4.横浜、横須賀、上信越の旅

 

 

  発言番号:00009/

    発言者  :樋口三男

   題名    :赤い靴

    登録日時:96/11/15  21:11

 

 赤い靴 はいていた 女の子 異人さんにつれられて行つちやつた

 横浜の 埠頭から 船にのつて 異人さんにつれられて 行つちゃつた

 母が娘に、その娘が母となり、その子に、伝承的に唄われている歌の一つに「赤い靴」がある。大正10年 野口雨情作、本居長世曲のこの歌を誰れ一人として知らないものがいないぐらい、広く歌われ、哀愁とロマンをかんじさせる。

  この歌を記念した立像が、横浜駅の東口と西口をつなぐ連絡通路に、ひつそりと立てられているのを、偶然にもみつけた。人の目には、余り、触れず、若い人達の待ち合い指定場所となつている様にみうけられる。丁度、八重洲口の「銀の鈴」みたいに。

 ブラッセルグランプラスの近くの「小便子憎」の立像の前には、多くの人達が群れをなして眺めているのとは、一寸、趣が違う様な気がする。

 「赤い靴」は、この「小便子憎」及びコペンハーゲンの「人魚姫」とともに、子供達に夢と希望を与え、永遠の小さな恋人、世界のメルヘンの像とされている。

  美しい横浜の情景に魅せられて、この歌を詠み、人々の想い出をおこし、今につがれている。大衆の心として、形にとどめ、在りし日の郷愁そして青少年には、夢と希望を願い、85・4・11「赤い靴を愛する市民の会」により、設立された。歌は、まだ続く

 

            今では 青い目になつちゃつて

            異人さんのお国にいるんだろう

            赤い靴みるたびに  考える

            異人さん 逢うたび  考える

 

 

  発言番号:0047

    発言者  :樋口 三男

    題名    :横浜散策

    登録日時::96/12/11   15:51

 

  私は、横浜市磯子区洋光台に20数年住み、3年前から、金沢区八景島の海の公園の 近くにひき越しましたが、現在も、洋光台地区の老人クラブー光友クラブーの特別会員 として、其の地区の活動に参加しております>

  磯子地区の老人クラブ数95、会員数6834人ー男子2384、女子4450人ーその中の洋光台支部は、クラブ数13、会員数781人ー男子266人、女子515人ーで、私の属しておりますクラブの会員数は、60人ー男子24人、女子36人ーー平成7年5月現在ーーで、其の 活動の一つに「歩け歩け運動」があります。運動条件として、

 1.月1回             4.出来れば史跡探索も

  2.日帰り出来る場所   5.交通費、弁当 自己負担

  3.会報掲載

 私は、支障の無い限り、参加しておりますが、気付かなかつた事、知らなかつた憩いの場所が近くにある事、地理的風土と結びついた地誌的歴史への探求心も 満たしてくれる事にもなりました。

  これらの場所を「横浜散策」として纏めてみました。

 

1.横浜・鶴見地方

イ.コリア庭園「李朝朝鮮」

 鶴見駅から、路線バスに乗り換え、「三っ池公園北門」下車、県立公園の敷地にはいる。江戸末期の天保年間に既に、農業用水  の溜め池として、大きな 恵みをあたえていた池が、現在、隣り合つて「上の池」「 中の池」「下の池」と三つの池になつている。この池の脇に、テニスコートや運動広場もあり、周囲は、高台の森林となつている。

  公園の東側部分の一角に「コリア庭園」がある。李朝時代の両班ーヤンパン。土地の豪族、高級官僚ーの庭園を模して造園としたもので、置かれた石ひとつにも、朝鮮の文化が象徴されていると説明がある。

  興味をもつてみだすと時間のたつのも忘れる。池には、真鯉緋鯉が泳ぎ道路脇には、桜の巨木が並び、春4月の頃には、素晴らしい花見がができる。

 

ロ.鶴見  横溝屋敷の七草粥

 鶴見区獅子ヶ谷にある横溝屋敷−−旧名主の邸宅で藁葺き屋根の建物、母屋の二階の展示室には、昔の獅子が谷村当時の生活品が展示され、農村の生活様式をうかがえる。−−て゛は、1月7日七草粥を賞味できる。「七草なずなとうどりがわたらぬさきに−−」お囃子を地元の人がうたつているが、ハツポウスチロ-の丼に七分目ほど盛られた粥と白菜の香のものもつけられてわたされる。近接の獅子ヶ谷市民の森の散策も良い。

 

ハ.小机城祉と神奈川宿

 横浜線小机駅下車。商店街裏に雲松院がある。この寺は、小机城の小田原北条時代の初代城代笠原 氏の菩提寺で、幽邃の趣があり、墓地の奥まった斜面に 笠原氏代々の墓がならんでいる。寺を出て、竹林の道を辿り、空堀などを見ながら、本丸広場に出る。二の丸広場もでて 、武士どもの夢のあとを思いながらあるくと、東神奈川駅東口に着く。

 「神奈川宿歴史の道」なる案内碑をみて、金蔵院、熊野神社、成仏寺、開港当時ヘボンが施寮所を開いた宗興寺をおりると青木橋に出る。開港当時アメノカ領事館のおかれた高台の本覚寺 からの海の    眺めは素晴らしく、山門の脇には安政5年の日米修好通商条約の締結に尽くした 岩瀬忠震のレリーフ碑がある。

 

ニ.横浜市緑化センター  と英連邦墓地横須賀線保土ヶ谷駅からバス国道1号線を走り、「児童遊園地入り口」下車。少しあるいて、緑化センターへ。色々な植物の花が、黄、紫、赤白、桃色と あちらこちらで、歓迎してくれる。

  更に、行くと熱帯植物の大温室、果樹園ハーブ園、品種の異なる梅園、がある。其の先に、日本が提供した広大な土地に英連邦墓地がある。

  第2次世界大戦で戦死した英連邦諸国、米国、和蘭国の軍人達がこの地の深い木立に囲まれて、三ヶ所に分かれた芝生の墓地に静かに眠っている。平たい墓石には、所属の部隊名、階級、戦死年月日、氏名が刻まれ、墓石と墓石の間には、季節がくれば美しい花の咲く潅木がうえられている。三ヶ所合計千人と推定する。墓地を出て、子供植物園の散策も可。

 

ホ.港の見える丘公園  薔薇園

 横浜元町通りを抜けてから、代官坂を通り、元町公園のエリスマン邸の見学。外人墓地の横を通って薔薇園へ。季節になると、手入れの良く届いたバラが満開。種類も多くイングリッドバ-クマンなどの新種もある。暇があれば、大仏次郎記念館の見学も良い。

 

ヘ.横浜市歴史博物館と-メン横丁

 横浜地下鉄港南中央駅から、センタ-北駅迄約40分。北駅下車。歩いて、すぐ歴史博物館がある。歴史劇場では、横浜地区2万年の歴史、原始時代から現代迄各セクションに分かれているので、興味のあるセクションスィッチボタンをおすと、詳しい解説が映像とナレ-ションがでてくる。館を出て、新横浜駅で途中下車。 -メンへ。地下1階、2階に繰り広げられた昭和33年頃の町並みが見学できる。

 

ト.三殿台とシュウ芳園

  磯子駅からバスシュウ芳園へ。面積は広くはないが、5月ー6月ごろ熊本菖蒲の  大輪の色とりどりの花が咲き誇る。園の坂をあがると、三殿台遺跡につく。縄文、弥生時代の竪穴住居が三棟復元され、中には、出土品の展示室もある。丘の下の金剛院を参詣し、更に坂を上 がると岡村天神につく。

 

チ.久良岐公園の桜

  花の季節、磯子駅からバスで久良岐公園の桜見も良い。ほとんどが「ソメイヨシノ」ですが、所々に、緑の葉をだした、白い花の「大島さくら」 も混じり、いずれも、満開のとき、その下で一献かたむけるのも乙なもの。

 

リ.三渓園の観梅、観菊、臨春閣

  園内の内苑、外苑には、2月ー3月には、紅梅、白梅の花か、しつとりと 香りを漂わせて咲き、殊に、臥竜梅など見事で、11月には、観菊の季節 で苑内をそぞろ歩き、三渓記念館で展示されている臨春閣の襖絵ー江戸時代初期 の狩野派の絵師の描く−−、を鑑賞できる。根岸駅下車、市営バスで本牧三渓園入り口へ。

 

 

  発言番号:568

    発言者  :早川 元廣

    題名    :かながわ歩こう会 三渓園めぐり

    登録日時:99/02/16 20:53

 

 2月16日ダイヤかながわ 第3回歩こう会 が快晴に恵まれて3月下旬とも思われる温かさのもと 沢田さん 羽佐田さん達のお世話で楽しくのんびりと催されました。 三渓園は好天でかなりの人出でした。 奥様ご同伴の方もあり羨ましくも微笑ましく大歓迎でした。総勢21名の参加でした。

  さて例によりお粗末な句ではありますが即吟でお慰みとさせて頂きます。

  季重ねなど平にご容赦のほどお願い申しあげます。

    ・梅ちらほら せせらぎ光る 三渓園

    ・鴨と鯉 群れて遊べり 梅匂ふ

    ・カワセミを 撮るカメラマン 春うらら

    ・カワセミの カメラ集めて 春のどか

    ・句碑めぐり 松風閣に 春の海

 

 

    発言番号:569568へのコメント)

    発言者  :巖 隆吉

    題名    :かながわ歩こう会 三渓園めぐり

    登録日時:99/02/17 21:43

 

 かながわ歩こう会も盛会で何よりでした。

  早川さんの俳句の中では、カワセミを撮るカメラマン春うらら(三鷹の野川でも良く見られる光景です)

句碑めぐり   松風閣に 春の海 (三渓園にピッタリと思いました)

  さらに是松さんもイベント欄で拝見すると参加されたようですね。

  その中の句では、

    美(うま)き日に   美き梅観て    美き酒

を拝見、梅見日和だったようで、さぞや楽しかったことでしょう。私も早春の梅の花見をしているような気分になりました。

  皆さんこれからも良い句を投稿してください。私自身俳句には極めて疎いのですが、皆さんの句の中から共鳴した3句を載せお礼とします。

 

 

  発言番号:572(発言番号568へのコメント)

    発言者  太田 中

    題名    :かながわ歩こう会 三渓園めぐり

    登録日時:99/02/19 10:27

 

 「歩こう会」は天候に恵まれ、大変楽しかったようですね。その上、早川さんと是松さんは吟行を兼ねているのですから、二重の喜びと言ったところでしょう。

  私の選んだ句一つずつ。

  早川さんの句

  カワセミのカメラ集めて春のどか

 

  都会の真ん中でカワセミを見るのは珍しいこと。そこで一斉にカメラを向けたのでしょうが、「カワセミが集めた」とはなかなかの表現ですね。

  是松さんの句

  白梅の苔と茸に宿を貸し

 

  老梅の寄生植物はよく見かけます。それを「宿を貸

し」とは言い得て妙ですね。

 

 

  発言番号:622

    発言者  :早川 元廣

    題名    :称名寺、海の公園散策

    登録日時:99/04/13 17:01

 

 ダイヤかながわ歩こう会(第4回)は沢田、保多両氏のお世話で4月12日(月)金沢八景から称名寺ほかのお寺をめぐり、海の公園、野島公園を経て(約8.5km)のコースを、幸い悪天の合間の晴れに恵まれて、語らいとくつろぎの楽しい散策の刻を持ちました。13名と小人数でしたが、桜も散りはじめの風情は、それなりに趣深いものがありました。

  例によって素人まるだしの俳句でご機嫌をうかがいます。

   称名寺  海の公園  緑風

   静まりて  花片ゆらゆら  池の岸

   称名寺  ふところにして  山芽吹く

   池に亀  甲羅を干して  花の散る

   鳩と人  昼げともにす  花の下

   三百六十度  春爛漫の  展望台

   庭先に  真紅の椿  天に燃ゆ

 

 

  発言番号:624622へのコメント)

    発言者  :太田 中

    題名    :称名寺、海の公園散策

    登録日時:99/04/15 19:12

 

 「 かながわ歩こう会」はなかなかやりますね。私の思い出を話しますと、金沢八景は半生を横浜の市立高校で過ごした友人の、称名寺、海の公園は某銀行の元横浜支店長をやった友人の案内で訪ねたことがあります。どちらの時も晩春で波穏やか、微かに霞がかかり

  春の海日ねもすのたりのたりかなの風情でした。私にとっては、この辺りの海岸はほかでは感じられない長閑さがあるような気がするのです。

  御作の中では称名寺ふところにして山芽吹く鳩と人昼げともにす花の下に大いに共感いたします。

 

 

  発言番号:254

    発言者  :巖 隆吉

    題名  :三菱化学歩こう会ー横須賀軍港を眺めて

    登録日時:98/04/12 19:43

 

田浦緑地、塚山公園の桜、按針塚のハイキン

 去る4月4日、桜満開の快晴の日第63回の歩こう会に参加した。

  私はまだこの会に入会後、日も浅くこの会の参加経験は少なく、他のハイキングの場所等についての比較は全く出来ないが、予め幹事が現地を詳細踏破し計画を練っているので、或いは他社のOB会なり家族のハイキングの参考ともなるのではないかなと、このダイヤネットに載せる次第だ。

  今回は、ダイヤネットのメンバーの沢田さん、大前さん、中山さんも参加されており、特に沢田さんは幹事で大変なご活躍であった。

  以下にその概略を述べたい。

@  日時   4月4日(土)10:30田浦駅集合〜16:00

A  コース    田浦駅ー田浦緑地ー三浦按針の墓ー塚山公園(桜)ー常光寺(しだれ桜)ー田浦駅解散

B  参加人員  50名弱

 

  今回のハイキングはアップダウンがありややきつい面もあったが、先ずこの程度は、シルバーとしても適当なコースであろう。あるお方が下りで多少足を痛められたこともあったが....。

  見晴らしの良い田浦緑地で昼食を食べた。この緑地も午後から行った塚山公園も何れも小高い山の上なので、眺望は素晴らしかった。真下に横須賀軍港が望まれ、自衛隊と米軍の基地が丸見えだった。戦前では要塞地帯だったので、ここからは写真やスケッチは禁止だったと思われるので、そう思うとその景色もさらに良く堪能することが出来た。

  また、塚山公園の桜は丁度満開。その桜の花の間から見る横須賀軍港さらには遥か霞んで見える房総半島に囲まれた青い海と点々と見える数々の航行船舶等々、久しぶりに浩然の気を養うことが出来た。

  三浦按針は、家康に仕えて日本に永住、その後鎖国政策の秀忠によって職を解かれイギリス商館の一員となり平戸に移住し栄光と波乱に富んだ生涯を57才で閉じたという。

  塚山公園からは、だらざら坂を浄土真宗の常光寺に向う。しだれ桜の古木の桜を見るためだ。しかしその桜は生憎と今年何が原因か判らないが綺麗に咲いていない。がっかりしている私たちに住職が3年前の満開の見事な写真を見せてくれたのが、せめての救いとなった。

  相当歩き疲れて田浦駅で予定とうり解散した。しかし乾杯しようにも、どの店も全く応じてくれない。まだ明るいためだ。

  やむなく大船まで出て、歩こう会ならぬ「アルコール会」を開催。夕暮れの大船駅から漸く帰途に着いた

 

 

  発言番号:262254へのコメント)

    発言者  :深澤 龍一

    題名    :三菱化学歩こう会ー横須賀軍港を眺めて

    登録日時:98/04/20 11:27

 

 三菱化学の「歩こう会」はなかなか皆さんご熱心でご盛況のようですね。多分巌さんも牽引役としてご活躍の事でしょう。

 私は余り三浦半島の方は歩いた記憶がありません。地図を眺めながら昔、西海岸は長者ヶ崎辺りから大楠山を通って横須賀に抜けた記憶がありますか、こうした「歩く会」も幹事の趣向によって方向が偏るものなのでしょうかね。

 

 

  発言番号:51

  発言者  :巌 隆吉

  題名    :上信国境、冬の軽井沢

    登録日時:97/02/03

 

  去る12月19日、上田からの帰途若干の時間があるので、軽井沢に途中下車した。とても寒い。待合室で防寒具に整え車に乗る。軽井沢には何回も来ているものの、まだ訪ねたことのない、軽井沢開発の恩人アレキサンダー.クロフト.ショーの記念碑とショー記念礼拝堂に向かう。

  この記念碑と礼拝堂は軽井沢のひっそりしたところにありか、寒いため誰もいない。明治の初年当時、よくもまあ、このような辺鄙なところが自分の故国スコットランドに似ていると見つけて、ここに別荘を建てたものだとつくづく感心する。

  ついで、車で旧東山道を上り、旧碓氷峠の「上信国境」と彫られた大きな石碑の前に立つ。そこの上には熊野皇大神社が建っている。この神社は、国境に沿って参道の真ん中から左右に別れており、信州側が熊野皇大神社であり、上州側は熊野権現といい社務所も二つ、神主も2人であり、お互いの神主同士もこの国境を挟んで今だに仲がよくないという。この神社の話は私にとっても全くの初耳であり中々面白く聞いた。またこの信州、信濃側の熊野皇大神社には、とても大きなシナノキがあるが信濃の象徴でもあり、その語源となった木だという。

  文字どうりの国境の二つの神社にお参りして、夕暮れの迫った小雪のちらつく坂道を見晴らし台に向かう。標高1200メーター、氷点下なのか手足がひどく痺れる。

  しかし、夕暮れ時の展望、特に裏妙義山等の山々が赤黄色に輝いており、また浅間山から続く分水嶺の山並みの景色は素晴らしい。ここにも大きな県境標識が建っており、分水嶺で両縣の縄張りを示している。群馬縣側は利根川より太平洋に、長野県側は千曲川を経て日本海へ流れる。暫く誰もいないこの地にただずみ、遥か東の方関東平野を見るとうすぼんやりと拡がっている。かって日本武尊命(倭建命)が東を望んで「吾妻はや」と弟橘姫を偲んだといわれており、それが東(あずま)の国の起源という。この時期まことに寒い見晴らし台ではあるが大いに見応えがあった。

  さらにもの知りの運転手が、碓氷峠の防人(さきもり)等の万葉集の歌として、「ひるくもり  うすいの坂を  越えしだに  妹が恋しく  忘らしぬかも  ひのくれに  うすいの山を  越ゆる日は  せのなが袖も  さやにふらしつ」という二首を披露してくれたが、私も走水で日本武尊命の身代わりとなった、弟橘姫が詠んだという、

「さねさし  相模の小野に  燃ゆる火(ほ)の  火中に立ちて  問いし君はも」という古事記の歌を思い出す。これらの歌や史実が果たしてどうであったのか私どもには知るよしもないが、碓氷峠の一つの思い出として残しておきたい。

  また、この碓氷峠は、このように昔から東山道の要衝だっただけに、多くの人々が通ったであろうと静かにその先人たちを偲び、しばしの感慨に耽った。

  それから峠を下りて旧軽井沢の聖パウロカトリック教会を訪ねる。この教会は軽井沢のシンボルとしてあまりにも有名だが、ここにも誰もいなかった。

  次いで雲場池に立ち寄ると、仲間とはぐれたのか一羽の白鳥が寂しそうに泳いでいた。まさに冬の軽井沢を象徴するかのような、うら寂しい眺めであった。

  折角だからと人のいない道を通って、薄暗い古い別荘地を暫く散策する。そして暗くなった軽井沢駅から、暖かい特急に乗り込み帰京の途に着いた。

 

 

  発言番号:48

    発言者  :巌 隆吉

    題名    :第二の鎌倉塩田平、別所を訪ねて

    登録日時:99/03/07    15:31

 

 愛染カツラの大木がある。この木は縁結びのご利益があるといわれるが、別所温泉の象徴ともいわれる北向観世音の境内にある。昭和10年代、愛染カツラという有名な映画があったが私も少年時代、この映画の筋書きをこっそり見た友達に教えられ、胸をとどろかしたものだが、その映画はこの木から名前を取ったといわれている。私たちの塩田平、別所の第二の鎌倉を訪ねる旅はここから始まった。

  この日の朝、年の瀬も迫る12月18日10時、私たち夫婦、妹の3人は上野をあさま9号で立った。上田で小さなチンチン電車に乗り継ぎ別所温泉で下車、早速予約していた花屋旅館に荷物を置き、そこで貰った地図を頼りに別所の古いお寺を訪ねることにした。

  先ず前述の北向観世音にお参りする。このお寺は北向きで善光寺の南向きと対峙しており、この観音様と善光寺と両方お参りしないと「片参り」といって 良くないとのいい伝えがあるようだ。幸い私たちも既に善光寺にお参りしているので「両参り」?となるわけで安心する。この院内から鎌倉時代から室町時代にかけての古い石塔群が発見されており、愛染カツラの大木の麓にはその昔この観音様をお守りする別所三楽寺の一つ長楽寺があったといわれている。

  次いで、三楽寺の残りの安楽寺と常楽寺にお参りするため、長い石段を下りる。門前町を通って暫くすると黒門といわれる大きな門に出会う。「崇福山」という額がかけられている。蓮池を右に見て高い石段を登ると綺麗に刈り込まれた高野槙の後ろに静かな山寺の本堂が見える。八角三重塔が建っている。八角形の塔は日本全国でここ一つだけだ。禅宗安楽寺の二代目住職の恵任和尚は中国生まれだったので、故郷の中国に多い八角の塔を建てたのではないかという。堂々と聳える風格はさすがに日本の名塔だが、鎌倉時代末ころ、塩田平に巨館を構えた北条氏の力によってつくられたと思われている。

  更に、山腹の散歩道を通って常楽寺に至る。このお寺はやはり天長年間、慈覚大師によって建てられ有名な北向観音をお守りする寺で、今は天台宗別格本山となっている。このお寺の屋根は茅葺きで古色蒼然としており趣があるが、もはや茅の入手が出来ず今予定されている改築では瓦葺きに建て替えられるとのことで本当に残念に思った次第。この山奥に国と市の重文の多面塔と多層塔が並び、その他北向観音の院内から発見された石塔群も加えられており、苔蒸した薄暗い森の中で昔を偲ぶ。

  ふと見ると坂の下に「茶の間」という茶屋がある。陽もかげり始め我々以外の人影もなく、身体も冷えて来たことだし、3人は思わず顔を見合わせ入り込む。店の中は小綺麗でテーブルに置かれたナデシコの花やお客さんからのスケッチが掲げられている。キメの細かいサービスに感心して、ゆっくり甘酒をすすり暫く疲れを癒した。

 その後、常楽寺の参道をまっすぐに下り暫くするとこの晩の宿、花屋にたどり着いた。奥まった水車小屋の前の離れに案内して貰い、早速温泉につかる。温泉は、内風呂、露天風呂、展望風呂、大理石風呂と数多くあり取り敢えず何処にするかと迷う。家内たちも、展望風呂に行きたいが混浴なのでと迷っている。では、どのような風呂かなと見て来て欲しいと、先ず私が入浴して偵察する。風呂は細長く端から端は湯気で見えない。風呂から帰って彼女たちに報告すると記念に始めての混浴風呂に入ろうということで出掛けて行った。暫くすると心配することもなかったとさばさばして帰って来た。もう彼女たちも中性であろうが随分決心するまでには時間もかかったものだ。また、この旅館の名物料理として朝鮮人参料理が出されたが、旅の疲れを癒すには大変貢献した。

  明くる日19日には朝9時半、塩田平方面への観光タクシーを呼んだ。前日から旅館に良く知ったベテランの運転手を頼んでいたが、清沢さんという60才過ぎの人の良い親切な方に案内して貰うことになった。

  先ずは別所からかなり奥にある大法寺に行く。このお寺は、昔の名を大宝寺といい大宝年間(701〜704)に、藤原鎌足の子定恵によってつくられたといわれている。寺の前には当時の一級国道「東山道」が通っており、寺の大門の近くに「浦野駅」があったので、その駅寺であったということだ。それを裏付けるかのようにここにも、国宝三重塔が、山の中腹にあたかも鳥のような屋根とともに天高く聳えている。このような田舎にいかにも上品な塔の姿に一同圧倒された。この優美さは「見返りの塔」と呼ばれるのに相応しい。何時までもこの優美さを後生に伝えて欲しいものだ。

  いよいよ、これから北条3代の地塩田平に向かう。この別所や塩田平に古刹が多く文化が栄えたのは、鎌倉時代末期、鎌倉幕府の連署(今でいう副総理格)の北条義政が鎌倉を出て、この信濃塩田平に入り以来国時、俊時と3代57年間、政治を司り文化の中心となったからといわれている。現在の別所なり塩田平があるのはそのお陰というわけだ。この塩田北条氏も新田義貞に滅ぼされた北条高時とともに鎌倉の「腹切りやぐら」にてともに最後を遂げ、その居城塩田城もその後、村上、武田、真田の居城となり塩田の政治経済の中心地として栄えたのだ。栄華を誇った塩田北条時代もはかないものであった。

 途中、塩田平には雨が少ない、独鈷山をはじめ色々な山はあっても年間降雨量800?_で水不足に悩まされている、今でも反物と竹竿を担いで夫神山山頂に登っての雨乞いの祭りが伝わっているとの話があった。多くの溜め池の一つの舌喰池の伝説に昔くじであたった娘さんが自ら舌をかみきってその犠牲になったという悲しい話が残っている。昔から水には大変苦労している土地のようだ。とにかく雨は少なく水争いも絶えず、数多くの悲話が残っている。また、塩田の名前の起こりは近くの山からイルカの化石が出たことによるといわれている由。

 塩田平では先ず中禅寺薬師堂に行く。この国の重文の薬師堂は、方三間の阿弥陀堂形式という古い形のお堂で中尊寺の建て方と同じ様式という。この薬師堂の中に同じく国の重文の薬師如来座像が良く整って美しく、そして薬のつぼを左の手の上にのせたまま静かに坐っておられる。清沢さんが扉を開けてくれたので丁寧に拝観出来た。独鈷山を背にしたこの薬師堂を離れて眺めるとまことに美しい。

  次いで塩野神社にお参りした。この延喜式にも載っている今から約千百年前からの非常に古い神社だ。勅使殿という額のかかっている二階建ての立派な楼閣造りの拝殿と清流のある太鼓橋が目立つ。森閑とした谷間にあるまことに小さな社であった。

  その近くの黒門に続く長い参道の傍らに龍光院がある。このお寺は塩田北条氏ゆかりの菩提寺であり、本堂の棟には北条氏の紋所「三つ鱗」も刻みこまれている。また、狩野永琳の描いた上田市文化財でもあるひとそろいの屏風も一見の価値があった。

  それからいよいよ北条氏の居城であった塩田城址を訪ねる。独鈷山の支脈である弘法山の麓の二つの山に砦を築いていたようだ。今では僅かに空堀跡が残っているだけだが、つわものどもの夢の跡の思いに浸る。この城も当時としては、相当大きな縄張りのように見受けられた。この塩田北条3代の文化が今まで残っていると思えば感慨無量。今まで幾多の発掘調査によりその後この城を 居城とした諸将の遺物も、あわせて発見されており史跡としての価値も高いようだ。

  次は、独鈷山前山寺に行く。この創立は約千二百年前、弘法大師によってはじめられたという古刹で茅葺きの大きな本堂といい、三重塔といい申し分のない立派なお寺だ。

  前山寺は西南の方、弘法山に向かって建てられているが、その山に弘法大師が独鈷(仏具)を埋められている由で、そこが前山寺の奥の院となっている。その後今から六百年前、四国讃岐の善通寺から長秀上人という偉い坊さんが来てこの寺を大きくしたとしており、昔から信濃でも有名な学問所となっていたようだ。そのころ、檀家の一番の勢力者は塩田城の殿様であったといわれるので、もともと前山寺は塩田城の祈願寺(安全を守る寺)という格式の高い寺であったという。また、前山寺三重塔は国の重文であるが、「未完成の完成塔」で二階も三階も縁や手すりがないので、未完成といわれている。これは或いは北条末期に建てられたため財源がなくなったからだろうか。全く不思議な三重塔だ。

  それから、信濃では特別古く名高い生島足島神社に向かう。途中、樹齢千年周囲12?b高さ30?bという大きな欅があるというので立ち寄った。根元には大六天という神様が祭られており地名も大六なので「大六の欅」と呼ばれ親しまれている。3人が横に並んで手を繋いでも片方だけを覆うことが出来ない程の巨木だ。とにかくでかい木なのでびっくりする。この欅は千年の間、塩田平の栄枯盛衰を見たことであろう。

  そして、塩田平を離れるにあたり、いよいよ日本の中央にあるといわれる生島足島神社にお参りする。祭神、生島神.足島神という二柱の神様は、わが国が出来はじめた頃からわが国を守って来た神様で、皇居で天皇がいつも拝まれている二十三柱の神様の中にも入っている由。また、千年前の延喜式にも諏訪神社と並んで最も大切なお宮と考えられている。特にご神体は地面でありいいかえれば「土」そのものなのだ。大きな池の中に島があるが、この島が日本の国としており、その上に本殿が建っている。この神社には国の重文として武田信玄の願文があり、部下の武将たちに忠誠を誓わせている。また、珍しいものとしては、明治元年に奉納した廻り舞台があり、その床下に入って始めて裏の工作を興味深く見ることが出来た。

 

 

  発言番号:670

    発言者  :松本 喜一

    題名    :初夏の甲州路、ワイナリー、国宝仏寺めぐり

    登録日時:99/06/16 10:20

 

実施日    平成11年6月12日(土)

目的地    甲州高尾山(1092m

     棚横手山(1306m

集合      JR高尾駅 下りホーム 中央 7時15分

歩行時間  6時間

交通機関  高尾発7;26(小渕沢行乗車)→勝沼ぶどう卿駅着8;40→タクシー15分→大滝不動

行程   大滝不動→40分→展望台→30分→富士見分岐→50分→棚横手(1306m)→30分→富士見台→1時間10分→甲州高尾(1092m)→1時間10分→大善寺(国宝)→30分→ワイナリー→20分→勝沼ぶどう郷駅

 大滝不動に参拝、山の安全を祈る。大滝不動の鳥居をくぐり登山道に出る。大滝不動の名にふさわしく雄滝、女滝が流れ落ちている、普段はもう少し水量が有ると言うことであるが、雨がすくないせいか糸のように流れおちている。それにしてもかなりの落差である。

 少しジグザグ道を上る、マムシ草があちこちに点在、フタリシズカを眺めながら展望台に着く。甲州盆地が手に取るように見下ろせ、南アルプスがどっかりと横たわっていた。

 展望台で小休止次の目標棚横手え向かう、約40分位で頂上(1306m)たどり着く、展望の開けた尾根伝えをさわやかな風を気持ちよく受け、途中アザミの紅紫色の美しさに感激した。

 棚横手から、再び展望台えと引き返し、甲州高尾へ向かう樹林の中を登り、高尾山の尾根に出た。杉や松、桧がこげている、焼きただれた木の根っこが痛々しい2年前の山火事の跡である。カンゾウが咲き乱れ、ワラビがあちこちに伸びている、春先であれば相当の収穫が期待できそうである。

 展望は抜群で富士山が正面見える筈であるが、生憎今日は雲に隠れて見えない。だが、甲武信岳、金峰山、甲斐駒ケ岳が一度に目に入ってきた。

 甲州高尾山の頂上で昼飯をとる。あとは、急な勾配をおり、大善寺にむかう。ふと振りかえると急斜面の山がかぶさるように迫っている、こんな険しいところを降りてきたんだなあと一同感心する。

 大善寺は奈良時代に建造された国宝建造物ですばらしい。江戸初期に作られた石庭が特に有名である。

 ぶどう畑を縫うようにワイナリーにと向かう。ぶどうはすでに仁丹粒くらいになっており、袋かけの作業に忙しい。

 30分位でワイナリーに到着、地下倉庫、ビン詰め作業を見学して、何種類かのワインを試飲、売店にて赤、白ワインを土産に購入、勝沼ぶどう卿駅にたどり着いたのは午後4時、大滝不動を出発したのが午前9時であるから、昼休み休憩を入れて7時間の楽しい(つらい坂道もあった)行軍であった。