2.千葉、東京、その近郊

 

 

  発言番号:109

    発言者 :巌 隆吉

    題名  :鋸山、関東一の古刹、日本寺を訪ねて

    登録日時:97/08/26  22:08

 

  去る8月15日、義母の墓参りの際、皆で鋸山に行って見ようではないかと衆議一決、一昨24日一行7人で行って来ました。

  私は、海からは絶えず見ておりましたが、登ったことはなくこれもまた始めての経験でした。暑い時ではありましたが木の下はひんやりとして比較的涼しく選んだコースも下りで楽でした。これから秋になればシルバー組みのハイキングコースとしても適当なところかなと思いまして、この会議室に一応載せました。近いところでの軽い散歩として如何でしょうか。

  先ず、東京湾周遊券を求めまして、京葉線の特急で浜金谷下車、すぐ近くのロープウエイで鋸山に登り、暫く周囲の眺望を楽しみ日本寺の西口より、日本寺境内に入りました。

  この日本寺は、今から約1300年前行基菩薩によって建てられた関東最古の勅願寺で、正しくは乾坤山日本寺といわれるいます。

  随分大きなお寺。しかし本堂は失火で本堂が焼けたままで未だに再建されていないのは極めて残念。だが、その境内は鋸山全域に及んでいる。

  頂上からは、東京湾や対岸の三浦半島そして南房総と眺望は抜群であり、岩石を掘ったところに刻まれた百尺観音や、千五百羅漢、日本一の石仏の大仏も中々見ごたえがありました。

  その中で一番肝を冷やすのは、石切り跡が切り立つ崖に突き出た岩の上にある「地獄のぞき」。下から見ると、か細い岩の上にある展望台。そこに上がって立ち、下を覗くとスリル満点、ゾーッとする。

  それから仮本堂、立派な仁王門、参道を降りて保田のバス停に出る。ところが生憎とバスは1時間に1本、やむなく長い道をJR保田駅に行き、浜金谷からフェリーで久里浜。その海上から見る鋸山もまた素晴らしい。

  勿論のこと、久里浜で冷たいビールを一杯。そして帰途に着く。

  珍しくもない記事で、皆さんの目を患わせ、ごめん下さい。

  多少のご参考になれば幸いと思いつつ...。

 

 

  発言番号:209

    発言者 :巌 隆吉

    題名  :三菱化学OB歩こう会に参加して

    登録日時:98/1/31  14:42

 

コース:柴又七福神詣りと寅さん記念館

 京成高砂駅付近の天祖神社に13時に集合、点呼と会費集金を終えて出発。

  先ず最初は寿老人の観蔵寺。それから、旧佐倉街道を暫く歩いて福徳恵比寿  天の医王寺。ここは、昔から「赤目」を治す霊験ありといわれており、弘法大師(空海)の1150年記念の大きな像が立っていたのが印象に残った。そして出世大黒天のある大黒天宝生院へ。

 次いで福禄寿のある万福寺。この福禄寿というのは、幸福の福、高禄の禄、長寿の寿といい、一遍に何でも適えられるというまことに重宝な福の神だ。それから、宝袋尊の良観寺を経て唯一人の女の神弁才天の真勝院へ。 最後に有名な帝釈天のある題経寺に着く。本堂の周りを廻って綺麗な彫刻を硝子越しに見て、山本邸を抜けて江戸川川岸に出る。広い河川敷で矢切りの渡しも見え遠くの筑波山も対岸の市川の 高台も好天に恵まれて本当に良く見えた。

  記念撮影を終えて、寅さん記念館を見る。かねてから報道されているとうり撮影のセットはそのまま保存されている。寅さん人気も大したものだなと全く感心する。高台も好天に恵まれて本当に良く見えた。

  記念撮影を終えて、寅さん記念館を見る。かねてから報道されているとうり撮影のセットはそのまま保存されている。寅さん人気も大したものだなと全く感心する。

 それにしても私は始めて、今回七福神をお参りしたが途中のお寺で、昔天 明3年7月5日の浅間山噴火で塞き止められた泥流により、利根川、江戸川が氾濫、この地区でさえ死者2000人、家屋の流失1800戸という痛ましい災害があったことを知った。

  福と禍は、全く紙一重というが心すべきことであろう。

 

 

  発言番号:210(209へのコメント)

    発言者  :太田

    題名    :「 歩こう会」−−柴又

    登録日時:98/1/31 22:06

 

 貴社「歩こう会」が62回も続いており、今回は70名参加されたとは、先ず驚きであり深く敬意を表するところであります。

  一昨日は寒かったでしよう。私は1日中サンル−ムの中でCDを聴きながら書類整理等していた位ですから。

  昨日は「これではならじ」と柴又へ出掛けました。自宅から歩いて10数分程の「寅さん記念館」を見るためです。1日早かったら館内でお会いするところでしたね。

  普段は滅多に同行するなど言ったことのない愚妻も行くというので、2人とも耳まですっぽり覆って出かけました。何しろ江戸川の風は冷たいし、平均気温が都心より3−4度低い柴又のことですから、うっかりすると風邪を引いてしまいます。

  帝釈天に近いところで中年の女性数人連れに良観寺の行き方を聞かれ、「七福神巡り」をしている人達だなと思いました。

  記念館のことですが、マルチメディアを駆使して大変よく出来ていますね。あの建物は数年前から工事に掛かっていたのですが、単なる公園の集会所位の積りで始まったものですから、反対派から「目的がはっきりしない」と槍玉に上がり、何度も中断していたのです。ところが一昨年夏渥美清が亡くなり、急遽突貫工事で記念館に仕上がったと言うわけです。  ですから寅さんは死して葛飾区を救ったことになりますね。あの入場者数だったら忽ち元を取ってしまうでしようから。その代わり、目玉商品が無くなって赤字転落の松竹は社長と常務があっさり首を切られたわけですよ。ライバルの東宝は欲求不満の中高年をタ−ゲットにした「失楽園」や子供相手の「もののけひめ」で大当たり。

  巌さんのおっしゃる「禍福は糾へる縄の如し」とは全く本当だと思います。

  70名の皆様寒いところ遠くまでご苦労さまでした。

 

 

  発言番号:

    発言者  :大前 安人

    題名    亀戸七福神

    登録日時:

 

 七福神めぐりはご存じのように七つの福神を神社や寺院に詣で、天災地変火災、盗難など火災盗難など七つの災害を消除し福徳をかなえてくれるものとして親しまれ信仰されてきました。(ご参考迄に)

  本年最初の行事にふさわしく天候に も、気温にも恵まれ亀戸天神社では、見頃の八重の白梅に迎えられご利益イツパイの"寒中七福神めぐりでした。

亀戸の名の由来

  当地は昔小さな島でありその形が亀に似ていた事から亀島又は亀津島とも呼ばれていた。 やがて、村落が形成され亀村と言われるようになり、後に亀ケ井という井戸 があつたところから亀井戸と呼ばれ後半井が略されて亀戸となつたと伝えられている。“羽亀公園”とも言う。

行程:香取神社「恵比寿神/大国神」、東覚寺「弁財天」、定光寺「寿老人」、天租神社「福緑寿」

 亀戸七福神は明治時代から始まつたといわれ。庶民的な下町情緒が漂う楽しいコースで最後に七福神とは関係無いが、亀戸天神社にお参りして、16時30分解散した。

香取神社(江東区最古のお宮)

  天智天皇4年(665)、藤原釜足が東国下向の際、当時は島であつた亀島に船を寄せ太刀一振を納めて旅の安泰を祈つたのが始まり江戸時代には徳川家の厚い崇敬を受け塚原卜伝や千葉周作など多くの剣豪からも親しまれた。祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)

東覚寺

  亨録4年(1531)玄覚法印の創建で江戸時代には亀戸不動と呼ばれ信仰を集めた。山門を入ると右側に弁天堂が建つている。

常光寺

  本尊は阿弥陀仏寿老堂は本堂の左手にこじんまりと建つ。

普門院

  大永2年(1522)の開創。境内には正岡子規の門人となり、小説家、歌人として活 躍した伊藤左千夫の墓がある。 

 この寺はかつて石浜城内(荒川区)に創立され、ここに移転したが、その 際梵鐘が隅 田川に沈んだそこを鐘ケ 渕という。

天租神社

  こんもりとした樹々に囲まれた境内、香取神社(江東区最古のお宮)。

  天智天皇4年(665)、藤原釜足が東国下向の際、当時は島であつた亀島に船を寄せ 太刀一振を納めて旅の安泰を祈つたのが始まり江戸時代には徳川家の厚い崇敬を受け 塚原卜伝や千葉周作など多くの剣豪からも親しまれた 祭神は経津主神(ふつぬしのか)

東覚寺

  亨録4年(1531)玄覚法印の創建で江戸時代には亀戸不動と呼ばれ信仰を集めた。山門を入ると右側 に弁天堂が建つている。

常光寺

  本尊は阿弥陀仏寿老堂は本堂の左手 にこじんまりと建つ。

普門院

  大永2年(1522)の開創。境内には正岡子規の門人となり、小説家、歌人として活躍した伊藤左千夫の墓 この寺はかつて石浜城内(荒川区)に創立され、ここに移転したがその際梵鐘が隅田川に沈んだそこを鐘ケ渕という。

天租神社

  こんもりとした樹々に囲まれた境内 はほつとするスペースだ。御水舎の置くにある福寿寺のお堂に参拝。

龍眼寺

  創建は、応永2年(1395)と伝えられる天台宗の古刹。

  元禄6年(1693)、この寺の住職が各地からハギを集め、萩寺としてしられるようになつた。境内には芭蕉の「ぬれてゆく人もおかしや雨の萩」という句碑がある。

亀戸天神社

  学問の神様、菅原道真公をまつる神社で寛文3年(1663)に神殿反橋、心地池などすべて九州の太宰府天満宮に模してつくられた。境内には弁天堂も建つていて商売繁盛の御利益も期待出来る。

  以上ですが帰りの豆やさんの側の電線のうえにハトが群がつているのは壮観でした。

 

 

  発言番号:079

  発言者 :太田

  題名  :隅田川の花火見物

  登録日時:97/07/28 2059

 

 昨晩は台風で一日遅れの、それが却って夏の情趣を盛り上げた隅田川の花火を見に行きました。

  ところで私と下町は50年以上の付合い、学生時代から下町で暮らし、一度も山手に住んだことがありません。従って上野、浅草は勿論神田、深川辺りまで年中行事は元日から大晦日まで盛沢山、その殆どを見物しております。

  中でも、隅田川の花火は年の丁度真ん中、江戸の昔から庶民が涼を求めて川岸に集まり、一瞬の光耀を楽しんだ一大イベントなのです。今でも若い娘が湯上がりにすっきりと浴衣を着け、素足に下駄を履いて、団扇と巾着で決めた姿は花火見物の定番なのです。

  昨晩は今まで無理だと思っていた打上台の傍50米位の岸辺に行けましたから、花火師の一挙一動からすぐ後方の甘味屋のベランダではテレビの実況中継迄目の当りにすることが出来ました。と言うと、いい歳をして物好きの野次馬と想像されますでしょうが、本当にそうなのです。

  下町の年中行事に付合うには、物見高い野次馬根性が不可欠で、それ無くしては下町を理解することは不可能だと思います。元々下町は特権階級が住まったのではなく、熊さんや八さんが肩寄せ合って生きて来た所だからです。

  そんな訳で1時間半の花火を堪能しました。今朝の新聞によると計2万発の花火を約91万人が楽しんだとあります。花火の状況は説明するよりも、テレビや新聞の写真でご覧になった方が結構と存じますので省略します。

  帰途、頭に浮かんだ3句。

   盛り上がり多弁に咲ける花火かな

  花火師の背(せな)に火の粉もたじろかず

  人生も花火も瞬く光耀か

 

 

  発言番号:080 ( 079へのコメント)

    発言者 :深澤 龍一

    題名  :隅田川の花火見物

    登録日時:97/07/30 09:49

 

 今年も 花火」の季節ですね。太田さんは「下町の 中(チュン)さん」・・・失礼!

・・・だから、きっと浴衣など着流して颯爽と「花火見物」お出かけになったものと想像致します。東京は花火の本場なのに、私は東京に移り住んで35年になりますが、未だ一度も近くで見物した経験はありません。私の見たのは確か40年以上前になりますか、広島のその名も太田川の岸辺で打ち上げているのを 花火師」の直ぐ後ろで眺めた記憶があります。

  そして一度見てみたいと常々思いながら、東京ではテレビで見るか、高く上がったのを遥か遠くから見上げるかしかありませんでした。この町田からも少し高台に足を伸ばすと「読売ランド(?)方向や「多摩川」の花見を眺める事が出来ますが、近頃は 「パソコン」に夢中で ノホ見物」alチヒA30H・繊逗  さて、「火薬が花火に用いられて衆目を引くようになったのは、江戸時代の初期、特に寛文の頃(166173)であったらしい。もとは葭の管に火薬を練り詰めて、口火に点火すると花火が飛び出すという幼稚なものであったが、次第に工夫が加えられて、<ねずみ花火(ねずみ火)>、<線香花火>といった我々の子供の頃にも懐かしい形式の花火が児戯の一つとして一般にもてあそばれ、更に花火屋与左衛門の発明による打ち上げ用の花火が庶民の関心の的となった。元禄以降は華美の風潮が花火にも影響して、享保2年 (1717)には≒ S"詑科DLu花火が始められて、名物の「江戸の花」と謳われ、化政期に至ると花火製造技術も頂点に達して、花火師が精魂込めて編み出すさまざまの意匠が、玉屋ァー」「鍵屋ァー」の歓声と共に都鄙の夏の夜空を鮮やかに彩るのであった。・・・」とモノの本にありました。   〜「日本を知る事典」より〜

  詰まらぬ引用で お目を留めました」が、「文字化け解消確認 テスト」と何卒お許し下さい。

 

 

  発言番号:081/157 ( 079へのコメント)

    発言者 :巖 隆吉

    題名  :隅田川の花火見物

    登録日時:97/07/30 10:52

 

  隅田川の花火懐かしく拝見。

  実は私も1昨年1度隅田川の花火を近くで見たいものと出掛けました。只今手元の簡単な日誌を紐解きますと、その日は7月29日の暑い土曜日でした。毎年7月末頃開催されるのですね。

  折角だからと早く1人で出掛けました。家内は暑いのに物好きだねと笑っておりましたが....。私は浴衣姿の若い女性の間を抜けて出来るだけ打ち上げの艀の近くまでたどり着きました。ところがもう坐るところは全くなく途方にくれておりましたら親切な人がベンチの端を譲ってくれてゆっくり堪能しました。近くで見る花火に感激したことはいうまでもありません。

  帰りにあのアサヒビール館でビールを飲んだと思いますが何時もビールを飲むので印象は少なく、頭の中に残っているのは強烈な花火の閃光のみでした。

  有名な花火ですので、深沢さんの富士山登山と同様、日本人は1回は見ておくのも良いでしょうね。

  日誌の中にまことに拙い3句が書き留められていますので、敢えて披露しておきます。添削は太田さん宜しく。

    隅田川      願いかないて      花火かな

    花火咲く    大江戸のままの      隅田川

    灼けし日の    隅田の花火の      涼しさよ

 

 

  発言番号:00044

    発言者 :巌 隆吉

    題名  :百草園の紅葉を見ては如何

  登録日時:96/11/05 19:48

 

 紅葉の百草園、百草自然公園、鄙びた六地蔵、更に名高い高幡不動を訪ねて歩いて見ませんか。

  私は、昨4日好天に恵まれましたので、平素の運動不足解消のため、家内とその妹夫婦たち5人で、京王高幡不動駅10時に集合、古刹の不動さんにお参りして、ミニ88ケ所を一部廻り、閑静な住宅街を抜けて八王子市街を眺望しつつ百草自然公園に登り、百草八幡神社を経て百草園で紅葉鑑賞、近くの百草古道路傍の六地蔵に昔を偲んで来ました。

  このコースは前回の「京王散歩」に載っていたものですが、今の時節にも、天気が良ければお薦めしたいコースと思います。

  古くは、源義家も立ち寄り、不遇だった徳川信康(家康の長男)追悼のこの地の紅葉は、未だ下の方は青味を残し、上の方は真っ赤な紅葉の木々があり、初々しい紅葉でした。来週の日曜日位が一番の見頃かと思います。来週からは、そばと甘酒の店も出るようですので、軽いお気持ちで出かけられては如何でしょうか。

  全コースをゆっくり歩いても、途中の昼食時間込みで4時間で充分と思います。

 

 

  発言番号:670

    発言者  :松本 喜一

    題名    :初夏の甲州路、ワイナリー、国宝仏寺めぐり

    登録日時:99/06/16 10:20

 

実施日    平成11年6月12日(土)

目的地    甲州高尾山(1092m

     棚横手山(1306m

集合      JR高尾駅 下りホーム 中央 7時15分

歩行時間  6時間

交通機関  高尾発7;26(小渕沢行乗車)→勝沼ぶどう卿駅着8;40→タクシー15分→大滝不動

行程      大滝不動→40分→展望台→30分→富士見分岐→50分→棚横手(1306m)→30分→富士見台→1時間10分→甲州高尾(1092m)→1時間10分→大善寺(国宝)→30分→ワイナリー→20分→勝沼ぶどう郷駅

 大滝不動に参拝、山の安全を祈る。大滝不動の鳥居をくぐり登山道に出る。大滝不動の名にふさわしく雄滝、女滝が流れ落ちている、普段はもう少し水量が有ると言うことであるが、雨がすくないせいか糸のように流れおちている。それにしてもかなりの落差である。

 少しジグザグ道を上る、マムシ草があちこちに点在、フタリシズカを眺めながら展望台に着く。甲州盆地が手に取るように見下ろせ、南アルプスがどっかりと横たわっていた。

 展望台で小休止次の目標棚横手え向かう、約40分位で頂上(1306m)たどり着く、展望の開けた尾根伝えをさわやかな風を気持ちよく受け、途中アザミの紅紫色の美しさに感激した。

 棚横手から、再び展望台えと引き返し、甲州高尾へ向かう樹林の中を登り、高尾山の尾根に出た。杉や松、桧がこげている、焼きただれた木の根っこが痛々しい2年前の山火事の跡である。カンゾウが咲き乱れ、ワラビがあちこちに伸びている、春先であれば相当の収穫が期待できそうである。

 展望は抜群で富士山が正面見える筈であるが、生憎今日は雲に隠れて見えない。だが、甲武信岳、金峰山、甲斐駒ケ岳が一度に目に入ってきた。

 甲州高尾山の頂上で昼飯をとる。あとは、急な勾配をおり、大善寺にむかう。ふと振りかえると急斜面の山がかぶさるように迫っている、こんな険しいところを降りてきたんだなあと一同感心する。

 大善寺は奈良時代に建造された国宝建造物ですばらしい。江戸初期に作られた石庭が特に有名である。

 ぶどう畑を縫うようにワイナリーにと向かう。ぶどうはすでに仁丹粒くらいになっており、袋かけの作業に忙しい。

 30分位でワイナリーに到着、地下倉庫、ビン詰め作業を見学して、何種類かのワインを試飲、売店にて赤、白ワインを土産に購入、勝沼ぶどう卿駅にたどり着いたのは午後4時、大滝不動を出発したのが午前9時であるから、昼休み休憩を入れて7時間の楽しい(つらい坂道もあった)行軍であった。

 

 

  発言番号:

    発言者 :太田

    題名  :奥多摩、御前山

    登録日時:

 

 我々菱信クラブのハイキング同好会も巌さんから1週間後に、奥多摩は「御前山」に行ってきました。巌さんに倣ってその概略を示しますと

@日      4月11日(土)8:30JR奥多摩駅集合〜17:30武蔵五日市解散

Aコース    奥多摩駅バス=境橋〜栃寄橋〜御前山(1405M)〜避難小屋〜湯久保山(1044M)〜仏岩ノ頭〜御前山登山口バス停=JR武蔵五日市駅

B参加人員  24名

 

  我々の同好会も最近リーダーの世代交代があって、旧来の私と同年輩の方から10歳近く若返って「山歩き」らしいコースに代わりつつあります。張り切った新しいサブ・リーダーが先頭になって我々を引っ張りましたが、今回は当初から可成の上りが続くコースを比較的早いピッチで歩き始めました。小一時間歩いた「奥多摩都民の森」での少憩の折に「こんなピッチではその内にばてるぞ!」と私が呟きましたので、少しピッチを落しました。

  小さな沢を超える時、せせらぎの側に白い可愛い花を見ました。群落ではありませんでしたが、何時か権藤さんに教えられた「ニリンソウ」ではないかと思います。山の急斜面には「ハシリドコロ」が紅紫の可憐な花を下向きに咲かせて、今が丁度見頃でした。

  案の定、歩く列がどんどん長くなってその内に夫婦連れの「旦那」の方が息を弾ませてうつむいて立ち止まりました。仲間の一人が残って彼と同行する事にして更に高度を上げて行きます。標高1400Mと言えば東京では3つの指に入る高い山とその時聞きました。

  高度が上がると今度は「イチゲ」が菊のような白い花を一杯に咲かせて我々の目を楽しませてくれました。その辺りになると先程の「ハシリドコロ」は殆ど見掛けません。

  「御前山避難小屋」に着いたのが11時20分、この辺りから頂上にかけては「カタクリ」の群落が見られましたが、花には少し早くて未だ固く蕾を閉じていました。此処の「カタクリ」は知る人ぞ知るだそうで辺りには人か踏み入らぬように縄張りもしてありました。

  頂上には昼過ぎに着きました。昼食中に地図を広げながら、「本仁田山」〜「鷹ノ巣山」〜「七ツ石山」と続く秩父奥多摩の山並みを眺めていましたら、先程遅れた仲間ご夫婦も元気に登ってきました。我々の足取りが地図のコースタイムよりかなり速かった事も判って、リーダーにその旨を伝えておきました。

  下山は昔からよく一緒に山に連れて行ってくれたベテランのリーダーが先頭です。湯久保尾根の緩やかな下りをゆっくりと降りてきました。こちらは南斜面なので所々に「カタクリ」が可憐な花を開いて、皆さんが盛んにシャッターを切っていました。部落の近くに降りてきて「大きな川」があるなと思っていたら、近づくと何とそれは桜の群落で丁度満開の花見時、勿論花をバックに皆で記念撮影となりました。

  それやこれやで少しのんびり歩き過ぎたので、バス停に着いたらバスは出た後で次のバスまで小一時間待たされる結果とはなりましたが、久しぶりに「山を歩いた」という感じでした。

  何時も「山便り」を流してくれる松本さんや、「奥州街道」を踏破した太田さんの姿は残念ながら見当りませんでしたが・・・。

 

 

  発言番号:618

    発言者  :巖 隆吉

    題名    :秩父寺巡り

    登録日時:99/04/10 20:45

 

  去る4月8日(木)奇しくもお釈迦さんの日、好天に恵まれ秩父34ケ所の札所5番6番7番8番9番10番の寺巡りの「歩こう会」が開催された。

  西武池袋線横瀬駅に11時集合であるが相当な山奥なのでその集合時間に間に合わすためには各人3〜4時間前に自宅を出てくるわけだがそれでも41人が集まり大変盛会だった。

  都内の桜は散りつつあるがさすが秩父は気温差もあるためか桜は満開、春うららの中、非常に眺めの良い約9kmのコースを歩くことが出来た次第。

  では、参考までにコース順に若干のコメントを入れたい。

○横瀬駅

 終点秩父駅の手前。石灰岩採掘の荒々しい山肌を見せる武甲山の裾野の閑静な駅でこのコースの出発点。直ぐ近くに三菱セメントの大きなプラントが見える。

○明智寺(9番)

  田舎のお堂という感じの安産守護の札所。

○西善寺(8番)

  境内に見事なコミネモミジの巨木がある。樹齢600年。幹の直径3m。一同モミジの季節にもう一度訪ねたいという程立派なモミジだ。

○小松レジャー農園

  昼食に「きのこめし」を食べたがその前に何はともあれ、渇を癒すためにビールとワインで乾杯、早速「歩こう会」ならぬ「アルコール会」となる。地場のワインもさっぱりして大変おいしかった。

○卜雲寺(6番)

  高台にあり眺望抜群。幹事の矢萩さんが一同の記念写真を撮る。私も石灰採掘で荒々しい武甲山(1336m)と左の満開の桜をスケッチする。武甲山は採掘のため人工ではあるが、かえってその切り立った崖は谷川岳のようにも見える。セメント生産のため、何れこの山もなくなるのであろうか?

○法長寺(7番)

  青苔山法長寺と称し札所中で一番大きな建物。

○語歌堂(5番)

  素朴な長興寺観音堂。5分位離れたところに長興寺本堂あり。朱印を貰う人たちはその本堂まで行かざるを得ない。

 ご詠歌が書かれている。

    「父母の恵みも深き  語歌の堂  大慈大慈の  誓い楽し」と。

○大慈寺(10番)

  石段を登ると萬松山という額のかかった見事な仁王門がある。その後ろに観音堂。一寸高台なので眺めも良い。

掲示板に曰く。

    「大慈  分かちあえば  苦は半減  楽は倍増」と。

 お互い慈しみを持てということだ。心すべきことであろう。

  最後の札所の参拝を終え、武甲山の見える田舎道を横瀬駅に向う。15時頃着いた駅前には居酒屋が一軒もない。折角楽しみにしていた「アルコール会」開催というわけには到底ならなかった。

  一同流れ解散。横瀬駅から特急等で帰途に着いた。しかし、同行の士と田無で降りて「セミアルコール会」開催、一杯機嫌で帰宅したことはいうまでもない。

  帰宅後、村瀬さんからEメールで電送されたデジカメ写真数葉を見て、改めてこの秩父の寺巡りを偲んだ。良く撮れた写真が直ぐに見ることが出来るとはまさにデジカメの威力だとしみじみ思う。

  横瀬は、一寸遠いが格好な山里コース(9km約15,000歩)なので、DDDの皆さんにも是非お勧めしたいコースと思う。