、体調を崩されたと聞き、もう山歩きは無理なのかと思っていたのですが、この度の壮挙を見て、我乍ら快哉を叫びました。

   第一日目  14035  3時間25

   第二日目  22639  5時間45

  平地に直せば大体2倍の歩数と考えて宜しく、夫々14-15K、22-23Kの歩程と認められるでしょう。大変結構な汗を掻いたことになりますね。

  今後もこの調子で頑張って下さるようお祈りいたします。

 

 

 [2]入笠山

 

 

  発言番号:113

    発言者 :松本 喜一

    題名  :花咲く中部山岳の展望台入笠山に登る

    登録日時:97/08/29  6:35

 

入笠山(にゅうがさやま)ハイキング

日時      97,8,23(土)〜24(日)

行程      <往路>  第一日 新宿駅〜中央本線3時間35分青柳駅

          <復路>  第二日 富士見駅〜中央本線特急2時間15分新宿

コース    第一日 青柳駅(30分)入笠湖(1時間20分)一本松(1時間20分)鐘打平(20分)御所平峠(マナスル山 荘泊)

          第2日 御所平峠(20分)入笠山(1995m)ー(30分)、大阿原湿原(一周30分)ー(1時間20分)青木の森(1時間20分)富士見駅

 

  中部山岳の展望台と言われる入笠山を目指し、青柳駅に着いたのは10時5分である。無人駅であるが親切なおじさんがいて、入笠山の登山道を教えてくれる。ゆるやかな坂道を30分位で入笠湖に着く、釣りに余念のない人がすでに拾数名いた多分へら鮒であろう。冬はスケートリンクになるそうである。

  指導標に従って山道に入る、やや急な登りもあるが、背後には八ケ岳がせり上がって登山気分をたかめてくれる。林道に飛び出せば急な登りは終わり、程なく見晴茶屋跡の一本松である。

  ここで、昼食をとる。白樺が点在し、涼風が肌に心地よい。今日の宿泊場所の御所平峠までは、車も通れるゆるやかな林道が続く。林道の両脇は白樺林とクマ笹にかわる。森林浴を楽しみながら、道端の「カワラナデシコ」「ワレモコウ」「マツムシソウ」等を山野草のポケット図鑑と参照しながらゆっくりと歩く。途中、八ケ岳、諏訪湖、奥秩父がよく見える夫婦岩展望台にて小休止する。

  このあたりから道はほぼ平坦になる。付近は別荘地として分譲されていて、所有者の立て札が目立つ。鐘打平から入笠山山を見ながらまっすぐ進むと、バス終点の御所平峠につく。

  今夜の宿はマナスル山荘で、地酒(真澄)を酌み交しながら談笑する。曰く味は勿論日本一高い(標高761m)醸造所で産出された酒であること、メーカーが自慢するだけあってまさに天下の銘酒である。

  今夜の宿は星の宿として有名で天体望遠鏡も充実している。サソリ座、木星、星団、星雲、二重星等肉眼で見る事のできない星を、交互に望遠鏡をのぞき説明してて戴く。

  翌日は6時起床気温18度、快晴(宿の主人の話しによると今夏一番の気象条件とか)朝食をすませ入笠山山頂えの急登にかかる。放牧場が望めるようになり、北アルプスの山なみも姿を現してくる。御所平峠から急登20分で入笠山の山頂に飛び出す。

  山頂は岩層を敷きつめた小平地で、大展望が待っている。八ケ岳、甲斐駒ケ岳をはじめ、北アルプスの乗鞍岳、槍ケ岳、穂高岳、御岳、中央アルプスの木曽駒ヶ岳など、中部山岳の高山が360度のパノラマとなって展開する。これだけの雄大な眺めはめったにお目に掛かれないそうで心ゆくまで楽しんだ。山頂には、マツムシソウ、ツリガネニンジン、ツリフネソウ等高山植物の宝庫でお花に囲まれて記念の撮影をする。

  頂上から南へ下り、首斬清水でバス道路と合流して20分で大阿原湿原に着く。この湿原は、初夏のスズラン、レンゲツジ、ズミコナシ、をはじめ盛夏のニッコウキスゲ、ヒオウギアヤメとうが咲き乱れるさうで余りにも花が豊富で盗掘が絶えず今では厳重な柵をめぐらし周遊道路のみである。

  大阿原湿原から下山コースは、富士見駅方面へのバス通り200m程の小梨平で右に別れる林道に入る。カラマツの林を更に下り続ける。林道と言ってもクマザサが双方から生い茂り文字どおりかき分けかき分け進む。近年車道が発達して、余り人が利用しなくなったので、クマザサが茂ったとのこと。

  クマザサの茂る道をなおも下れば、青木の森の別荘地の車道に出る。車道を10分程下がった分岐で昼食をとる。蓼科山を正面にした絶好の場所である。ふと空を見上げれば、色とりどりのパラグライダーがふわり、ふわりと飛んで居るのが見えた。

  更にバス通りを下ると先程のパラグライダーの着地点が左に見え次から次へと着地するのが目の当たりに見る事ができた。珍しいものを見る事ができ、一同満悦して富士見駅にと向う。

 

 

  発言番号:115(113へのコメント)

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :花咲く中部山岳の展望台入笠山に登る

    登録日時:97/08/31 10:11

 

  山を歩きながら、何時もじっくり見て廻られる松本さんの 観察眼」に感心しながら「メッセージ」を拝見しておりました。

  この夏は私もアルプス登山の計画が2〜3あるので地図を広げて見ていますが、入笠山は北中央南アルプスのど真ん中に位置してすり鉢の中ほどにあるから360度の展望が素晴らしいのでしょうね。何時か私も訪れたい山です。天気が良かったのが何よりで日頃からの皆さんの精進の賜物でしょう。

  それにしても2日間で歩かれた距離は、私の「仙丈ヶ岳」のそれよりもずーっと長くて、この暑いのにもとの元気を取り戻された松本さんに心からの拍手を贈ります。

  私は明後日から 白馬岳」ですが、どうも天候が良くないようです。昨日もリーダーに問い合わせましたが、1週間遅らせても 台風」が心配だから決行するとの答えが返ってきました。お盆を過ぎると山は空いていますが、天候が心配ですね。

 

 

 [3]大菩薩峠

 

 

  発言番号:D61

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :「大菩薩峠」雪中登山

    登録日時:97/02/23 10:49

 

  先日の「自主研修会」の後でグラスを傾けながら、「明日は大菩薩峠雪中登山に行って来ます」と口を滑らしたら、巌さんが「私も今年行こうかと思うので色々見て来て下さい」とのことだった。従ってこのメッセージは戦車隊長殿への「敵情視察報告」であります。

  昨年末、我々「町田おいらく会」の忘年会の席上リーダー(82才)から2月に大菩薩へと提案があって、77才のサブ・リーダーが「雪が無ければ中止」を条件に企画したもので、スキーも出来ない私は「雪山登山」など勿論初体験で、事前にどんな装備が必要かなどメンバーの一人に色々聞いて、「ズボン」や「帽子」に「手袋」更には「サングラス」まで買い整えての「初山行」だった。本来は日帰りのコースながら、仲間6人の平均年齢が73才とあってゆっくり行こうと塩山駅の待合室で持参の弁当を広げての旅立ちだった。

  6人を無理に乗せてくれた人の良い運転手の車は裂石の少し先「千石茶屋」までしか入らずに、そこからいよいよ雪中行進の始りだ。幸い(?)数日前からの寒気の到来で雪はこの辺りから30センチ程あって、日陰では凍り付いてアイゼン無しでは歩けない。滑りやすい急登がしばらく続いた後は緩やかな登山道を2時間余りかけて3時半山荘着。途中の展望台から眺める雪を被った「南アルプス」の山並みに皆で歓声をあげた。山荘の前では若い支配人が我々の為に除雪作業に精を出していた。

  この「山荘」は一昨年建替えられたばかりで大変モダンな木造のロッジだが、山小屋のイメージとは全く異り食堂は2階まで吹きぬけて暖炉の温もりが全館に行き渡って、風呂やトイレも大変小綺麗で「ペンション」を思わせる快適なもので、殊に支配人若夫婦の心遣いが嬉しくて一同すっかりここのファンになってしまった。

  食堂から眺める「南アルプス連峰」の夕景は幻想的なシルエットを描いて、山好きの我々は茜色に染まり乍ら暮れて行く山の景色を、何時までも飽きずにじっと眺めていた。その日の客は当然に我々だけで「全館借り切り」。広い湯船ですっかり暖まった後で夕食の「ブタ鍋」を囲みながら、支配人差し入れの「白ワイン」の一升瓶を空け、食後消灯までの2時間思い切り声を張り上げて「山の歌」を唄い続け、久しぶりに若返った時を過した。途中、リーダーとは碁盤も囲んだが、山小屋で折り畳みでない碁盤にありつけるとはこれもまた結構な事で、先般ダイヤの囲碁会で鍛えて貰った甲斐もあって2勝1敗の戦績だった。

  山小屋から見た南アルプルの夕景

 

  明けて翌日はいよいよ本番。5時半起床で7時に出発です。戸外は零下5度前後で、これでも当地としては大変暖かいのだそうだが、厚いスノーボード用の手袋をはめているのに指先が痛いほど冷たくて、歩くほどに体は火照ってくるのに指の冷たさは中々消えず、慣れるまでに30分以上もかかった。

  最初の山小屋は「福ちゃん荘」(標高1720m)。冬季を除くとここまでは道路が整備されて車も入る。小屋の前から仰ぎ見る目の前の「大菩薩峠」はすっきりと晴れ渡っていた。更に山小屋を2軒過ぎるが何れも人影はなくすっかり雨戸を閉じていた。8時半峠に着く。標高1897m。中里介山の記念碑も雪を被って静かに建っていた。熊笹しかないこの辺りは一面の銀世界。南を眺めると左の端に富士の偉容を眺め、右の方へとアルプス連山が続く。雪原を越え頂上の「大菩薩嶺」には10時着。「標高2058m」の標識の前で記念写真だ。こんな所に「ホホジロ」が3羽、全く人間を怖れずに、休んでいる我々のすぐ傍まで近寄って来て蜜柑を放ってやると啄ばんでいた。若い青年が一人、「丸川峠」を経由して登って来た。聞けば新雪が膝の上まであって、歩くのに少し手間取ったとの事だった。

 雪の大菩薩峠

 

  下山は「唐松尾根」の急坂を一気に下る。山頂近くは土手の熊笹の茂みの下に何本も直径2〜3センチの氷柱が下っていた。名の通り、新緑の頃はここの「唐松」がとても美しいと聞いた。

  11時半「福ちゃん荘」に到着。小屋の前のベンチに腰を下ろして歩いて来た峠から嶺への真っ白な山並を仰ぎ見ながら、夫々持参の「お弁当」を広げた。12時半に再び「長兵衛山荘」に戻る。荷物を纏める際、支配人お薦めのワイン「ロッヂ長兵衛」をリュックに詰めて下山。バス停には14時半に到着し路線バスに間に合った。バスを待つ間「雪道を歩くのは普通の道を歩くよりも倍は疲れるな」と皆で話した。

  バス停の近くに、太い杉木立に囲まれた山裾の境内にお寺の案内板あり。曰く。「裂石山雲峰寺」、天平17年(745年)行基菩薩により創建。現在は「臨済宗妙心寺派に属す」とあった。時間の関係で参詣できなかったが立派なお寺のようであつた。先日来、お寺の「創建時期」と「街道」が矢鱈と気に掛る。当時、この辺りは「中山道」からは少し外れてはいるが、例の日本史地図によると、「律令体制」の頃、既にここ「塩山」の地名と共に「官有牧場(兵部省諸国馬牛牧)」の印があった。

  以上で隊長殿への「偵察報告」終り!。

 

 

 [4]富士山

 

 

  発言番号:088

    発言者 :深澤 龍一

    題名 :「山歩き」の記録(その2・「富士登山」)

    登録日時:97/08/04 20:38

 

 「富士山は下から眺める山であって登ってもつまらない!」とは良く聞く科白であるし、事実私も今までいろんな人の話からそう思い込んできた。

 所がヒョンなご縁でこの山に登らざるを得ない羽目になった。私の所属する「おいらく山岳会」の碁敵からの誘いで断れ切れなくなったからである。

 さて出発日は最初から7月31日と決まっていたが、台風9号から代った「熱帯性低気圧」が日本の南に停滞してすっきりしないお天気が続いていた。9時にJ.Rの「御殿場駅」に集合、駅前の「ファミリー・マート」で 食料品」を仕入れてタクシーに分乗して一路「須走口」を目指す。

  車の中で同道の方に、この計画を主催された「どげんしょる会」とはどんな会なのか聞いた所、「昭和30年に福岡県立修猷館高等学校を卒業した同窓生の会」だそうで、現自民党政調会長の山崎拓さんもこの会のメンバーとの答えが返ってきた。彼らは今年「還暦」だそうで、私の「碁敵」が毎朝の散歩で知り合った今回の「リーダー」氏からの誘いで、私はその又の誘いと言う訳である。

 と前置きが長くなったが、タクシーが山路に差し掛かった頃から雨が降り出した。急な話で 富士登山」の要領も解らないまま「どげんしょる」の皆さんが母校を卒業した昭和30年に巌さんが一度登ったご経験があると聞いたので、行く前に 富士登山心得」などをお聞きしたら、ご親切に6ケ条に及ぶ注意事項と2つの「命令」を 「メール」して頂いた。

  その 注意事項」の一つに 金剛杖」は必需品とあったので、5合目の土産物屋の婆さんの勧めるままに背丈近くもある長い 金剛杖」を買い求めた。( 定価 \1,000.)雨は益々激しさを増すし、一向に止みそうも無いので雨合羽を着ての登山開始。下山してくる人に聞くと上はガスってる程度で下に来るほど激しくなったとか。標高2000mからのスタートだが、長いスロープを雨に打たれ合羽の中で蒸れながら唯「只管登る」という感じだ。別に危険な個所がある訳ではないが、上り一辺倒だから高度が上がるに連れて空気が希薄となって時々息苦しくなる。去年も参加したという同行のご夫人はその経験からか、件の土産物屋で「酸素ボンベ」を買い求めて時々それを口にしていた。聞けば 寒さ」よりも 息苦しさ」の方が問題で、寒さは寧ろ頂上でもTシャツで平気との答えが返ってきた。3000m以上の高所だからと私の担ぐ9キロのリュックの中身の大半は雨や寒さに備えての 衣料品」と「缶ビール」を含む 飲料水」で、道理で皆さんのリュックは嵩が低いのかとやっと気が付いた。

  雨の中、霧の中を昼食休憩を含めて単調な緩いジグザグ道を5時間かけて漸く7合目の山小屋(見晴館)に辿り着く。ここは標高 3,200M。途中6合半の辺りから雨は霧に変って視界は煙って全く何も見えなかった。(どうせ少しばかりの潅木しかない殺風景な景色だから勿論野鳥の囀りも聞こえない・・・)

  山小屋に着いて夕食迄の間、件の「リーダー氏と一局、日頃から「ダイヤ・ネット」の皆さんに鍛えられている所為もあってか私の圧勝。どうやらこの リーダー」氏も碁キチらしい。リュックには携帯用の碁盤を忍ばせての登山である。

  夕食は生卵」、「トマトと胡瓜」のマヨネーズ付け、後は佃煮2種、漬物に 味噌汁」の簡素なものではあったが、 ご飯」はこの高度にしてはとても美味しく炊けていたし何よりも お味噌汁」の味が良かった。

  2段のベッドに幅の狭い布団が6組ぎっしり並べられて、2人に一流れの蒲団に潜って8時就寝。翌朝は「ご来光」が4時半だからそれより前に起きようと皆で話をして床に入る。隣の人と肩がふれあう程度で鼾もあちこちから起ってなかなか寝られたものではない。

  うとうとしているうちに ご来光」の時間が来て外に出る。見違えるばかりの「快晴」!。聞けば昨夜は星がとっても綺麗だったそうだ。山小屋の前、東の空が少しづつ明るくなって眼下の雲海の向こうを見つめていると、やがて雲間から真っ赤な「日輪」がスーッと上がってアーッという間にその全容が光り輝く。一瞬ながら荘厳な素晴らしい光景に一同感動を禁じ得ない。日頃お馴染みの「大山」や「塔の岳」と連なる丹沢山塊の中で、昨年登った「桧洞丸」は少し離れて「独立」を主張しているようだ。視線を北に転じると「国師岳」に続いて、先日もテレビの 中高年の登山学」に登場した「金峰山」に続いて瑞牆山」も見える。

  そして更にその西の奥には来月下旬に登る予定の「八ヶ岳」のごつごつした山並みが望見された。何しろ3200mの高さだから下界を雄大に見せてくれる。「頭を雲の上に出し、四方の山を見下ろして・・・」と歌の文句の通り、将に 富士は日本一の山」を実感する。

  朝食を済ませて5時40分出発。いよいよ頂上へのアタック開始だ。ジグザグの道を今日もまた只管登る。だんだん砂ばかりになって所々に高山植物が黄色い花を咲かせているが、更に登るにつれて岩場になってくる。その間8合目、本8合目、9合目と山小屋が点在し、その都度手にした金剛杖に「X号目 XXXXM」の焼き印を押してもらう。これも6合目は¥100.、8合目は¥200.、山頂では¥300.と高度が上がるに連れて高くなる。「刻印が消えたら持って来て下さい。お金は返しますから・・」と店番のばあさんが冗談を言う。

  8時半に山頂到着。ここで「巌隊長殿」の「命令」を遂行せねばならぬ。その命令とは、?@登頂の「証拠」(?)に山頂の「小石」(又は砂)を拾ってくる事。?A山頂で360度の「パノラマ」をカメラに収めてくる事。の2ツである。

  さて、そこでハタと困った。

@小石」と言われてまさか直径1センチぐらいでは具合が悪かろう。しかも困った事に登頂に際しては「出来るだけ身軽に」とのリーダーの指示で、「ウェスト・バッグ」以外は全部山小屋に置いてきたので、例え こぶし大」の石でも入れるものが無い。ビニール袋でも落ちていないかと辺りを捜したが見当たらなかった。

A山の頂上と言えば、普通誰でも一点に立ってグルーッと体を一回転すれば360度の景色をカメラに収める事が出来ると思うじゃないですか? 所が行ってみて初めて気が付いた事であるが、富士山は 休火山」だから当然に山頂に「火口」がある。一周廻るのに お鉢めぐりは散歩気分で4キロ1時間30分」と土産物屋で貰ったパンフレットにあった。やっと辿り着いた山頂で更に「任務完遂」のために尚歩き続けねばならぬとは、「隊長殿」もお人が悪いと言う訳である。でも「命令」とあれば致し方がない。「お鉢を回らないと富士登山は完成しませんよ」と「どげんしょる」の若い皆さんを促して、西廻りに一周する事にした。驚いた事に登ってくるまでは一番足の遅かった私の碁敵・「喜寿」のじいさんも付いてくると言う訳で、結局「リーダー」と一夫人を除いて皆私の提案に従ってくれた。「お鉢」とは火口を取り巻く8ッの峰をもじった名前らしく当然にアップ・ダウンが続く。その要所でシャッターを切りながら 富士山測候所」への急登を上がったら、何とそこに 日本最高所 剣が峰 標高3776米」の黒い大理石の碑があった。流石は隊長殿!」。 標高3776mの頂上はこちら」と言う代りに「360度のパノラマ写真」とは小憎(ニク)らしい表現と感心した。勿論私の 命令」に賛成してくれた「どげんしょる」の皆さんとこの碑の前で記念写真」に収まったのは申すまでも無い。

  10時下山開始、但しリーダーが碁敵と私の3人は山頂に残って碁を打とうと言う。 喜寿 氏に直ぐの下山はきつかろうとの リーダー」の粋な計らいで 富士山頂」での記念すべき対局となった。結果は私が喜寿氏に1目の勝ちを得た。我々は11時に下山開始、1時間で山小屋に着いたが大半の仲間は既に小屋を後にしていた。頂上にいる時は晴れていたのに下りる頃からガスが掛かって 下山道」は10M先も見えない。山の天気は気まぐれだ。拾った 小石」は腰に巻いたジャンパーの左右のポケットに一個づつ忍ばせる。去年も登ったと言う「どげんしょる」のご夫人が言う。 ここの石は良いですよ。他に無いから何よりのお土産になる」と。どうやらこれも隊長殿の「粋な計らい」だと漸く気が付いた。

  山小屋で持ってきた握り飯の 昼食 の後、直ちに下山。 須走コース」は他の何処よりも距離が長くて単調だが、急な斜面も 金剛杖」がブレーキの役割をして滑るのを結構助けてくれた。 喜寿」と「古希」と 「還暦」のトリオの下山である。 振り返ったがガスって既に山頂は全く見えなかった。3時前にスタート地点の「5合目」に到着。先着の仲間達とタクシーに分乗して市営の「御胎内温泉健康センター」に向う。大きな湯船にゆったりと浸かって汗と埃と疲れを洗い流して後は皆で乾杯し、「来年もみんなで又来ましょうね」と誓い合う。このセンターは米軍基地を擁して財政豊かな御殿場市が市民の為に建てたというだけあって立派な建物に設備も整っていた。

  帰りの特急「あさぎり号」の車中で「どげんしょる」氏が座席の傍に置いた金剛杖を眺めながらしみじみ言った。「この金剛杖の¥1000.は最初高いなと思ったが、こうしてお世話になってみると¥5000.出しても高くないよ。大変助かったぁ〜!」と。

  この山は「自分のペース」で登れば誰でも登れる。焦らない事が富士登山のコツである。事実小学生から我々よりも年取った爺さん婆さんも多く見かけた。山頂には「70才以上の方はお立ち寄り下さい。記念品を差し上げます」との立て札もあった。(私は 数えの70」だから遠慮したが、喜寿 氏は「扇子」を貰って得意そうであった。聞けばこの「記念品」を楽しみに毎年訪れるお年寄りも多いと言う)ゆっくり登れば「高山病」にはならなし、その点では初日2000Mから始めて5時間かけて3200Mに至り、2日目3時間かけての上りと、更に4時間でのスタート地点への帰着、そして御殿場温泉で一汗流して解散と言う我々如き「大名登山」なら、お元気な「ダイヤ・ネット」の皆さんでも出来ない相談ではないので、「日本人」だと言うのなら一度は挑戦してみては如何でしょうか?!?

  事実、私の「万歩計」は初日8800歩、2日目は15500歩と普段の山歩きほどの値は示さなかった。・・・唯、珍しく太股と脹脛の「筋肉痛」が残っている。

  「富士登山」を経験した今、最初の「富士山は下から眺める山であって登ってもつまらない!」という考え方は完全に変った。これは登ら(れ)ない人の「言い訳」のような気がする。何しろ「雄大」でありこの山域に独り孤高を保っている山だけに、天気さえ良ければ周囲の「展望」が実に見事だ。  矢張り「富士は日本一の山」だと認めざるを得ない。そして何よりも「来年もまた来ようかな」と思わせる所が憎らしい山でもある。

 

 

  発言番号:089(088へのコメント)

    発言者 :巌   隆吉

    題名  :「山歩き」の記録(その2・「富士登山)

    登録日時:97/08/05 11:29

 

 先ず、シルバー組の「富士登山」、その意気込みに敬意を表します。

 皆さん息切れしてさぞやきつかったことと思います。私も30才で元気な時でしたが非常に苦しかったことを覚えております。その時は夕方、丸の内発、夜中徹夜で登りご来光はやっと8合目、頂上に着いた時はもう日が随分高くなっていました。

  この修猷館の皆さんがまた、来年も富士登山されるとなると大したものですね。それにしても、皆さんでお鉢めぐりまでされたのには全く感心。私たちはまだ若かったのにお鉢めぐりする体力も時間の余裕もありませんでした。下山は楽でしたが御殿場の駅に着いた時は全員ヘトヘトでした。

  また、360度のパノラマ写真は、3776メートルの頂上からという意味でしたがそのメールを送る時フト北側は火口なので良く撮れないな、キチット撮るには、お鉢めぐりするしかないが、さすがの深沢さんもそこまでは体力がないだろうから無理だなと思っていた次第です。

  にもかかわらずお鉢めぐりまでされたのですから、これからの人生、霊験あらたかと思いますよ。焼き印の押された「金剛杖」を絶えず見ながら今後ともあくまで挑戦する人生を送って下さい。

  何れにせよ、シルバーとして若い人たちに対しまして大いに意気軒昂たるところを示して戴きまして有り難うございました。

 

 

  発言番号:757

    発言者 :八木 真之介

    題名  :富士登山に挑戦

    登録日時:99/08/31 11:40

 

  5年前還暦を記念して富士登山を思い立ち、初めて富士山に登頂した。今回65歳と退職を記念して再度富士登山に挑戦した足腰が弱っているのでかなり心配したが、一生の記念にしようと一大決心をして実行計画を立案し、7月頃よりその為のトレーニングを開始した。トレーニングジムで足腰を鍛錬すると同時にプールでの全身運動を開始した

 日本YMCA同盟の御殿場国際研修センターという施設があるが、ここの事業計画の中に”ゆっくり登ろう富士登山”と言うイヴェントがあるのを見つけて、早速夫婦で申し込みをした。

  8月24日〜26日まで2泊3日のスケジュールである。24日13時30分御殿場東山荘に集合して、富士登山に関するガイダンスから装備の点検、登山および下山の歩行訓練、富士山の四季(気候、山野草・鳥等)について講義を受けた

  参加者は28名+8名(ガイド2名、アシスタント6名)であり、参加者の年齢構成は5歳児1名、小学校3年生3名から65歳〜67歳の中高年者という構成であり、我々同様65歳の夫婦が4組と参加していた。全員そろって頂上を極め、全員そろって帰還することを目標に綿密な行程が組まれていた

 8月25日8:00マイクロバスにて宿舎を出発して、須走口新5合目(1970m)の登山口に向かう。9時30分いよいよ登頂開始である。須走口は比較的植生が多く2000mから樹木は高木〜低木へと変化していく様子が良く理解できる処である

  植生の生育限界は2750mとかで、始めは森林浴を楽しみながらの登山である。30分毎に小休止を取りながら、今日の宿泊予定地である本7合目(3140m)に17時20分に到着した。(所要時間約8時間)軽く夕食を取って、18時30分には就寝した。山小屋は蚕棚式の2段ベットで先ず先ずであった。

  26日早朝3:00起床して身支度を整え、3:30山頂に向かって登頂開始である

  途中本8合目(3370m)で5時15分ご来光を見る。東の空が赤みを帯びてきたと思ったら一瞬のうちに太陽の光が走り、下界は明るくなってしまう誠に感動の瞬間であった。須走り口頂上3740mに到着したのは7時30分ついに富士山登頂完遂である

  山頂で約1時間30分休息の後9:00下山開始。富士山山頂は直径1キロmの火口があり、その周囲約3キロmであるが我々はお鉢めぐりは割愛した

  下山道は瓦礫の道であり、思いの他下山で難渋した。特に我々中高年者にとってはこの道は足腰に応えるものであった。下山道約8キロなんと長く感じたことか。

  2時40分やっとのことで5合目に到着した(5時間40分)。昼食を取り小休止の上宿舎に帰還した中高年組みの2−3名はダウン寸前であった

  自宅へ帰ってから3日〜4日は足が上がらず、まるでロボット君の様であった

  65歳の挑戦は以上の通り目的を果たして終了しました。お疲れ様でした。

 

 

  発言番号:759(757へのコメント)

    発言者 :巌   隆吉

    題名  :富士登山に挑戦

    登録日時:99/09/03  21:28

 

  富士登山ご夫婦お揃いでの登頂まことにおめでとうございました。

  先年、深沢さんも登頂されたのですが、皆さん随分と達者なのに驚いています。私は昭和31年の夏まだ若い時でしたが登りました。空気の稀薄のところは1歩1歩を歩くのにこんなに苦労するのかと、喘ぎ喘ぎやっと登った経験がありますだけに、八木さんご夫婦の今回の挑戦に心から敬服しています。

  さて、昭和30年の登頂は、確か土曜日の夕方、丸の内を出発当時は高速道もないので随分時間をかけて登山口まで行きそこから無限軌道で5号目に深夜に着きました。

  そこから、懐中電灯を持って徹夜での富士登山。頂上でのご来光を意図したのですが、全く無理で、7合目から8合目あたりでやっとご来光を拝むことが出来た次第。当時は米兵も在日記念に随分登っていましたが、8合目もいくつもありまして、その米兵たちが何回も不審そうにネックスステーション?と聞きますのでネックスアンドネックスオールエイトステイションと答えながら、お互い疲れた足をひきずりながら登ったものでした。あまく見た徹夜登山は、本当に苦しく途中睡魔のため一寸仮眠してやっと10時頃登り切りました。

  下山は走って8合目まで降りましたが、途端に高山病になり頭の痛いこと。一寸休んでずるずる滑る砂の大沢下りをして、御殿場の駅にやっとの思いで着き夜中に帰京しました。その中の一人のOGがバテまして帰りは馬に乗せるやら全くの難行苦行、若かった私たちも二度と富士登山はご免という心境でした。

  今から考えると日曜を利用しての徹夜登山は無理だったとは思いますが、ともかく富士登山をあまく見ることは禁物、苦しかったことのみが印象に残っています。でも二度はともかく一度は登って欲しいと思います。達成感のみは一つの思い出として脳裏に深く刻むことが出来ますので.....。

 

 

   発言番号:789

    発言者  :八木 真之助

   題名    :中秋の名月を富士山で鑑賞

    登録日時:99/09/26 10:24

 

 秋分の日を迎え中秋の名月鑑賞の旅に出た。以下その感想文である。

 924日、日本YMCA東山荘主催の”中秋の名月を富士山5合目で鑑賞する会”に参加した。

  生憎の台風18号を心配しながらの十五夜鑑賞会であったが、当日台風の中心は東北方面に移動し、関東地区接近は避けられたが台風の影響で富士山周辺は大変な強風と横殴りの大雨となった。

  2415時御殿場の集合地点であるYMCA東山荘に参集したものの、中止を覚悟していたが主催者の並々ならぬ熱意により、雨カッパの重装備で”台風の富士山鑑賞会”に切り替えてバスに乗り込んだ。生後11ヶ月の幼児2名を含む27名の参加であった。

  夕食後一時間ほど説明会の後20時出発であった。途中、霧の登山道を進み標高1350m地点まで上り、バスを下車台風の中の富士山樹林帯を散策した。幼児たちもカッパを着せられて背負い籠に入れられて雨と風の中を散策した。

  真っ暗な森の中に入り、台風にゆれる樹林 雨に打たれる森を訪ねた。自然のなりわいの中には春冬があると同時に台風もあり雨もあり、雪もある天候の変化につれて森林はどのように対応するのか?

  自然のなかの様々な変化に対応する樹林の生態を観察するのも又一興か。

  直径3ー4mもあるブナの大木の下で一同ライトを消して、しばし強風にゆれる大木を観察した。しっかりと大地に根を張っている大木も強風にあおられ地面ごと大きくゆれていた。

  その夜は30分程度で引き上げたが 何百年も耐えて来た大木に敬意を感じた次第である。翌日は台風一過素晴らしい快晴のお天気であった。一日違いで中秋の名月を見ることが出来ず残念でした。

  さて翌25日は冨士5合目周辺の散策が予定されており、9時一同元気に出発した。標高1950m地点より小富士までの約2kmをゆっくりゆっくり、樹林の中を散策した。森林浴を心行くまで楽しんだ。森の妖精が疲れ果てた人間をやさしく介抱してくれるそんな雰囲気であった。10年ほど若返ったようである。

  しかしそんな樹林の中に大勢のキノコ取りが潜入しており、かなり森林を傷めているようである。最近富士山樹林のキノコとりがブームとのことである。

  1本の小さな木が芽を出して数年かかってやっと小指程の太さに成長したものが、心無いキノコ取りに踏まれて一瞬にして枯れはてる様は誠にあわれである。更に樹林の下にはふっくらとした苔が一杯生長している。これを踏み荒らすのも又あわれである。これは山を守っている人達の意見である。

  以上大いなる大自然にふれてリフレッシュした一日であった。

 

 

 [5]仙丈ヶ岳

 

 

  発言番号:110

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :山歩きの記録(その5・・仙丈ヶ岳)

    登録日時:97/08/27 12:43

 

コースタイム 太平山荘(5.20)〜薮沢大瀧(6.10)〜馬の背 ヒュッテ(7.40)〜仙丈小屋(8.40)〜仙丈ヶ岳山頂(9.05)〜小仙丈岳(9.50)〜大瀧ノ頭・・5合目(10.50)・・昼食〜3合目(11.50)〜北沢峠(12.30)

 

  8月25日の朝、前日来逗留中の息子夫婦に娘と孫4人から、チャン気を付けてね !」と見送られての出発である。

  甲府駅前から丁度2時間、山梨交通の路線バスで通称 南アルプス街道」を揺られて、2時過ぎ終点の広河原に着く。このバスは御勅使川に沿って左右双方から山が迫って何度か川を横切りながら 夜叉神峠」迄で50分かかる。ここまでは35年程前に一度来た筈であるが昔の面影は全く見当ら無い。そしてここからバスは 南アルプス林道」に入る。林道の入口には「時間雨量10ミリ、又は一日雨量50ミリ以上の場合は通行禁止」の旨の表示が点滅していた。この林道に沿った両側は、右に「鳳凰三山」と「甲斐駒ヶ岳」、左に「北岳」、「間ノ岳」と連なる南アルプスの主峰が迫って、山を仰ぎながらバスはぐんぐんと高度を上げて行く。終点の「広河原」は「北岳」や「鳳凰三山」の登山基地でもある。

  このバスに接続して「芦安村営バス」(マイクロ・バス)で更に25分、その終点が「北沢峠」(標高 2000m)である。ここから更に西の方へは長野県の「長谷村営バス」で伊那方面に抜けられ、県境を挟んで2つの村営バスが南アルプスを横断して、甲府・伊那両市の手を結んでいる格好である。

  バスの終点から10分程下った所が今日の宿舎「大平山荘」で、山荘の前に「標高1960米」とあった。入口を入った土間の両側が今夜の寝所。幸い客人は少なくてゆっくり眠れそうである。気温18度。

  着いたのが3時前、夕食までの間、好きな人は「植物図鑑」を片手に高山植物の観察に余念が無い。山荘の周辺には白、紫、黄、桃色と色とりどりの山野草が咲き乱れて秋の気配を感じさせていた。

  山荘で偶然「おいらく山岳会」の女性リーダー(74)に会う。聞けば一昨日、独りでこの山に入ってこの日は「甲斐駒ヶ岳」に登り、明日は我々と同じ「仙丈ヶ岳」(標高 3033m)に登ってから帰京するという。

 「仙丈ヶ岳」は隣の「甲斐駒ヶ岳」、更に「北岳」や「鳳凰三山」と共に「南アルプス4峰」の1に数えられて訪れる人も多い。但し、私は未だ 単独登山」をするほど山に病み付きではない。

  山荘の消灯は早く7時半、夜中 トイレに立つたら満天の星空に久しぶりに「天の川」を見た。

  翌朝は4時半起床、昨夜の内に用意された朝食を済ませて5時20分行動開始。山荘の主人が雲行きを見て、「もう既にガスっているから合羽を出しやすい様にしておいた方が良い。」と忠告してくれた。歩き始める程にガスは見る見る濃くなって見通しは良くないし、期待していた周囲の山々も殆どその姿を見せてくれない。山頂までは高度差 1000m、最初の平坦な道は薮沢大瀧の手前辺りから沢に沿ったジグザグの急登に変る。標高2500Mの 馬の背ヒュッテ」を過ぎる頃から美しいお花畑の道ではあるが息も弾んでくる。高度2800M辺りが森林の限界で、 ダケカンバ」が「ハイマツ」に変ると一気に展望が開け、時折雲の切れ間から周囲の山々がチラッと顔を覗かせる。

  それにしても山の天気は気まぐれだ。この前の富士山のように前の日が雨でも、当日は快晴であったり、今回のように前夜の「星空」が、当日は「濃いガス」に覆われたりで、周囲が見えないとがっかりである。

  山頂に着いたが霧が掛かって10m先も見えない。気温4度。寒さに震えて記念撮影もそこそこに大仙丈カールを右手に見下ろしながら、馬の背のような「小仙丈尾根」を辿る。両側はかなり切れ込んで緊張が走る。ハイマツ帯では「ホシガラス」が一羽、ハイマツの実を啄ばんでいたが、私達の話し声に驚いてか少し向うに飛び立った。その途中、10m程の岩場を越えて「小仙丈岳」で小休止、少し霧が晴れてはいたが四囲の展望は相も変わらずだ。寒さと霧で予定より早く行動できたので、一台早いバスを目指して昼食もそこそこに切り上げピッチを上げる。バス停に着いたら件の「女リーダー氏」が近づいてきた。聞けば我々より30分早く下山し(彼女が山荘を出たのも我々より約30分早かった)「そこで飲んでました」とバス停の傍の木立の中にある山小屋を指差した。誠に元気な「女史」殿で感心する。

  もと来た道をバスで引き返したが、路線バスに乗った頃から青空が広がり出した。「観音経渓谷」の展望台でバスが時間調整の為停車している間に振り返ると正面に「間ノ岳」、その右に「北岳」、更に右手に僅かながら坊主頭の「甲斐駒ヶ岳」がくっきりとわれわれを嘲笑うかのように誇らしげにその姿を見せていた。

  このメンバーで来週は「白馬岳」の縦走を予定している。

 

 

  発言番号:114(110へのコメント)

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :山歩きの記録(その5・・仙丈ヶ岳)

    登録日時:97/08/30 14:16

 

 「仙丈ヶ岳」は南アルプスの女王と言われるように、たおやかな山容とお花畑に彩られたコースで、多くの登山者から人気を得ている山であるが、登山の当日は山頂にガスがかかって見晴らしがさっぱりだったので、皆様への報告に目にした 高山植物」の名前でも上げようかと考えていた。

  帰りの鈍行列車の中で、植物に詳しい仲間の一人に我々の見た植物の名前を適当に挙げてくれるようにメモを手にして依頼したが、 後で調べてお知らせします」と、慎重居士のその方からはその時花の名前を聞き出す事が出来なかった。

  せっかちで軽率な私は、帰って直ぐに例の 「メッセージ」を流したが、昨日件の仲間から、記憶しているものを植物図鑑で確かめたと、「仙丈ヶ岳高山植物」の克明なリストを送って頂きましたので、彼の労作を植物

に興味のある方々にもご披露致します。

         「仙丈ヶ岳高山植物」(978月下旬)

1.太平山荘付近

                  植物名              花の色

  あかばな        ヤナギラン               赤紫

  ききょう        ホタルブクロ              

              アキノキリンソウ          

                オタカラコウ              

                ヒヨドリバナ             淡紫

                フジアザミ               赤紫

                ヤマハハコグサ            

  きんぽうげ      ミヤマトリカブト          

                レイジンソウ(伶人草)   淡黄

              アマニュウ           白(茎赤茶)

                ミヤマシシウド            

  なでしこ        タカネビランジ          ピンク

  ゆきのした      サラシナショウマ          

              タマガワホトトギス        

 

2.登下山途中

  いわうめ        イワカガミ                

  ききょう        イワギキョウ              

                ソバナ                    淡紫

                ハクサンシャジン             

              ウサギギク                

                ウスユキソウ              

  きんぽうげ      シナノキンバイ            

                ハクサンイチゲ            

  こまのはぐさ    タカネシオガマ           赤紫

  なでしこ        タカネナデシコ          ピンク

              チングルマ      実(タンポポ綿毛状)

  ふうろそう      ハクサンフウロ           桃紫

              サンカヨウ            果実(濃青)

              ハクサンチドリ           赤紫

  りんどう        トウヤクリンドウ         黄緑

  花を見分けるのには「科」から覚えていくのが良いとは、彼の意見でした。

 

 

  発言番号:117(110へのコメント)

    発言者 :権藤 卓也

    題名  :「仙丈ヶ岳」の高山植物

    登録日時: 97/09/01 17:54

 

 深澤さんの若々しい行動力にはいつも感嘆しながら拝見しています。

 今回の「仙丈ヶ岳」の植物リストを拝見して、晩夏から初秋の高原を歩く楽しみを思いだしました。私も山登りは好きな方だと自負はしているのですが、年寄りの婆さんを連れてはそれも叶わず、車で登れる所へ案内をしては散策するという、それをささやかな楽しみとしてきました。婆さんが亡くなってからはその制限は無くなった筈ですが、一人だけでの山歩きはいささか自信がなく、体力の限界も測りかねて現在いささか鬱々としている状態です。

 それはそれとして、1500メートルから2000メートル位の高原でのお花畑は素晴らしいですね。スキー場のゲレンデは、木を切ってしまうのでだだっ広い草原になっていて、それこそヤナギランを始めとしてあらゆる草花が太陽の光を一杯に受けて咲き乱れている感じです。奥志賀、霧が峰、乗鞍高原、戸隠、奥日光、裏磐梯などあの植物のリストから一々記憶が蘇ってきます。懐かしいですね。

  それから、これくらいの高度からやや下がって1000メートル位までの高原が初夏は野鳥の楽園になります。4月の終わりから6月の始めまで浅い新緑の林を歩くと、特に朝早く日が昇り始めるころには野鳥のコーラスがクライマックスを迎えます。これも楽しみですね。

 お蔭様でいろいろと楽しい夢を見させていただきました。有り難うございました。

 

 

 [6]谷川岳

 

 

  発言番号:448

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :山歩きの記録(「谷川岳」)

    登録日時:98/10/15 09:55

 

(コースのタイム)9:00.JR土合駅着〜9:20.ロープウェイ土合口駅着〜9:35.天神平駅着〜10:25.熊穴避難小屋〜11:45.頂上小屋(昼食)、12:15.発〜12:25.トマノ耳〜12:45.オキノ耳〜13:15.トマノ耳〜14:20.熊穴避難小屋〜15:00.天神平〜15:15.土合口駅〜15:28.土合駅〜15:33

(プロローグ)

 10月4〜5日、町田の「シルバー登山隊」の仲間6人で「谷川岳」を目指す。事の起りは「利尻山」に行った70媼からの提言で彼女のリゾート・マンションにお世話になるという事から、リーダーの80翁が張り切り出して、「僕が得意のフランス料理を提供しよう」という事になった。

  新幹線なら1時間余りで行く所を、例によって我々は4時間近くかけての「在来線」は鈍行の旅である。車中でNさんが先日の剣岳は「カニの横縦い」に挑む私の写真をくれた。(これは「貴重品」だ)

  越後湯沢で降りて皆でスーパーに駆け込み、80翁の買物の手伝いである。用意したメモを見ながら彼は慣れた手つきで献立の材料を集めて廻る。勿論最年少の私が買物篭を押して歩く。

  駅前の酒屋でアルコールも用意して次の列車で一駅折り返して「岩原スキー場前」で下車、マンションに入る。6畳2間ではあるが山小屋でないのが有難い。流しの壁に「油使用厳禁」の張り紙が目に付く。そんな事にはお構いなく80翁は早速牛肉を炒め始めた。私を含む不器用な3人は早速大浴場の湯船でゆったりとリゾート気分。部屋に戻ったらもう出来上がりつつある皿が並べられていた。80翁の献立とは

◎牛肉とレタスの油炒めに紫蘇と葱の微塵切りの振り掛け

◎ポーク・ソティー。レタスの茹でたのが下に敷いてあってポークの上にはパインが乗り、 生チーズとトマト ケチャップにマヨネーズも掛っていた。

◎ポタージュスープ(コーン・クリーム・・・これはインスタント)

◎野菜サラダ(トマト・胡瓜・レタス・紫蘇・バジリコ)・・・サラダ・ドレッシングは 彼の「特許品」で、芥 子とワサビを「隠し味」に使ってあるとご機嫌だ。

◎パンとバター。皆さんその腕前に感心しながら舌鼓を打った。(この料理のためにNさ んはリュックに6人 分のナイフやフォーク・スプーンおまけにスープ皿迄持ってき  た)・・食事の後片付けは勿論若造(私)の仕事・・。

 

  食後80翁の「健康法」を聞いた毎朝、膝の屈伸50回、腕立て伏せは30回とはたまげた 「亀の子たわし」は勿論だそうで、皆の前で両足を前に出して畳に腰を落し、やおら片膝だけを立てて一方の足は伸ばしたまま一本足でスーッと立ち上がったのには皆驚いた。

 

(「谷川岳」登山)

  翌朝は快晴、「今日に延期して良かった」とマンションの窓から空を見上げて皆がそう言った。

  所が「土合駅」に近づくにつれて雲行きが怪しくなった。駅に降りたら「いよいよ<谷川岳>です。山の天気は急変するから決して無理をしないように引き返しなさい」との立看板が目に留まる。ロープウェイ駅の途中に「山の鎮の像」の立つ「慰霊碑」があって沢山の花が供えてあった。

  頂上駅では霧雨も降って視界は0に近く、雨合羽を身につけての行動開始には参った。暫らくは立派な「木道」が続いてそれが切れると泥んこ道である。視界は精々50M、折角鮮やかな紅葉の美しさを求めてやってきたのにさっぱりである。勿論今年は天候異変で紅葉は余り期待できないらしい。それでも足の便が良いので日曜日烽ってお年寄りを含む大勢の登山客で賑っていた 「手軽に来られる山」という感じ。

  ここも「百名山」の一つであるが深田久弥の「谷川岳」の項では「これほど有名になった山もあるまい。しかもそれが<魔の山>という刻印によってである」との書き出しで始っている。

  頂上駅の標高は1,321M、山頂(オキノ耳)が1,977Mだから高度差は約650M、段々岩場の急騰になる。雨で岩が濡れて滑りやすいので慎重に歩を運ぶ。「魔の山」とは言え、尾根伝いに歩いている限り恐い所は全くなかった。この山は古来「耳二つ」と呼ばれて、南の「トマノ耳」を薬師岳、北の「オキノ耳」を谷川富士と称していたが、今では「耳二つ」を谷川岳と称しているようで、最初の「トマノ耳」には「谷川岳山頂(トマノ耳)標高1,963M」、「オキノ耳」には「谷川岳山頂(オキノ耳)標高1,977M」の標識があった。ここの展望が素晴らしいと期待してきたのにこの天候ではさっぱりである。

  予定ではここから西黒尾根を下山する事になっていたが、頂上にいたこの辺りに詳しい人から「道が崩壊して岩場も滑りやすくて危険だから止めなさい」と聞いたので、諦めてピストンで元の道を引き返す。

  それなら1台早い列車を目指そうとスピードを上げる。3時半の次は6時半迄待たねばならないから・・・。

  ケープル駅からJRの駅迄は私が先頭である。山を歩いている時は私の足は早すぎるからと絶対に「先頭」をやらせてくれないのに、今だけは「先に行って列車を止めておけ!」と勝手な事を言う。最後は線路の上を100M程歩いて直接プラットフォームへ。ここは無人駅だ。3分後に列車が入ってきた。

 

(エピローグ?)

  それから一週間の後「町田おいらく」で「鐘ヶ嶽」を目指した谷川岳の仲間4人に86才の総リーダー、それに何時かこの辺りで「野宿」をした75翁の6人意地の悪い 「総リーダー」は75翁の逆のコースを辿る

  丹沢は「日向薬師」から「浄発願寺・奥の院」の裏手の地図にない道を登る 何度来ても良い所だ。間もなく左「日向薬師・1.7K」右、「浄発願寺・0.9K」と書いた道標の所に来たら、75翁が突然声を上げた 「確かにこの標識とこのベンチに記憶がある 此処で私は右に行くとバス停まで長いコンクリート道を歩かねばならぬので、直接日向薬師を目指した」と。午後2時だったそうだ。「どうしてこんな所で迷うの?」と皆が聞く。しっかりした道が付いていたのに、途中で古びた「木段」が目に入ったのでこれだとばかりに降りて行った所、段々草深くなりやがて急斜面になってきた。「沢」の音も聞こえてくる。これは駄目だと元の道に引き返そうとしたが、降りた斜面が急すぎて何度試みてもずり落ちてどうしても上がる事ができない 手や顔や腕は擦り傷だらけになって辺りは暗くなるので 「ここは下手に動くまい」とビバークを決意したという

  持っていたヤッケや着替えのシャツ等を着込んで、「非常食」を口にしながら木の幹を背にして腰を下ろしたという 不安で結局は正味1時間程ウトウトとしただけだったがその間に「 幻覚症状」というか、自動車の明りらしいものや道標らしいもの 果ては向うから人が来るようだが、さて近付いて見るとそれらは何時の間にか消え失せてしまったそうだ。

  明るくなってから、ビバーク地点を確かめようと少し上手に歩いてからとぼとぼ下手に歩くうちに、道を見つけて10時頃にバス停に着き、早速厚木警察署に電話を入れたら将に捜索隊の出発寸前だったそうだ。

  「貴重な体験だった」と翁はしみじみ語ってくれた

 

 

  発言番号:503(448へのコメント)

    発言者 :太田  

    題名  :山歩きの記録(「谷川岳」)

    登録日時:98/11/28 13:07

 

 貴君は今年、利尻・礼文、八ヶ岳、剣岳、谷川岳と登りましたね。前二者については既にコメント(八ヶ岳については昨年)していますので今回は後二者を取り上げて今年の決着をつけましょう。

 

1.剣岳

  10数年前、例のK君(今夏一緒に京都旅行した学友)とバスツア−で黒部ダムへ行った。

  1日目諏訪湖畔で昼食を取り、午後は松本城を見物、K君の饒舌は立板に水のよう。それもその筈、彼は旧制松本高校の出身、時間があれば市内を隈なく歩きたかったのだろうが、バスはそのまま大町温泉へ行って泊る。

  よく同校を志望する動機は山が好きだからという理由が多いと言われるが、彼の口から「山」の話は出たことがない。彼は在学中病気休学、その合併症で心臓障害が起き、恐らく山には全く無縁になったのだろう。

  2日目貴君の辿った道を、そっくり室堂まで。尤もこのほかに行く道はある筈はないのだが。室堂から眺める後立山連峰は、3千米前後の山々に対して失礼乍ら、宛ら箱庭のような眺め。いつも不思議に思うのだが、山は近くになると威圧感が無くなるのは、我々の視点が高くなるのも確かだが、それよりも錯覚が大きく影響しているのだろうか。

  貴君達は剣岳に登った後、また元来た道を引き返したのですが、我々は勿論登ること無しに弥陀ガ原、美女平を通って富山県側へ降り、翌日黒部トロッコ電車に乗りました。小生が今後剣岳に登ることは考えられませんが、貴君が室堂から先へ行くことは是非お勧め致します。

 

2.谷川岳

  数多い日本の山の中で問題の山、日本の登山史に特筆大書すべき山、それが谷川岳です。

  小生と同山の関係も劇的な関係ばかりです。

 

 ○昭和25年12月30日  出身中学、当時の佐野高校山岳部員10数名が西黒沢にて表層雪崩のため遭難、日本中の大騒ぎになる。リ−ダ−が同校教諭、小生の小学、中学の1年先輩で可成の規模の病院の息子。最終の遺体発見は翌年の雪解け6月だった。

 

  ○昭和33年9月  小生、当時将来を嘱望?された新進係長。係員10名程と週末登山の予定の所、前夜すなわち金曜日の晩、狩野川台風襲来。下町の女性係員の家は床上浸水になる程の状態。支度してきた者はS君とK嬢と小生の3人だけ。午後仕事終りと同時に出発、谷川温泉で3人同じ部屋になったので、老婆心から小生真ん中で川の字に寝る。後年2人は結婚する。あの時の不粋を今でも後悔している。

  翌日、一点の雲もない秋晴れ、台風一過の山行は絶対実施すべきの鉄則通り。天神尾根、西黒尾根を口笛吹き乍ら踏破した。頂上から眼下に土合駅が手が届くように見えたのを、今でもはっきり記憶している。

  深澤さん一行が50米先も見えない悪天候に悩まされたのとは大違い。

 

  ○昭和39年10月10日  東京オリンピック開会式当日、日本中をハラハラさせた長雨が嘘のように晴れ上がり、奇跡的な秋晴。

  社員旅行で谷川温泉に来た。テレビの開会式と窓外に展開する全山の紅葉と交互に凝視した覚えがある。

 

  ○10年程前12月上旬、出向先の職員旅行の時、天神平のケ−ブルを上がったが、記録的な暖冬の為か、日本一の豪雪地が黒い地肌丸出しでガッカリした。

 

  深澤さん、今年は本当にいろいろの山に登りましたね。周りに元気なお年寄りが一杯おられて結構です。しかし、いくら話が弾んでも冬山だけはやめて下さいよ。「年寄りの冷や水」程、周囲に迷惑を懸けるものはありませんから。

  また、来年夏、元気な「山便り」を期待しております。

 

 

  発言番号:507(503へのコメント)

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :山歩きの記録(「谷川岳」)

    登録日時:98/12/01 13:24

 

 2〜3ヶ月前の「山歩きの記録」へのご懇切なるコメントに恐縮しておりましたら、尚も引続いて何かにでも取り憑かれたかのように「大山南稜」へのコメントとは畏れ入りました。

  私は貴殿ほど「旅慣れて」おりませんのでそうあちこちと話題がある訳ではございませんが、おっしゃる所の「室堂から先」についてはもうかれこれ15年以上前になりましょうか、我が家にしては珍しく家内に二十歳頃の娘を従え上野発の夜行列車で早朝富山に着いて、富山電鉄で立山に入った事があります。太田さんのコメントを見て思い出し、アルバムを引っ張り出してきましたが、立山界隈より先しか写真は撮っていないようではっきりしたコースを思い出す事は出来ません。その日のうちに「白馬アルプスダイヤモンドホテル」迄ぶっ飛ばすには「トロッコ電車」の乗っていては無理と判断し、登山から真っ直ぐ美女平を経て室堂に入ったと記憶しす。雪渓を越えて美しいお花畑を歩いて地獄谷から 黒四ダム」へ下り、長い隋道のバスと国鉄を使って暮れかかった道をホテルへと急ぎました。

  翌日は一日「塩の道」を歩き回り、その次の日には家内と二人だけで(娘は前日の「塩の道」ですっかりくたばった)「白馬」から「八方尾根」を経て「唐松岳」の頂上までを往復しました。途中、今から思えば何でもない3M程の鎖場では、前を行く家内が何事も無くスーッと越えたのに、私は恐くて幾度か躊躇して「高所恐怖症」と家内に罵られた事を覚えています。(八方尾根から見る真正面の「不帰ノ険」から連なる「白馬岳」の勇姿に、その時憧れに似たものを感じた事だけは今もはっきりと覚えています)

  一方、「谷川岳」は「危険な山」との思いが先行して全く行く気がありませんでした。今回行ってみてお婆さんも登る山だったのを初めて知りました。太田さんが度々行くのも良く判ります。あそこの景色は素敵だそうですね。是非もう一度今度はご一緒しませんか?

  そして、「川の字」と言えば、私も 「新進(?)課長」の頃、部下の女性二人と伊豆の大島は「三原山」に参りました。泊った宿で部屋が二つ取れなくて止むを得ず彼女ら(22〜3才)と同じ部屋、「川」ならぬ私だけ頭を反対の壁にくっ付けて部屋の片隅でそれでも「熟睡」しました。私、38才の秋でした。

  それから「大山」の山頂へは「やびつ峠」から真っ直ぐに登るのが一番早くて楽だと思いますよ。小田急の「丹沢・大山フリー切符」を使うと大変お得なコースです。

  それはそうと、ここ10日間に2度ばかり巌さんにお目に掛かりましたが、昨日も「先日もロンドンには面白い話があると盛んに太田さんが吹聴していたがどうなった?」と語気鋭く詰問されました。そう言われても<「ロンドン」については「メッセージ」の3分の1近くを費やして私の体験を克明に記録した積りで、あれが全てであります。そして、太田さんだけしか知らないもう一つの「ロンドン」の顔があるはずですが、先日のコメントの冒頭に「今回は後二者を取り上げて今年の決着をつけましょう」とあるのが多少気になります。まさか「英国紀行」のコメントは入れないというのではないでしょうね。恒例の太田さんからのコメントが入らないことには「彼女らに贈る旅の記録」は完結致しませんから・・・。

 

 

 [7]赤城山

 

 

  発言番号:510

    発言者 :青野 淳美

    題名  :赤城登山

    登録日時:98/12/02 22:47

 

 11月の3連休に、国立赤城青年の家に泊まる機会(放送大学インターネット研究会研修会)があり、そのついでに若い皆さんと赤城山に登ってきました。

  好転に恵まれ、見事 山頂から白銀に輝く日本百名山の山々が眺められ、この絶景を、一人で抱え込むのも勿体無く、巌先輩と深沢さんにメールしたところ、是非会議室に投稿せよとのことでありましたので、短文ながら赤城登山下記ご披露申し上げます。

  名月「赤城山」として、また上毛三山の一つとして知られるこの山も、深田久弥の日本百名山の一つに数えられています。

 「赤城山」は、カルデラ湖 大沼(おの)小沼(この)覚満淵を囲んで、外輪山の黒檜山(1828m)を最高峰に駒ケ岳、長七郎山、地蔵岳、鈴ケ岳などを合わせた総称です。

  今回は、新坂平登山口(標高1300m)から、地蔵岳に(標高差約370m)僅か50分足らず7分で登るロープウェイは、何故か2年間営業停止中)年寄りには手ごろな山登りでした。しかし山頂からの眺望は素晴らしく、一度に10以上の日本百名山が眺められるところは、あまり無いのでは?ないでしょうか。

  駄句を沿え 山頂から360度の展望を!

     19981122 am10.30地蔵岳登頂

 

                                     

             

                                                至仏山

         

                                               2228m

         2356m

                

                苗場山      谷川岳      武尊山

     奥白根山

                2145m   1977m      2158m   皇海山

      2578m

草津白根山                                       2144m

       男体山 

      2171m

     2484m       

    浅間山                           赤城山

  2568                          (地蔵岳)

                                    1674

   八ヶ岳

   2899m                大沼小沼を 抱きて聳える 赤城山

                          見晴らしの 赤城のいで湯 秋深し

                          霜柱  踏む地蔵岳の 空青く

       

                                         

   筑波山

                                   (雲取山)見えず

    876m

                                   2017m

                   

                    富士山           

                    3776m

 

 

  発言番号:511(510へのコメント)

    発言者 :巌   隆吉

    題名  :赤城登山

    登録日時:98/12/03 11:08

 

 最近太田さん、深沢さん、松本さんを始め皆さんから山歩きの記事が矢継ぎ早に出てそれぞれ楽しく読んでいました。

  今回貴兄よりも素晴らしい展望しかも百名山が10も望まれる赤城登山の記事、有り難く拝見しました。貴兄は元来身体は頑健でしかもお酒は抜群に強いお方ですので、今後ともベテランの深沢さんに劣らず山行やハイキングに精励されることでしょう。

  今後とも貴重な記録のご投稿をお願いします。

  私自身は赤城はその付近を通る電車の中から見るだけで、まだ1回も登っていませんが魅力ある山ですね。

  思い出しますとその昔「赤城」という航空母艦がありミッドウエイで惜しくも沈みましたがそのかっての雄姿を思い出しつつ、端麗な姿の赤城山を眼に浮かべているところです。

  なお、貴兄の句にあります

         霜柱  踏む地蔵岳の   空青く

のとおりこの平地でも大変寒くなりました。いよいよ貴兄参加の国際高齢年記念合唱会が開催されますが、喉を痛めないようくれぐれもお大事に。

 

 

 [8]尾瀬

 

 

  発言番号:707

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :「尾瀬」〜木道ハイキング〜

    登録日時:99/07/30  10:45

 

 去る7月23〜24の両日、松本さんの所属する「山の会」に誘われて「尾瀬」を訪ねた。

 

(コースのタイム)第一日目:7:45 新宿発〜関越自動車道経由〜11:50 鳩待峠着・・(昼食)、 12:40  出発〜13:30「山の鼻」〜14:25 「牛首」〜15:00「竜宮」〜15:30「ヨッピ吊橋」〜16:00「東電小屋」

   第二日目:5:00出発〜5:30「見晴」(朝食)6:10発〜8:00「沼尻休憩所」  9:15「尾瀬沼山荘」〜9:50「三平峠」〜10:30林道〜11:00一の瀬〜12:00「大清水」〜12:45「片平温泉」着(食事と入浴) 14:30温泉発〜18:00新宿西口着

 

 尾瀬は私には「忘れ得ぬ思い出」がある。30年以上も前の5月の連休に、若い社員から「燧ヶ岳登山」に誘われた。予定のコースは「沼田」=「大清水」〜「三平峠」〜「尾瀬沼」〜「元湯山荘」〜「燧ヶ岳」〜「鳩待峠」=「沼田」だったと記憶している。

  所が出発の4月29日の前日に「現地は雪」との情報が入って、同行予定の女性達3人にはお引取り願って、男5人だけが上野発の夜行列車に乗った。私にとっては生まれて初めての「山小屋」泊りの本格登山である。大清水から三平峠への山道は重いリュックが肩に食い込んで、何度も休みながらあの急登に喘いだことが思い出された。

  やっと峠に辿り着いたら何と積雪は3.5M、峠から見る尾瀬沼方向は一面白一色の将に「銀世界」である。木も道も全くないので小屋の方向を目指して真っ直ぐに歩くしかなかった。これでは登山どころではない。せめてもと翌朝小屋から近くの「三條の滝」を覗いて一番近い鳩待峠から退却した。

  爾来「尾瀬よもう一度」の思いがあったが、今回はこれとは逆方向ながら、「バスに空席があるから・・・」とのお誘いに、私の思いを遂げる願ってもないチャンス到来とばかり、二つ返事で乗った次第。

  さて、30人乗の小型バスながら、気心知れた仲間達ばかりの気楽な旅で、途中退屈することもなく出発点の「鳩待峠」に着く。久し振りの好天とて駐車場には既に可成りの自家用車も駐っていた。今年は熊に殺された人もあったので入山客は例年に比べて激減しているそうだ。

  スタート地点から「木道」が続く。夏休みに入って小学生の団体も多く「こんにちわ〜!」と元気にすれ違って行く。「事故多発。スリップ注意!」と何処かでよく見かける立札に何度もお目に掛かりながらの「木道歩き」だが、土を踏まないと矢張りハイキングの気分がしない。

  勿論例の「水芭蕉」はとっくに終って葉ばかりだが、今は「ニッコウキスゲ」と「ヒツジクサ」が目を引いた。(但し、自称<<園芸博士>>の松本さんと一緒だから、素人の私が植物の話をするのは<<野暮>>というもの、そちらは松本さんの<<コメント>>を待ちましょう。)

  この日の尾瀬は1ヶ月振りの晴天で、振返ると「至仏山」の登山道がはっきりと見えた。標高1400M辺りの湿原を歩くのだが、どうも足元の木道が気に掛かる。両側の湿地帯を行く幅7〜80センチの木道は、歩いていると踏み外さないようにと気になって折角の風景をゆっくり見ておれないからだ。

  「山の鼻ビジターセンター」で至仏山を背に皆で記念撮影。ここからは視界も開けて点在する小さな沼の「ヒメスイセン」(ヒツジグサ)が白い可憐な花を付けて我々を迎えてくれる。木道の所々には道路の待避車線のような休憩所も設けられて、時々休息をかねて丸太に腰をかけながら皆と植物談義に花が咲く。

  やがて我々の前方にゴツゴツした「燧ヶ岳」がその全容を現すと、今日の宿「東電小屋」はもうすぐだ。「竜宮」から木道を左折して「八海山」の山裾に沿って「ヨッピ吊橋」を渡る。先日ハイカーが熊に殺されたのはこの辺りだ。「熊出没  注意!」の立看板が急に増えて少し気味悪いが、「熊はこちらがからかわなければ危害を加える事はない」との添え書きもある。

  午後4時「東電小屋」着。我々女性5名を含む一行24名は、10・8・6畳の各部屋に別れる。風呂も沸いて一度に6名が入れる湯船で汗を流せたのは有り難かった。夕食時、缶ビールを傾けながら松本さんは強引な程に周りの人に「ダイヤ・ネットワーク」の宣伝と勧誘をしていた。

  私は8畳間に8人。但し一人は「鼾」を理由に自発的に押し入れの中で寝てくれたし、バランス上からか添乗員も又廊下に布団を敷いてくれたので、残る6人の仲間とゆっくり寝られた。私は例の80翁から前に貰った「導眠剤」のお陰で8時から朝の4時までぐっすり眠れた。

  翌日は午前5時に出発。「見晴十字路」で昨夜小屋から支給された「握り飯」2個と「魚ソーセージ」で朝食。ここは山小屋が6軒纏まってハイカーで賑わっていた。6時10分出発。やがて雑木林を縫って爪先上がりの小道を抜けると約2時間で「沼尻平」に着く。尾瀬沼の北西端に位置するここの休憩所で少憩の折トイレに行く。入り口に可愛いお嬢さんがいて¥200.取られたが、中に入って「ウォッシュレット」の便座で用済み後、温かいお湯がお尻を舐めてくれたのには驚いた。こんな山奥でこの設備、¥200.とは全く安くて有り難い。帰りがけ件のお嬢さんに思わず「有難う!」と声をかける。  この沼は東西2.2キロ、南北1.2キロで平均水面海抜1665M、最大水深9.5M。8000年前の燧ヶ岳南側の山体崩壊で沼尻川が塞き止められて出来た湖で、この周辺に高層湿原が広がったという。

  木の間に見え隠れする「燧ヶ岳」を眺めながら、沼の南側を廻って1時間で湖の南端「尾瀬沼休憩所」到着。小屋を出て此処までの間、西からと南からとで険しく男性的なこの山はその姿を変える。湖の辺が撮影ポイントと目の前に全容を曝す燧ヶ岳とその前に広がる尾瀬沼をバックに皆さん夫々に記念のシャッターを切る。

  ここで「尾瀬」ともお別れである。昨日歩き始めてから此処までの行程のうち、95%以上が「木道」とは少し物足りない気がしないでもない。此処から約30分山道を登ると「三平峠」。標高1762M。昔の「雪の三平峠」の面影は全くなかったし、想像していた峠はもっと狭かったような気がしたが・・・。

  ここからは「大清水」まで下り一辺倒である。この日は土曜日とて登ってくるハイカーの列が続く。「一ノ瀬休憩所」までは登山道。すれ違う人達は暑さも手伝って皆ふうふう言っていた。尾瀬に行くには我々の辿った「鳩待峠」から入るのが遥かにラクチンである。一ノ瀬からは林道を1時間歩いて正午に「大清水駐車場」到着。迎えのバスで45分、片品温泉で昼食の後、お湯に浸って午後2時半に出発。途中観光バスが立寄る事を義務づけられていると言う土地の漬物屋「加作」でお土産を調達して一路新宿に向かう。

  「漬物屋に寄らなかったらどうなるの?」。止せばいいのに先頭席の私は添乗員に下らぬ事を聞いてみた。「そりゃ〜すぐに会社に電話を掛けられて私が大目玉を食らいますよ〜!」。

 

 

  発言番号:709(707へのコメント)

    発言者 :濱田 賢一

    題名  :「尾瀬」〜木道ハイキング〜

    登録日時:99/07/30  12:04

 

 深澤さんの何時もながらの詳細な紀行文、さながら同行している気持ちで楽しく読ませて頂きました。二日間、梅雨明けの好天でよかったですね。

 お疲れのせいか、8時間睡眠とはご立派です。導眠剤」とは、アルコール系ですか? 山奥でも「ウォッシュレット」とは、洒落ていて驚きました。

 兎に角、熊に襲われることもなく、ご無事にご帰還ご同慶の至りです。

 有難うございました。

 

 

  発言番号:713707へのコメント)

    発言者 :松本 喜一

    題名  :「尾瀬」〜木道ハイキング〜

    登録日時:99/08/01  16:18

 

  深沢さんと御一緒した尾瀬のハイキングは3ケ月前の計画であったが、丁度運よく梅雨明けの当日で、何とタイミングの良い団体さんと添乗員も感心していた。

 鳩待峠に着き食事中も、トンボが無数に飛び交い腕や背中に止まり、空にはウグイスが鳴き晴天のもと心地よい田園風景に親しむ。

 竜宮小屋まではニッコウキスゲが群生しており、花を楽しみながらゆっくりと歩く。

 宿に着いて一風呂浴び酒を酌み交わしながら、談笑の時間に入る。一行24名中7名が完全にリタイヤしている、食後の話題も勢い「健康」「いきがい」というの話題が中心となる。現役または定年まじかの人にとっては重大なことらしい。(いつも我々が話題にしていることだっけ)

 山の夜は早い、9時には消灯隣のいびきを気にしながら眠りに就く。朝4時に起床、5時に宿を出発する。まだ薄暗い空に都会では珍しいツバメがかなり多く飛んでいる。

 木道を少し行くと、ニッコウキスゲの群落に出会う、ワタスゲ、クマガイソウ、ゴゼンタチバナ、ノアザミ、水の中のモウセンゴケ等、鑑賞尾瀬の湿原を堪能した。

 尾瀬沼湖畔から見る「ひうちケ岳」がすばらしい。ここで一同記念撮影をして尾瀬沼に別れを告げ三平峠へと向かう。樹林におおわれ展望はない、峠で小休止、1712mの峠の空気は心地よい。約2時間の山道の下りで大清水に無事到着した.あちこちで流れ出る水の美味しいのには驚いた。

 

 

 (2)北アルプスとその周辺の山

 

 

 [1]北穂高岳

 

 

  発言番号:D23

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :「穂高縦走」敵前逃亡の記

    登録日時:96/09/16 10:22

 

 去る4日の「あずさ  1号」で松本に行き正午上高地着。昼食の後、「横尾山荘」を目指し、入場料を払って途中の「明神池」に立ち寄る。

 「大正池」がすっかり昔の面影を無くした今、ここには未だに幽玄神秘な佇まいが残っていて、訪れる人で賑わっていた。

  よく整備された爪先上がりの林道を一時間に5分の割で休息を取りながら、4時前山荘着。8畳の間で作りも新しく、1坪程の風呂に入った後の夕食には「岩魚」の塩焼き迄出て、想像していたよりも結構な「山小屋」でぐっすり熟睡。

  翌5日の天気予報は「朝夕は曇り、日中は晴れ」。7時山荘を発って一路「北穂高岳」を目指す。8キロのリュックを背に「横尾谷」に沿って緑に覆われた山道を歩きはじめる。中間点の「本谷橋」は10メートル程の吊り橋だが「危険に付き一人づつ間隔をとって静かに渡れ」と注意書があった。この橋を渡り終えると道は急に険しくなる。右に左に折れ曲ったガレ交じりの急な登りが続く。正午前に「涸沢小屋」に着く。

標高2,300

  横尾山荘前に「標高1615米」と表示があったから約700メートルの標高差だ。仰ぎ見る空はあくまでも青く澄んで、雪渓の向こうに鋭く横たわる穂高の連山を眺めながらの腹ごしらえだ。壮大な穂高連峰の山並みはここまで来ないと全容を見る事が出来ないのは憎いが、これも苦労して登ってきた者の特権だ。出発前に心配した天候も杞憂に過ぎず透き通るような青い空に目指す「北穂」はすぐそこに聳えていた。

  水を補充して30分の後に「出発進行!」。ガレ場やハイマツの斜面を登る。ここは可成の急斜面で「穂高三大急登」の一つと聞く。10分も登ると息がきれる。15分登って5分休憩。角度がきついので高度だけは確実に稼いでゆく。先程の「涸沢小屋」が見る見るうちに眼下に小さくなっていくが、目指す山頂はまたまだ遥か頭上だ。10メートル程の切り立った「鎖場」も2ケ所通過。こんな厳しい岩場は私には「初体験」である。今回のリーダー(77才)は杖を片手に、先頭を行くベテランは73才、お二人共2本の足でしっかり岩の上を登っていくのに、悲しいかな初心者の私は最も若い68才ながら恐くて四つん這いでないととてもじゃないが登れない。途中50才前後の3人組を追い越した。「私等はこの人の喜寿祝の登山です。」と私が前を行くリーダーを指差しながら話し掛けたら、岩蔭に休んでいた彼等は「私等もあやかりたいなあー」とフウフウ言いながら流れ落ちる汗を拭いていた。

  岩にしがみついて登る事4時間、午後4時過ぎに標高3106メートルの「北穂高岳」の山頂に着き一行4名感激の握手を交わす。思えば今朝から9時間を掛けて1500メートル登ったことになる。名峰「槍ヶ岳」をすぐそこに眺めながらの記念写真を終えて遥か向こうの「大天井岳」、「常念岳」、「蝶ケ岳」、そして明日歩く「涸沢岳」、「奥穂高岳」、「前穂高岳」の剃刀の刃のように切り立った山並みを眺めていたら、漸く先程の3人組もご到着。彼等は明日難所の「大キレツト」を越えて「槍ヶ岳」を目指すという。

  山頂から10メートル程槍ヶ岳の方に下った所に今日泊まる「北穂高小屋」があった。ここは富士山頂の「気象観測所」を除くと日本一高所にある「宿泊所」だそうだ。「飲料水1リットル@¥200.」の貼り紙が目についた。トイレの水も出た所に「消毒液」と「すすぎ水」と書いた2つの洗面器が置いてあった。1坪づつに区切った2段の仕切りだけの天井の高さ約1メートル程の座るのがやつとの「寝所」、ビールの350cc缶が¥550.それでも夕食には焼肉2切れにスパゲティー生野菜や味噌汁それに酢の物まで添えられていた。72才の仲間は疲れて体調を崩して食欲零に近く、焼肉1切れ食べただけで床に着く。

  かくいう私は「アルプス初挑戦」で行く前から色々経験者に意見を聞いていた。私の脚力を知る大抵の人はベテランのリーダーが誘ってくれたのなら大丈夫。唯慌てずに「ゆっくり歩け」と忠告していただいたが、一人だけ春の「スペイン巡礼」に同行し、8月のお盆休みに同じコースにトライした山登り5年の男だけが「山は動かない。特に北穂から奥穂への縦走路は鎖に捉まって岩を登る時、股の下から千米もあろうかという断崖が見えて震えてくる。経験を積んでからでも遅くないから今回は見合わせた方が良い。」とたしなめられて、家内もそちらに傾いたので同じ道を引き返すことに心中決めていたが、さて登って見ると、又あの急斜面を独りで下りるのと、皆と一緒に尾根伝いをゆっくり縦走するのとどちらが安心できるか山小屋に着いて大分迷った。幸い体調を崩した72才氏の「エスコート」という事で名目が立つと諦めて床に着く。

  所が・・・である。件の老人、翌朝食欲も戻って「折角此処まで来たからやはり縦走するか」と言い出して今度は私が困った。最後の決断にと食堂の出口で山小屋の人に「縦走」と「下山」の難易度を聞いたら、縦走は3倍きついといわれて、さすがの彼も私と共に諦めた。6時半出発。頂上から少し下た分岐点でお互いの無事を祈りながら2人づつ二手に別れた。

  岩場は下りと言えども結構きつい。彼は再三膝が崩れてガクガクときていて下りてきて良かったと呟いていた。12時20分「横尾山荘」に着いて昼食。上高地のバスの時間に合わせて30分の後出発。快ピッチで3時30分上高地着。9時半帰宅。15時間掛けて高度3100メートルから「My−Home」迄 駆けおりたことになる。

  もう一度「所が・・・である」。2〜3日して右足が腫れだした。早速、団地の「囲碁同好会」のメンバーでもある整形外科医の診断を仰ぐと、「下降の際の膝の負担による筋肉疲労からくる腫れ」とのこと。一方縦走組は「難コース」も「ルンルン気分」で予定通りその日の夕方には「岳沢ヒュッテ」に着いた由。リーダー曰く。「君なら軽く行けた。残念至極。」と。

  我々は来週「白馬三山」を計画していたが、この足では諦めざるを得ないし、リーダーも血圧が不安定とさっき電話があって、「白馬」は来年の楽しみと決定。年寄りには多少きい山行であったが、良い体験をし又、多少の高山には自信がついたのが今回の何よりの収穫であった。

 

 

 [2]白馬3山

 

 

  発言番号:124

    発言者 :深澤 龍一

    題名 :山歩きの記録(その6・白馬三山」縦走)

    登録日時:97/09/18 08:15

 

(コースのタイム)

  第一日目(9/10)  八王子発(11:33)「特急スーパー・あずさ」〜白馬駅着(15:15)〜民宿   「サントネージュ・白馬(15.40

    第二日目  民宿発(6:00)〜猿倉着(6:20)〜白馬尻着(7:50)〜大雪渓入口着(8:30)〜葱   平着(11:40)〜白馬山荘着(14:10)〜白馬岳頂上着(14:40)〜山頂帰着(15:30)

  第三日目  山荘発(6:20)〜杓子岳頂上(7:10)〜鑓ヶ岳頂上着(8:20)〜鑓温泉着(10:40)   ・・昼食・ 鑓温泉発(11:20)〜杓子沢通過(12:10)〜猿倉着(15:00)〜猿倉発(16:00)   〜白馬駅発(16:30)〜松本より特急「あずさ」〜八王子着(20:36) 

 

 「秋雨前線」が長期に滞留して、山行の計画は当初の2日出発から7日〜9日〜10日と変更を重ね、その都度特急券を買い換えた甲斐あって、当日は快晴に恵まれ車窓から眺める甲斐・信濃の山々はくっきりとその容姿を見せていた。我々のメンバーは例によって 喜寿 氏をリーダーとする平均年齢70才の高年登山隊」である。

  北アルプスも9月に入ると人の気配も少なくて、民宿は私達のパーティー6人のみの宿泊であった。見物方々、翌日の弁当を買い求めて白馬村を歩いてみたが、来年の冬季オリンピックに備えて 民宿 や「コンビニ」らしい小規模な建物が幾つも建築中で、通称「オリンピック道路」も完成して振り返ると明日から登頂を目指す「白馬三山」が遥か遠くに一際高く聳えていた。我々の泊まる宿も「クロス・カントリー」のコーチ陣の宿舎として期間中の1ヶ月は予約済みと、民宿の奥さんが上機嫌で話してくれた。

  翌朝6時にタクシーをんで登山基地の 猿倉」に向ったが、そこには既に 白馬」を目指す若者達男女15〜6人が屯していた。

  我々は尤も足の弱い「73才」氏を先頭に立てて登山開始。最初は林道紛いの爪先上がりの広い道を歩き始め、やがて徐々にガレの多い山道へと差し掛かる。私は2番手を歩いていたが、どうも件の「73才」氏の足取りが重く、歩き始めて1時間半 白馬尻小屋」に着いた時は既に計画の時刻を30分近くオーバーしていた。彼に聞くとリュックが重いのだと言う。メンバー6人の中では一番軽い私でさえ9キロの荷を担いでいたのだから、他の皆さんは10キロを越えていたと思う。

  出だしでこの速度ではとても明るい内に山頂に着けないなと内心イライラしていたら、程なく「73才」氏が 左足が吊る」と言い出したのを塩に 喜寿 氏が引っ返す事を説得し、やむを得ず彼はそれに応じて 白馬岳」に背を向けた。10年前に一度登った彼が「是非もう一度」と今回の計画に参加しただけに、その無念の思いに同情の念を禁じ得なかったが、これもやむを得ない措置であった。

  「猿倉」の標高は1230M、 白馬岳」の頂上は2933M、その標高差は実に1703M、これを今日一日で一気に上り切る訳である。

  「白馬連山高山植物帯」の標識を過ぎると、間もなく「剣」、「針の木」と共に日本三大雪渓の一つに数えられる「白馬大雪渓」の入口に着く。「左白馬山頂4K・右猿倉3K」との標識もあった。

  雪渓に沿って暫く歩くと下山してくる若者に出会ったので、アイゼンはどの辺りから必要かと聞いてみた。 今年は雪が少ないから、あの裾を廻った辺りから暫くで良いのではないか」との返事が返ってくる。右岸を歩けばアイゼンは不要と、ものの2〜300M歩いた後でアイゼンを外す。天気晴朗なれど、時折ガスがかかって見通しが利かなくなる。

  登るに連れてガレ道は段々と険しさを増し角度も急になってくる。大雪渓が終って葱平 (ネブカッピラ)に着き、「お昼にしよう」と白馬の頂上を見上げながら呟いたリーダーの唇は少し紫がかって、私は今回のようにこんな疲れ切ったリーダーの顔を初めて見た。

  道は岩ばかりのガレ場の連続で急騰が続く。15分毎に5分の休憩を挟み、ともすれば霧で見失いがちな岩稜に印された赤や黄色の ○」や「→」の登山マークを追い求めながら、皆は黙々として只管頂上を目指して歩き続けた。

  思えば25年程前に、家内と二人で八方尾根から唐松岳に登った事があったが、その時途中の第三ケルンから遥かに眺めた 白馬岳」とその左手に続く「不帰の嶮」の迫力に魅せられて、それ以来、何時の日にかせめてあの端正な 白馬岳」だけでも制したいものとの憧れを抱き続けていたのが、今やっとその夢が叶えられようとしているとの思いで、私は疲れた足に鞭打って白い山頂を目指した。

  標高2553M地点には「白馬山国有林」の標識が立って、植物群落、ライチョウは「特別天然記念物」だとの表示も有り、登頂の途中でライチョウの若鳥にもお目に掛かった。9月も既に半ば近くともなると高山植物は盛りを過ぎていたが、それでも「ミヤマナデシコ」、「ミヤマトリカブト」、「イワギキョウ」、ウサギギク」、ミヤマキンポウゲ」などが色鮮やかに美しく咲いて、道中疲れた我々を慰めてくれた。

  標高2500Mを過ぎてからでも沢の音が聞こえ、濡れた岩稜に足を取られない様にと用心しながら一歩一歩歩を進める。頂上近くにはかなりの水量の沢も流れていたが、案の上 万年雪」がその水源と確認された。

  稜線に出て村営頂上宿舎のベンチで小憩の後、更に上の 白馬山荘」迄は約20分の行程である。やっとの思いで今日の宿舎に辿り着き、取り敢えずリュックを置いて小憩の後山頂を目指したが、皆の足取りは重くて、鉛のような足を懸命に頂上へと引き摺り上げていた。

  流石に頂上には20名を越える人達が腰を下ろして周囲の山並に見入っていたが、高い山は常にガスが掛かってなかなかその全貌を見せてくれない。我々が記念のシャッターを押してもらった独り登山の40がらみの女性は、栂池から登って明日同じ道を引き返すと言う。山頂の標識の傍には「登頂記念、愛知県、夫**87才、妻**82才。平成9年7月某日」と書いた石盤が置かれて我々の励みになった。頂上の東側はそれこそ真下に切り立った断崖で、 高所恐怖症 気味の私は覗くと震えてしまう。振り向くと明日歩く丸山」〜杓子岳」〜「鑓ヶ岳」の稜線が一瞬くっきりと眺められたが、間もなく霧の中にその姿を消した。

  この山荘は富山、長野の両県に跨って建っており、収容人員1500名と称する建物で3棟に別れて食堂も大きく、夕食には標高3000Mの頂上で温かい おでん」に有り付いたのは誠に幸いであった。(但し、350CCの缶ビールは¥650.)。我々5人は6畳の個室に床を並べて明日に備えて8時に就寝。

  高鼾の合奏だったらしいが、幸い私は仲間から頂いた睡眠薬のお陰で何も知らずに熟睡し、翌朝は6時20分から行動を開始する。朝の気温は9度。辺りはガスがかかって眺望不良で見通しは全く利かない。山登りは天候が大いに楽しさに影響するが、これだけは如何ともなし難く、雨でない事を寧ろ良しとしなければなるまい。

  「白馬岳 〜「杓子岳」〜「鑓ヶ岳」〜 不帰の嶮」〜「唐松岳」〜「五竜岳」、更には「鹿島槍ヶ岳」〜 爺ヶ岳」〜「針の木岳」を経て「槍ヶ岳」〜「穂高岳」へと続く尾根道を歩き始める。最初「丸山」まではこの稜線もハイマツがあったが、その後は岩稜の連続でしかも両側が切り立って緊張が続く。 杓子岳」(標高2812M)は頂上直下50M程の所の巻き道を通過して登頂は省略する。相変らずガスって10M先しか見えないが、時折ガスがスーッと消えるのでそのチャンスを捕らえてカメラのシャッターを切る。 只今の気圧は745ヘクト・パスカル!」とS氏の声がする。「高度が100M上がる毎に気圧は20ヘクト・パスカルづつ下がるらしい」とその人が付け加えたが、自然科学の事など私にはさっぱり解らず、台風でさえ945ヘクト・パスカルなのに・・・と思案しながら歩を進める。

  一旦下降して「鑓ヶ岳」(2903M)への上りが又きつい。ガレ場のジクザグ道を時には私こと自称 高所恐怖症 氏は四つん這いになって登って行った。8時25分頂上を制する。出発後丁度2時間をかけて、直線距離で3.5Kを歩いた事になる。途中、両側が切り立った細い尾根道で「記念撮影だ !」との誰かの声で皆が立ち止まる。丁度若い男性が後から来たので私がシャッターを頼むと、彼は快く引き受けてくれた。「この細い稜線もしっかり入れて下さいよ !」と頼んだら、気の良い件の若者の足場の悪い崖の上に突っ立っての大サービスに、寧ろ我々の方がハラハラする。

  頂上を降りて暫く歩くと「鑓温泉分岐」の標識が見えた。真っ直ぐにその侭尾根を辿るとあの思い出の 不帰の嶮」〜「唐松岳」である。

  我々は此処を左に折れて下り一本だからと、タカを食っていた私の予想は見事に覆された。「鑓温泉」まではガレ場が続いて、途中にはクサリ場やハシゴもあってなかなかスリリングな急降下が続く。振り返ると今歩いてきた高度3000Mの稜線が真っ青な空をバックにくっきりと見えて、時折雲の合間に遥か右手「白馬岳」の勇姿も見え隠れする。写真で良く見る「白馬三山」の絶景で、右手後方には「天狗平」の槍状の岩峰がスカイラインを描いて将に迫力満点である。

  鑓温泉は標高2050M、日本で最も高所に位置する温泉の一つで、バスの時間に間に合うのなら、この露天風呂に入って北アルプスの風景を愛でたいものとここに来るまでは考えても見たが、こんなに緊張の続く山道では入浴でふやけた体に重いリュックではとてもじゃないが堪ったものではないと諦めた。温泉と言ってもベニヤ板で仕切った簡素なもので、温泉小屋の前には「9/4・16:00〜17:00、熊が出没する。要注意!」との張り紙迄あった。ここで昼食、「山菜うどん¥650カレーライス¥1100.」と、こんな山の中で温かい「お昼」に有り付けるとは有難い。建物裏のトイレに行った時、流れ落ちる水量豊かな温泉の湯に手を浸けたが、かなり熱い湯で硫化水素泉だと誰かが言っていた。

  温泉の小屋にはこんな張り紙も有った。曰く。「鑓」は魚を突く先が三つに分れた「ヤリ」の事で、「槍」は先が一つの普通の「ヤリ」の事、「白馬」は海から来た「出雲族、そして松本」は山の人で「安曇族」、「安曇族」は遠い海から来た「出雲族」に追われて山奥に入ったと・・・????。(「鑓ヶ岳」と槍ヶ岳」の説明。)

  11時30分温泉発。私のお粗末な地図読み能力では、出立前迄はここから先は「猿倉」の手前で緩やかに下るまでは略1800Mの等高線上のルートなので、ゆっくりと北アルプスの風景や高山植物を鑑賞しながらノンビリと降りて、場合によっては一台早いバスに間に合うように「早足」でも歩けるかな位に想像していたが、これがとんでもない誤りだった。等高線の間隔が狭いから、現場は山の崖っ淵の幅30〜50程の狭い道を崖に身を寄せる様にして降りて行く訳で、崖と反対側に足でも滑らそうものなら、それこそは 一巻の終り」である。事実、一番若い「昭和8年 氏は、途中濡れた石の上に乗ってゴロリと派手に横転して一回転した。幸い温泉を出て間もなくの地点で道幅もあり、又、背中のリュックがブレーキにもなったので事無きを得たが 良い勉強させてもらいました」と大いに反省していた。流石にこの時は皆にも一瞬緊張が走った。

  そんな事で、 湯の入沢」〜「鑓沢」〜「落石沢」〜「杓子沢」そして「三次郎沢」と幾つもの沢を越えるこの小径は、長丁場の断崖が続く緊張の連続で、足にも自ずと力が入ってとてもじゃないがゆっくり風景など眺めている心の余裕はなかった。今年の7月に、3人の家族連れが落石に逢い、その内奥様一人だけが頭に大石の直撃を受けて亡くなったと言う「杓子沢」には、「早く渡れ !、水も飲むな !!」との立て札が幾つも立っていた。1M四方もあろうかと言う大きな岩が、急傾斜の沢にゴロゴロしている風景は、私如き素人登山者には決して気持ちの良いものではない。又、陽気なS氏が声を出す。「この右手には例の”糸魚川・静岡断層帯”(?)が走っているぞ!」。今ここで 震度5」の地震でも起ったらどうなるかなと想像を逞しうする。そしてこの辺りにも「熊に注意!」の立札が立っていた。

  こんな道が2時間余りも続いて、昨年の「北穂高」の帰りに痛めた私の右膝が曲げると再び痛みが走り出して、痛みを庇いながらの長丁場の下山であった。やがて、これも終ってやっと安全な道になったと思ったら、今度は急下降のガレ道で歩き辛いこと夥しい。途中標高1700Mの辺りには湿原があって「水芭蕉」の群落を見た。仲間の間でも「健脚」と煽てられていた私だったが、この「下り」には流石に参った。早く休憩の声が掛からないかなぁ〜と願いながら歩き続けたが、こんな苦しい体験は初めてであった。

  痛い足を引き摺りながら計算した。先月富士山に登った時も、5合目が標高2000Mで、頂上が3776Mだから標高差は略同じ1776M、「白馬」よりも寧ろ高いのに、こちらがこんなに応えるのは結局傾斜がキツイのだと漸くの事で気が付いた。

  3時に「猿倉」のバス停に着いた時はヤレヤレの思いで、早速汗に濡れた体を拭き、新しいシャツに着替えて漸くすっきりした次第。今迄の内で最高にキツイ山行であった。バスを待つ間の缶ビールがとても美味しかった。

  松本で乗り換えた特急列車の中では、 山」の事しか興味が無いと自嘲する隣の席のリーダー氏が、「カラビナ」や「シュリンゲ」(共に登山で急坂を登り下りする時などに使う登山用具)の使い方を色々教えてくれた。

  帰宅したのは夜の10時前、先日太田さんが親切に教えてくれた 栃木見物」を棒に振っての山行で、ブツブツ言いながら 敬老の日の幼稚園参観」に一人で宇都宮に出掛けた家内が、「心配してたがな〜 !」と受話器の向こうでがなり立てていた。

  腰に付けた3日間の 万歩計」の数値は、初日「9500歩」、中日「14600歩」、最終日は実に「31000歩」とコンパスの長い私でも「倍々ゲーム」を記録した。

 

(追記)猿倉でバスを待つ間、山荘の前に 高山植物開花情報」と題した色褪せた立て看板があった。ここに掲載されていた植物名を、この前の「仙丈ヶ岳」のそれと比較すると以下の通りである。

(「◎印」は仙丈ヶ岳と重複するもの、そして「●印」は8月下旬の欄に「見頃」とあった。)

              「仙丈ヶ岳高山植物」「白馬岳高山植物」

                978月下旬)   978月中)

              植物名                      花の色

 あかばな        ヤナギラン                    赤紫

 いわうめ        イワカガミ                    

 ききょう        イワギキョウ                  

               ソバナ                             淡紫

               ハクサンシャジン                      

               ホタルブクロ                       

             アキノキリンソウ                  

               ウサギギク                         

               ウスユキソウ                      

               オタカラコウ                    

                               ●タカネヤハズハハコ

               ヒヨドリバナ                         淡紫

               フジアザミ                           赤紫

                                 ミヤマアズマギク  

               ヤマハハコグサ                      

 きんぽうげ      シナノキンバイ                    

               ハクサンイチゲ                    

                                 ミヤマオダマキ     青紫

                                 ミヤマキンポウゲ  

              ミヤマトリカブト                 

              リュウキンカ                         

              レイジンソウ(伶人草)                淡黄

                               コマクサ           淡紅

 こまのはぐさ                      ウルップソウ       青紫

                                 エゾシオガマ       黄白

              タカネシオガマ                        赤紫

                                ミヤマクワガタ     淡青紫

 さくらそう                        ハクサンコザクラ   紫紅

                               ミソガワソウ      

            アマニュウ                        白(茎赤茶)

              ミヤマシシウド                       

 なでしこ                        ●イワツメグサ      

              タカネナデシコ                      ピンク

              タカネビランジ                      ピンク

              ミヤマツメクサ                       

            チングルマ                ◎実(タンポポ綿毛状)

                                 ミヤマキンバイ     濃黄

                                 ミヤマダイコンソウ 鮮黄

 ふうろそう     ハクサンフウロ                    桃紫

                               イワオウギ         黄白色

                                 オヤマノエンドウ   紅紫

            サンカヨウ                        果実(濃青)

 ゆきのした     サラシナショウマ                     

                                 シコタンソウ       黄白色

                               シロウマアサツキ   紅紫

                                 クロユリ          暗紫色

              クルマユリ                       

              タマガワホトトギス                   

                                 ニッコウキスゲ     橙黄色

            ハクサンチドリ                        赤紫

 りんどう       トウヤクリンドウ                  黄緑

 

追而、下山して今日で6日目、未だ太股が少し痛む。リーダーは天気が許せば来週は「八ヶ岳」というが・・

 

 

  発言番号:127(124へのコメント)

    発言者 :巌   隆吉

    題名:山歩きの記録(その6・白馬三山」縦走

    登録日時:97/09/20 20:52

 

白馬三山の縦走、全く敬服します。

  シルバー登山隊でよくもここまでやれるものだと感心しています。また、喜寿のリーダーも大した方ですね。「73才氏」が無念の下山、お察ししますが、あそこまででも登れたことを喜ぶべきでしょう。

  私は今年の春スケッチ旅行で安曇野から白馬をスケッチしましたが、麓から見ても素晴らしいのですから、その稜線を歩くとはさぞや良い気持ちでしょう。

  下山がきつかったとのことですが、やはり登りの745という空気の薄い中の1703メートルの高度差は、到底私では登ることは出来ません。その点皆さんの体力は抜群ですね。

  今日テレビで歩かれた白馬を放映していましたが、不帰の険(山偏が正しいのですが..)あたりもすごい岩山ですがあのようなところで、足を踏み外すと一巻の終わりでしょうな。

  深沢さんの体力なら53次も昔のように毎日10里を歩いて15日で軽く歩くことが出来ましょう。もう少し歳を取ってからでも体力は充分と思いますよ。

 

 

  発言番号:139 (124へのコメント)

    発言者 :太田  

    題名:山歩きの記録(その6・白馬三山」縦走

    登録日時:97/09/29 22:26

 

 「山は動かない」とは良く言ったものだ。動かないから、そして、足でしか登れないから、私の20数年前の登山計画と深沢氏一行のそれが全く同じでも不思議ではない。変動の激しい日本の他の分野では考えられないことだ。

  7月下旬、私は当時中学生だった息子を連れて妻と3人で挑戦した。

  前の日、深沢隊が洒落たペンションで英気を養ったのとは違い小谷村営の宿泊所だった。新築だが無骨な造りで、PRが不足だったのだろうか、我々3人しか泊っていない。その分、村役場の職員が精一杯世話してくれたのには感激した覚えがある。

  翌日、猿倉から登り始めた後は、地理は深沢氏のレポ−トに譲り、我々はエピソ−ドだけ説明しよう。

  「73歳氏」が途中リタイヤしたそうだが、私もそれに近い状態だった。歩き始めて未だ平地だと言うのに、足が鉛の様に重い。元気一杯の壮年の筈が一体どうしたことなのだろう。当時は高度成長真っ盛り、我々中間管理者は過労死が続出する位、朝早くから夜遅くまで働かされていたから、全く体力が落ちていたのだ。

  しかし「ここは頑張り所、痩せても枯れても一家の主とあればプライドもある」と歯を食いしばって歩いているうちに、段々足が軽く進むようになって来た。

  「白馬大雪渓」は真夏なのに巾と言い長さと言い壮観の一語だったが、それにも増して落石の多さには驚いた。大きなものは乗用車位から拳大位まで眞白い雪の上に黒々と点在しているのだから最近のものに違いない。山では転落に次ぐのが落石の恐さだと否応なく認識した。

  標高2千米位になると高度計のように確かなのが、妻の高山病だ。しかしヒマラヤ等で起る生命に関わる程の重症ではなく、唯頭痛と吐き気を催しグッタリしてしまうだけだが・・・

  だから、深沢隊が当日中に敢行した白馬山頂征服は到底無理、山小屋に転げ込み、湿気でべっとりした蒲団に潜りこむのがやっとだった。

  翌朝の出発時間は深沢隊が6時20分とあるから、我々もそんな時間だったろう。昨日から「水」だけの妻も何とか起きだして雲行きの怪しい頂上を目指す。視界が全く効かない中、山頂に到着した途端に猛烈な風雨が襲って来た。生まれて初めて下から吹き上がる雨に遭遇した。山岳気象に弱いリ−タ゛−は早朝からの雨に度肝を抜かれた。

  隣にいた若者2人は平気で縦走を続けると言っているが、雨具を突き抜けて臍まで濡れてしまった私は一家の長として最初予定の杓子岳、やりケ岳までの三山巡りを諦めて、登って来た道を下る決断をした。

  雨水が滝のように流れ落ちる登山道を恐る恐る2千米辺まで下りると、妻の高山病が嘘のように回復し、同時に雨も上がってしまった。

  そんな訳で白馬三山巡りは一山で終ったが、中学生でも立派な男性の息子が一番頼りになり、往復とも母親の荷物を持ってやっていた。

  一日早い帰京で残念だつたが、私と息子は兎も角、高山病の妻を連れて、健脚を誇る深沢氏でも泣いた「やりケ岳」へ行かなかったことは幸運だったと、今20数年前を思いだして胸を撫で下しているところだ。

 

 

 [3]常念岳

 

 

  発言番号:764

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :「蝶ヶ岳」から「常念岳」へ

    登録日時:99/09/05  11:09

 

(コースのタイム)

  第一日・・・松本の「ビシネスホテル」泊り

  第二日・・・6:38松本発=6:57豊科着=7:25「三股」着 7:45発〜8:00

      三股登山補導所(標高1300m)〜9:00標高1600m9:35標高1800m10:05標高   1950m10:35標高2100m11:05標高2200m11:35標高 2250m(昼食)〜12:35   標高2350m13:05標高2500M13:30「蝶ヶ岳ヒュッテ」到着

  第三日・・・6:10ヒュッテ発〜6:40蝶ヶ岳山頂着(標高2664m)〜7:30急登直下標高   2500M9:00常念への取付き〜9:45岩場の難所11:05常念岳山頂着(標高2857m)   〜11:20下山開始〜12:20常念小屋着(昼食)〜13:20下山開始〜17:10一ノ沢登山   補導所=17:45JR豊科駅着

 

  昨秋「剣岳」の後で登山予定の所、台風の連続襲来で断念して今年に延期となった「山歩き」で、メンバーは例によって80翁をリーダーとする「町田クラブ」の女子2名を含む「おいらく山岳隊」の面々である。

  前日は夕方に松本に入って英気を養い、翌早朝JRとタクシーで林道の奥迄入る。朝の天気予報では徐々に晴れてくるとの事であったが、車か進むにつれて回りは薄暗くなり、やがて雨が車窓を叩く。三股駐車場に着いたら小雨、合羽を着る人、傘を差す人様々である。私は半袖シャツの上に長袖を羽織っただけ。出発当初は視界50M、霧雨。常念沢に沿って前進し、やがて登山補導所。雨も上がって身支度を直して愈々山道に入る。

  常念岳への分岐を左折して長さ30M程の吊り橋を渡る。下を流れる沢の流れは早く水量も豊かだ。険しい道を登るほどに空は徐々に明るくなって、1600M地点では陽射しも出てきた。視界は余り良くないが今日は稜線まで登るだけ、雨さえ降らなければと30分に5分の小休止を挟みながら歩き続ける。高度2200Mの辺りからは道もジクザグして急登が続く。時折厚い雲のカーテンを開けて今回目指す「常念岳」がその秀麗な姿を覗かせて我々に挨拶してくれるのが嬉しい。でも恥ずかしいのか直ぐに又雲の中にその姿を隠してしまう。初老の夫婦連れを追い越す。奥さんはマイペースの旦那様から可成遅れてその後を追う姿が何故か印象的だ。

  やがて「蝶・常念岳」が視界に飛び込んでくると間もなく今日の終着点「蝶ヶ岳ヒュッテ」。予定よりかなり早い時間のゴール・インだ。

  荷物を置いて直ぐ横になって鼾をかき始める仲間もいたが、昼間から勿体無いと私は少し上の展望台までサンダルで登る。気温は10度を切っているのか風も冷たいが、空は良く晴れて向こう側「槍ヶ岳」を盟主とする穂高連峰を正面に、右手には三俣蓮華岳から鷲羽〜水晶〜野口五郎と、北アルプスがその全容を曝け出した山の景色は、見る人に何時までも飽きさせない。「一日粘って良かった!」と隣の若い女の子が呟いていた。聞けば昨日は凄い雨で、「槍」を諦めて途中テントを張ってここ迄やってきて良かったと言う。夕食前の茜色に染まった山並もまた一幅の絵になった。(データライブラリーの「写真館」に山の風景を入れましたので、興味のあるお方様は見てください)

  翌朝は4時半に起床。朝食前に「ご来光」を見る。6時10分出発だ。快晴!左手にアルプス連山を眺めながら緩やかに登って「蝶ヶ岳」の頂上はその名の通りなだらかな女性的な山だ。そこから一つ二つと小ピークを超えて目指す「常念岳」への取付きで一息いれる。

  実は行く前は今回の山歩き、地図を見ながら「大した事はなさそう」とタカを食っていたが、此処から「常念」へは岩場の連続で「危険地帯」こそなかったが、ごつごつした大きな岩を幾つも乗り越えての前進に、多少の緊張感が走る。先頭を行く80翁が岩に書いた目印の「赤マーク」を見落として迂回したので、私が後ろから「マークはアッチだ!」。又暫くして「もっと左にもある!!」と声を掛けたら、流石に日頃温厚な翁も余程疲れていたのか「アッチだコッチだとややこしい事をいうな!」と珍しく大声で怒鳴られた。

  頂上には小さな祠が一つあるだけで10畳程度の広さ、皆で記念写真を撮り終えると直ぐに「常念小屋」を目指して下山する。矢張りこちらも岩場の連続でお隣の「蝶ヶ岳」とは全然山の形態を異にしている。ついそこの筈の小屋まで小一時間を要てしまった。途中右手の谷間から雲が湧き出て、やがてこれが徐々に北の方からアルプスの山々を覆い隠し

 蝶ケ岳山頂から見た穂高連峰

 

て、間もなくあの美しい「穂高連峰」はすっかり雲に覆われて見えなくなってしまった。

  お昼過ぎに「小屋」に着いて皆で昼食。朝ヒュッテて作ってくれた「弁当」は「握り飯」3個と、ソーセージ4本に「鶏のから揚げ」が2個入っていたが、老兵達は半分も食べられない。ご婦人方が呟いた。「二人で一人前で良かったわねぇ〜」。御尤も!後は降りるだけと此処でゆっくり1時間の休憩。小屋で飲んだ久し振りのホットコーヒーが美味かった。

  所が此処からの降りが案外馬鹿にならなかった。もう美しい山並は姿を消して唯只管降りるだけ。地図上の標準所用時間は3時間半の行程だが、最初の1時間は急下降。小屋にも注意書きがあったが沢の手前に「転落事故多発」の場所を2ヶ所通過する。程なく一ノ沢の上流に出て、此処からは烏川渓谷に沿って樹林地帯を下る。林道終点の「一ノ沢登山補導所」前にタクシーを5時20分に呼んである。時計を見ながら私が先頭を取るリーダーに「少しピッチを上げないと間に合わない」と叫ぶ。今迄の30分に5分の休憩が、叫んだばかりにそれからはたった2分の立ち休みになった。空は曇って今にも雨が降り出しそうな様子である。それでも5時10分に補導所前に到着。

  所が80翁が「常念小屋」からタクシーを呼んだ時に最初にかけたタクシー会社と、時間訂正の為2度目にかけた会社が間違って、2社から各2台づつ迎えの車が来て一悶着。間違った会社には大枚¥10,000.を払ってお引き取り願うというハプニング。

  豊科の駅に着いたら、期せずして15分の後の「スーパーあずさ」に間に合って一同大喜び。列車の中で皆で乾杯までは良かったが、飲んで話しているうちに「弁当」が売り切れて、とうとう皆さん夕飯にありつけずに空腹のまま帰宅。(私だけがリュックにしまっておいた昼の「握り飯」の残りを齧り付いたという訳)

  兎に角、心配した天気にも恵まれて、「北アルプス」の美しい山並(このコースはこの景色で有名)を堪能できた事に皆さん大満足の今回の「山歩き」であった。(久しぶりに歩いて、2〜3日太股が痛く足の甲も少し腫れている。最後の下りが相当応えたようだ)

 

 

  発言番号:768(764へのコメント)

    発言者 :荻野谷

      名 :RE:「蝶ヶ岳」から「常念岳」へ

    登録日時:99/09/08  15:31

 

  深澤様の「蝶ケ岳から常念岳へ」大変興味深く拝読しました。今回は特に写真がありましたので、写真を見ながら読んでいると益々実感が湧きます。80翁との写真も拝見しましたが、このお爺さんに怒鳴られたのかなど想像して思わず微笑んでしまいました。

  でも空のタクシー代はもったいなかってですね。お爺さんに全額払わせればよかったのにと思ったりしました。

  これからは、皆さんの旅行記には是非写真をつけて頂きたいと思います。

 

 

  発言番号:769(764へのコメント)

    発言者 :青野 淳美

      名 :「蝶ヶ岳」から「常念岳」へ

    登録日時:99/09/08  18:23

 

  深沢さんの「蝶ヶ岳」から「常念岳」へ拝見いたしました。

  お噂の80翁に初めてお目にかかりましたが、どちらがお年を召しているのかお世辞でなく見分けがつきません。どちらもお若く颯爽の雄姿です。そして「槍ヶ岳」の勇姿 、その南側 右から「北穂高」、「涸沢岳」、「奥穂高」、「前穂高」、素晴らしいというほかありません。プリントして、飾らせていただきます。

  メールの序でで恐縮ですが、長くお預かり頂いております扇子、13日のDOCOKAIには欠席しますが、21日の三菱信託銀行の勉強会には出席いたしますので、その折にでも頂ければと思っています。いつまでもお邪魔して申し訳ございません。

 

 

 [4]八ヶ岳

 

 

    発言番号:137

    発言者 :深澤 龍一

      名 :山歩きの記録(その7・「八ヶ岳主脈縦走

    登録日時:97/09/29  5:14

 

(コースのタイム)

 第一日目  茅野着(9.34)=バス=美濃戸口着(10.55)〜美濃戸山荘着(9/24)(12.15)〜赤岳  鉱泉着(15.30)

  第二日目  赤岳鉱泉発(6.40)〜硫黄岳山頂(8.50)〜横岳着(10.40)(9/25) 〜日ノ岳着    (12.10)〜地蔵の頭着(13.00)〜赤岳山頂着(14.00)〜赤岳山頂小屋着(14.30)

  第三日目  山頂小屋発(7.00)〜中岳山頂着(8.10)〜行者小屋着 (9/26)(9.30)〜美濃戸山  荘着(12.20)〜美濃戸口「バス停」着(13.00)〜JR茅野駅着(13.55)

 

  今年は秋雨前線の停滞に悩まされて、今回の「八ヶ岳」も出発予定日を3度変更し、天候に多少の不安を残しながら9月24日に決行した。

  茅野駅からのバスは我々5人を含めて8人の登山客を乗せて、八ヶ岳山麓の別荘地帯を過ぎ、程なく終点「美濃戸口」(標高1490M)に着く。バス停前の登山道入口にあった「遭難事故多発!命を大切にしよう!!」との立看板に先ず度肝を抜かれる。

  傍を流れる柳川の渓流に沿って爪先上がりの広い道を暫く歩くと、やがて「美濃戸山荘」の前に着く。(途中「小松山荘」の前で昼食。)ここからが本格的な登山道で、山荘の直ぐ裏手から渓流の「北沢」と「南沢」に道が分かれるが、我々は左手の「北沢」の道を進む。例によって30分歩いて5分の休憩を取りながら幅員5Mの広い林道を行く。

  堰堤を過ぎるとやがて道は急な渓流に沿って細く険しくなって、岩を踏みしめて登る。途中、今回のリーダーの「古希」氏が深い樹林の奥を指差しながら、「何か居るぞ !」と言った。林の奥を良く見ると我々からものの10M程の所に大きな野生の「カモシカ」1頭、ジーットこちらを見つめていたが、我々と暫く対峙する内に踵を返して樹林の奥へとその姿を消した。時に午後3時少し前。深山はそろそろ黄葉の季節を迎えていた。杉苔の中に群がった「ゴゼンタチバナ」の赤い実が何故か印象に残った。

  本日の宿、「赤岳鉱泉」は標高2215Mに位置し、その名の通り沸かし湯を備えた山荘で、4〜5人は入れる木製の湯船に身を沈めて旅の疲れを癒す。こんな山奥で風呂に入れるのは誠に有難い。宿泊客は30人余りで寧ろ女性の方が多かった。

  夕食には海老と貝柱の入った「沖すき」も出て、山の中での海の幸に一同舌鼓を打つ。食事中に突然豪雨が襲い、やがて「霰」が10分ほど食堂の屋根を激しく叩く。「今日降ってくれた方が良いよ!」と話しながら食事を終える。山小屋の夜は明かりも暗くて消灯は8時、夕食後はする事もないので大抵の人は翌日に備えて早くから床に入ると、早い人は6時頃から鼾をかき始める。

  翌日は5時起床、6時朝食、6時40分に出発する。この日は今回の山行での 「ハイライトコース」で、3000Mに近い岩の頂きを連ねた主稜線の縦走である。私の背負うリュックは10キロ、皆さんもその程度を背にして「赤岳」を目指す。余り見通しの利かない樹林が続いて、やがて視界が急に開けると「八ヶ岳」の稜線が目の前に見えてくる。左から「硫黄岳」〜「横岳」〜「赤岳」〜「中岳」〜「阿弥陀岳」と、我々が今回踏破を目指す起伏のキツイ稜線がくっきりと見えて、将に壮観である。時々雲に隠れて山容が全く見えなくなる事もあったが、何とか今日の天候は心配なさそうである。頬を撫でる風が冷たい。

  激しい起伏の続いた後、最後のジグザグを登り切った所が「硫黄岳」(標高2742M)の山頂で、見晴しも好くそこから向うの稜線にはケルンが等間隔に並んで珍しい光景を作る。これから歩く稜線が真っ直ぐに南に伸びて見えるが、この頃から歩くにつれて、どうも気圧が不安定なのか時々ガスって辺りが霧に包まれる。山の天気は気紛れである。途中「硫黄小屋」では気温5度。通称「台座の頭」を過ぎる頃からは一層細い岩尾根に変り、「横岳」(標高2829M)の手前辺りからは鎖や鉄梯子のかかる痩せた岩稜は、足元が切れ落ちて高度感は満点だが身の竦む思いである。切り立った岩にかかるクサリをしっかり握って、足を踏み外さない様に必死の思いで歩を進める。木の標識が立つだけの頂上を越えても、鎖場は断続し、足下は断崖、ハイマツが有る所や、ガスで足下が見えない所では心持ち気が落ち着くが、何しろ断崖絶壁の岩場で「日ノ岳」には一枚岩を下る岩場もあって少々気味が悪いし、一時も気を許せない。アップ・ダウンの岩場での緊張の連続は昨年の「穂高」よりもズーッと恐い。途中の窪みには所々昨夜の「霰」が白く光っていた。休憩の時、例の「喜寿」氏(正しくは彼は今年で78才で、体力維持の為、日頃から毎日1時間半の強歩と、週一回の「北高尾縦走」の自主トレを欠かさない)は、「鎖場や梯子が多くて、久しぶりに本格的登山をしたよ」と至極御満悦である。「ここは北アルプスの槍・穂高よりも厳しい」とは登山経験豊かな彼氏の言である。

  この険路は「横岳」の領域を終った所でやっと影を潜めるが、設備の良い事で知られる「赤岳天望荘」を過ぎると、今日のゴール「赤岳」への登りになる。この登りは最初は鎖の懸かった急な岩場で、その後は経験の浅い私だけは四つん這いになって霧に包まれた岩稜をよじ登ると、突然に霧の向うに「建物」が見えた。今夜の宿舎「赤岳頂上小屋」である。一旦その前を通り過ぎて隣りの最高点「赤岳南峰」(標高2899M)までは精々10分程度の道程。明日の天候が不安なので二度手間は覚悟の上で頂上を極める。狭い山頂には祠が置かれて賽銭が溢れていた。風もきつくなったので記念撮影の後、早々に引き上げて「小屋」に落ち着く。ここからの景色を楽しみにこの山頂小屋を選んだのに、時間が経つにつれて外は厚い雲に覆われ、美しい筈の山頂からの景色は全く見えない。加えて夕方からは激しい風を伴った本格的な雨が窓ガラスを激しく叩く。明日の天気を心配しながら、7時就寝。室温11度。勿論暖房は無い。

  明けて26日、案の定「風雨強し !」。朝食後、リーダーの「よし!行こう!!」との声が掛かる。不安になって私がソーット山荘の外に出てみたら、雨は殆ど止んでいたので一安心。7時ジャスト、宿泊客15名のトップを切って我々「高年登山隊」が行動を開始する。

  スタート早々、昨日の「祠」の向こうに下山道が有るが、最初から鎖と梯子の連続で、垂直に近い急峻な岩場が暫く続く。雨に濡れて滑りやすいので慎重に行動するが、霧と雨で眼鏡が直ぐに曇って前が全く見えない。レンズを拭く為に時々立ち止まりながら急な岩場を下る。頬に当る雨は風が強くて痛いほどだ。岩場の途中に分岐点があるが、出掛けに山荘の主人に聞いた「安全ルート」を辿るために、迂回コースをとって下山の事とする。クサリ場の続く岩場が終ると今度は岩礫の斜面で、其処を一下りした所が按部になって、そこから先は普通の登山道だ。目の前の「中岳」を登り、それを下りきった所が分岐点で、当初の計画では更に一登りして、正面の「阿弥陀岳」(2805M)から御小屋尾根を経て美濃戸口バス停に下る予定だったが、悪天候に阻まれて目の前の雨に煙る阿弥陀岳を仰ぎ見ながら右に折れ、行者小屋への細い曲がりくねった山道を下る。

  麓の「行者小屋」に近づく頃には雨も上がって、昨日苦労して越えた横岳の中心部「大同心」や「小同心」の岩場や、その両側に連なる厳しかった稜線が雲間に見え隠れする。小屋の前に来て一休みしていると、大きなリュックを背負った二十歳を過ぎたばかりの女性の二人組がやってきた。「昨日は何処に泊ったの」と聞けば、少し下手の窪地に張られた赤いテントを指差した。「天気はどうでした ?」と彼女。「これから晴れてくるんじゃない」と無責任な僕。「でもあの小屋の主人に聴いてごらん!」と付け加えた。彼女らがテントを畳み出したので中を見学させてもらう。キャンピング・カー用のを持参したのだそうだが、昨晩は寒さが地面の下から湧き出てくるようで大変だったと話してくれた。「無理をしない様に」と声を掛けて彼女らと別れる。暫く歩いていたら仲間の一人が即興の歌が出来たと披露した。

 「雨の中 テント畳みし 乙女にて  レインウェヤーの  黄色鮮やか」

  ここからは「南沢」の渓流に沿った「シラビソ」の深い樹林帯を抜けて行く。足元の杉苔が雨に濡れて色鮮やかだ。又雨が降り出してが、水嵩を増した柳川の渓流にかかる丸木橋を何度も渡り、静かな美しい林とせせらぎの音を楽しんでいたら、のんびり歩き過ぎてバスの時間に間に合うか怪しくなってきた。一昨日通った「美濃戸山荘」の前で昼食休憩の予定が、その時間も無く一気にバス停まで全速力だ。流石にその時は日頃温厚な「喜寿 氏も「1台遅らせば良いのに」とブツブツいいながら、それでも発車10分前にバス停に到着し漸くの事で間に合った。

   八ヶ岳 の内、今回は「赤岳」、「横岳」、そして「硫黄岳」と、3つの峰を制した事になる。

  茅野の駅に着いたら「各駅停車」迄には1時間20分あった。30分後の「スーパーあずさ」はどうだと誰かが言ったが、この程度の距離なら「鈍行」で行くのが我々「山男」の慣習らしい。駅前の空いたレストランで「中 ジョッキ」を頼んでから乾いた衣服に着替え、皆で無事を祝して「乾杯」。結局ビールやおつまみを追加して、「特急券」分をレストランのウエイトレスに支払う破目になった。

  今回の山歩きは、この前の「白馬岳」に比べると恐かったけれど疲れは全く感じなかった。高度差700Mは白馬の1700Mに比べると雲泥の差である。昨年痛めた右膝も 「サポーター」のお陰で殆ど気にならなかった。膝痛でお困りの方に私の登山用のサポーターは「お勧め品」である。

  帰りの電車の中、「次は国師ヶ岳〜金峰山、これで今年のメイン・テーマは終りだな」と総リーダーの「喜寿氏」が独りで呟いていた

 

 

  発言番号:141(137へのコメント)

    発言者 :太田  

      名 :山歩きの記録(その7・「八ヶ岳主脈縦走)

  登録日時:97/10/04 17:04

 

 奇しくも前回の白馬岳に続いて今回の八ヶ岳も私が以前登った所だ。この時の同行は妻だけ、流石に高校生になった息子には敬遠された。記憶に多少欠落があつたので、当時の日誌とアルバムを引っ張り出してみた。私も妻も髪の本数は今とさほど変りは無いが何と黒々していたことか。

  昭和52年8月のことで、到着駅も「茅野」と深沢隊と同じだが、その後のコ−スは私の方が沢2本北のル−トをとっている。夜行で行って薄暗いうちに駅に降り立つと既にポツポツ雨が降り出していたが、バスが奥立科の渋ノ湯に着いた時には本降りになってしまった。天気予報に関係無しの行当たりばったりを悔いたが後の祭。(そこが出発予定日を3度も変えた深沢隊とは程度が違う)

  仕方なく終点脇の旅館に跳び込む。他の登山者も天気待ちの為、大広間で何人かごろごろしているのが写っている。

  温泉というので、喜んで飛び込んだら水みたいで、温まるのに大変苦労した。翌朝まで2度と入湯することはなかった。今写真を拡大鏡で見ると玄関前の看板に「天下の名湯、渋御殿湯摂氏38度特殊効果あり」と辛うじて読み取れる。看板に偽り無かったのだ。

  翌日は快晴。7時勇んで登り出す。

  抜けるような青空、ギラギラする太陽、青絵の具を流したような深緑が印象的だった。

  登ったコ−スは中山峠まで一気に駈けあがり、天狗岳、根石岳を征服して夏沢峠まで夢中で歩いた。眼前に行く手を遮るように次々と高峰が立ちふさがり、これが連峰と実感したのである。

  それから先、尾根を南下すれば1時間で今回の深沢隊の硫黄岳、横岳、赤岳に繋がったのだが、私のコ−スは夏沢峠から左折下山している。しかし、下りの道程の長かったこと、途中小さな温泉2ケ所で宿泊を求めたが何れも満員、兎も角、車の動く所までいかなければと、重い足を引きずって歩いていた。

  その時、山から下りてきたオフロ−ド車に助けられ、松原湖畔のホテルに漸く泊まれることになった。その人達も前の温泉に断られこのホテルに投宿した仲で、その晩は盛大な合同パ−ティになったことは言うまでもない。

  貴君がこの度、20年前の我が八ケ岳山行を思い出さして下さったことに対し感謝する。

  妻が高度2千米辺で起す高山病が今回珍しく起きなかった理由は前日渋ノ湯の滞在が結果的に高度順応を助けたからだろう。

  貴君は今、山行の良友に恵まれ老いを忘れる勢い。八ヶ岳のうち3つを制したのだから、来年中に残り全部征服されんことを切に祈るものである。

 

 

  発言番号:389

    発言者 :深澤 龍一

      名 :山歩きの記録(ふたたびの「八ヶ岳縦走」)

  登録日時:98/08/28 17:55

 

  昨年9月の終りに試みた「八ヶ岳主脈縦走」は雨に祟られて途中で計画を断念し、赤岳山頂から豪雨の中を一気に「行者小屋」を経て下山した。仲間の中で最初の計画が諦めきれずに、今回は慎重に天気の良い日を狙って再度の挑戦を試みたという訳だ。

  コースは「赤岳」までは昨年と同じなので詳細は省くが、好天に恵まれた事と2回目という心のゆとりもあったせいかのんびりと登山を楽しむ事が出来た。因みに「八ヶ岳」とは文字通り8つの峰で、深田久弥の「日本百名山」の文章をそのまま引用すると「西岳、編笠山、権現岳、赤岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳、峰の松目。その内、阿弥陀岳、赤岳、横岳あたりが中枢でいずれも2800mを抜いている。2800mという標高は、富士山と日本アルプス以外にはここにしかない。」と。

  今回はその中の「硫黄岳」〜「横岳」〜「赤岳」〜「阿弥陀岳」と縦走したのだから文字通りその「中枢」を踏破したと言う訳である。

  道中、「イワベンケイ」や「トモエシオガマ」、「イワツメグサ」に「ミヤマオトコヨモギ」等の高山植物を愛でながら、初日は麓の「赤岳鉱泉」に泊る。標高2200mの山小屋でゆったりとお風呂に入れるのは有難いし、今回はお一人様「大枚¥1,000.」を奮発して一行5人で「個室」を確保したのも落ち着けて至極快適であった。

  翌朝は6時出発、2742mの硫黄岳を目指す途中で十数人の「関西弁」のグループに出合う。聞けば三重県は「松阪山岳会」の面々だという。頂上近くで休息を取りながら、先ずは東海道五十三次「関宿」の一席。足元には「イワウメ」が白い可憐な花を付けていた。

  頂上に立つとこの山は遠い日の活動の名残を今に留めて、麓の本沢温泉めがけてパックリと口を開けた大火口壁は「凄絶」でさえある。ここから横岳へは等間隔で「ケルン」が並び、快適な尾根道が続く。

 天気は快晴、遥かに「槍・穂高」の北アルプス、頭を左に向けると南アルプスが左から北岳・木曽駒ヶ岳・仙丈ヶ岳の順に並び、更にその向うには「富士山」がシルエットを描いている。岩陰には「オヤマノエンドウ」の紫が鮮やかだ。

  途中、時間があるからと「硫黄岳高山植物園」に立寄る。生憎、花は余り見られなかったので植物名を書いた立札の文字を拾ってみた。

  (イワウメ科)イワウメ、コイワカガミ

  (ガンコウラン科)ガンコウラン

  (キキョウ科)チシマギキョウ

  (キンポウゲ科)ハクサンイチゲ

  (ケシ科)コマクサ

  (ゴマノハグサ科)ウルップソウ、ミヤマシオガマ、ヨツバシオガマ

  (タヌキモ科)ムシトリスミレ

  (ツツジ科)ウラシツツジ、キバナシャクナゲ、ハクサンシャクナゲ、ミネズオウ

  (バラ科)ナナカマド、ミヤマダイコンソウ

  (ユリ科)クロユリ、ネバリノギラン、マイズルソウ

  (リンドウ科)トウヤクリンドウ

 

  所謂「横岳西壁」と呼ばれる岩場には何個所かの長い鎖場が続くが、これも2回目だから少しも恐くなかった。流石に夏休みの季節、この尾根道を小学4年生がスイスイ下ってくる。2才児を背中に背負った若い夫婦連れにもお目に掛かったし、野辺山からの「県境尾根」を登ってくる5〜6人連れの登山一家にも出合った。3時間掛けてやってきたと言う先頭の男の子は小学1年生。将来楽しみな子供達を見て私達も又大いに励まされた。2830mの横岳山頂で周囲の山並みを眺めながらの昼食、これも又下界では味わえぬ格別な「献立」である。

  ここから赤岳までが今日の第四コーナーである。昨年は激しい風雨に晒されながら山頂への急騰を四つん這いになって這い登った記憶が彷彿される。急騰の手前赤岳山荘の辺りで、未だ角の小さい「ニホンカモシカ」に見参した。10mとは離れていないのに何時まで経っても彼はこちらを振り向いて動こうともせずにジーット怪訝な顔で我々を見詰めていた。キット元気印の「爺々婆五人組」(80才1名・70才4名)が余程珍しかったに違いない。さすがにこの辺になると大分疲れてはいたが、苦労もせずにあっという間に本日の終点「赤岳頂上小屋」にゴール・イン。時に午後2時。

  この日は土曜日、しかも今年は天候不順で登山者が山に行けずに滞ったのか、今日は大入り満員。公称400人収容のこの小屋の2段ベッドはさながら「箱入りの細巻寿司」の様に、1列18人が上向きに並んで寝ると、何とか肩と肩が触れずに済む程度の混み具合である。「缶ヒール350cc」が\550.で、昨日の「赤岳鉱泉」より700m高いだけにビールのお値段も¥50.高いという訳だ。

  翌朝5時過ぎ、気温は7.5度。雲海の上2900mの山頂からご来光を仰いで6時出発。小屋の管理人さんの話では我々の目指す「阿弥陀岳」から向うの御小屋尾根は余り行く人が少ないので「踏み跡」もはっきりしないとか。一般の人は「中岳」との鞍部にリュックを置いて「阿弥陀岳」を往復するという。この山は山岳信仰からきたその名にふさわしく険悪な岩場を擁しておりしかも鎖が無くて登りにくいが、30分程を掛けて一気に頂上に到着。2806mの山頂にはお地蔵さんも祀ってあった。此処からの下りは御小屋尾根を標高2137mの御小屋山へと急峻な下りの連続である。

  ここで一寸したハプニングがあった。私がストックを前に突いて体重をそれにかけながら下りていた時、急にストックが30cm以上も土の中にズブズブとめり込んだ。急坂だったので体が前のめりになって益々ストックにウェイトがかかってとうとう前に転倒し、木の枝に眼鏡が当って左右2つに折れてしまった。かすり傷一つ負わなかったのがせめてもの幸いではあったが、ストックは「く」の字に曲がり、眼鏡は使い物にならなくなって「大損害」を被る破目とはなってしまった。

  人の余り通らぬ道だけに「マツムシソウ」や「ゴゼンタチバナ」、それに「トウヤクリンドウ」も沢山咲いて赤とんぼが群れを成していた。

  道中、出発点の「美濃戸口」への道を慎重に求めていた積りであったが、何処で間違えたか道は左へ左へと思わぬ方向を辿る。途中「信仰」の証のような赤く塗った木の裁板の束に何度もお目に掛かった。目指す「御小屋山」は何時通り過ぎたか判らぬままに麓からの「阿弥陀岳」の大きな標識を信じてドンドン下る。可成り回り道の後、漸く道幅が広くなってやっと「道標」が現れたが、「美濃戸口」の文字は見出せなかった。やがて「キノコ採りに行く」という地元の若い男の人が一人で登ってきたのでバス停への道を聞いてみたら、後5kも歩くと別荘地帯に出るから、その外れのバス会社がやっている「別荘管理販売事務所」で聞いてみなさいとの事であった。

  事務所に着いたのが2時半、タクシーを呼んで貰って直接「茅野駅」に出る事にした。その時「お疲れ様」と女子事務員さんが出してくれた良く冷えた「西瓜」の味の美味かった事!キット忘れないでしょう。

  タクシーのお陰で予定より1つ早い列車に飛び乗った。駅への道中、タクシーの運転手から聞いた話であるが、諏訪湖畔にある諏訪大社に伝わる「御柱(おんばしら)祭」は日本三大奇祭の一つで、800年の伝統を持つこの祭では、7年毎に高さ15m、周囲3m程のモミの大木を切り、テコとロープだけで大社まで運び出す行事が最大の呼び物で、諏訪市郊外にある上社には此処「御小屋尾根」の中腹から8本(下諏訪町にある下社には「霧ヶ峰」に近い国有林から8本)を切り出すという。そんな事でこの「御小屋山」は地元では一名「御柱山」とも呼ばれているそうで矢張り「信仰」と結び付いていた。そう言えば別荘の近くには特にモミの木が沢山目に付いた。

 

 

 [5]国師岳・金峰山

 

 

  発言番号:157

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :山歩きの記録(その8・「国師ヶ岳〜金峰山」)

  登録日時:97/10/24 20:09

 

コースのタイム) 

 第一日目:塩山着(9.20)・・タクシー・・大弛峠(標高2360m)着(10.45(10/12)〜昼食後大  弛小屋発(11.40)〜前国師岳着(12.45)〜国師岳頂上(標高2591m)(13.05)〜北奥千丈  岳(標高2601m)着(13.30)〜大弛小屋着(14.30

 第二日目:大弛小屋発(6.30)〜朝日岳(標高2581m)着(8.40)〜鉄山(10/13)(標高2531m)  着(9.30)〜金峰山(標高2599m)(10.20)〜頂上発(11.00)〜途中昼食休憩の後〜大日  岩着(14.00)〜大日小屋〜富士見小屋着(15.50)〜瑞牆山荘(標高1520m)(16.40)〜瑞  牆山荘発(17.25)・タクシー・・韮崎駅着(18.15)

 

<プロローグ>

  先日図書館で「南京事件」の本を借り出した日の本命は、我々 町田山岳会」のメンバーが一度皆で集まって一杯飲もうと言う訳である。20名のメンバーの内女性3名を含む16名が出席。席上企画者の「喜寿氏」が今回の計画表を持ち出して、出席の「総リーダー(83才)でも行けるから・・・参加希望者は5日までに申し出るように」とのご宣託だった。

  この冬「大菩薩峠雪中登山」の歩き始めで早くも GIVE-UPした「83才氏」でも行ける山なら詰まらないと私は最初不参加の積りでいたが、6日になって「参加希望者は総リーダーと「81才氏」と「喜寿氏」と「古希氏」の4人だが、タクシーは5人乗れるから君もどうだ」との誘いが掛かって、他ならぬ「喜寿氏」の呼びかけに断る訳にもいかず、急に参加する事とした。平均年齢76才の高齢者登山隊の編成である。

  と例によって前置きが長くなったが、塩山から大弛(おおだるみ)峠への道は数年前から 治山道路工事」の為、この「川上牧丘林道」は毎年6/111/30の土・日曜日のみしか車を通さない。駅前から乗ったタクシーは徐々に高度を上げ、やがてりんご畑を過ぎる頃から唐松の黄色とナナカマドの赤い葉が美しい秋を彩る。この辺りから運転手が指差す山の彼方に、我々が目指す金峰山頂のシンボル「五丈岩」が展望できた。

  途中車の腹を擦りそうなガタガタ道を4キロ余り走ると、立派な舗装道路に変わってジグザグの道をぐんぐん高度を上げる。1時間以上走った終点の峠の駐車場付近は100台近い自家用車の列で動きが取れず、やむなく我々は1キロ手前で降ろされてしまった。

  山小屋で少し早い昼食を終えて必要以外の荷物はすべて小屋に預け、身軽な格好で国師ヶ岳〜北奥千丈ヶ岳を目指す。標高2500M近辺の山登りではあるが、今回が今迄の登山と違うのは標高2300Mの所まで車で上り、そこから200Mの高度差を登ればアルプス級の山並みの「風景」が味わえると言う事で、身軽な服装で小学生らを連れた家族連れや、3脚を担いだカメラマン達が多かった事と、手にするカメラも私のような「バカチョン」ではなくて、「一眼レフ」のシャッターを切る人の姿が多く目立ったのが殊の他印象に残った。

  途中「夢の庭園」と名付けられた所では、大きな岩とハイマツの緑が美しいコントラストを描いて、こんな高い所に見事な自然の「庭園」を形成して皆さんは盛んにシャッターを切っていた。又この辺り一面は石楠花が群生しており、植物好きの「81才」氏は「この花の咲く頃に是非もう一度訪ねたいね」とこの日は至極御満悦の態であった。岩とモミの木の縞枯れ模様が緑の木立と何とも言えない風景を醸し出していた。

  「前国師ヶ岳」〜「国師ヶ岳」〜「奥千丈ヶ岳」とハイキング・コース程度の山登りは、この春、雨の中を野鳥を求めて高尾山を歩き通した ダイヤ・ネット」の皆さんなら充分楽しめるなと思いながら余裕を持って歩いた。今年の夏山登山が天候に恵まれなかっただけに、今回は今年を締め括るにふさわしく、奥千丈ヶ岳の頂上から眺める四囲の山々の景観に一同すっかり堪能した。

  時間的余裕もあってゆっくり山頂で過した後、コースを変えて段差のきつい木段を下り3時前には小屋に戻ったが、宿泊者20名が夫々に一組づつの布団を敷くと殆ど一杯になる程の小じんまりした山小屋である。

  日が落ちると流石に寒くて、年寄り達は皆持ってきた衣類を全部着込んだし、83才の総リーダーは雨合羽まで着て「寒い、寒い」と呟いていた。傍のガラス窓は1センチ余りの隙間が空いて、日暮れと共にそこから零下3度の寒風が容赦なく入ってくる。ストーブは炊いてあるが余り温かく感じない。5時を過ぎて、誰かが「落日がとても美しい!」と小屋にカメラを取りに来た。私も早速バカチョンを持ち出して山の端に沈む真っ赤な夕陽にレンズを向ける。

  暗いランプの下での夕食を終えると、する事もないので7時には「就寝 。私は例によって「喜寿氏」から睡眠薬を貰って、朝の4時迄と家にいる時よりもぐっすり眠って翌朝皆から冷やかされる。

  さて、翌日は予定より早く6時30分に山小屋を出る。昨日にもまして「快晴」。昨夜、眠れなかった人の話では星空がとても素晴らしかったと。小屋の前の案内板を見ると、我々のこれから歩く山並みは先日歩いた「八ヶ岳」へと続き、逆に東に辿ると「雲取山」に至っている。ここも「秩父多摩国立公園」の区域だそうな。

  小屋の標高が高いから頂上まではたいしたことあるまいと思ってのんびり美しい景色を見ながら歩き出した。高さ5mもあろうかという大きなピラカンサの大木に、真っ赤な実がたわわに実ってとても印象的である。道端には10センチもあろうかという大きな「霜柱」もチョクチョク見られるが、ジャンパーを着て歩いていても汗を殆どかかない所を見ると、気温は恐らく0度近いのだろう。

  やがて「朝日岳」の頂上に立つと目指す「金峰山」のシンボル「五丈岩」が頭を覗かせる。この辺りから再び樅の木の縞枯れ模様が目立ち始める。「金峰山 まではハイマツの中の快適な尾根歩きが続いて、比較的平坦な道ではあったが、距離だけは長くてお年寄りの歩くテンポがそろそろ落ち始めた。頂上は大きな岩場で足元がかなりきつい。少し遅れて歩いていた83才氏は岩場の手前で「僕は此処で待っているよ」と言ったが、我々は縦走するからここには戻らないと喜寿氏が介添えに行く。やっとの思いで岩場を越えると目の前に高さ10mはあろうかと言う花崗岩の岩峰「五丈岩」の見事な姿があった。山の頂上にこんな大きな岩があるのも珍しい。

  頂上の景色は抜群で、先日の富士登山の時の巌さんの「360パノラマ写真」の命令を思い出した。ここなら頂上に立ってくるっと一回りすれば四囲の山々が全部 カメラに収められる。先ず東の方に大きなボリュームの「国師ヶ岳」に続いて、雪を頂いた富士山とその奥には遥か向うに丹沢の山並み、更に南アルプスから中央アルプスの「八ヶ岳」、更に遥か遠くの「木曽駒ケ岳」には白いものが被って、素晴らしい四囲の山々の風景にすっかり魅了されて昼食を含めてついついここで長居をしてしまった。「来て良かった」と私は誘ってくれた「喜寿氏」にしみじみ感謝した。

  此処からの下りは北穂高のガレ場を思い起す岩場の連続で、しかも左側の「絶壁」が少し続いて80を越えたお年寄り二人にはお気の毒であった。それが過ぎると樹林帯に入って、やがてこれも大きな岩の固まりとでも言おうか高さ20m幅70m近いかもしれない「大日岩」の下を巻いて「大日小屋」に辿り着く。ここまでのコース高度差は比較的少なくて、この辺りでも尚標高2000M。余り下りていないのに距離だけは意外に長い。既に3時に近くなって80老達はだいぶお疲れのご様子

だ。「たいした事はないから」と同行を勧められた日頃温厚な81翁も、流石に「これは明らかに計画ミスだな!」と私に呟く。

  小休止の後、再び歩き始めたがこの辺りからは原生林が続く。地図で眺めてみても、武蔵・甲斐・信濃の国境に接する辺りで山懐が深い。やがて急下降が繰り返えされて、漸くゴール地点の瑞牆山荘に辿り着いた時は既に夕闇が迫っていた。山荘の前に「標高1520M」との表示があった。気温は6.5度。金峰山の頂上から10時間かけて約1100M下った事になる。

 

<エピローグ>

  山荘の前で中年の女性二人が写真を撮り合っていたので、私が「シャッター」を申し出て色々話している内に「スーパーあずさ」脱線事故を聞く。彼女らは今朝どうしようかと思案しながら時間を掛けてここ迄来て、明日朝から瑞牆(みずがき)山を往復してその日の内に帰京すると言う。中央線は今日一日中は一部不通の侭だと言う事だが、兎に角我々は駅に出るしかないとタクシーを呼んで韮崎駅へ直行した。運良く10分待って到着した普通列車に乗り、塩山からは代替バスで四方津まで70分を要した。途中大月駅前の臨時駐車場にはバスが50台程駐車していたが、何故か地元の富士急行よりも隣の神奈川中央交通のバスが多かった。観光バスで全員ゆったりした移動であったが、こんな事も確か私には 初体験 で、午後10時半と予定を大幅に遅れての帰宅となったが疲れは余り感じない。

  これで今年の 夏山登山計画」は全て終ったので、この「山歩きの記録」も当分の間「冬眠」に入ろう。振り返れば今年登った百名山は冬の「大菩薩岳」に始まって、「富士山」、「白馬岳、「八ヶ岳」 そして今回の「金峰山」と五峰を数える。

  更に明日からは又、遥かなる「秋」を求めて暫しの旅が始まる。

 

 

 [6]剣岳

 

 

  発言番号:406

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :山歩きの記録(北の俊英「剣岳」に挑む)

    登録日時: 98/09/09 11:18

 

(コースのタイム)

 第1日目 7:30八王子発(スーパーあずさ1号)松本〜信濃大町〜扇沢〜黒部ダム〜黒部  湖〜黒部平〜大観峰〜室堂(13:25)〜雷鳥平(14:30) 〜剣御前小屋着(16:30)

  第2日目  剣御前小屋発(6:50)〜剣山荘着(8:00)〜一服剣着(9:00)〜前剣着(9:55)〜剣  岳山頂着(12:00)〜山頂発(12:40)〜一服剣着(15:00)〜剣山荘着(15:25)〜剣御前小  屋着(17:15)

  第3日目  剣御前小屋発(6:30)〜雷鳥平着(7:45)〜室堂着(8:50) 〜大観峰〜黒部平〜  黒部湖〜黒部ダム〜扇沢〜信濃大町(12:05)〜松本着(13:32)〜松本発(13:54)〜八王子  着(16:05)

 

(プロローグ)

 「台風4号」が遥か南の海上を東に逸れたので、去る9月4〜6日に一昨年から懸案の難峰「剣岳」を目指す事にする。山好きのお隣のご夫妻からも「本当に行くのですか?」と念を押され、「ガスや雨で岩場が濡れていたら迷わずに撤退するように」とのご忠告迄頂いた。その上、前回の八ヶ岳でストックをヒン曲げ、眼鏡を折ったのがばれて、家内は「又か!」と至極不機嫌である。

  そんな雰囲気の中、「インターネット」で「剣岳」を検索したら、初めて山に登ったと言う若いサラリーマンの登頂記の中に、「カニのたてばい」で「下を見たら恐くなるから上だけ見て頑張れ」と上司に言われて登ったとか、最大の難所「カニのよこばい」は、はっきり言ってとんでもない高さで、もう下が見えない位の場所に鎖が張ってあり、鎖を頼りに下っていくのだが、「足場が無い!!」のであるとか書いてあって自分でも不安が募ってきた。

 剣岳登山ルートが見える

 

(「剣岳」への道)

  初日、室堂迄はお馴染みの「立山・黒部アルペン・ルート」を行く。週末でもあって大勢の観光客で賑う室堂周辺は、コンクリートで整備された立派な遊歩道が地獄谷や雷鳥平迄続くが、コンクリートの石段は却って歩きにくい。右手には立山連峰に続いて遥か彼方に目指す「剣岳」の俄々たる岩山が望まれる。

  雷鳥沢の木橋を越えると愈々登山道に入る。這い松の間をガレ道が続いてジクザクの急騰を上り切った所が今回宿泊する「剣御前小屋」だ。明日に備えて誰もアルコールを請求する仲間はいない。8畳の間に我々5人と若者3人、山小屋で一人一枚の布団は有難いとせねばなるまい。若者達は今日立山連峰を縦走したので明日は帰ると言う。8時就寝。

  翌朝、サブザックの中は弁当・水筒・雨具にシュリンゲ・カラビナ等最小限の必需品に絞っての出立だ。抜けるような青空を背に遥か向うに「剣岳」が岩肌をあらわに厳しい山容を見せる。小屋は標高2650M一旦200M程ガレ道を下って色とりどりのテントを横目に、剣沢小屋から剣山荘を過ぎると再びガレ場の急騰が続いて最初の峰「一服剣」は標高2700M。喘ぎながらも正味40分で到達した。頂上で小休止、前??は幾重にも険しい山稜が控えている。目の前に聳える圧倒されそうな岩山は次の峰「前剣」(標高2813M)だ。此処へは一旦武蔵谷に下って再び急騰をよじ登る訳。谷には薄汚れた雪渓も残っている。高山植物は既に盛りを過ぎたのか岩場が多いのかで殆ど花らしい花を見かけない。厭くまでも殺風景なガレ場の連続である。

  峰の手前で初めて「鎖場」が現れる。とても頑丈に取り付けられた鎖で手入れが行き届いている感じ。後で山慣れた仲間に聞くと、この鎖場は足の踏み場の狭い岩場で、しかも岩をぐるっと巻いていてとても恐かったとの事。必死に鎖にしがみ付いていた私は全く気が付かなかった。

  ピークには環境庁と富山県が立てた立派なステンレス製のプレートに「前剣山頂」と日本語、英語、そしてハングル文字で表示してあった。北陸は矢張り朝鮮半島に近いのだなと思う。再び鎖に捕まって下りると平蔵谷の鞍部に出る。此処にも雪渓が裾の方まで続いていた。

  再び岩稜を登る。この辺りからの道は「登り」と「下り」が別々になった「一方通行」だ。兎に角ガレ道のジグザグが続いて厳しい垂直の岩場が段々近づく。途中で何組かの下山者が励ましの声を掛けてくれる。「お幾つですか?」と何人もの人から聞かれた。「お元気ですねぇ〜」と返ってくる。若い積りでいても、矢張り「高年登山隊」に見えるらしい。そりゃそうさ、先頭のリーダーが80才で次が74才、そして後の3人が70才だから「平均年齢73才」の老兵達だ。

  前方の蒼々たる岩に鎧われてその峻烈で切り立った岩山こそは、目指す「剣岳」、将に北アルプスの中でも「北の俊英」の名にふさわしく我々の眼前に立ちはだかっている。垂直に切り立った目の前の岩場、白いペンキの矢

印が真上を向いて、そこには高さ20Mもあろうかと思われる長い鎖が銀色に輝いていた。登山者にその名を知られた「カニの縦ばい」とは此処の事かと皆で気を引き締める。

 剣岳の難所“カニの縦這い”

 

  その真下に立つと鎖は思ったより遥かにしっかりしていて、岩の所々には真新しい太いボルトも何本か打ち込まれて足場に苦労はなさそうである。「落着いて慎重に!慎重に!!」と自分に言い聞かせながら、しっかり鎖を握って腕の筋力を使いながらの「よじ登り」であるが、聞いていた程には恐くも無くて「難なく通過」と言った感じである。前剣からは「一方通行」だから、ここを一旦過ぎれば最早退却は出来ないなと観念しながら、次の最大の難所「カニの横這い」に思いを馳せる。

  更に岩稜の道を矢印を追い掛けながら暫らくジグザグに登るとやがて標高2998Mは「剣岳」の頂上である。思ったよりも広々として三角点の近くには祠も置かれて、「無事登頂」を感謝して思わず皆で手を合わす。丁度昼下がりで30人余りが夫々にくつろぎながら目の前の美しい立山連峰に見惚れていた。ここの景観は穂高連峰のカールとは比較にならない「雄大なスケール」で我々に迫ってくる。

  山の風景に圧倒されながら昼食を摂っていると雲が掛り始める。目の前で横になっていた女性がむっくり起き上がった。見れば登ってくる途中で何度か声を掛け合った母子と思しき二人連れ、聞けば伯母と甥だという。この奥さんはこの甥に槍・穂高縦走を含めて色々連れていって貰ったと懐かしげに語ってくれた。「もうこれが最後ですよ」と微笑みながら話していたが、聞けば25才のこの甥も既に社会人だから・・・との事。我々の話を聞いて「皆さんにあやかりたい」と言い出して一緒にカメラに納まる。別れ際に素敵なお人柄のこの奥さん、「私も62才ですのよ」とにっこりしたその笑顔がチャーミングで、とてもそのお年には見えなかった。「又何処かでお会いしましょう」と先に腰を上げた。

  当初の計画予定時刻を1時間以上過ぎているので、後ろ髪を引かれる思いで我々も又快適な山頂を後にした。暫く元の道を戻って「下山道」に入る。愈々剣最大の難関と言われる「カニの横這い」だ。ここでも高さは聞いていた程には大した事も無く「縦這い」よりも遥かに距離も短い。最後はしっかりした26段の立派なステンレス製のピカピカした梯子を下りると、目の前に避難小屋跡があった。ヅーッと一方通行の道を矢印に沿って行くと眼下に私達よりも10分以上早く出た「伯母・甥」の2人組を見かけた。どうやら我々は最短距離を下りて来たらしい。

  帰りは「前剣」の山頂を通らずに脇道を巻いての下山。但し下りといえども峰を2つ越えねばならないので大変である。我々の一致した意見は「剣」が大変厳しいと騒がれるのは最後のあの「岩壁」ではなくて、寧ろそこに到達する迄に「一服剣」、「前剣」と幾つもの険しい峰々を越えねばならないのが「厳しい」のだと言う結論であった。

  午後になるとガスが掛って振り向くと先程の「俊英」が見えつ隠れつしている。「縦這い」の長い鎖をよじ登ったので少し二の腕が痛い。日頃から「碁石」か「剪定挟」か「マウス」以上の重いものを持たない私には、山に登って腕が痛くなると言う経験は初めてである。

  「剣山荘」の前のベンチで山形から来たと言う22〜3才の女の子の3人連れが「剣」を仰ぎ見ていた。私が彼女らの一人が手にしていたプリントをそっと覗くと、「憧れの剣岳に登ろう!」とあった。「きつかったですか?」とその内の一人が心配そうに聞いてきた。「大丈夫、焦らずゆっくり落着いてしつかり”三点確保”を守ればカニの横這いなど何でもないです。鎖や足場もしっかりしているしね。只、明日の天気が少し心配ですね」と私。

  ここから山小屋迄の最後の登りが案外遠くて足場も悪い。土曜日とて朝にも増して眼下の剣沢テント村がカラフルでとても美しかった。例の「伯母・甥組」は今日も昨日に続いてこのテントの何処かに戻っている筈だ。途中で中年女性の2人組に出合う。聞けばこの日は立山連峰を縦走して、今夜は「剣山荘」に一泊し明日「剣岳」を目指すと言う。この頃の女性は強いなぁ〜と山を歩いて何時もしみじみ思う。

  無事山小屋に戻って早速皆で乾杯!とても旨かった。飲んだビールの缶には「北陸造り、黒部・立山」とプリントされていた。

  下山の日は予定通り6時半に小屋を出て家路を急ぐ。「雷鳥沢」に来て、皆2日振りに沢の流れで顔を洗い歯を磨く。山小屋では水が貴重で洗面もままならなかったからだ。往きと全く同じコースだが、ここから室堂までのコンクリート道も来る時はとても歩きにくかったが、帰りはあのガレ場の後だけに至極歩き易い。黒部ダムも見物もせずに只通過しただけで、正午過ぎには信濃大町駅に戻って「信州蕎麦」を食べる。その席で老リーダーがしみじみ言った。「剣は槍・穂高や北岳よりも遥かにきつい山だった!」と。

 

(エピローグ)

  帰宅したら玄関先で家内が「お父さん!大変だったよ!!」という。聞けば昨年の「白馬岳」で大雪渓を前にリタイヤーした75才の日頃の仲間が、我々の出立の前日、独りで丹沢は「鐘ヶ岳」に出掛けてその晩帰ってこなかったとか・・・。良く聞けば出立の朝、その方の奥様から我々の「総隊長」(85才)に電話があって、総隊長から「若い」私にでも「捜索」に行ってもらおうと当方に電話があったらしい。町田に残っている仲間達はもう足の弱ったお年寄りばかりだが、仕方なく81才と71才のお2人が厚木警察署迄「捜索願」に出掛けたそうだ。そうこうしている内にひょっこり件の本人が帰宅して事無きを得たらしいが、道に迷って一晩野宿をしたそうだ。

  偶々「剣岳」を下りた夜、我々仲間の一人が自宅に「無事下山」を電話して、皆さんの家族にも伝えると言う事で奥さん同士の「電話網」が出来、事の序でに女達の話がこの「遭難話」にまで及んで、「これからはお互いもう年だから危ない所へはやらすまい」という事を彼女ら同士で申し合わせたらしいとか。とんだトバッチリを受けたものだ。

 

 

  発言番号:407(406へのコメント)

    発言者 :巌   隆吉

    題名  :山歩きの記録(北の俊英「剣岳」に挑む

    登録日時:98/09/10 22:08

 

 昨日財団でお会いした時は、会議室に長いメッセージを入れたからということでしたが只今開いたところ、本当に驚きました。

  私は北陸線を通る時、何時も立山の北に聳える刃物のように研ぎ澄まされた「剣岳」を見て凄く厳しい山だなあと畏怖の念を持っておりました。事実その山での遭難記事は毎年のように出ており、まさかその山に「老年登山隊」が登るとは本当にビックリ、驚き入った次第。無事に帰れて何よりでした。天気の良かったことも幸いしたのだと思っております。留守中、丹沢に登ったメンバーの遭難騒ぎもあったため、今後は奥さん連中からの強硬なブレーキもかかっているようですが、私も同感です。今後の登山はより慎重にお願いしますよ。尤も「剣岳」より厳しい山はもうないとも思いますが...。これから秋の天気は気紛れで荒れますので...。

  何はともあれ「老年登山隊」の快挙、おめでとうございました。

 

 

  発言番号:409(406へのコメント)

    発言者 :三田 昌夫

    題名  :北の俊英「剣岳」に感動

    登録日時:98/09/11  11:29

 

 深沢様、北の俊英「剣岳」は、ヘルマン・ヘッセを読むような感動を覚えました。今後は、長生きをされるようお祈り致します。

  さて、「くちなしの花調理法」にお役に立つかどうか分りませんが、荻窪の或ラーメン屋で、添加汁として「りんご」を煮出しているのを見たことは有りますが

  未だ毒性があるとは聞いたことがありません。

  そこで、家の光協会発行の「図解/薬草の作り方使い方」より引用させて頂きます。

クチナシ P.58-59

★薬効: 漢方薬原料ー消炎、利尿、鎮痛、利胆、打ち 身、捻挫

■調整と保存  むしろやザルに広げ十分日干ししてか  ら、紙袋に入れておきます。

■利用法  打ち身や捻挫には果実をつぶして粉にし、キ ハダ粉とウドン粉を加え、酢で練って、患部に冷湿布 します。また、食品の着色料にもなります。

 

 

(3)その他

 

 

 利尻岳

 

 

  発言番号:363

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :山歩きの記録(「利尻岳」)

    登録日時: 98/08/01 10:25

 

○プロローグ

  町田の山歩きの仲間の一人で私と同い年の媼は、「日本百名山」に後4ツと迫っている。その内の一つの「山」の消化に協力する為に、「最端の島」利尻島に行く事になった。私を2年前に北アルプスに引上げてくれたお馴染みの80翁はこの媼と長年の「山の友達」であるが、「年寄りといえども二人だけで行くのは聊か気が引けるから」と私は翁に誘われての「お供」の旅立ちであった。

○コースのタイム

  6.00  旅館発=6.10北麓野営場(3合目)〜6.25甘露泉〜6.55 4合目〜7.25 5合目〜7.55 6合目〜8.15 7合目〜9.15 8合目(長官山)10.15 9合目〜10.50 沓掛分岐〜11.20 山頂着〜12.15 山頂発〜13.10 9合目〜14.008合目〜14.35 7合目〜15.30 5合目〜16.00 4合目〜16.20甘露泉〜16.30北麓野営場帰着=17.00 旅館着(=車)

 

  7月21日12時30分羽田発の予定が少し遅れて、稚内からバスでフェリーの乗り場に着いたのが其の日の最終便の出泊O。東京を発つ時の予報では「天気芳しからず」で翌日の登頂を諦めていた。船から眺める「利尻岳」は可成り険しそうで、島全体が「山」という感じである。山歩きはお天気次第なので、一応の予定は立てているが出た所勝負で、帰りの切符は持ち合わさない「片道切符」の旅である。着いて直ぐ宿のおかみさんに「明日の天気は?」と聞いたが首を傾げていた。

  所が幸い翌22日は「快晴」、昨年此処に来た山のベテランは同じ宿に4日滞留したものの、天気に恵まれずにとうとう登山を諦めて島を後にしたとか・・・。でもこの調子では私の立てた 最もスムースに行った場合」のプラン通りに行動出来そうである。

  宿の車で3合目まで送って貰って早速歩き始める。程なく着いた「甘露泉」は日本最北端の名水で、「日本名水百選」にも選ばれている。ここで1000CCの水筒にガソリンを満たす。(他の二人はもう少し多かったようだ)

  山頂への道は何処にでもある平凡な山道が長く続く。特に見晴らしが良いという事もなく、只、足元に咲く「カニコウモリ」や「チシマキキョウ」、「アキノキリンソウ」、「ノコギリソウ」、「ヒヨドリソウ、シシウド」等の色とりどりの花々を眺めながらの山歩きである。7合目辺りから急に険しさが増してきた。「第二見晴台」からの眺望は昨日の港の防波堤も眺められて海を見下ろす風景は見事な一幅の絵である。(朝靄に烟る礼文島も幽かにその島影が見えた)

  8合目の長官山では大勢の登山客が景色に見惚れながら屯していた。「此処から先が難所」との注意書きを見て半分以上の人はここで踵を返して下山するようである。

  「利尻岳山小屋」から少し下降した後、道はグーッと角度を上げる。急なガレ場が続いてロープを頼りの急登が続く。北国とはいえ夏の日差しに汗が滴り、残量を考慮しながら「名水」で喉を潤す。

  山頂には30人以上の登山者が祭られた祠の前で夫々に「記念写真」に暇がない。ここでも女性の姿の方が遥かに多く、可成のお年寄りを含めてこの国のウーマン・パワーを見せ付けられた。

  360度全部海という山頂の景色は此処以外には見られないのではなかろうかと、昼食を摂りながらその絶景に見惚れていた。

  帰りも例の「ガレ場」では下山者の渋滞があって80翁も滑って転んで肘を擦りむいたものの、大した事も無く後は長い長い単調な道を一路元来た道を引き返す。山を歩いて往復同じ道とは芸が無いが、「沓掛」に下りるコースは少し危険か伴う事と、旅館に大きなリュックを置いての登山だったのでこれも仕方あるまい。

  日も落ちた「甘露泉」に着いた時には水筒の水はすっかり無くなっていた。ここで落ち合った若い二人連れと北麓野営場から相乗りでタクシーを呼んだ。

  今回の「利尻岳」は標高1712Mだから大した事は無いと最初はタカを食っていたが、覚えた「インターネット」で色々体験者の情報を集めてみると、標高200M足らずの野営場から「標高差1500M」の上り下りは結構大変のようであった。事実登ってみて一昨年、生まれて始めて登った「北穂高」とて、出発した「横尾山荘」から「北穂山頂」までの標高差は同じ1500M程度であっても、「北アルプスの場合は山頂で泊まるので片道だが、今回は往復だから大変なものだよね!」と80翁までが呟いた。

  旅館について一風呂浴びてのビールの味は格別であった。70媼が残している「百名山」は、後「恵那山」、「前妻山」そして「美ヶ原」だそうだが、「前妻山」は無人小屋に泊まらねばならぬので、「又付き合って欲しいな」とビールを飲みながらせがまれた。「NO.100」には「美ヶ原」予定しているそうだ。

 

○エピローグ

  この後、私達は「最もスムース」に行ったので、「利尻島」、「礼文島」そして最後は「稚内」と夫々を観光バスで廻ったが、この長い「エピローグ」は又の機会にお届しよう。

 

 

  発言番号:370(363へのコメント)

    発言者 :巌   隆吉

    題名  :山歩きの記録(「利尻岳」)

    登録日時: 98/08/03 13:36

 

 最近、会議室が活性化して見るのも大変忙しいですね。私も8月1日から2日まで、八ヶ岳の奥の八千穂に行って標高2115メーターの火口湖白駒池の周りを歩いたり奥村土牛の絵を鑑賞したり更に野辺山の電波観測所を見学して来たところです。只今パソコンを開きますと、大変多くの方々の発言やコメントとメールが入っておりまして、楽しく読んでいるところです。

  さて、お約束していました利尻岳登山の様子が良く判りまして、有り難うございました。80才の高齢者お二人とご一緒の登山、若い?深沢さんにとってはさぞやご心労だったと思います。今後ともボランチア精神でその目標達成にご協力ください。

  3年位前ですが、私も防衛懇話会の行事でC1で稚内に行きまして、近くの岬の上にあるレーダー基地を見学した際、利尻岳が直ぐ近くに見えました。その時は全く標高1712メーターとは露知らず、その登山は簡単だろうと思い失礼なことを言いましたが、ほぼ0メーターからの登山ですので、さぞや大変だったと思います。ご苦労様でした。

  奇しくも同じ日私は丸子から藤枝までの五十三次を歩き蒸し暑いのでばてていましたが、何たる相違かなと反省するとともに、改めて深沢さんの体力と気力に敬服しています。

 

 

  発言番号:374(363へのコメント)

    発言者 :松本 喜一

    題名  :山歩きの記録(「利尻岳」)

    登録日時:98/08/04 22:16

 

 深沢さんが北海道のさいはての山利尻岳を制覇したとは本当に見上げたものです。北海道に生まれ、そだった私はまだ、利尻、礼文は知りません。

  北海道と言うと、戦後豊かになり、稚内、網走、知床、根室、積丹等が有名になり内地(本州)から観光客が訪れる様になったのは、最近のことです。

  私の育ったころ(戦中戦後)は誰もも見向きもしない辺ぴな土地でした。時代が変り豊かになると、意外なところに魅力を感ずるものです。これと言って産業の無い土地でも観光という立派な産業が新たに出現し地元を潤しています。

  内地で味あえぬ大自然があります。どうぞ皆さん北海道旅行を楽しんでください。

 

 

  発言番号:383(363へのコメント)

    発言者 :太田  

    題名  :山歩きの記録(「利尻岳」)

    登録日時:98/08/22 22:12 

 

 貴兄の抜群の体力と益々盛んなお付合い精神は、我々ダイヤネットワ−クの模範です。

  この度は80お爺と70お婆に同行され、しかも後者の100名山登頂達成にもう一歩前進させた貢献は見上げたものです。

  (小生の友人で300名山に挑んでいる者が2人おります。<2人の間の関係は無い>200山は既に達成しましたが、その後の山に苦戦しています。何とか助けてあげて下さい)

  小生は利尻、礼文は10年来心に懸けながら、来年、来年と言いつつ今日に到ってしまいました。しかし、今明年中には実現の目処が立ちました。と言うのは、先日京都へ同行したK君が、かねて釧路湿原の鶴と利尻、礼文を見に行こうと誘ってくれたので、「鶴」の方は後に述べる理由で断り、利尻、礼文だけ約束しました。

  貴兄は利尻山頂上の360°展望を絶賛していましたが、我々は登る積りはありませんので、その点は断念しなければなりません。

  せめて、NHK100名山シリ−ズでも見ました、海上からの利尻島、利尻山の絶景を期待しましょう。

    本来ならコメントはこの辺で終りにすべきなのですが、ここで止めてしまうと、では北海道本島はどうなんだと言われかねません。

  そこで、数ある北海道旅行の中で一つだけ、取って置きの思い出話を披露しましょう。

 今からちょうど20年前、学校へ出向した翌年のことです。生え抜きの職員で、小生より一回り若いS君が「太田さんはオ−トバイに乗るんですてっね。北海道のバイク旅行は如何ですか」と誘って来たので、早速その話に乗ることにしました。

  旧盆明け12日間、コ−スは有明埠頭−苫小牧−支こつ湖−札幌−旭川−層雲峡−北見−網走−屈斜路湖−摩周湖−阿寒湖−釧路−有明。

  当時、身体が見えない程のリックを背負った徒歩の「蟹族」から、自転車、バイク、四輪車とあらゆる交通手段を使った学生の北海道旅行が大盛況でした。

  盆が明けると、帰省客は皆東京へ戻ってしまった後だから、風采の上がらない初老と中年のバイク旅行でも、各所で珍しがられました。小生の方は一応オ−トバイの恰好はしていましたが、彼の方はスク−タ−の練馬番号とあっては、休憩場所でいつも学生達が上から横から眺め廻していました。

  旭川に泊って、翌日層雲峡に向かう途中で、道を尋ねた小父さんに「未だ早いし、後で郊外の一本道まで送ってやるから」と無理矢理自宅に連れて行かれ、3時間程お茶をご馳走になりました。彼は旭川生まれの旭川育ち、同市で住友生命に勤め3月に定年退職したばかりで、暇を持て余していたようです。しかし、日本で最低気温の都市旭川の話は、小生が後に北欧やロシアを訪ねた時に大変参考になりました。

  彼が小学生の頃は、朝登校時間に零下15℃で街中サイレンが一つ鳴って始業が1時間遅れ、三つ鳴れば零下20℃で休校だったそうです。

  阿寒から釧路までは阿寒川に沿って略一日の行程でした。湿原は飽きる程眺めましたので、丹頂鶴は見えませんでしたが、今更というわけで冒頭K君の誘いを遠慮したのです。

  最終地点釧路からのフェリ−に乗ろうとして待っていたら、400CCバイクの親子連れがやって来ました。若い学生らしい息子の方は兎も角、父親の恰好よさに思わず声を懸けて仕舞いました。精悍な顔、短い首、広い肩、厚い胸、そしてどっかり坐った運転姿勢、どれを取ってもただ者ではないのです。

  「私は30年前、戦闘機乗りでした。全身で風を受けて走るバイクの爽快さは四輪車では味わえません。そして、北海道でなければ思う存分走れませんから・・・」。成る程、戦闘機をオ−トバイに乗り換えたのですね。

  それから、36時間フェリ−に揺られた後有明到着。上野駅まで乗って来たバイクを惜し気もなくS君に与えて、電車で帰宅しました。彼のスク−タ−が故障するのを毎日見ていましたし、小生もオ−トバイはこの辺が潮時と判断したからです。

 

 

[10]丸沼高原

 

 

  発言番号:773

    発言者  :萩野谷 徹

    題名    :丸沼高原

    登録日時:99/09/18 15:03

 

  9月13/14日と丸沼高原に行きました。

  小学校同級生6名で皆75才(1人はもうすぐ75才)のエイジングです。

  朝9時半頃東京駅発の上越新幹線で上毛高原に11時着。シャレー丸沼の迎えのワゴンで先ず新治村の「匠の里」を見て、それから月夜野町の「びーどろ・パーク」でガラス細工の工場とその製品売場を見ました。そして約1時間半のドライブを経てシャレー丸沼到着です(標高1400米)。本来は丸沼高原スキー場でゲレンデがありますが、最近夏山用の8人乗りのゴンドラが設けられて日光白根山の2000米地点まで約10分で到着するようになりました。座禅温泉に浸かって夕食、就寝です。

  14日はゆっくり起床、朝食、そしてゴンドラで山頂駅へ。ここから白根山登山も出来ますが、誰もそのような元気はなく、自然散策ハイキング・コースを約2時間歩いて、またゴンドラで下山。昼食、歓談の後2時半頃丸沼を出発し、途中で林檎、トマト、トウモロコシなどを買いながらワゴンで上毛高原に送ってもらい、4時半ころの新幹線で6時少し前に東京駅着でした。皆様の本式の山登りに較べればまさにハイキングでしたが、所々険しい所もあり、少しは山歩きの気分になりました。天気も晴れたり、曇ったりで周りの山々(白根山、燧ケ岳、武尊山などだそうです)もよく見えました。

  シャレー丸山は関越道の沼田ICから120号線を約43キロ、日光清滝からも金精峠を経て約45キロだそうです。御参考までに、シャレー丸山を含む丸山高原スキー場の東京案内所の電話は03-3914-6084です。ワゴン車での送迎は幹事が交渉してくれたものです。

  さて、データ・ライブラリーに納められた旅や園芸のテキストをダウンロードして読んでおりますが、実に丁寧に編集して下さって大変助かります。皆さんのコメントも挿入されていて随分と手間のかかったことと御担当の方に敬服します。おかげさまで、私は苦労なしにまとまった手記を拝見でき大層有り難く思っております。感謝いたします。

 

 

(2)北アルプスとその周辺の山

 

 

[7]妙高山・火打山

 

 

  発言番号:802

    発言者  :深澤 龍一

    題名  :笹ヶ峰牧場から火打山〜妙高山〜燕温泉へ

    登録日時:99/10/03 17:45

 

  我々町田クラブの今年もう一つのは夏山は、夫々百名山に数えられる「火打山」と「妙高山」である。天候の回復した9月27日の昼過ぎに東京を出る長野新幹線に乗るようにとリーダーからのお達しがあった。

 

(プロローグ)時間が勿体無いと「けちん坊」の私は、皆より一足先に9時前に長野着。仲間の乗り換える午後2時過ぎ迄の時間の「有効活用」を計って駅の観光案内所に飛び込んだが、適当な観光バスが無いので係の人の指示通りに従う事とした。

 

1.善光寺

 長野オリンピックを機にすっかり近代的になった駅前ロータリーからバスに乗る。仁王門の手前には立派な宿坊が軒を連ね、境内はもう参拝客がチラホラ。本堂の内陣を見学して出てきたら大勢の観光客が列を成して流石は善光寺さんと感心した。

  広い境内を一回りして隣の城山公園にある「東山魁夷館」と、それに隣接する「信濃美術館」を見学してから、長野電鉄の「善光寺下」駅に向う。駅員に聞くと次のお目当て「小布施」迄の所用時間は約30分と言う。既に時計の針は11時30分を指していたが、長野にいても時間潰しに困ろうと取りあえずは出掛ける事にした。昼食の時間が無かろうと、予め駅前で買った「菓子パン」を車内で齧りながら、明日登る妙高・戸隠の山並を見

詰めていたら、向いの中学生は私を見詰めていた。

 

2.小布施

 観光案内所で薦められたのは「北斉館」。駅の売店で聞いたら歩いて10分の距離だという。小布施と言えば私は例の「栗かの子」しか知らなかったが、来てみて正直驚いた。町は非常に落着いた佇まいを見せて、飲食店や菓子舗は言わずもがなで、銀行や新聞店までがあの「関」の宿場を思い出させるような古風な建物だった。

  「北斉館」の近辺はこの街の中心らしく、多くの菓子屋さんや食べ物屋さんの他に「記念館」に「資料館」や「博物館」の類が集って、大きな駐車場には観光バスも沢山駐って、この界隈は女性を中心にした大勢の観光客で賑わっていたのには全く魂消てしまった。

  此処での滞留時間が1時間半しかなかったので、ゆっくりと見物できずに心残りであったが、大変気になったので帰りがけに目に付いた「商工会館」に飛び込んだ。「この町は大変落着いた雰囲気が漂っていますが、どんな歴史を持つ町なのですか?」と恥も外聞も無く単刀直入に聞いてみたら、出てきた係員は少し困った顔をして返答に窮していたが、やがて「住む人一人ひとりが街並み作りに参加しています。有名な菓子の<小布施堂>は元

は酒作り屋でした」とボソボソ話してくれた。

  小布施といえば栗、江戸時代には将軍家への献上品だったほど上質の栗の産地。ここの豪商、高井鴻山が「碧潴軒」を建てて江戸で知り合った葛飾北斎を招いて、物心両面の援助をしたという。そしてその建物を残して、今もこの辺りが町の観光の中心になっていた。

  と少し「道草」が過ぎたので、此処ら辺りで山歩きの本論に入ろう。

 

(コースのタイム)

(第一日)JR「妙高高原駅」=笹が峰国民休暇村「妙高山麓」泊。

(第ニ日)8:00ロッジ発〜8:05火打山登山道分岐〜9:00トクサ沢を渡る〜9:50十二曲りを抜けた尾根道〜11:05富士見平〜12:00高谷池ヒュッテ着(昼食)〜12:40発〜13:40ライチョウ平〜14:15火打山頂〜14:35発〜15:00ライチョウ平〜15:35天狗の庭〜15:55高谷池ヒュッテ〜16:00発〜17:05黒沢池ヒュッテ着(第三日)6:40ヒュッテ発〜7:00大倉乗越〜7:50長助池分岐〜9:30妙高山頂〜10:00発〜11:25光善寺池(昼食)〜12:00発〜13:00胸突き八丁登り口〜13:30称名滝遠望〜14:55燕温泉着(入浴)〜15:50発=16:10JR「妙高高原駅」 着。

  善光寺で皆の「安全祈願」をした私は、小布施駅から特急電車で20分、13時50分長野着。新幹線の乗換え口で敬意を表して仲間を出迎え、在来線で「妙高高原」駅に降りる。駅前にスーパーが有ると聞いていたのに一向に見当たらないので「観光案内所」で聞いたら10分ほど北に歩いた所にセブン・イレブンがあるという。明日の弁当の調達では仕方無しと仲間と二人でトボトボ歩いていたら、程なく「パン屋」を見付けたのでアンパンを買おうとした所へ、件の観光案内所の職員が親切に(?)も店の中まで入ってきて「此処じゃない!」と呼び止めてスーパーの方向に行くからと自分の車に乗せてくれた。

 妙高山を正面に見ながらどんどん坂を登って送り届けてくれた先には「握り飯」は売り切れてなく、結局パンを仕入れる破目になった。駅までの帰り道の長かった事・・・。駅前では仲間達が心配そうに待っていた。流石に女性達は買い物慣れしていて駅の直ぐ近くでパンを仕入れた由。なぁ〜んだ!

  タクシーで今日の宿泊地笹ヶ峰牧場へ。野郎共は部屋で雑談。女性達はロッジの周辺に広がる牧草地帯を散策したようだ。この牧場、車の中から寝そべっている牛1頭を見ただけで、「全く牛や羊の姿は見かけなかったが、白樺と楡の巨木が見事で<サワフタギ><アケビ>が実を付けて、<アケボノソウ><ノコンギク>が咲いていた」と夕食の鉄板焼を突つきながら女性達が話してくれた。「エナガ」の群れ飛ぶのも見たという。矢張り女の人は心豊かだ。山に来て風呂に入れたのも嬉しい。

  翌日は快晴。食事時間の関係で仕方ないとはいえ、8時は山歩きとしては遅い出発。シーズンを過ぎているので牧場の朝は閑散としていた。林道を少し引き返すと間もなく「火打山登山道」の大きな標識。「山登りの心得はベテランもビギナーも同じ」と傍に書いてあった。木道から始まって大きな木立を抜けると沢に架る丸木橋があった。この辺りから木の間に「北アルプス」の山並が顔を出す。やがて険しい「十二曲り」に差し掛かると、ごろごろした岩の道をジグザグに登る急騰である。前日の親切な観光案内所の職員が車の中で「老人登山隊の皆さんには途中の<十二曲り>はきついですよ!」と言っていたが、我々にとっては別にどうという事のない何時もの急登に過ぎなかった。

  この難所を過ぎると平坦な尾根道に出る。尾根の手前で女性3人が尾根を歩いているのを見かけた我々の女性達が「あの人達は可成のお年寄よ!」と呟いた。彼女らの足取がゆっくりしていたので、先頭を行く我が80翁が追越しざまに話し掛けたら、3人組の先頭を歩く女性が立ち止って翁に聞いた。「大正何年生まれですか?」。80翁は胸を張って誇らかに答える。「8年です!」。所が件の老女はニッコリ笑って「私より5ツ年下ね!」。これには我々皆が驚いた。「今日は高谷池迄で、明日火打山に登る」と言う。私は思わずその健康にあやかろうと彼女に握手を求めたが、その握りは力強くてとてもふくよかな掌だった。

  高谷池ヒュッテ前のベンチで昼食の後、サブ・ザックに水筒と雨具など荷物を最小限にして「火打山」に向う。湿原の中の木道を歩くとやがて先日NHKテレビで上映された「天狗の庭」は目の前だ。池は「モウセンゴケ」で赤く染まって、この辺り「アキノキリンソウ」や「リンドウ」それに「アザミ」や「トリカブト」も未だ花を付けていた。「ナナカマド」や「ツルリンドウ」、それに「山ぶどう」や「ムシカリ」なども実を付けて、黄葉には少し早い山の秋は賑やかなことである。

  湿原地帯を過ぎると又少し岩を踏みながらの登り道か続く。途中火打山に続く「焼山」は「水蒸気が出ているので登山禁止」の立て札が出ていた。這い松地帯を過ぎると視界が開けて展望は良好。広い頂上に来て「黒姫山」をバックに皆で記念撮影だ。明日目指す「妙高山」は「黒沢岳」や「大倉山」の陰に隠れて全くその姿を見せてくれない。

  既に時計は2時を回って先を急がねばと元来た道を引き返し、ヒュッテで荷物を纏めて、「メボソムシクイ」や「コマドリ」の囀る声を聞きながら樹林を抜けて今夜の宿泊先「黒沢池ヒュッテ」を目指す。

  道が下りに入ると「黒沢池」の向こうに青くて丸くて可愛いヒュッテが見えた。この辺りは頚城山塊とも呼ばれて火打山(2462M)を最高峰とする2000M級の山々が連なっているが、日本海に面する日本有数の豪雪地帯なので、山小屋の設計は概ね丸くて、屋根は雪が積もらぬような尖がり帽子状の急勾配をなしている。

  小屋に着いたら「予約を聞いていない」と少々揉めたが直ぐに「寝場所」を用意してくれた。所が2ツに別れて女性3人の中に男性一人が一ケ所と言う訳である。誰が一緒に寝るか?私がリーダーの80翁にその特権を与えたが、現場を見て翁はシュリンクした。小屋は満員の上、円形なので皆扇型に寝る事になって、夜中に必ずトイレに行くという翁は別に仕切られたその寝場所から出られないから駄目だという訳である。仕方が無いので一番年若い(と言っても70才)N氏がトイレに行かないという理由だけでその「特権」が転がり込んできたと言う訳だ。

  夕食の後、狭い寝床では仕方ないと食堂で皆と話す。窓を開けると北斗七星がとても低く大きく見えて、北極星も火星も金星もそれにカシオペアやオリオン星も手に取るようだ。但し標高約2000Mで気温は低い。

  火打山でカメラのシャッターを押してくれた地元新潟の二人連れと話しているうちに、その内の一人が態々持参したという自家製の「マタタビ酒」のペットボトル1本を我々に呉れた。本当はストレートで飲むのは勿体無いのだそうだが水の乏しい山小屋では仕方が無い。女性達も美味しいと口にしていたら、件の男の言う事にゃ「これは強精剤だよ!」と。8時、何時ものように翁から「導眠剤」を貰って寝る。「強精剤」を美味しいと盛んに飲んで女性の部屋で寝たN氏も、「導眠剤」が効いたのかものの10分も経たないうちに静かな寝息が聞こえてきた。

  翌朝は一番遅くまで寝ていた件のN氏、「昨夜は<天の川>も見えたよ!」と至極ご機嫌である。山小屋の5時半の朝食は有り難い。支度を済ませて予定より30分早く出発。今朝も快晴、気温は5度であるが最初から大きな石がごろごろした急な登りが続く。やがて「大倉乗越」に着くと急に視界が開けて眼下に矢張りモウセンゴケで赤く染まった「長助池」が見えた。池に向って急降下の後、分岐を案内板に従って右に折れて「妙高山」の頂上を目指す。足下の「ゴゼンタチバナ」と「シラタマノキ」の紅白の実が何とも言えぬコントラストをなしている。この辺りで「ママコノシリヌグイ」や「ダイモンジソウ」、「ウメバチソウ」に「マイズルソウ」も見かけたとは帰りの電車の中での女性達のお話。

  悠揚とした姿の「火打山」は女性的だったが、こちら「妙高山」は思ったよりも険しくて、大きな岩を踏んでの急騰が続いてその名とは不似合いな極めて男性的な山である。振返ると昨日の火打山が木の間からその姿を垣間見せていた。「後10分!頑張れ!!」と福岡の山岳会の方が木の幹に付けてくれた札が、我々を元気付けてくれる。

  9時半に広々とした頂上に着く。三角点より更に上の巨岩の散乱した岩場から一同周囲の景色に見惚れる。左方遥か彼方に「槍」が見える。「来年行きますか?」と80翁が呟いた「鹿島槍ヶ岳」〜「不帰の険」に続いて「白馬三山」が中腹に白雲を漂わせて堂々と聳えていたが、あの思い出深い「北の俊英」剣岳は山陰に隠れてその姿は見えなかった。例の「マタタビ酒」を呉れた地元新潟県人のお二人が「右の方遥か向うの島影が<佐渡>だ」と指差してくれた。何時まで見ても飽きない山の風景だが、「10時出発!」とリーダーの80翁が大声で叫ぶ。

  下山道は岩こそ少ないが矢張り急な下降が天狗堂へと続く。そろそろ疲れてきたのか皆のピッチが落ちた所で突然又池が現れた。「光善池」である。池の辺りで昼食の後、少し平坦な道か続いた後はシグザクの急下降。「胸突き八丁」を逆に下る訳である。ロープや鎖場を過ぎると沢に沿って程なく北地獄谷に下りる。沢を渡ると少し上り下りが続いて、やがて眼下に工事中の「新道」が見え隠れする。これが完成すると下山道は可成り楽になる。「称名滝」と「光明滝」を右手後ろに見下ろしながら一気に山道を下る。舗装道路に出ればゴールの「燕温泉」は吊り橋を渡るともう目の前である。

  汽車の時間まで少々時間があったので、大半の男達は先程の吊り橋近くの「露天風呂」を目指したが、タクシー会社への連絡を任された私は温泉の駐車場傍のホテルで電話をした後で、残った人達と一風呂浴びて漸く2日間の汗を一気に流し、着替えも済ませて小ざっぱりした。

  長野での新幹線の乗換時間は10分。どうやら私だけが要領よく「駅弁」にありついて、残りの人は空腹のまま7時半新宿到着、解散。

 

(エピローグ)同行の女性の一人のご主人が最近パソコンに凝っておられると言うので、帰宅後直ぐに「テジカメ」のスナップ写真を送信したら、早速その翌日に奇麗にプリントして送り返して頂いた。私の256色とは違う32000色の上に、上質紙を使っておられるので色彩が極めて鮮明な出来上がりである。更にその次の日には前回の「蝶〜常念」の記事中に写真を入れたレポートも送って頂いたので、すぐさま近くの80翁に届けたらご夫婦で大変喜んで頂いた。送られた写真に見惚れていた家内も、「お父さんも機械を買い替えたら・・・」と。 「私のへそくりを吐き出すから・・・」とは言わなかったが・・・

 

 

  発言番号:803802へのコメント)

    発言者  :巌  隆吉

    題名:笹ヶ峰牧場から火打山〜妙高山〜燕温泉

    登録日時:99/10/06 11:18

 

  深沢さんのタフさは当然としても、80翁を中心として女性を含めての「町田クラブ」のご面々のタフさには全く頭が下がります。殆ど平地同然の東海道53次と違って今回もまた、けわしい妙高と火打への登山とは私たちもまだまだ気力を充実して今後の人生に対処すべきと痛感させられています。

  私は化成としてのアルミ製錬発祥の地直江津には随分と深い縁がありまして、一時は1ケ月に2回位も出掛けており、妙高の麓の「赤倉」や「妙高」というゴルフ場では下手なプレイしていました。何時も妙高を眺めながら何時の日かこの山に登りたいものだと夢を持っていました。色々聞きますと赤倉からは極めて急なルートなのであまり無理をしない方が良かろうと諦めておりました。

  先日もテレビで火打山の麓の小屋が出てきまして中々良いところもあるのだなと「妙高山」のことを懐かしく思っていました。

  ところが今回の深沢さんの妙高登山の記事、このようにシルバーも挑戦されるお方もいるのだなと敬服しつつも羨ましくも思っているところです。

  来年もまた、新しい山に挑戦してください。

 

 

  発言番号:804802へのコメント)

    発言者  :松本 喜一

    題名:RE:笹ヶ峰牧場から火打山〜妙高山〜燕温泉

    登録日時:99/10/08 17:17

 

  深澤さんの妙高山、燕温泉の登山の記事懐かしく拝見しました。35年前の長野支店勤務の頃を思い出しながら一言発言いたします。

 当時はまだ若かったからシーズンになると、スキーに出掛けたものです。信託の寮がまだ出来ていなかった頃、家族ずれで出掛けたものです。長野から一番交通の便利な、妙高高原(当時は信越線田口駅)には出掛けたものです。

 赤倉の宿を朝9時頃出掛け、赤倉スキーのリフトの頂上で降りスキーを担いで約1時間くらい更に登り(今は多分更にリフトが延びているはず)燕方面行きのトンネルをくぐると、あとは降り一方である。樹間を縫い縫い一気に燕温泉まで滑る。お昼頃燕温泉に着き、一風呂浴び昼食を摂る。

  温泉を出発道路沿いに関山駅まで滑る。(今は車優先で滑降禁止となっている)関山から汽車に乗り妙高高原駅(田口駅)に着く多分3時頃には宿に着いた記憶がある。35年前のよき時代の昔話でした。

 

 

  発言番号:805802へのコメント)

    発言者  :太田 

    題名    :笹ヶ峰牧場から火打山〜妙高山〜燕温泉

    登録日時:99/10/12 19:06

 

 貴君と何人かの老爺と老婆達の快挙に対し、巌さんが温かいコメントを付けました。

 また、松本さんは若き日の弾丸滑降の思い出を語ってくれました。

 こうなっては、幾らものぐさの私でも黙っている訳には行かなくなりました。

 幸い、永らく付き合ってくれた、今は半身不随のCOMPAQに引退して貰い、富士通の中級機(私の実力に見合っている)を入れたばかりなので、試し打ちの意味もあります。

 貴君がこの3−4年間に登っている山の大半は私が20−50年前の青壮年時代に経験した山々なのです。以前貴君へコメントを入れたことのある白馬は昭和51年、八ケ岳は52年と言うように、今回の妙高は昭和49・7・21−23に行っています。

 当時、私も未だ「家庭第一」をモット−にして居りましたので、妻と高2の娘と中3の息子の4人で、信託の赤倉高原寮に参りました。

 前日まで梅雨がしとしと降っていたのに、出発当日は劇的に晴れ上がりました。

 旅行も山行もガイドブックそのままを歩いて、見て、食べて来ただけではロボットと同じ

です。他人とは違った経験や感想があるからこそ意義があるのです。

 私はこの山行でも幾つかの忘れえぬ思い出があります。

 貴君は前日「火打山」に登ってから、その晩目指す「妙高山」麓の「黒澤池ヒユッテ」に泊まり、早朝、登頂は裏の方から登って、表の燕温泉へ降りました。時間は640から1455まで。

 私は赤倉温泉から長いアプロ−チを経て、山頂に到達、帰途は裏側に下りて、燕温泉を横目に元の赤倉まで戻りました。時間は400-1900 距離も時間も大体2倍近くと言うことになりますね。これが年齢の差と言うものでしょうか。

 道順を追っても仕様がないので、今でも強烈に脳裏に焼き付いている事項を2−3申しましょう。

 

@”登山は既に若者のスポ−ツではなくなっていた”

 泊まり客は我々4人のみ。冬季は若者達で満員が続くのに、夏季は中高年の家族連れが時々来るだけとか。若者にとってスキ−は楽しいが、山登りは苦しいからというのが理由。

 お陰で今回は人の好い管理人ご夫婦が至れり尽せりの歓待をしてくれました。

 「間もなく定年になりますから、直江津在の老親の元に帰り、百姓をやります。息子は高校時代は国体選手、今年早稲田に入ってスキ−部で頑張っていますよ」と自慢気でした。

 

A地這い竹

 冬の「スキ−場便り」を見れば、燕、関が天神平と並んで日本最高の積雪地であることは一目瞭然です。登山道脇の竹が、一年の内雪の下にあるのは何ヶ月でしょう。真夏でも立ち直れないで、地を這っているほど、圧しひしがれていますが、それでも健気に生きているのです。筍は美味の由。

 

B妻の高山病

 頂上から降りて来た地元の中学生の一団が坂の上で覗いています。我々は待たせては悪いと思って、高さ10m位の狭い坂を一気に駆け上がりました。上りきったところで、突然妻がしゃがみ込みました。高度は丁度2千m位、高度計よりも正確です。頭痛と吐き気で食べ物、飲み物は一切受け付けなくなりますが、下山を始めて2千m以下になればケロッとしてしまうのですから、不思議な病気です。

 白馬の時なぞは山頂下の山小屋に泊まっていますから、2日続きの高山病でした。

 こうなると妻の荷物は息子が背負うことになります。彼は小学5年で妻と一緒に富士登頂をしてから、毎年高山経験がありますから、今や我々のリ−ダ−と言ってもよい実力を持っています。

 

C焼山

 握り飯を食べながら、妙高の頂上から眺めると、丁度蒲団を丸めたような穏やかな焼山が眼前にあります。何でこんな荒々しい名前が付いているのかと不審に思っていましたら、翌月早くも回答が出ました。大噴火があって、大勢の怪我人が出たのです。それ以来登山を禁止しているのではないでしょうか。

 

 帰途、燕温泉の横を下る頃には、薄暗くなり、流石に足も重い。ふと見れば、管理人の小父さんがニコニコしながら、バイクで上がって来るではありませんか。

 「燕にちょっと用事がありまして・・・」そして、ものの10分も経たない内に、今度は肩の後から「ご馳走を作ってお待ちしてますから・・・」と追い抜いて行きました。

 言い忘れましたが、山へ登ったのは3人で、娘は寮に残しておきました。山などは一度も登ったこと無いし、丁度反抗期の見本みたいな頃でしたから、管理人さんに「昼飯だけやってくれれば、あとは夏休の宿題でもやっているでしょうから」と頼んでおいたのです。

 その娘が後で言っていました。「自分の教えたコ−スで何かあったら・・・、時間が大分遅いから心配だ」と居ても立ってもいられなかったというのです。

 だから、バイクで様子を見に来たのですが、無事だと分ればさりげなく他用にかこつけ、登山者のプライドを傷つけるようなことは一切口にしません。新潟人はなんとも心優しいのですね。

 この人には後年、悲しい後日譚があります。

 私が昭和52年跡見学園へ出向してから、間もない年の6月、妙高山地は季節外れの高温と豪雨で山間の積雪が一気に融けたため、高原の低地を大規模な鉄砲水が襲ったことがあります。その高原の名も知らない小さな川の河川敷にあった学園寮は林間学校が未だ開かれていなかったので大事に至りませんでしたが、建物は全部流されてしまいました。

 その時、近隣にあった会社、学校の寮施設が10数ヶ所流出したのです。

 私は後日、執行部一同と一緒に善後策検討のため、現地を訪れてびっくりしたのは、小トラック位の岩石がゴロゴロ、その場所に建物が立っていたなど想像も出来ませんでした。

 後で聞いた話ですが、その時、前記信託の管理人さんが犠牲になったということです。

 私は不思議に思いました。とっくの昔に定年になり、田舎へ帰って百姓をやっている筈の彼がどうしてまた。

 理由はこうなのです。良質の管理人を探していた某会社(旭化成?)が彼の信託寮における働きぶりを聞きつけて「是非うちに残ってくれ」と頼んだとか。

 人の一生というものは分らないものですね。

 

 

  発言番号:808805へのコメント)

    発言者  :深澤 龍一

    題名    :笹ヶ峰牧場から火打山〜妙高山〜燕温泉

    登録日時: 99/10/14 17:49

 

  富士通製の「新鋭機」の試打ちにしては長文のコメントを頂き有難うございました。先ずは「Windowas-98」も順調に始動しているようでご同慶至極に存じます。

  実は今回の「妙高登山」に際しまして、私の本棚を漁っておりましたら、46年版の「妙高・野尻湖・戸隠」なるガイドブックと「登山・ハイキング地図」が出てきて、その間には鉛筆書きの「妙高山登山届」迄挟まっており、家族旅行で戸隠や野尻湖に行った事を思い出しました。

  この度の太田さんの克明な「妙高登山」に関するコメントを拝見し、早速私も古いアルバムを引き摺り出して当時の足取りを追いました。

  昭和48年8月に「妙高」は諦めて野尻湖に決めたようです。多分赤倉高原寮の心優しい管理人さんから当時「小6と小4の息子と娘では無理」と勧告されたのでしょう。アルバムは「是より先<越後路>」と書いた黒姫駅の標識からスタートしていますが、覚えているのは皆で野尻湖一周のサイクリングをした下りのカーブで、私がブレーキを掛けずに駆け下りた時、砂の上にタイヤが乗って転倒し10M程滑った事でした。家内からは子供たちに良い見本を見せてくれたと散々お小言を頂戴致しました。翌日は戸隠近辺のハイキングをして寮に戻りましたが、「上信越高原国立公園・・・大滝不動尊入口」と書いた案内板の前で写真を撮ったのに余りはっきりした記憶がありません。それに比べると1日15時間の山歩きとは、25年前から太田さんは相当体力があったのですね。

  最後の日は「日本海」を見てみようと「直江津」を少し見物して東京に戻りましたが、親切なあの寮の管理人さんの悲しい後日譚は今回初めて知りました。矢張り太田さんは情報通ですね。

  それにしても「新鋭機」の使い心地を何時もの名調子で「パソコン活用術」にでも流して下さいな!