C3 登山・散策

 

 

C3−1  近い山・手頃な山

 

(1)「奥多摩の山」

 

 

 [1]「伊豆ヶ岳」

 

 

  発言番号:D43

    発言者 :松本 喜一

    題名  :伊豆ケ岳ハイキング

    登録日時:96/10/30  19:02

 

1.日時      96年10月26日(土)

2.集合場所・時間 西武秩父線正丸駅出口

        午前9時50分

              (西武池袋8時16分発快急秩父行き西武正丸駅9時43分着)

3.歩行時間  4時間

4.コース    正丸駅ー大蔵分岐ー伊豆ケ岳(851m)ー小高山ー正丸峠ー大蔵分岐       ー正丸駅

 

  奥秩父の代表的な山と言えば、やはり伊豆ケ岳だろう。青葉から紅葉の季節まで、中高年のハイキング入門コースとして最適である。駅から出たら案内板を良く見て吾野よりからの石段を下り、西武線のガードをくぐり、小川に沿って進むと左側に小さな地蔵様が立っている、大蔵分岐がここである。

  まっすぐ行く道は正丸峠に出られるが、ここでは左の山道に入り伊豆ケ岳へと向かう。しばらく谷間を登り、植林された所や、沢などを渡りながら登ってゆく。赤土の急坂を登り、尾根上を右へ正丸峠からの道と合流し、クサリ場の手前にでる。

  山頂へは男坂(クサリ場の岩のぼり)と女坂(なだらかな巻き道)が有り、足にあわせて選べばよい。どちらも時間的には大差ない。

  伊豆ケ岳(851m)の山頂に立てば、三角点があり、武川岳、二子山などの奥武蔵の山々が一望でき爽快である。さらに驚いたことには、新宿副都心のビル郡が正面のはるか遠くに望まれ、左側にちょっと離れてサンシャイン、右側に少し離れて横浜のランドタワーの勇姿が展望できたのには感激した。

  雄大な景色を眺めながら、なにか一仕事をしたような良い気分になり昼食をとる。丁度紅葉が始まろうする頃であちらこちらで、黄や赤や橙色の林の塊が散在していて誠に素晴らしい眺めである。

  下山は女坂を通り、ゆるやかなや或は急な坂道を登り下りしながら、小高山を通り正丸峠(766m)に出る。ここで小休止して売店の裏道から沢を下る。

  小さな小川で小学生が水遊びをしている。沢蟹や小魚を採った少年時代を遠く思い浮べながら一気に大蔵山分岐に出る。

  大蔵山分岐で、行きには気付かなかったが、道端にドウダンツツジの紅葉が素晴らしく、更に返り花がひっそりと咲いているのを発見した。大蔵山分岐から帰途野中の一軒家の店から地元で採れたと思われる柿を土産に無事正丸駅に帰着した。

  正丸駅のホームから針葉樹の真っ青の山が見える、杉の植林かと思われるが所々に立ち枯れがみられる。良くわからないが、おそらく人手不足による、手入れ不良によるものか、或るいは酸性雨の被害か何れにしても悲しい現象である。何時までも美しい自然を保持して我々を楽しませてくれるよう願って上り電車に乗り帰途につく。

 

 

  発言番号:093

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :山歩きの記録(その3・・伊豆ケ岳)

    登録日時:97/08/08  09:14

 

 コースとタイム=正丸駅(9.30a.m)〜旧正丸峠(10.50)〜川越山(11.10)〜昼食〜正丸峠(12.20p.m)〜小高山(12.50)〜伊豆ケ岳(13.45)〜正丸駅(15.40)・・・8月7日・・・

 

  昨年秋に松本さんがレポートした山である。再訪の動機はあの時に登った「クサリ場」の話をしたら、去年 北穂高」に同道した山歩きの仲間が是非案内しろという訳だ。小田急線〜横浜線〜八高線〜西武池袋線と乗り継いで、山歩きのスタート地点のまで3時間近くを要して、町田の住人にとって奥武蔵は矢張り遠い。

  正丸駅の改札を出たら「伊豆ケ岳の男坂(クサリ場)は落石の為通行禁止。女坂をお通り下さい」の掲示がしてあってがっかりする。

  松本さんのコースでは少し頼りないので、今回は上記の通り旧正丸峠を経由する事とした。峠への道は標識に沿って沢に掛かった丸木橋を何度か渡っての急登が続き、峠からの尾根道も平均段差30〜40センチの木段が100段以上も続くアップダウンもあって結構きつい。真夏の低山で暑さを懸念したが、幸い高さ15メートル以上もある杉や桧の林の中の道で寧ろ涼しささえ感じる位であった。正丸峠までは全く人影は無く、峠の少し手前で昼食を摂る30人ほどの中高年の団体さんに会う。林道とクロスする峠から、更に尾根道を伊豆ケ岳を目指す。静かな山懐に抱かれた良い道だが午後ともなるとさすがに汗が滲み出てくる。

  確かに 目指すクサリ場」には 通行禁止」の立て札があって、その上 通行止」の縄まで張ってあった。 喜寿」とは言え血気盛んな相棒の老人は、 折角前まで来て登らぬ手はないなあ。<崩壊>でなくて「落石」だから我々だけなら大丈夫でしょう」と人っ気の無いのを幸いに、我々は高さ80メートルのクサリ場に挑戦する事とした。クサリが平行して2〜3本下がっているのでお互い違うクサリに命を託しながらの登攀である。途中 喜寿 氏が呟く。「こんなに長いクサリ場は 穂高」にも無い !。こりゃー日本一のクサリ場だよ、深澤さん !!」と至極ご満悦の態だ。クサリ場を登り切った伊豆ケ岳の山頂で少憩の後、最初の話では帰りは 女坂」を下りる筈だったが、相棒氏はここでも「目の前にあるのに態々避けて通るとは勿体無い」と、帰路ももう一度クサリにぶら下がる事となった。何しろ80メートルの岩場だから緊張で疲れて汗も滲み出てくる。下りた所で小休止。目的を果たした我々はここから一気に急坂をゴールの正丸駅を目指して下る。松本さんとは逆コースでこの坂がまた極めて急で、私も一度滑って転んで肘を少し擦りむいた。

  結構なクサリ場を有難う!! 」。そういった 喜寿 氏は町田に戻って私に 生ビールと焼き鳥と冷やっこ」をご馳走してくれた。 クサリ場に改めて乾杯!!!」。

 

 

 [2]「高尾山系」

 

 

   発言番号:077

      発言者 :深澤 龍一

      題名  :「山歩き」の記録(その1・・北高尾山稜)

   登録日時:97/07/25   09:22

 

   夏山シーズン」の到来である。今年も3ッ4ッの計画があるので、足慣らしを兼ねて昨日近郊の山を歩いた。歩きながらこれから自分自身の 備忘録」を兼ねてこの シリーズ」を流してみようと思い付いた次第です。興味のある方はご覧下さい。

  京王八王子からバスで約1時間、「夕焼小焼」(先年最近ここに「遊園地」も出来た)を過ぎて「陣馬高原下」の少し手前 関場」でバスを降りたのが午前10時、落合橋を渡って案下川に沿ったパス道を少し行くと、左の沢に下りる小道がある。ここを「口留番所跡」という。標高は258m、今日の予定はここから南に「北高尾山稜」を越えて一旦「小下沢」に下り、更に沢の向うのお馴染みの「高尾山縦走路」に出ようというもので、リーダーは地図に無い道を歩くのを得意とする68才のベテランである。一行7名は例によって78才を筆頭にして、若造は64才、大半は私と同じ70才前後の「高年登山者」である。

  地図をお持ちの方はご覧頂くと 528ポイント」から 611ポイント」を経て 北高尾山稜」に出る。この間20分歩いて5分の小休止を繰り返しながらの1時間10分は、杉林の中を平均傾30度の急登が続く。勿論視界は良くはないし只頭上を走る 送電線」を目印に、尾根伝いの道を木の枝を掴みながらの前進である。11時半やっと611ポイントの 山稜」に出る。左折して 三本松山」から送電鉄塔の辺りで昼食。何時もはハイキング道の鮮明なこの辺りも、背丈ほどの夏草が生い茂って道が見えない。夏草に混じって「やまゆり」の白と、背の高い「桔梗」の紫が鮮やかな印象を与えてくれた。

  昼食後は、ここから標高差150mを一気に下って「小下沢」に出る。沢を少し下って黄色い「東電の保安路」の標識を目当てに幅1mの沢を横切り、再び樹林の中の急登である。今度は標高差250mを性懲りもなく登ろうという訳である。ケキョ、ケキョ、ケキョケキョ、ホーホケキョ」と鶯の囀りや、「蜩」の鳴く声を耳にしながら道無き道の直登が続く。1時間余の後に辿り着いた尾根道がお馴染みの「高尾山縦走路」、歩きながら皆で「ここは国道一号線やなあ」と冗談を交わした。「景信山」(標高727m)の到着は2時10分、途中で今日始めて「人」に出会った。男と女の別々の一人歩きの方、何時にはハイカーで賑わう景信山頂の「茶屋」には人っ子一人いなかった。この暑いのに低山の高尾山などに来る人は居ないらしい。

  バスに間に合うようにと2時半出発、今度こそ地図にある道かと思いきや、途中で「小仏バス停」の標識を越えて「小下沢」の方向を行く。途中で右折して最後は傾斜45度の急降下、「気を付けながらしっかり木の枝に掴って下りて下さい!」と先頭を行くリーダーが叫ぶ。登山道の1本東を直滑降だ。茶屋からの標高差は約450m、降りた所が「宝珠禅寺」、山門を指差しながらリーダーが言った。「この山門を入って真っ直ぐ行くと小仏峠の先に出る」と。勿論地図にルートは書いていない。四阿で休憩している時、先日東さんが「秋になったら又ハイキングを計画しましょう」とおっしゃっていたので、今日はここから「小仏」に降りるので、健脚揃いの「ダイヤ・ネット」の皆さんとは「小仏」からここ「景信山」に登って(昭文社の地図ではコース・タイム1時間とある) 高尾山」まで 国道一号線」を歩こうかと考えていたが、この急傾斜はどうかなと?と目下思案中です。・・・巌さん!どんなもんでしょうかねぇ?)

  3時30分のバスには十分間に合った。

リーダーを除く6名、町田での「反省会」。中ジョッキを片手に、「やっと生き返った!!」。

 

 

  発言番号:096

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :「山歩き」の記録(4.再びの高尾縦断)

    登録日時:97/08/14  10:11

 

 コースのタイム・・京王八王子(9.10)=佐戸(9.45)〜板当沢〜349.Point(10.30)494.Point(11.20)〜杉沢ノ頭(1.10)〜富士見台(1.40)〜お地蔵様(2.45)〜JR高尾駅(3.40)

 

  「今日は前よりも面白いコースへ行きますからねぇ !」、高尾山に付いては道無き道を沢山知り尽くしているリーダーのS氏が京王八王子のバス停でそう宣言した。

  佐戸でバスを降りて少しバックし、北浅川に架る板当橋を渡って「板当沢」に沿った林道を少し入った所の広い空地で身支度を整え、いよいよ山の中に入る。植林の為に地主さんの通る幅30センチ程の文字通りの小道、傾斜30〜40度はあろうという急登を約20分かけて登ると尾根に出た。この間、先頭を行く 露払い」は我々の登れる斜面を確かめ、クモの巣を払い除け、背丈以上もある下草を掻き分けての前進である。

  「何故そんなにしてまで歩くんだ」とお思いの方もあろうが、我々にとつては決まりきった道を歩くよりも数段 面白い 事は確かである。メンバーは大正と昭和の8年生まれ各1名と昭和2〜4年生まれが4人の平均年齢70才の6人チーム、この連中は今月下旬に南アルプスに接する「仙丈ヶ岳」(標高3033m)、と、9月上旬には北アルプスの 白馬岳」〜「杓子岳」〜「鑓ヶ岳」の縦走を目指す面々で、今日の苦労もそのトレーニングという訳である。

  話が脇に逸れたが、アップダウンの続く尾根(といってもはっきりした道が有る訳でなくて、馬の背の部分を求めて歩く感じ)を進むと少し広い所に出た。(494Point)少し早いが昼食。そこから少し行くと 下恩方町」から滝沢川に沿った林道の終点に出る。ここから暫くは日頃お馴染みの「北高尾山稜]のハイキングコースだ。今日の行程では、この部分(全体の約5分の1)だけが地図にもある一般コースである。「富士見台」では富士山どころか今日は高尾山も霞んで見えない。ここで一般コースと別れて又山道に入る。朝の天気予報では 日中の最高気温35度」と報じていたが、実際は薄曇りで日も射さずに却って助かった。三叉路に出ると「高速道路下高尾山口 」の標識が有るが、「尾根道」とだけ表示された小道の方を選ぶ。この辺りから今日の道選びの最難関コースに入る。何時も感心するのは、このリーダー氏はこんな道無き道を全く間違いなく自信を持って突き進んでいき、出戻った」経験を知らない。  喜寿」氏が 今度来る時の為に」と分岐点らしい場所の木の幹に、態々その為に持参した白いビニールテープを 目印 に縛っていく。谷に降りる急坂を指差しながらリーダーが言った。「以前おいらく山岳会の某氏のパーティーが、間違ってここを下りて女性一人が転落事故を起した」と。我々はその先10メートルの所を右に折れ、更に小さなケルンを左折すると誰が書いたのか「高尾台住宅方面へ」と木の幹にマジックで案内書きの矢印があった。ちょっとした窪地にはお地蔵さんがニ体、「明治42年8月・駒木野中」と刻まれていた。こんな所にお地蔵さんとは昔はここが生活の道であったと想像された。間もなく一般道路に出て「アルコール専門病院・駒木野病院」の前を通り無事高尾駅に到着。

 因みに私の万歩計」の数字。

      7/24  高尾山縦断(1)       21,500

      7/31  富士登山(7合目まで)  8,600

      8/ 1    同上  (登頂下山)  15,500

      8/ 7  伊豆ヶ岳               24,200

      8/12  高尾山縦断(2)       24,000

  こうして見ると富士山」は意外に歩数が少ない。(富士山以外は自宅から駅までの往復歩数」を含み、富士山」は夫々片道歩数(1,800)しか含んでいないが・・・。 如何に「富士山」が急だという事でもあろうか ?

 

 

 [3]ボンゼン山

 

 

  発言番号:191

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :道無き路の山歩き・・ボンゼン山(と番場ヶ谷)

    登録日時:97/12/30 19:40

 

 12月に入って町田の山の仲間達と地図にルートの書いて無い道を歩いた。

 

ボンゼン山

 京王八王子から 小津町行き」のバスで終点で下車する。小津川に架る「西沢橋」を渡って間もなく、360度に折れて田圃を横切って山路に入る。倒木に遮られながら、踏み後と赤い目印のテープを辿って熊笹のトンネルを潜り抜け、急登〜急下降を何度か繰り返した後498Mのピークに着く。84翁が今日のリーダーであるが、「来たのは大分以前だから道に迷うかも知れない」と言いながらも、高齢とは言えなかなか確かな記憶と足取りである。

  「リーダー」の話によると、ここは所謂「里山」でその昔、村の人がこの山に自生する「ケンポナシ」の木を切り倒して持ち帰り、 お盆」や「お膳」を作って生計の足しにしていた事から、村人が何時か「ボンゼン山」呼ぶようになったと言う。(この木は今はすっかり切り取られて最早1本も無い)

  ここで昼食の後、地図上の536M〜589Mのピークを経て下りに入る。このコースは見晴らしも余り良くはないが、登ったり降りたり杉や桧の枯れ葉を踏んでの、か細い道の山歩きは山男にとって所謂「面白い山」である。

  ズーッと下った所に「宮尾神社」があって、その境内に「夕焼け小焼け」の歌詞を刻んだ大きな石碑があった。作詞家の中村雨紅はこの神社の宮司さんの息子だったそうだ。

  神社からタラタラと降りて暫く行くと「夕焼け小焼け」のバス停に辿り着く。冬のウィーク・デーとて乗客は殆どいなかった。八王子そごうの9階でささやかな「忘年会」だ。出席者は女性2人を含めた13名。

 

 

 [4]八王子八峰

 

 

  発言番号:642

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :「八王子八峰登山」挑戦記

    登録日時: 99/05/15 15:51

 

  去る5月9日の日曜日、我等「町田おいらく」のエース3人は、「体力チェック」と称して、八王子教育委員会と八王子山岳連盟が主催する「第10回八王子八峰登山大会」に挑んだ。これはその時の誠に儚い「無念!」の記録である。

  八王子市は西部を山々に囲まれて自然に恵まれて環境にあるが、毎年5月の第二日曜日に自分の体力に合せて歩くこの大会を開催している。

  コースは

◎Aコース(健脚・・32.5Km)今熊バス停、7時〜8時 45分にスタート

◎Bコース(入門・・17.0KM)陣馬高原下、8時〜10時 30分にスタート

 

  「八峰」とは今熊山、刈寄山、市道山、醍醐丸、陣馬山、景信山、小仏城山及び高尾山を言い、Aコースはこの全てを踏破し、Bコースは、バス停から和田峠に出て、陣馬山より先を歩く訳である。

  我々は町田を6時19分発のJRで出発して、スタート地点の今熊バス停での受付で目印の黄色いタオルを貰って腰に下げ、結局7時40分のスタートとなった。そこで目にしたのはショート・パンツにスニーカーという出で立ちの人達で、普段の山歩きに比べると若い人も多くて、先ず皆さんの意気込みに圧倒された。町田の「エース」とは例の80翁とそれに従う71才の私と70才のお供、最初から半ば諦めのムードで「マイペースで行こう」と声を掛合っての出発だった。

  昭文社の「山と高原地図」に記されたこのコースのタイムの合計は、休憩時間を含まない正味時間で実に12時間を越え、然も後半には「エスケープ・ポイント」が設けられて、各ポイントを「制限時刻」迄に通過しないと、其処で強制的に最寄りのバス停にエスケープさせられるというルールである。決められたエスケープ・ポイントと、制限時刻は

 

A.和田峠(13時30分)・・最寄りの陣馬高原下バス 停迄徒歩1時間

B.明王峠(15時00分)・・              同上

C.景信山(16時00分)・・最寄りの「小仏」バス停 迄、徒歩1時間

D.小仏峠(16時30分)・・              同上

E.小仏城山(17時00分)・・最寄り「日影」バス停 迄、徒歩80分

 

  そして、ゴールの高尾山口には19時迄に到着しなければならない規定である。(我々は案内書を手にする迄、このルールを知らなかった)

  舗装道路を歩き始めて、東電の新多摩変電所の外れを右に曲ると急に道幅の広いくねくねした静かな尾根道に入る。何時もと違って今日は我々はドンドン後続に道を譲る破目になって前途が思いやられる。でもなかなか素敵なコースで新緑は過ぎたがウグイスの囀りも聞こえる。最初のポイント「今熊山」までの所用時間は途中5分の休憩を入れて、50分と「山の地図」のコースタイム通りだ。ここで係の人から通過を証明する「ポイント1今熊山」と書いたオレンジ色のカードを手渡される。そろそろ体も慣れてきて、次のポイントは戸倉三山の一ツ「刈寄山」、「まき道」を選んだこともあって、1時間で到達。地図のコースタイムより何と40分も早く出だし快調である。分岐点でカードを貰って、リュックを置いて頂上へ。見晴しは余り良くないので水を少し飲んだだけで引き返し、次のポイントを目指す。(頂上往復に30分費やす)

  ここからの「峰見通り」と呼ばれる尾根道は道幅も狭くなって、その上結構アップダウンがきつく、30分に5分の休憩を挟みながら戸倉三山の2ツ目「市道山」を目指して懸命に歩く。80翁の足取りが何時もより重いのが気に懸かる。

  狭い頂上到着は11時40分、正味2時間はコースタイムより15分しか短縮できていない。エスケープポイント迄のコースタイムは2時間で、「制限時刻」は13時30分だから雲行きは微妙である。大勢が食事をしていたので、翁は「我々もここで昼食にしよう」という。ここから道を北に取ると1時間余りで戸倉三山の3ツ目「臼杵山」を経て秋川渓谷に出られる。

  「ポイント3市道山」の青いカードを手渡してくれた係の人に、「どうしても<<制限時間>>に着かないと駄目か?」と聞いたが、1分でも遅れてはエスケープだという。今回の山行きを言い出した70老は「コースタイムを25%縮めれば何とか行ける」と何処までも強気だ。彼は信州育ちの山男で、今でも最低週に1回は山を歩き、週2回は体育館でバーベルなどを使って「筋力トレーニング」に励むというカモシカ男である。私も和田峠での昼飯なら何とかなるとは思ったのだが、我々のチームで80翁の言葉は「絶対」なのである。翁としてはここで少し休息を取りたかったのだろう。

  12時5分スタート。我々のチームは70老が先頭を歩き、80翁を真ん中に私こと71才がシンガリを務める。途中、お椀を伏せたような山容の山裾で、山岳連盟の黄色い腕章のオバサンが、「これが最後の登りだから頑張って〜!」と少し上から声を掛けてくれる。でもこの登りは結構長くて少々梃子づった。「ポイント4醍醐丸」には1時15分の到着である。70老がもう一度係の人に聞いてみた。「和田峠から先は何時も歩き慣れているから、多少の遅れは認めて貰えないか?」と。返ってきた答は「我々には責任がある、後になると皆さん疲れて歩く速度が遅くなり、去年も最終はゴールで8時を廻っていた。山は動かないから、どうしても歩きたいなら、エスケープの手続きをして目印の黄色いタオルを外して歩いて下さい」と。至極ご尤も!!。

  後15分しか無い。コースタイムは30分、最早絶望的ではあるが、ここはノンストップで和田峠を目指す。「エスケープでも良いじゃないか!」と80翁が呟く。何時に無く弱気である。実は1週間前に今日の日の為のトレーニングだと、翁の提唱で「八王子城址」〜「堂所山」から今日のコースに合流して、高尾山口迄を歩いた。この時はそろそろ休憩にしてくれないかと私が思う程の快ピッチで翁が先頭を切っていた。

  醍醐峠からの道は和田峠まで下りの連続で、時計を睨みながらピッチを上げて歩いた。やがて下方に青い色の大きなテントが見えて、最初のエスケープポイントである。こちらを見上げた山岳連盟のオバサン達が大きな声で叫んでいる。「ご苦労様でした〜!」。今までの「頑張ってぇ〜!!」では無いので溜息が出る。舗装道路に降りたらお盆に載せた紙コップに冷たい水が用意され、番号と名前を告げて「記念品」の小箱を受け取った。将に「一巻の終り」である。時に午後1時45分、タッタ15分のタイム・オーバーで「クビ」である。80翁が言った。「もう帰ろうよ!今なら3時10分のバスにゆっくり坐れるから・・」と。一応番外でも完走して体力を試したかったが、子分の我々は翁の言に従うしかなかった。

  バス停へのアスファルト道は翁が先頭である。その足取りは1週間前のように極めて軽快である。後ろで70老に言った。「こんな調子で歩いてくれていたら間に合ったのに」。そこで私が翁に声を掛けた。「Wさん早いですねぇ〜」と。そしたら翁の言う事が揮っていた。「先頭を歩くとこの調子で歩けるのだなぁ〜」。バス停には「臨時バス」が我々落伍者を待っていた。

注1:今熊スタート地点〜陣馬高原下バス停の距離・・   21.5Km

注2:腰の万歩計の示したドア・ツー・ドアの歩数・・   35,900

 

 

  発言番号:643(642へのコメント)

    発言者 :巌  隆吉

    題名  :「八王子八峰登山」挑戦記

    登録日時:99/05/16 15:50

 

 一日32.5kの登山とは凄いコースですね。かねがねその為にトレーニングをつんでいた深沢さんにとって、途中で時間の制限にひっかるとは大変残念だったでしょう。でも70〜80翁の皆さんが山道を21.5kも相当なスピードで歩くとは素晴らしいことだなと感心しています。

  これからの山道は80翁にとりましてもまた、深沢さんもあまり無理をしないことが肝要ではないかなと痛感しています。

  明日の53次は平地で極めて楽なコースで深沢さんにとって、さぞや物足りないとは思いますが、出来るだけ沢山見て来てください。

 

 

  発言番号:644(642へのコメント)

    発言者 :青野 淳美 

    題名  :「八王子八峰登山」挑戦記

    登録日時:99/05/16 15:50

 

 正月の「利尻岳」に始まり、この間の「ニュージランド」バスの旅に続く「八王子八峰登山」を拝読し、その行動範囲の広さと、その中味の濃さを掛け合わせた行動力に、ただただ感嘆あるのみです。17日は、ゴールに向かって、ひたすら53次の旅を満たされる由、何れ「DOCOKAIが往く」の頁を飾るであろうその記事を楽しみにしております。

  18日の朝日新聞「声」蘭に「夫と旧東海道3年かけ踏破」を読んで

 

 

 [5]生藤山

 

 

  発言番号:628

    発言者 :松本 喜一

    題名  :生藤山(ショウトウザン)に登る

    登録日時:99/04/18 18:59

 

目的地          生藤山(990.6m

日時            99417日(土)

集合            中央線 高尾駅 下りホーム 740

歩行時間        5時間

交通機関 往路   高尾発7:47→上野原着8:08→上野原発8:28→富士急バス石        楯神社前8:49

      復路   陣馬高原下15:30→西東京バス八王子16:30

 

  今年はどうゆう訳か週末の天気が悪く、ハイキング計画も2度3度と中止となった。今回もまた駄目かと諦らめて居た所前日になり天気予報が良い方に変わり、久しぶりの晴天となった。

 上野原駅に着いたら、大変な人出でバス1台では間に合わず、急遽増発便を出してくれた。ほとんどの人は我々と同じく「生藤山」の登山客である。1台目のバスにかろうじて乗車、石楯神社前にて下車立錐の余地なく乗った乗客を降ろすのも結構時間がかかる。われわれグループ10人が最後に降りたら、臨時増発バスがすでに着いていて乗客を降して引き返した所であった。ゆったりと2台目のバスに乗った方が結果オーライ、「せいては事を仕損じる」とはのことかと反省する。

  石楯神社の裏手の車道を歩き始める、道端にタンポポが2〜3輪咲いている、気を付けて良く見ると、今時珍しい日本タンポポである。やがて山道となり、土手にはエイザンスミレ、ヒゴスミレが彼方此方に小さな花を咲かせてわれわれ登山者を迎えてくれる。杉の美林の中、山腹をジグザグ登る視界の開けた所に実に見事に咲いている「ミツバツツジ」を発見しばし見とれる。更に進

むとあちこちに満開の「ミツバツツジ」が散見される。それほど急な登りもなく気分の良い尾根歩きである。

 右側に生藤山の山頂から陣馬への尾根が望まれる。やがてベンチある小さな平地に出る。甘草水(931m)である。サクラが20〜30本程度であるが思いも掛けず満開である、富士山を遠くに眺めながら昼食に入る。

 山道も徐々に急になり、三国山に登る。三国山は文字通り3国の境の突起で、東京都の設置した「関東ふれあいの道−富士の道」の大きな案内板が立っている。

  ここから登り下りを繰り返し990mの生藤山の山頂に辿り着く。小さなベンチが置かれたあまり広くない山頂から、奥多摩方面の展望がある。茅丸を経てコナラなどの広葉樹の幅広い尾根を歩き、斜面にカタクリの自生地をしばらく観察、連行峠に出る。醍醐丸(887)を経て高岩山を越え和田峠に出る。和田峠から舗装された車道を下って、陣馬高原下バス停から八王子に向かう。

  歩数計24,900歩であった、久し振りの山歩きを満喫した。

 

 

[6]西沢渓谷

 

 

  発言番号:811

    発言者  :深澤龍一

    題名    :紅葉狩りにはチト早かった「西沢渓谷」を往く

    登録日時:99/10/27 11:11

 

(コースのタイム)9:20 塩山発=10:20 西沢渓谷入口着〜10:30 出発〜11:50 カエル岩着(昼食)〜12:40 発〜13:15西沢渓谷終点着〜14:30 ねとり橋着〜15:00 西沢渓谷入口(バス停)15:05発〜15:40塩山駅前着

 

  「紅葉狩り」との触れ込みで去る23日土曜日、7時40分八王子駅4番ホームに集った信託OB会のメンバーは総勢21人、「やや健脚向き」とあってか、同僚の松本・太田両氏の姿は見当たらなかった。

  好天に恵まれた週末とあって臨時バスも運行され、終点に着いたら駐車場には観光バスが沢山停車して、土産物屋の辺りはハイカーでごった返していた 一昨年「国師岳」〜「金峰山」に行った時に「西沢渓谷入口」の案内板が目に付いて、その時から来るのを楽しみにしていた

  その「国師岳」を源流として東に流れるのがここ「西沢渓谷」で、一方東の「甲武信岳」を源流として南に流れる「東沢渓谷」とが二股で合流して「ねとり川」と呼ばれ やがて「笛吹川」となって甲府盆地を潤して流れる

  舗装されたアスファルト路を「ねとり川」を見下ろしながら溯って行くと1Km程で「復路」との分岐点に至る 此処からが山道になって急に道幅は狭くなり渓谷歩きとなる。更に1Kmばかり行くと、「がけ崩れで危険だから東沢渓谷へは通行禁止」の立て札が立て、小橋を渡ると荒れ果てた東沢渓谷への道が通じていた。

  暑かった今年は、楓の葉は未だ青々としていてトテモじゃないが「紅葉」どころではないが この辺り既に標高は1000M近くあって流石に気温は10度一寸しかなくて好天でも山間で汗を掻く事もない

  更に2キロ近く歩くと、下を流れる渓谷の所々に美しい滝が見え隠れして素晴らしい渓谷美が繰り展げられる。滝壷の水のコバルト・ブルーが目に染みる 狭い道を人の列が続くのでなかなかデシカメのシャッターを切る機会が無い。(2〜3枚を「写真館」に入れておきましたからご覧ください。)歩きながら私は、ふるさと京都の紅葉の名所の一つ、洛西は「清滝」〜「嵐山」にかけての散策路を思い出していた。

  この渓谷歩きのコースは道幅が狭いので一方通行 観光客は渓谷を溯って「終点」に至り、流れの反対側の少し高い「軌道跡」の道を通ってバス停に戻るように決められている 人出も多かったので適当な河原で昼食休憩。思い思いの場所に陣取って弁当を広げる じっとしていると寒くてセーターを引張り出して羽織る人も多かった。

  記念撮影をして出発進行。道幅は狭く急な登りになって山側は所々鎖も張られて濡れた岩肌は滑り易く、「転落事故あり、要注意」の看板を見て皆慎重に歩を運ぶ。

  やがて終点近く、人の列が滞っていると思ったら、渓谷に架る長さ約10Mの「方杖橋」は木の橋だが、朽ちて「一人づつ渡れ!」と注意書きがあった。紅葉の頃はさぞ奇麗だろうなと橋の上から暫し川下を眺めていもと、やがて楓の林の向こうに滝が見えた。「七つ釜五段の滝」と名付けられたこの滝は落差はそれほどでもないが、幅員は広狭色々あってなかなか見事な景観、この渓谷随一の景色を見せてくれた。

  この後階段状の道を上りきった所が「西沢渓谷終点」。この最後の急登は足の弱い人には少々応えたようだ。

  此処で一息いれた後は昔のトロッコ電車の軌道に沿って出発点の「ねとり橋」に戻る。途中木の間から「甲武信岳」が左に「鶏冠山」を従えて我々を見送ってれた。

  このトロッコはここ「三富村」と「塩山駅」を結ぶ三塩軌道と称し、昭和8年から43年まで主に東沢・西沢一体の国有林の木材搬出に活躍したもので、前長36Kmの距離を自然勾配を利用して下りはブレーキだけで塩山駅迄下り、登りは馬で2台づつ引き上げていたが、戦後は塩山から20Kmまではディーゼル機関車で6〜8台を運んで、最後の16Kmを馬に頼っていたそうである。かつてはこの奥「黒金山」の銅や「鶏冠山」の硅石運搬として最後まで活躍したが、昭和43年にその歴史を閉じたという。

                                                     The End

ご注意:11月15日〜来年4月28日迄は、遊歩道の改修工事の為に観光客は「方杖橋」の可成り手前までの「往復コース」になります。〆

 

 

(2) 丹沢

 

 [1]シダンゴ山

 

 

  発言番号:D45

    発言者 :松本 喜一

    題名 :丹沢と富士の展望台シタンゴ山ハイキング

    登録日時: 96/11/13 17:49

 

1.日時        96年11月10日(日)

2.集合場所・時間  小田急新松田駅改札口前 午前9時40分

3.コース      新松田駅=寄(富士急バス30分)・・水場・・・シダンゴ山(758m)        ・・林道・・・宮地入口・・・宮地山・・・

4.歩行時間    3時間(所要時間4時間)

 

  富士急バス終点の寄(ヤドリギ)に下車、先ず一番に素晴らしい紅葉が我々を迎えてくれる。真っ赤なハゼ、真黄のイチョウ、橙色の桜がまるで私達の二十数名のグループを歓迎している様に思えた。

注1.寄(ヤドリギ)とは、丹沢を源とする清流と豊かな緑にかこまれた七つの村が寄り集まり、一村となったことから寄村となり、昭和30年に松田町と合併し現在に至っている。

  早速身仕度を整え出発する、大寺の集落を抜けると鹿除けの柵が有り、柵を開けて登山道に入り山頂を目指す。

  今日の山歩きは天気は上々風もなく暖かい。とうとうと水の吹き出た手洗場を過ぎると本格的な山道となる。この手洗場の水は飲料には適さない。冷たく美味しそうにみえる水だが、人の多く入る低山の水は要注意と言うことだ。

  水場から本格的な山道となり、それでも40分ほどの上りで三百六十度の展望のシダンゴ山の山頂に着いた。天候の良い日曜日とあって、山頂はにぎやかである。

注2.シダンゴ山の由来シダンゴ(ウ)は古来震旦郷と書く、震旦とは中国の旧異称である。一説に欽銘天皇の代、仏教を寄の地に伝える仙人があり大寺の地、この山上に居住し仏教を宣揚したという。

 当時箱根明神岳や丹沢の尊仏山(塔ノ岳)にも同様の仙人がおり盛んに往来した。この仙人をシタンゴと呼んだことから地名が起こったといわれ、シタンゴンとは梵語で羅漢(仏教の修行を積みさとりに達した人)を意味しシダンゴ転じてシダンゴウ(震旦郷)ということになったという。

  今日は、気温が高いので靄が立ちこめ、残念ながら富士と丹沢の前衛の山々が眺望することができない。近くの山の紅葉を眺めながら昼食をとる。食事をすませから下山開始。

  秦野峠への分岐まで急降し宮地山方面へと歩を進める。山腹を行く道で、高低差少なく歩きやすい初夏には草花が見られるコースだが、晩秋の今は見られないのは残念である。しかし、よく気を付けてみるとリンドウアザミが日当たりの良い所に限ってひっそりと健気にも花を咲かせている。

  宮地山の入り口までのんびり歩き、入り口から宮地山の山頂まで15分程の上りで着く。宮地山は周囲を木立に囲まれて展望はないが、静かで山上庭園の趣がある。

  宮地山から大寺集落への道を行く。明るい雑木林を抜けると鹿除けの柵が有り、扉を開閉して通り抜けると茶畑にでる。真っ青の奇麗に刈り込んだ茶畑の奥に赤く紅葉した柿の大木が眞黄の実をたわわに付けた眺めはなんとも言えない。

  茶畑添いの道をでて、車道を下って朝バスを降りた寄自然休養村センター前の寄バス停に無事にたどりついた。

 

 

 [2]桧洞丸

 

 

  発言番号:292

    発言者 :深澤 龍一

    題名  : 山歩きの記録(その9)「桧洞丸」

    登録日時:98/05/22 18:49

 

 (コースのタイム)8.10.新松田発「富士急行バス」〜9.20.「西丹沢自然教室」着。9.30.スタート。10.30.「ゴーラ沢出合」〜12.15.急坂をへて「展望台地」(昼食)〜12.50.出発。14.201600Mピーク。16.40.発。15.15.「ゴーラ沢出合」〜15.55.「西丹沢自然教室」バス停着。16.10.発車。17.15.「新松田駅」着。

 

  久し振りの「山歩きの記録」です。前回から山とすっかりご無沙汰した訳ではないが、お知らせするような山には行かなかったか2度目3度目と同じ山を歩いていた。

  夏山が近付いてそろそろ「足の訓練」をと、昨日は例の「町田おいらく」の仲間達と丹沢の奥にある「桧洞丸」に登った。

  通常「丹沢」の主脈は「ヤビツ峠」(標高761.0M)から「二の塔」〜「三の塔」(1205.2M)を経て「鳥尾山」(1136.0M)〜「新大日岳」〜「塔の岳」(1490.9M)〜「丹沢山」(1567.1)〜「蛭ヶ岳」(1672.7)そして「桧洞丸」(1551.0M)〜「大室山」(1587.6)と続いており、今回の「桧洞丸」はかなり奥に位置する。

  此処を直接攻撃するには小田急線の「新松田」から富士急行バスで1時間10分乗った終点「西丹沢自然教室」から中川にそって「関東ふれあいの道」を少し歩くと、右側に立派な「道標」が目に入る。後はこの道標に従って登ればいい。神奈川県が整備してくれているので誰でも迷うことはない。

  ぐづぐづした天気が続いていたが、この日は久しぶりに晴れて、深山らしい冷気を肌に感じながらの緩やかな登りが続く。小一時間も歩くとやがて視界が開けて「ゴーラ沢出合」、透き通った山間の清流が素晴らしくせせらぎに憩う登山者の姿が多い。大半は相変わらず中年の「女性軍団」である。我々老年の「爺々組」はきっちりと30分に5分の休憩を挟みながらの行軍だ。沢を渡ると「つつじ新道」と名付けられた急登に入る。ウグイスやヤマガラの囀りを耳にしながらジグザグ道が続く。ここは知る人ぞ知る「つつじ」の名所だそうで、この日も花を訪ねて訪る中年女性や、三脚を担いだ初老のカメラ・マンの姿を多く見掛けたが、何時かも権藤さんがおっしゃった様に、今年は何処も花の咲く時期が例年より早くて シロヤシオ」(五葉躑躅)は既に花を落し、「ミツバツツジ」(三葉躑躅)も盛りを過ぎていた。この辺りの躑躅は先日太田さんにご案内頂いた「舘林」のそれを思い出すほどに大きな木だったが、「舘林」と違うのは現在若木を育てている様子は無く、全くの「野生」である。

  休憩で抜かれて、又追い付いた女性3人組が「抜きつ抜かれつですねぇ」と声を掛けてくる。このリーダーのいでたちは「ショートパンツ」だ。「怪我をしなさるなよ!」と声を返す。

  頂上の近くには「バイケイソウ」の群落があって、その保護のために300Mに亙って「木道」が引かれていた。夏から秋にかけての花の時期はさぞや見事だろうと想像する。

  この「ピーク」(標高1600M)には気象観測の電源となる「ソーラーパネル」が設置されていた。最近は自然環境の荒廃が進んで、ここでも「ブナ」の立ち枯れが多いので「大気観測」をしているのだという。

  「桧洞丸」はここから更に4〜500M程下った所であるが、何故か丹沢山塊で2番目のこのピークに「山」の名称は無かった。

  一昨年のおいらく山岳会の「夏山訓練」の際は、此処から「桧洞丸」を経て更に「大室山」方向に向って奥へと進み「熊笹の峰」(1523M)から「犬越路」〜「用木沢」に沿ってバス停へと戻ったが、途中で仲間の一人(67〜8才)が脱水症状を起して地元の青年に背負われて山を下り、救急車で近くの病院に運ばれた事を思い出した。時期は確か7月と記憶する。

  今回は「桧洞丸」を近くに見下ろしたまま、元来た道を引き返す。

  われわれのチーム4人の平均年齢は72歳、私 97/08/31 10:1が一番「若造」な事も今回判った。皆さんなかなかお元気である。お天気さえ許せば、このメンバーで来月初旬、昨年に続いて再度「八ヶ岳縦走」に挑む。

 

 

 [3]大山南稜

 

 

  発言番号:478

    発言者 :松本 喜一

    題名  :大山南稜ハイキング

    登録日時: 98/11/01 15:38

 

日時    平成10年10月31日(土)

集合    小田急伊勢原駅北口「大山ケーブル行」バス停前8時30分

行程  大山ケーブル下・(女坂経由)・・大山寺・・阿夫利(下社)・・蓑毛越・・浅間    山・・NTT中継所・・高取山・・善波峠・・東海大学前(小田急)

歩程  5時間30分      所要時間 7時間

地図     昭文社、山と高原地図「丹沢」

 

  伊勢原駅北口から大山ケーブル行きのバスに乗る、バスはしだいに山間部にはいって鈴川沿いにに登って行く。約30分で終点に着く、表参道を15分程歩きケーブル駅に着く。

  ここでケーブルを利用する組と(6分)、階段を登る組と(約1時間)に二手にわかれる。

  中腹の阿夫利神社下社までは、急坂で石段の多い男坂を敬遠、多少緩やかな女坂を選ぶ。大山寺を経て、茶店の前をとおり石段を上がりきったところに、阿夫利神社下社前に出る。社伝によれば創立は崇神天皇のときというから2200年ぐらい前のことになる。特に江戸時代は関東一円から講中(いまでいえば信者の団体)をつくって参拝が盛んだったらしい。同社の神楽舞は県の無形文化財となっている。

  森厳な環境の中にある社殿でお参りを終え、相模野の展望を楽しむが、残念ながら薄もやの為、展望が効かない。表尾根の稜線や、塔ノ岳がかすかに確認されるだけである。

  阿夫利神社下社の左手の道を尾根伝えに進む、なだらかな広い道を(狭い急騰や急降下もあるが)進む。蓑毛越、浅間山、NTT中継所を経て高取山の頂上にたどりつく、ここで昼食を取る。

  これからは上り下りを繰り返しながら徐々に麓へと向かう。雑木林や、杉林の道をくぐり抜けること2時間半、ようやく人家の見える見事なみかん畠の前に出る。それにしても、黄色に色ずいたみかんがたわわに成っている(枝が垂れ下らんばかりに)のを眼の前に見て嬉しくなってしまう。

 これからは平坦な舗装路を一路東海大学前駅を目指して歩く、駅に到着したのが調度4時、暖かい風のないおだやかなハイキングでした。

  今日の歩数計は29,300歩でした。

 

 

  発言番号:506(478へのコメント)

    発言者 :太田 

    題名  :大山南稜ハイキング

    登録日時:98/11/30  19:25

 

 大山と言えば、10年程前の「初日の出」を思い出します。

  常磐線、千代田線、小田急直通の初詣列車が発売され、私は一人で金町から乗り込みました。伊勢原駅からバス、ケ−ブルと繋いで、本殿の前に到着すると、既に初詣をを済ませた参詣客が境内に溢れんばかりに、「今か、今か」と初日の出を待っていました。

  やがて、東の空が白み始めたのですが、薄雲がかかっていて、初日の出と言うには、やや迫力が欠けていました。皆の期待が嘆息に変わって辺りを覆いました。

  帰途は又ケ−ブルを使ったのでは恥ずかしいので、男坂を歩いて降りることにしたのです。少し降りたところで、皮肉にも真っ赤な太陽が見えて来るではありませんか。

  歩いているうちに、身体がだんだん熱くなり、やがて流れるような汗になりました。真冬、しかも下り坂で汗を掻くなど、予想していませんでしたので、着替えやタオルがありません。ハンカチ位では間に合いませんでした。

  下山してから、茶店で湯豆腐などで温まりましたが、時既に遅く10数年振りの大風邪をひき、3−4日布団の中で苦しむことになりました。

  その後、出向先の部下で自衛隊OBのI氏に、小田急沿線の大山詣でと日帰り箱根温泉行きを度々誘われましたが、応じていないうちに、彼は4年前、60歳で肺癌により亡くなってしまったのは返す返すも残念だったと後悔しています。

  しかし、彼とは6年ほどの付合いのうちで日本国中30回位旅行していますので、其の点は申し訳が立つと思っています。

 

 

  発言番号:516

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :大山南稜ハイキング

    登録日時: 98/12/11 11:09 

 

  12月4日、先日私も大山は阿夫利神社「下社」を通った。東京に雪が降った翌日、町田の「おいらく山岳会」のお年寄のお供で「蓑毛」〜「蓑毛越」〜「下社」〜「見晴早v〜「日向薬師」と「関東触れ合いの道」を辿り、「蓑毛越」〜「下社」間だけが松本サンのルートと重なっているのを地図で確かめた。

  雪の翌日で樹林を歩く時、小雨かと思ったら木の葉に積った雪が解けて風で飛沫となっていた。その雪は時々落ちて首筋に入って冷たい事だった。でも、最初の急登の後はゆっくりした登りが下社まで続いておっしゃる通り年寄にも快適な山道でした。視界の開けた辺りから目に見える丹沢の山々は、薄い雪化粧で丁度粉砂糖を振り掛けたように見えてとても奇麗な風景が続いた。その日は冷えて「下社」の気温は1度、昼食後もじっとしているととても寒いので直ぐに出発したが、神社の脇では何処から持ってきたのか掻いた雪を一杯手押し車に積んでせっせと運んでいた。

  神社の階段下の茶店の脇から「ハイキング・コース」の道標に沿って左折、ここからはなかなか風情のある小径が続き、「観鳥地かながわ五十選」とか「樹林神奈川五十選・・もみの樹林」の案内板も見かけた。道も細くて所々は一方が急斜面で、崖の側には安全のために真新しい鎖が張られて結構な登山道が続いていた。

  9時に「秦野」を出発して、2時に「日向薬師」のバス停と、年寄には適当な山歩きでした。

  序でにもう一つ。この日が参加者が5人と少なかったので、「忘年会にならない」とぼやきながら、昨10日、再び「鎌倉駅」に集合した。今回は7人、80才台3名と後は全て70台の編成。但し前回と両方出席bのは私と85翁の二人だけ。

  バスで「大塔宮」に行き、「瑞泉寺」〜「天園」〜「大平山」〜「半僧坊」〜「建長寺」〜「北鎌倉」と「天園ハイキングコース」を辿る。80才台に合わせるのでペースはゆっくり。途中70才台だけで横道に外れ、167段の石段を登って苔生した「護長親王の墓」に詣でる。お馴染みの「錦屏山瑞泉寺」の境内にある大宅壮一の石碑の言葉「男の顔は履歴書である」を見ながら連中で顔を見合わせる。庭園の紅葉の前には大勢のカメラ愛好家が放列を敷いていた。この日も比較的気温は低かったが、好天に恵まれて途中大勢のハイカーに出合った。中に一人の元気なお年寄りが「80台ですか?」と声を掛けてきた。私は喜寿です。戦争には行きましたか?私は満州から北支、フィリピンと転戦し、最後はシベリヤに抑留されて23年に舞鶴に戻りましたよ」と、独りで喋って追い越して行った。半僧坊の手前「勝上嶮」で休憩の隙を突いて、この夏ポルトガルに出掛けた時に「話題」にした「従兄弟」の宅をあれ以来初めて訪れてみた。良い案配に 留守」でメモだけを置いて義理を果したと言う訳だ。

  この日の仲間は多少道草をしても私の足は彼等に直ぐに追い付き、建長寺を抜けて北鎌倉近くの料亭に辿り着いたのは2時過ぎだった。長老の中に元東京農大の植物学教授が建長寺境内の「ビャクシン」の大木に見入っていた。何でも寺の開祖蘭渓導師が中国から種を持ち帰って、創建の折に蒔いたそうだから、樹齢七百五十年に近い。(こんなことも松本サンの「園芸の楽しみ」のお陰で私でも関心を持つようになった)

  「大山」は20,300歩、「鎌倉」は21,000.歩。勿論ドアー・ツー・ドアーの万歩計の数字である。

 

 

 [4]丹沢山

 

 

  発言番号:660

    発言者:深澤 龍一

    題名:塩水橋〜丹沢山〜丹沢三ッ峰〜三叉路縦走記

    登録日時:99/05/31 11:44

 

(コースのタイム)6.40 JR橋本駅前発(タクシー〜 7.50「塩水橋」奥の林道〜 9.10 天王寺尾根・丹沢山・堂平分岐〜9.50 丹沢山頂〜 10.50 太礼ノ頭(通称「西峰」)〜11.10 円山木ノ頭(通称「中峰」)〜 11.40 本間ノ頭(通称「東峰」)・・・昼食・・・ 12.05 13.30金冷し〜14.20 御殿森ノ頭分岐〜15.00「三叉路」バス停〜15.06 15.40 小田急 本厚木」駅

 

  5月21日、何時もの町田おいらく老齢登山隊」は丹沢三ッ峰」の最短コースを目指す。JRの橋本駅からタクシーを雇って、中津川の奥地「塩水橋」まで入ろうと言う訳である。80翁が最も早く出られるJRに乗り、6時半過ぎに橋本に着く。約束の6時40分にタクシーは来たが、頭の剥げた如何にも頼りなさそうな運転手なので、「大丈夫かいな?」と一瞬不安がよぎる。「何処を通っていくの?」と聞いても、ハンドルを握りながら「今、考えております」と頼りない返事である。

  所がこの人以前は埼玉に居たのに、山が好きで伊勢原に引っ越して来て、今も時々は仲間と山を歩いているそうだ。道中、色々と山の話をしながら、車は徐々に高度を上げて宮が瀬「虹の大橋」を渡って、すれ違いも難しい曲りくねった狭い道路に入り、目指す「塩水橋」到着は7時30分。¥7,800.を払って車を降り、道端で身支度を整えている時、件の運転手が道路公団の人と交渉して、工事中で工事関係車以外通さない事になっている林道を走ってもっと奥まで行ってあげるとの事。之には驚き、且感謝した。再び荷物を積んで乗り込み、もう一度メーターを倒して更に奥へと進む。トラックターが道を遮断している所まで約20分走って 更に¥1,300.支払ったが、これは大いに助かった。然も「お気を付けていってらっしゃい!」と運転手は態々下車して我々に最敬礼をしてくれた。3年前に彼も登ったコースなので、「そういうお客さんを送った事は光栄です!!」と言うこの人の良い運転手さんは、にっこり笑った。「道の外れを右に入って下さい!」と。

  運転手の言葉通り、林道の外れを直角に曲ると早や「丹沢山」への登山道。最初から木段の急騰が続く。太い杉の林が続いて足元は「テンニンソウ」の群生地、「秋が来て花が咲いたら見事だろうな」と誰かが言った。堂平のブナ林を抜けて1時間で「天王寺尾根」に出る。既に高度は1300Mに近く、五葉のシロヤシオが、盛りを過ぎたとはいえ花を付けて見事だった。まさかこの花に会えるとは皆さん思っていなかったようだ。

  曇り空で暑くはなかったが、頂上近くになって少しガスがかかってきた。「後半降られるかもしれないなぁ〜」。新緑が美しい公園のような風景の中を暫く行くと、やがて「丹沢山頂」である。先頭を行く80翁は先日の 八王子八峰登山」の時とは打って変った快足ピッチだ。「僕のペースで歩けばこんなもんだ!」と彼は至極ご機嫌である。山頂には柏から車で来て、昨夜は麓のキャンプ場でテントを張り、今朝から登ってきたという4人組も追っ駆けやってきた。この人達は車だから又元来た道を引返さねばならない。お気の毒に!そんなの、つまんないよ!

  我々の当初の計画ではここで昼食の予定であったが、親切な運転手のお陰で予定より2時間も早く登頂したので、暫し山頂の気分を味わった後、先を急ぐ事とする。

  今回の山行は、皆さんが行った事のない私の為に計画しくれたようなものなので、私は日頃の毒舌を慎みながら慎重に歩を運ぶ。「これからは3ッの峰を越えて徐々に下降するだけですね」と僕。但し「長丁場だから侮ってはいけない」と仲間に忠告される。山頂を下る辺りは「バイケイソウ」の群落で、保護の為の木道が続く。鹿の被害を防ぐ為の植生林保護の金網が延々と続くブナ林である。緑が目に染みて将に公園。

  西峰〜中峰を過ぎて、山男達が「無名の峰」と渾名するピークを過ると程なく「東峰」、11時40分の到着は相変わらず予定より2時間も早い。「帰ったらタクシー会社に<<親切だった運転手>>のお礼を言っておこう」、食事をしながら今回の山行を企画した80翁が呟く。

  「御柱」になりそうな太い樅の林を抜けて「金冷し」を過ぎ、高畑山に向う辺りから痩せ尾根になって、運転手が言っていた通りの長い鎖場や、片方が断崖の細い道が暫く続くと、やがて「御殿森ノ頭」。もうゴールまでは僅かである。

  「バスの時間は何時だ!」、せっかちの私が今まで慎んでいた口を開く。「無理にピッチを上げるのは余り好きじゃない!」と80翁が抵抗する。先日の「八王子八峰登山」は彼のスロー・ペースのお陰で、エスケープ・ポイントに15分遅れて到着した事が頭を過ぎる。私の計算では1時間に1本のバスに間に合うかどうかギリギリの所。

  最後のジグザグを急下降すると急に視界が開けて、最近水を湛え始めた「宮が瀬ダム」(この湖の名は知らない)が目に飛び込んできた。先頭の翁の次を歩いていた私が声を掛ける。「バスは3時7分!」。そんな事など企画した翁は十分に承知の輔だ。バス停到着は3時2分。目出度しメデタシである。

  町田に戻って皆で「反省会」、今日のビールの味は格別であった。

 

 

(5)箱根・湘南

 

 

 [1]駒ヶ岳・神山

 

 

  発言番号:053

  発言者 :松本 喜一

      名:箱根駒ケ岳・神山ハイキング

    登録日時: 97/06/04 13:20

 

1.日                9761

2.集合場所 ・時間     JR小田原駅改札口 9:40

                        9:55 伊豆箱根鉄道バス「関所跡行」に乗車

3.行         

     小田原=50分=駒ヶ根登り口=ケーブルカー10分=駒ケ岳山頂(1327m)     ・・・65分神山(1438m・・・10分冠ケ岳(1412m)・・・40分大湧谷分岐・・・5     分早雲山分岐・・・50・・・早雲山=ケーブルカー10分=強羅駅=35分=箱根     湯本

          歩程時間2時間50  所要時間4時間

4.参          昭文社 山と高原地図「箱根」

 

  5月の下旬になって雨の多い日や曇り勝ちの日が続き、天気が心配でしたが、当日は幸い晴天に恵まれ一同勇躍バス・ケーブルカーに乗り次ぎ一気に駒ケ岳山頂に着いた。

  駒ケ岳は全山草原で展望がよく、富士山、外輪山の山並み、伊豆連山、そして駿河湾・丹沢山塊・・・と特に鏡のような芦ノ湖の眺めが素晴らしい。

  草原が白い綿帽子のようなものが見渡す限り点在している。何かと思い良く見るとタンポポであった、恐らく日本タンポポ(権藤さんの垂涎の的?)と思う。

  標高1327mまではさすがの西洋タンポポも侵入しないであろう。それにしてもこれ程の大群生のタンポポは初めてお目にかかった、満開の頃はさぞ素晴らしい事であろうと想像される、秋には濃い紫のハコネトリカブトが一面に咲く。

  駒ケ岳頂上から富士山の方向に向って下る、神山との按部まではウツギ、アセビ、サンショウバラなどの灌木の中を下り、下り切った所はヒメシャラやカエデが見られる広場で弁当を広げる恰好の場所である。

  食後たっぷり時間をとり、ここからまっすぐ神山めざして急な斜面をのぼる。ヒメシャラやアセビ・ブナの原生林が続く、途中、サラサドウダンの巨木あり、夏には釣り鐘状の花をいっぱいに咲かせ、見事だそうで残念ながら少し時期が早かったようである。

  神山の頂上には、一等三角点があるが、周囲は灌木に覆われ展望はない。展望がよいのは神山を少し下った冠ケ岳の山頂である。ここでイワカガミがひっそりと咲いているのに出会った。

  冠ケ岳から大湧谷へとむかう、灌木の中をゆるやかに下ってゆく、灌木の下で先程のイワカガミの大群生に出会う調度満開で見事なものである。ウグイスや四十雀の声を聴きながら誠に満たされた気分である。道は次第に急になり高木林を下ると、ここで幸運にもポーボウと鳴くミミズクかフクロウの声を耳にし一同大喜びをした。箱根の自然を満喫したハイキングでした。

 

 

 [2]金時山・箱根湯坂道(附:明神ヶ岳・芦ノ湖西岸)

 

 

  発言番号:652

    発言者:松本 喜一

      名:金時山登山後 湯坂路をハイキング

    登録日時:99/05/24 17:38

 

集合  5月22日 9時 小田急 新松田駅

コース  新松田 地蔵堂(バス)15分

        歩行22日地蔵堂→夕日の滝20分→猪鼻砦2時間→金時山(1213m)         50分→金時神社1時間50分→仙石→宮城野バス20分宮城野(泊り)       23日 宮城野→強羅20分→彫刻の森30分→ 千条の滝30分→浅間山       (804m)50分→ 湯本2時間

 

  22日23日と久し振りの好天に恵まれ、信託OB会主催のハイキングに出掛けた。お馴染みの太田氏、深沢氏もご一緒でした。

  地蔵堂で身支度を整え金時山を目指し出発する、ジグザグの登りは、右に左に富士山を眺めながらひたすら登る。急な坂道を滑り易いきつい上りで、所々に丸太の段がある。神山・駒ケ岳・芦ノ湖・仙石原方面の眺望が美しいとされているがその余裕も無く、潅木の多い山道を進む。

  はしご路12段の険しい路に差し掛かると、下山の団体さんに遭遇、渋滞を余儀なくされる。きつい山とされているが人気が高く、登山者が多いと聴いてたがまさにラッシュである。

  漸く苦労して、岩の多い急な道を上り切ると金時山に着く、ここで見る富士山はまさに絶景である。公時神社(正確にはこう書くようだ)をお参りして、金時登山口にたどり着く仙石からバスに乗り、宮城野に着いたのは、定刻を遥かにオーバー4時40分であった。(深沢氏は健脚向きの明神ケ岳、明星ケ岳コースに行きすでに到着していた)。

  翌23日は宮城野を8時40分出発、浅間山(802m)をめざし急な階段に最初に出会う、頂上に到着したのは11時、この間新緑がすばらしい、サクラの木が意外に多く、花の咲く頃はすばらしい、さらにもみじの木が多く秋の紅葉はまた素敵だろうと想像する。

  幅広い防火帯で、草原の多い楽しい道で展望も良い。浅間山からは、ほとんど下り一方で、右に箱根の山々、左に小田原方面を眺めながら、草花の多い山道を緩やかにくだる。鎌倉時代の旅人もかく歩いた思えるほど、昔のままの山道である。

  小田原大森氏の城址をへて、あとは石畳の急な下りがジグザグと続く。下りきると旭橋近くの国道に出る。右へすこし歩けばすぐ箱根湯本である、駅前の蕎麦屋での反省会のビールは格別であった。

 

 

  発言番号:654(652へのコメント)

    発言者:太田 

      名:金時山登山後 湯坂路をハイキング

    登録日時:99/05/27 15:53

 

 この度のハイキングでは、松本さんに大変お世話になりました。

 第1日目は第1組(健脚向き)9名、深澤さん参加、第2組(一般向き)19名、松本さんと私参加、第2日目は昨晩駆けつけた4名を加えて32名が、思い思いに10グル−プ以上に分かれて出発しました。深澤さんは独りで芦ノ湖西岸を南下し、松本さんと私は10名のグル−プに参加しました。

 松本さんは、他に名目上のリ−ダ−がいるにも拘わらず、皆に要望されて終始先頭を歩いたのは流石でした。矢張り参加者の気持や実力を承知しているからでしょうか。

 深澤さんの健脚ぶりも相変わらずで、年齢を加味して比較すると参加者中随一は間違いないようでした。

 

 

  発言番号:657(652へのコメント)

    発言者:深澤 龍一

      名:金時山登山後 湯坂路をハイキング

    登録日時:99/05/29 16:29 

 

明神ヶ岳・明星ヶ岳登山後  芦ノ湖西岸をハイキング

  松本さんや太田さんと一緒に「新松田駅」に集合。3人の内何故か私だけが「除け者」の第一組である。

 タイム・テーブル  9.30新松田発〜9.50道了尊〜10.40見晴茶屋跡〜11.10神明水〜12.30明神ヶ岳(昼食)〜13.25発〜14.00宮城野分岐〜15.00明星ヶ岳〜16.05宮城野寮

 

  「箱根寮1泊ハイキングのご案内」には、

@コース  明神ヶ岳・明星ヶ岳(歩行4時間30分  やや健脚向き)、?Aコース  金時山  (歩行3時間40分)とあった。金時山は案外きついので、なだらかな明神・明星を選ぶ。

  「健脚組」は夫婦2組を含む計9名。新松田からタクシーに分乗して時間を稼ぐ。バスだと途中「関本」で乗り換えねばならないから・・・

  運転手は「最乗寺」の境内まで入ってくれたので、更に時間が節約できた。此処曹洞宗「大雄山最乗寺」には今回始めて来たが、広大な伽藍を擁した山懐に囲まれたなかなか立派なお寺なのに、独り感嘆の声を上げる。(何時かゆっくり来よう!)

  伽藍の山門を出た所からハイキングコースに通じて、大きな杉の林の中を最初から階段状の急登が続く。幸い陽が照っていないだけ助かった。

  途中自動車道を2度クロスする。「ここまで来るまで入れるのか」と誰かの声がする。

  高度600M辺りからは、なだらかなハイキング道になって草原を行く感じ、暑くも無くとても快適である。土曜日とてハイカーが多い。

  途中の「神明水」や「明神水」ではハイカーの皆さんは、「余り冷たくないが・・」と言いながら流れる水を飲んでいたが、我々のリーダーは「ここの水は腹を壊すから止した方が良い」とのご忠告である。

  このコースは神山などの箱根の山並みが邪魔をしてか「富士」の姿にはついぞお目に掛からなかった様な気がする。

  明神ヶ岳の頂上は風がとてもきつくて、少し風を避けた「雨量測候所」の脇に皆で固まって弁当を広げる。

  皆さんが私の脚力を褒めてくれる。「僕がその年になったらとても歩けそうに無いです」と言う。「車に乗るのを止めなさい!」と答える。9人の内で年の順では、私の昭和3年生まれを筆頭に7年、10年生まれの年長者の方が良く歩いて強そうな感じである。

  記念写真を済ませて、「明星ヶ岳」への下りはなだらかなアップダウンを繰り返した後、頂上に着く。余り見晴しは良くない。

  ここからの下りは、再び可成り段差の多い長丁場である。後半ともあって夫婦連れと単身者との脚力の差が出て来て、脚の強い組はしばしば停止して調整を図る。グクーッと急降下した所が自動車道路、見慣れた景色にお目に掛かって箱根の寮はもうすぐ傍だ。

  建物の前に、「宿泊のみの組」の一人が「今着いた所だ」と鉢合わせ。松本さん等の組はまだ到着しない。一足お先に一風呂浴びる。

  夕食の時、偶々太田さん等3人向かい合せになったので、2人を口説いて明日は私を仲間外れにしないという事で話を付ける。

  翌朝、「やっぱり君とは嫌だ!」と二人は夜中に共謀したらしい。

  「健脚組」の先程の3人は夫々に独り歩き。「昭和7年氏」は神山に登ると言い、そして「10年氏」は「少し太股が痛いから<<湿生花園>>を見て帰る」という。仕方無く独りで「芦ノ湖西岸」を往く事になった次第。

 

タイム・テーブル  8.50 宮城野バス停発〜9.30「湖尻バスターミナル」発〜9.40「湖尻水門」〜9.50「深良水門」を通過し 10.40小休止〜11.55「箱根町バス停」〜12.10発〜13.15小田原着。

 

  湖尻からこの散策路への入口を見付けるのに少し手間取ったが、有料駐車場の裏から湖岸に道が延びていた。キャンプ場を過ぎると程なく湖尻水門、釣り客が大勢糸を垂れていた。水門を渡って15分歩くとそこが「深良水門 、4代将軍家綱の時代に旱害に苦しむ農民の為に、芦ノ湖の水を引きたいと寛文6年に湖尻峠の下にトンネルを掘り始め、10年の歳月を掛けて1280Mのトンネルを貫通した。爾来300有余年、灌漑・飲み水・防火用水として利用され、今も豊富な水が可成の勢いで流れ出していた。

  日曜日だというのに殆ど人に会わず、幅員3〜4Mの砂利道を南に下る。木の間からは湖面が見え隠れして、ウグイスの声を聞きながら誠に静かで結構な散策道である。向うから来た母子連れが湖の開けた景観のいい所でカメラを構えていたので、申し出てシャッターを切ってあげる。

  対岸の箱根園が見える辺りから道は急に狭くなって起伏も少し出てくる。それでも高い所で湖面から50M程度、年輪を重ねた杉林は飽く迄静寂そのものである。既に10時を廻って、そろそろ箱根町方向から二人連れが時々こちらに歩いてくる。森林浴を楽しむ連中だろう。湖岸に寄せる波の音と、水面を滑るモーターボートの響きだけが小鳥の声に混じって聞こえてくる。ベンチなどは全くなかったが、適当な石を見付けて腰を下ろして暫し一休みだ。

  「箒の鼻」の辺りからは向うの駒ヶ岳がその全容を見せる。箱根神社の対岸辺りからは舗装道路となって、やがて又釣り客が竿を担いでやってくる。

  「湖尻」〜「箱根町」までの所用時間は休憩を入れて2時間25分、寮で貰ったハイキングの案内図に記された所用時間の3時間20分より大分早い。自分のペースで思い通りに歩いたのは久し振り、快適な疲れが心地良かった。今朝出掛けに松本さんが「4時間は掛る」と言った言葉が思い出された。

 

 

 [3]十国峠

 

 

  発言番号:589

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :山歩きの記録(湯河原〜十国峠〜来宮)

    登録日時:99/03/02 16:40

 

 「会議室」開闢以来の活況を見せた権藤さんの「文化服装論」の後では、うだつの上がらない事夥しいが、これは去る2月18日、「町田おいらく」の仲間達と訪ねた山行の記録です。

  9時半「湯河原」駅に集合。「奥湯河原行」のバスで温泉の手前「落合橋」で下車。橋を渡ると「十国峠・日金山ハイキング・コース」の案内板を左手に見て、良く舗装されたなだらかな坂道を西に歩く。町田に比べて流石に暖かく予報では午後から天気が変ると言う事であったが春を思わせる青空である。

  ここは真言宗「日金山東光寺」への表参道で、1丁毎に「丁仏」が建って、42丁迄続くと言う。20丁目からは「右日金登山口」の矢印に従って、舗装道路と別れて山道に入る。鬱蒼とした桧林の中を木段状の苔生した坂が続いて、流石にひんやりとしてくる。

  人一人通らない幅1米足らずのこの小道は、静かで緑深くなかなか風情がある。途中林道とクロスした後、道は急登となってやがて尾根道に出る。ここは「湯河原分岐」、傍らの石には「右 熱海 伊豆山道・左 湯河原温泉 」と刻まれていた。そして傍らb烽一つの標識には「左 岩戸山・2.6K、右 十国頂上1.4K」とある。我々はここを右折して爪先上がりのなだらかな道を暫らく行くと、間もなく「東光寺」の境内に入る。

  この寺は応神2年(271年)伊豆山の浜辺に、光る不思議な鏡が現れてやがて西の峰に飛んでいったそうで、その様子が日輪の様で峰が日を吹き上げるように見えたので、日の峰と呼ばれ、やがて日金山と呼ぶようになったと言う。そして、その翌々年の応神4年(273年)、松葉仙人が小さな祠を建てたのが開山の始めと伝えられるからなかなか古いお寺と感心する。

  更に奥に進むと、通称「賽の河原」と呼ばれる道端にお地蔵さんを沢山祀った所が何ヶ所も続いて、やがて視界がパーッと開ける。

  ここがご存知「十国峠」、又の名を「日金山」という。我々は山歩きのベテランの集団乍ら、こんなルートを知っていた人は企画したKさんを除いて誰も居なかった。頂上には源  実朝の歌碑もあって、「箱根路を  我が越えくれば  伊豆の海や  沖の小島に  波の寄る見ゆ」と刻んであった。実朝も何度かこの峠を訪れたのであろう。何しろ十国・五島(伊豆)が遠望できるのだから・・・。

  生憎、この日は「午後から寒冷前線が南下してくる」との予報が当たって、冷たい風がひどく帽子さえ飛ばされそうな天気で、視界不良。周囲は霞んで誠に残念至極てあった。少し向うにはケーブルカーの頂上駅も見えて人影もあったが、こちらまで足を延ばす人は誰一人居なかった。

  寒い上に黒い雲が厚くかかって急に暗くなってきたので、急いで元来た道を引き返す事にした。

  程なくポツリポツリとやってきた雨はやがて激しくなったので、急いでレイン・ウェアーを着込んで先を急ぐ。当初は「岩戸山」から「伊豆山神社」を経て「伊豆山温泉」に出る筈であったか、この雨ではと予定を変更して「石仏の路」を一路下山する。

  急坂を下りるとそこは「熱海市来宮」。「MOA美術館1.5K」の矢印が何故か懐かしかった。

  この「表参道」は是非もう一度来て、そしてもう一度是非「十国峠」の眺望をこの目で確かめたいとその時は痛感したものである。

 

 

  [4]湯河原

 

 

  発言番号:D55

    発言者 :松本 喜一

    題名 :湯河原のミカン畑をぬって岩戸山に登る。

    登録日時: 97/02/16 10:06

 

○集合   97年2月11日 午前6時30分

○コース 阿佐ヶ谷=湯河原=千歳橋・・漆が窪配水池・・七尾峠・・七尾原

         ・・岩戸山・・東光寺・・日金山登山口・・日金の湯=阿佐ヶ谷

○工程   約12Km  4時間半

 

 毎日寒い日が続きますが皆様お元気でいらっしゃいますか?節分も過ぎ啓蟄ももうすぐです。一足先に春を訪ねて富士山・相模湾を一望する、日だまりの山岩戸山(734、3m)に登ってきました。

 阿佐ヶ谷を6時45分にバスにて出発途中順調に渋滞にも会わず、湯河原千歳橋に丁度2時間8時45分に到着した。入念に準備体操をして登山用の軽装に服装を整えいよいよ登山にはいる。

 千歳川の川辺で梅が満開、驚いたことに緋寒櫻が真紅の花を咲かせ我々を迎えてくれる。千歳橋を渡ると検問所で、その脇がから潮音寺の参道ともう一本尾根の橋にあたる舗装された坂道がある。この道が岩戸山へのハイキングコースである、ミカン畑の作業車の道でかなり急坂である。登るにつれ振り返ると真鶴半島や湯河原の街が眼下に広がり、箱庭のようである。

 標高200mの表示のあるある先で4体の石仏見返り地蔵に会う。ミカンのたわわになっている畑の登りが続き、それが切れる頃舗装道路も終わり、右手にNHKの反射塔が見える。ここからの眺めが良い。箱根の山並み、城山・幕山の好場所である。

 赤松・檜の灌木の多い道に入ってすぐに漆が窪配水池にぶつかる。岩戸山へは配水池を左に見て右へと登る。道がゆるくなり舗装された県道に出たら右へ少し登って七尾峠、さらに広い山道を登ると七尾原に出る。

 道は高圧線に沿う登りで、次第に灌木の中へ入り展望がなくなる。高圧線を右に左にくぐった先で小さな分岐に出る。右へ入ると岩戸観音を通じ岩戸山の頂上に出られるがかなり急なので、左のコースをとる。ジグザグと灌木の中を登り鉄塔脇を抜けると岩戸山(734m)の山頂だ。(海抜0mからの登山で思ったより手応えが会った)富士山はもちろん、十国峠から、伊豆半島、熱海の街から大海原まで一望できる好望地である。 岩戸山山頂でのんびりと展望を楽しみながら昼食をとる。

 下りは、左手の道に入って日金山東光寺に向かう。ササやカヤトの中につけられた道を緩やかに辿っていくと日金山東光寺の境内に入る。東光寺は中世から死者の霊の集まる山と言われ、この地方の地蔵信仰のメッカとして栄えたと伝えられている。登山の安全を祈り一気に日金の湯まで降りる。此処で一風呂浴び汗をながす、生ビールのうまさは又格別である。

 湯河原の街をバスの車窓から眺めながら帰路につく、しだれ梅と椿寺の入り口の淡いピンクの椿が見事に咲いているのが印象的であった。

 

 

 [5]番場ヶ谷

 

 

  発言番号:191

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :道無き路の山歩き・・(ボンゼン山と)番場ヶ谷

    登録日時: 97/12/30 19:40

 

 「番場ヶ谷」(ばんばがやつ)  ・・・「ボンゼン山」から5日の後に鎌倉のここ「番場ヶ谷」にやって来た。矢張り町田おいらくのメンバーだが、ここも鎌倉の住人すら知らない人も多い地図には余り載っていない「穴場」だそうで、春の桜と冬の紅葉が美しいと言う。今日のリーダーも又84歳の元東京農業大学教授で、我々はこの人だけを「XX先生」と呼ぶ。植物に詳しいので少し足がお悪いこともあって、時々立ち止まっては草花の講義が始まる。紅葉の見頃は通常12月の上〜中旬だそうなので24日では少し遅すぎたが、足元に落ちた楓の葉は未だ新鮮な紅色をしていた。

  ここは鎌倉駅からバスで「十二社神社」で下車し、駐車場の脇から北に入り、「御坊橋」を渡って川沿いの道を歩く。途中「天園・大平山」への矢印があるが、これを無視して直進するとやがて沢沿いの小道に入る。殆ど人が通らない昼尚暗い道すら定かでないところを北に進む。目当ては「沢沿い と言う事だ。鎌倉霊園の直ぐ脇を歩いているのだが、そんな開けた感じは全く無くて、高さ10Mを越える木々が林立する。この霊園は戦時中に造られたそうだが、先生の曰くには、それまではもっと素敵な「大自然」だったと。(但し夏はハチやマムシが多いから避けた方が良いとは先生のお達しで雨上がりでもあったが、道がぬかるんだり足場も良くないので行かれる方は「足元」をしっかり固めておく必要がある)

  沢の水の涸れた所から「急登」すると「天園ハイキング・コース」に出る。休憩所で昼食の後は、金沢文庫への矢印の道を行く。「円海山・大丸山周辺緑地」と名付けられたこの尾根筋は、「ヤマザクラ」や「オオシマザクラ」が多くて、4月中〜下旬が見頃だそうだ。階段を一登りした所が「大丸山」(標高156M)で横浜市の最高点である。

  「ひょうたん池」と「瀬上池」を経て「港南台」のバス停に出た。

  今回の山歩きは、段々お誘いのかからなくなった両84歳翁からのお誘いで、それはそれで手軽で楽しい山歩きではあった。