C2 国内旅行・旅をゆく

 

 

1.北海道、奥羽、関東北部

 

 

(1)北海道

 

 

  発言番号:00006

  発言者 :福田順一

   題名  :北海道(道北)旅行記

  登録日時:96/8/8 15:27

 

 先日(31日)お休みさせていただきすみません。

 前から予定していたものですから、皆様お暑い中お勉強中を、家内と北海道に出かけておりました。今回はかねて行きたいと思っていた道北を選び、稚内・礼文・利尻を訪れました。東京では35度というのに、あちらは15度、半袖では寒くてあわててコートを買い込んだ始末で、別世界のようでした。

 礼文・利尻のウニは圧巻でした。生きたままのウニ(1個500円)をほおばる贅沢、もう東京のすし屋でウニは食べられないと思いました。

  帰りは旭川から、富良野・美瑛に立ち寄り、満開のラベンダーをエンジョイ出来ました。道内の行程はバスで1100キロ、なかなかのものでした。今回は近畿日本ツーリストのツアーを利用し、3泊4日で1人約12万円、価値はあったと思います。

 

 

  発言番号:00006へのコメント

    発言者 :巌 隆吉

    題名  :北海道旅行記について

    登録日時:96/08/10 08:58 

 

 北海道旅行記を楽しく拝見しました。いま向こうはラベンダーの花がとても綺麗だそうですね。永年親しくしていた隣のご一家が先月札幌に転居して、先日香り豊かな紫の押花を添えて福田さんと同じ様な感想を寄越してくれました。私の北海道旅行は福田さんのようなロマンチックな道北でなくて極く平凡な「一周旅行」でしたが、嫁ぐ日を前にした娘が「永年お世話になりました」と娘を含めた家族三人の旅行をプレゼントしてくれました。確か同じ近畿日本ツーリストのツァーと記憶しています。丁度10年前の9月初めで、今その時のアルバムを引っ張り出して眺めて見ますと「函館〜洞爺湖〜摩周湖〜白老〜知床〜網走〜層雲峡〜札幌」を廻る6泊7日の旅でした。アルバムの中には、その時の彼女から私等夫婦への旅の招待状も残されていて、それによりますと一人当りの予算額は¥80,000.と書いてあります。当時のドラ娘の心が嬉しくて私が¥30,000.を追加し「シルバーデラックス・コース」に格上げしたと記憶しています。確か福田さんと同じ近畿日本ツーリストのツァーでした。

  皆さんに聞いても近畿日本ツーリストは安くて快適と好評のようです。私もこの10月に友達と再び同社を利用しようと計画しています。

 

 

  発言番号:

    発言者 :巌 隆吉

    題名  :

    登録日時:

 

 先ず、福田さんの旅行記を、拝見しました。北海道は、中々良かったと思います。私も去年、稚内に行きましたが、島には、渡りませんでした。

 この8月末、道南の方へ行って見ることにしております。私は、この欄で、皆さんの旅行記を読むことを楽しみにしております。なおこのような旅行体験や山行からハイキングと広い旅の情報を期待しております。皆さん宜しくお願いします。

 

 

  発言番号:00010

    発言者 :福田 順一

    題名  :北海道  帯広から美瑛まで

    登録日時:96/08/16  21:51

 

 実は、もう1つ素適な北海道旅行を体験していますので、ご紹介致します。

 3年前の9月はじめ、そろそろシーズンも終わりかけている頃です。スタートは帯広空港、羽田から直通便があります。空港に近いグルックリッヒ王国に一寸立ち寄って駅前泊。第2日はレンタカーで先ず山奥の然別湖へ。 更に曲がりくねった山道を奥へ入ると、人影まばらな糖平湖に着きます。ここから241号線を南下、途中で立ち寄るナイタイ牧場のあまりにも雄大な規模に圧倒されつつ、アイスクリームを舐める。一寸遠回りして足寄を通り(美味しい自家製チーズが買えます)242号線を一目散に池田市へ、池田牛のステーキとワインでディナーをすませ、時間がないので帯広まで大急ぎで車を飛ばし、レンタカーを返して汽車に飛び乗り、その夜は富良野駅前泊。翌日レンタカーを借りなおし、麓郷の五郎の小屋の周辺、北の国からのロケ地を歩きまわり、富良野市でワインとチーズを買いこみ美瑛に泊まる。美瑛の丘のペンションからの眺望、夜空を彩る夏の星座、息を飲むばかりでした。

 翌日は美瑛の台地をゆっくり一巡し、今ほど混雑していなかった拓真館に長い間ねばって、白樺の小道とカサブランカの花壇の間を散策、展示館で四季の写真をゆっくり味わい、写真帳を買い込み、旭川でラーメンを食べ旭川空港出発、これで3泊4日でした。

 後ろの方は大分はしょりましたが、富良野周辺は時間があればもっとゆっくり出来ます。特に美瑛周辺は何度でも行ってみたい処です。

 

 

  発言番号:373

    発言者  :深澤 龍一   

    題名    :夏の煌めき〜利尻・礼文・稚内観光記

  登録日時:98/08/04 09:40

 

 予定通り「利尻富士」の登頂を果した我々は、その夜、先ず帰りの飛行機を手配した。「第一希望」の日時が取れて、後はそれまでの時間をどう埋めるかという事だ。仲間の二人が私に任せるという事で手っ取り早い「観光バス」の「ハシゴ」と決めた。

 

1.利尻島

 宿で朝食を終え、70媼は以前に観光したからと私達の観光バスを見送ってから一足先に礼文島に渡り、 「礼文岳」(標高490M)登山を試みるという。男2人は9時50分発の観光バスで島内を一周する事にした。車窓から眺める「利尻岳」は雲が掛って良く見えない。ガイドさんが「この島は小さいが、島のこちらと島のあちらでは天気が全く違って、今日のように”やませ”の吹く時は山の向う側は快晴」という。

  最初に降りた姫沼から眺めた山は、時々雲の切れ間からあの険しかった頂上が顔を覗かせるが直ぐに又隠れてしまう。80翁が盛んに山を眺めながら昨日歩いたコースを探していた。彼は山を歩く以外には「高山植物」も「野鳥の囀り」にも全く関心を示さない文字通りの「山男」である。この島には熊は勿論、鹿も狐も蛇もゴキブリすらいなくて、いるのは島リスとイタチ位とはガイドさんの言。島の南、逆さ富士の名所の「オタドマリ湖」に来て山は漸くその美しい姿を見せた。

  島の西側に廻ると更に快晴。山がくっきりと裾野を広げて見事な風景である。険しく落ち込んだ沓形への縦走路もはっきりと見えた。新湊の浜辺には「出船」の歌詞を刻んだ作詞家音羽時雨の碑が建って、ハマヒルガオも可憐に咲いていた。この辺りの牧場跡地にはカモメやウミネコが飛交い、産卵期には3万個の卵を産み付けるという。保護鳥に指定されているので地主さん達も困っているそうだ。肢の「ピンク」なのがカモメ、「黄色」のがウミネコとガイドさんが見分け方を教えてくれた。

 出発地点の鴛泊港に戻って、フェリー・ターミナルで昼飯を掻き込んで停泊していた礼文へのフェリーに乗る。この船なかなかの繁盛だ。

 

2.礼文島

 この島は利尻に比べると大きさも人口も半分程度で、東西8K、南北30K、人口は4000人という。道路も狭くて見るべき産業も無く、島民の皆さんには失礼ながら「貧しい漁村」といった感じ。この島には信号機は2個所しか無くて、子供の社会科の勉強の為に取り付けてあるのだそうだ。

  バスは日本の最北限「スコトン岬」に直行する。その向うは無人のトド島。さすがに北国、気温は13度。岬に立つと潮風もきつくて、我々はこの日と翌日の観光の間中ジャンパーが放せなかった。

 元来た道を引き返して「香深港」から西海岸に廻る。「高山植物」の頃は素晴らしいらしいが、時期がやや過ぎていたのとバスによる駆け足行脚なので、車窓から「アカツメグサ」や「月見草」に混じって、「イブキトラノオ」、「シカギク」、「チシマゲンゲ」や「ミソガワソウ」が群生するのを少し眺めた程度。植物を見るには矢張り足で歩かねばならない。「桃岩」の奇岩を仰ぎながら、メノウ原石の打ち寄せるという「メノウ海岸」を眺めて元の港に戻る。

 少し時間があったので、船着場の食堂で寿司を食べながらビールで喉を潤す。二つの島は観光に力を入れているようだが、自然の風景以外は取りたてて見るべきものはない。

 17時半発のフェリーで稚内に戻る。約2時間の船旅である。空いていたので船内のソファーに腰を掛けていたら、隣に座っていたJTBの添乗員さんが私の服装を見て「山に登られたのですか?」と声を掛けてきた。利尻岳頂上の風景を説明し、「客を案内するからには貴女も話題の一つに近ツリのツァーにでも参加して是非一度は登りなさい!」と発破を掛ける。聞けば大阪支店で関西空港から稚内に直行し、利尻〜礼文の後は旭川〜札幌とまだ3〜4日北海道を廻るという。スイス・アルプスの話になって堺市出身の彼女と関西弁で楽しい会話が続く。彼女も又山が好きで高校時代には「甲斐駒ヶ岳」にも登った事があるので、スイス・アルプスには是非行ってみたい所という。後甲板から見た利尻富士の向うに沈む真っ赤な夕日がとても印象的であった。

  先に下船して旗を持ってツァーの皆さんを迎えている彼女が、最後にタラップを降りる私にニッコリ微笑んだ。

 

3.稚内

  素泊り@¥3,500.の港の傍の木賃宿が今日の泊りである。例の70媼はバスの便が悪くて結局「礼文岳」には登らずに「高山植物」を求めてさ迷い歩いて、私達より1便早い船でこちらに来たと言う。寝るだけなので今日も3人一部屋の山小屋並の雑魚寝だ。

 帰る日の朝飯は駅前食堂の「朝定食」。戦前は「ニシン漁」で栄えたこの街も、戦後ソ連の200海里宣言の後は沿岸漁業中心の「育てる漁業」に変貌して漁船の数も減り、「鳥も通わぬ死の海峡」となったという。又この港は2月でも平均気温はマイナス6.5度で「不凍港」だそうだ。観光バスは8時に発車して一路宗谷岬へ。

  岬には「日本最北端の地」の碑。43Kしか離れていない樺太は小雨に煙って全く見えない。丘の上には「平和の鐘」、「古砲台跡」、「宗谷海峡海軍戦没者慰霊碑」、「海峡警備の重砲兵連隊平和記念碑」等々数多くのモニュメントの中に、「はだれに暗く緑する宗谷岬のたたずみと、北はま蒼にうち眠るサガレン島の東尾や」と宗谷挽歌の一節を刻んだ宮沢賢治文学碑もあった。

  バスは稚内に戻って、「ノシャップ岬」と「稚内公園」に立寄る。往時南極観測の樺太犬を訓練したのもこの辺りで、ここでも宗谷岬と同様に「九人の乙女の碑」、「氷雪の門」、等の記念碑が矢鱈と目に付く。漁場を奪われた稚内の町興しの一つが「観光産業」と見た。我々の乗った「宗谷バス」も島へのフェリーとタイアップして「観光」で稼いている感じ。路線バスは本数も極めて少なく、人も殆ど乗っていない。

  ターミナルに戻ってANAの営業所に立寄る。午後の便の席は3人とも窓際で「シルバー割引」が取れた。観光案内に記載された「すし屋」で丸3日の充実した旅の締め括りにと「生寿司」をつまみに「キリンビール」で乾杯!

 

 

  発言番号:376373へのコメント)

    発言者  :巖 隆吉

    題名    :夏の煌めき〜利尻・礼文・稚内観光記

    登録日時:98/08/16 11:31

 

 最近のNHKテレビでは、「海の上の利尻富士」の放映が何回もされており海の中から利尻の頂上まで、綺麗に放映されています。私もお陰で利尻については貴兄の詳しいメッセージとともに、詳しくなりました。ここに改めて遅ればせながらコメントを入れます。

  さきにも触れましたが私は稚内の西の山の上のレーダー基地から海の上にそそり立つ利尻岳を見ただけなのですが、この利尻島は海から山の上までの植物の種類の豊富さでは本当に恵まれているのですね。

  礼文を含めて観光も良かったでしょう。私も宗谷岬にも立ち寄りましたが、「9人の乙女」の話は印象に残っております。終戦の頃、昔の樺太(サハリン)の交換嬢9人がソ連軍の攻撃の最中、最後まで交換機に立ち向かい通信を確保、戦死されたという話だったと思います。

  昨日は、終戦記念日でまたお盆の日、「9人の乙女」に託して多くの亡くなられた方々のご冥福を、この際お祈りしたいと思っております。

 

 

  発言番号:377376へのコメント)

    発言者  :深澤 龍一

    題名    :夏の煌めき〜利尻・礼文・稚内観光記

    登録日時:98/08/17 13:57

 

 巌さんらしい「コメント」を頂戴致しました。偶々、昨夜はNHKで「海に浮かぶ富士・北海道利尻島」も放映していて、もう一度あの旅を反芻しておりました。山については山頂の高山植物群を除いては私が歩いたのよりもカメラは険しい所を撮影していました。事前にこれを見ていればもう少し違った歩き方があったのかもしれません。

  巌さんが感慨を覚えられた「九人の乙女の碑」は、稚内の西の端に突き出た「ノシャップ岬」(岬が顎のように突き出た所と言う意味のアイヌ語で根室のノサップ岬とは別)にある「稚内公園」にあります。私の記憶に今も残る昭和20年8月20日、ソ連軍侵攻の緊迫した状況の中で、最後まで交換業務の任務を果して自らの命を絶った「樺太真岡郵便局」の9人の若き女性交換手達を慰霊して建てられていました。

  今、終戦記念日の直後だけに私も感慨を新たに致しております。この碑には「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」のあの彼女らの最後の言葉が刻まれていました。

 樺太で亡くなった人々の慰霊と、異国となってしまった樺太への望郷の念をこめて建てられた「氷雪の門」のモニュメントを挟んで、「昭和天皇行幸啓記念碑」もあって、「九人の乙女の碑」の悲話へのご感銘を詠まれた御歌、御製も刻まれていました。

 御製:「樺太に  命をすてし  たおやめの  心を思えは  胸せまりくる」

  御歌:「樺太に  つゆと消えたる  乙女らの  みたまやすかれと  ただいのるのみ」

 

 

  発言番号:378377へのコメント)

    発言者  :早川 元廣

    題名    :夏の煌めき〜利尻・礼文・稚内観光記

    登録日時:98/08/18 17:49

 

 深沢さん 巌さんの見聞記楽しく拝見しました。

  私もS44−47年札幌在勤当時2−3度稚内を訪ねております。1度は旭川から車で原野のまっすぐな道を北上しました。「氷雪の門」から樺太を望み少女らのみ魂やすかれと感慨に耽つたことを覚えております。はまなすが咲き乱れ自然はあくまでも静かでした。

 拙いコメント送らせていただきます。

 

 

  発言番号:379378へのコメント)

    発言者  :巖 隆吉

    題名    :夏の煌めき〜利尻・礼文・稚内観光記

    登録日時:98/08/20 11:58

 

 早川さんのコメントを拝見しました。

  3年間札幌に在勤されたのでは、さぞかし北海道もお詳しいことと思っております。私自身北海道にはあまり縁がなくて、今まで数回訪ねたのみで殆どめぼしいところは知りません。早川さんの記事の中に旭川がありましたので、一寸触れたいと思います。

 旭川は戦前は軍都でしたが、戦後も自衛隊の基地が多くを占め、その依存度が大きいなと痛感して来ました。その自衛隊の基地内に「郷土館」があり、1時間見学しましたが屯田兵の当初の開墾状況の外、郷土師団としての旭川師団の戦歴や珍しいものでは井上靖のこと等も展示されています。井上靖の父は軍医としてこの地に勤務していた縁によるものでしょう。

  早川さんは色々吟行会にも参加されていますが、もし北海道での俳句があれば、この際ご披露していただければと思っております。

 

  この他に 北海道関係旅行記として

   96/8/20 15:21  北海道旅行

   96/9/5  15:40  函館、小樽

 がありますが、発言事項の内容資料がないのは、残念。

 

 

(2)関東北部

 

 

  発言番号:120

    発言者 :太田 中

    題名  :蔵の街」栃木市観光

    登録日時:97/09/03 19:10

 

 深沢竜一氏ご夫妻が宇都宮の孫さんの幼稚園敬老参観日へ行く途中、是非栃木市の見物をしたいと若干の質問がありましたので、皆さんにもお薦めの観光地と思い会議室に載せることにしました。

 小生は隣接の佐野市に育ちましたので両毛線「小山−高崎」沿線の都市は子供の頃から何度か参っております。その上、数年前いつも旅行を共にしている学友から北関東の都市へ是非行ってみたいと申し出があり、一緒に館林、栃木、佐野、足利、太田、桐生、足尾、前橋、高崎の各都市を日帰り又は一泊で廻りました。大部分両毛線沿いの都市ですが、又東武線でも行ける所なのです。

  そこで第一の提言はJRと私鉄の両方で行ける所は絶対後者で行くこと。JRは民営化して以来一回も値上げしておりませんが、現在でも私鉄との差は2−3倍ですから。

  話を栃木市だけに絞りましょう。

  東京から行く場合、乗車駅は東武線浅草か北千住で「快速」に乗ることです。どの車でも座れますし、栃木まで1時間程です。

  到着時間に5分の差もありませんので、「急行」に乗る必要はありません。到着しましたら、駅か交番で市内地図を貰います。栃木が佐野、足利同様小京都(全国に50都市が認められている)であることは周知されていますから、その積りで歩いてください。

  「蔵の街遊歩コ−ス」は10万匹を超える鯉が群泳し、青々とした柳がゆれる巴波川「うずまかわ」のほとりをめぐる散歩道で駅前から始まるのが何より嬉しいところです。

  足の弱い人はレンタサイクルもあります。

  第一に巴波川沿いに30分位、一番奥の岡田記念館に行ったらよいでしょう。町名まで嘉右衛門町の当主岡田嘉右衛門をもって26代を数える旧家です。元禄時代以来の陣屋門や明治初期の理髪店を始め住宅や作業場が幾棟も昔のままに残っているのを見るとタイムトンネルを潜っているような錯覚さえ感じます。

  昼食(記念館入る時に予約した方がよい)は別邸「翁島」でとることをお薦めします。殿様のような気分になれますから。京都には数々の豪邸がありますが、此処もそれに勝るとも劣らぬ豪壮なものです。廊下は総て欅の一枚板、主廊下は長さ6間半、巾3尺、厚さ1寸は何度も撫でまわしてみたい位。テレビの録画や映画のロケは引きもきらないそうです。

  帰途は電車の時間と足の丈夫さ次第で適当に立寄ってくればよいでしょう。

・横山記念館−右半分で麻を商い、左端が共立銀行でし た。

・あだち好古館−江戸時代気分いっばいの蔵の美術館。

・塚田記念館−木材回漕問屋で歴史的に価値の高い建築 群。

・旧県庁堀−昔、県庁があった所。教会、大正時代の洋 館等もあります。

・近龍寺−山本有三の墓。境内に栃木県最初の小学校、 師範学校が開設される。

・その他多数。

 

  郊外で半日行程の所に、夫々風情があり春秋は行楽客で賑わう出流山満願寺、星野遺跡、太平山神社があります。次回機会を探して訪ねてみたらいかがでしょう。

 最後に一言付け加えますと、DDD会員の中には若い者顔負けの健脚で山登り、ハイキングをこなす方々がおります反面、体調の関係で其処まではどうもという方には都市観光をお薦めします。コ−スが街中なので休息も食事も自由、マイペ−スで歩けますから。唯山の中と違って交通事故だけは十分気を付けて下さい。

  関東一円、日帰り、時には一泊のコ−スは山ほどありますよ。思わず明治、大正のロマンに目を見張り、昔懐かしい民芸品や郷土料理に行き合えるのは楽しいものですね。

 

 

    発言番号: 617

    発言者  :深澤 龍一

    題名    :「蔵の街」栃木市を歩く

    登録日時: 99/04/06 10:13

 

 宇都宮の息子の嫁から「孫の幼稚園は今春休み・・・」と誘われて、じゃあその序でにと急に一昨年から太田さんに勧められていた「栃木市観光」を思い立ち、4月2日ご指定の「東武快速」を北千住で捕まえての旅立ちであった。目指す栃木迄は正味1時間5分で到着した。勿論、太田さんの詳しい「メッセージ」を携え、丁度「ジパング倶楽部」の3月号の特集記事「春の栃木路ウォーク」も持って行った。

  駅前から始る「蔵の街遊歩道」は関東ふれあいの道、巴波川の岸辺に沿ってを歩く。このコース、太田さんの紹介では「清流のほとり」を想像していたが、生憎「河川工事の為、水の流れが汚れ」て生活用水が直接流入し、どぶ川の感があって悪臭さえ漂って泳ぐ鯉達も可哀相な気がした。橋の袂には「近々元来の清流に戻る」と市の断り書きがあった。この「巴波川綱手道」は、巴波川の舟運が江戸時代初期に始り、栃木の発展を築いた歴史でもあって、川沿いには「栃木三河岸」と言われる栃木河岸、片柳河岸、平柳河岸、と沼和田河岸があって賑ったという。

 巴波川は上流3kmの川原田町にその源を発して、かっては至る所に湧水があってそれが力となって流れが速かった。

  江戸からの荷物は、日光御用荷物をはじめ、塩、鮮魚類、蝋、油、黒砂糖等があり、又栃木からの荷物は木材、薪炭、米、麦、麻、木綿、たばこ、石灰、瓦等であった。

  舟は部賀船(60駄積)などで部屋新波河岸(藤岡市)まで下り、高瀬舟などに積み替えて思川から利根川を利用して江戸に向った。帰路は部屋河岸などより巴波川沿いに舟を麻綱・シュロ縄等で曳いて来たが、これは水の流れが早い事、川幅が比較的狭い上水深が浅かったためである。この舟を曳いた道が今に残る「綱手道」と言う訳である。

  現在川の畔には当時の面影を残した木材回漕問屋の倉庫が甍を並べており、群泳ぐ鯉など歴史的風情の漂う町で、河畔にある「塚田記念館」はその代表的な建築物として旧街道の雰囲気を留めている。又、栃木市の西北には瓦に適した豊富な粘土や燃料用材木を産するので、瓦製造は大消費地関東地方を控えて隆盛を極めたという。

  近くの浄土宗近龍寺には山本有三の墓があって、その墓碑には「たった一人しかない自分をたつた一度しかない人生をほんとうに生かさなかったら人間生まれてきたかいがないじゃないか」と「路傍の石」の一節が刻まれ、傍の墓誌には「山本有三大居士」とあった。

  街の北の外れには、太田さんが詳しく紹介した500年の歴史を誇る「岡田記念館」があった。既に正午を廻っていたので、隣りにある「翁島」に立寄って太田さんお勧めの昼食を所望したが、予約をしていなかったので断られた。聞けば予約者にだけ町中の料亭から食事を取り寄せる仕掛けのようで、だから太田さんは態々「岡田記念館に入る前に予約した方がよい」と断っていたのだ。(最初からそれを言っておいてくれれば此処で暫しの「殿様気分」になれたのに・・・)仕方無しに家内と相談して腹を空かしながら更に北へ、「ジパング倶楽部」に紹介された「油伝味噌」で「田楽盛り合せ」を試食した。

  鹿沼こんにゃくと豆腐と小芋の「味噌田楽」だが、これが「絶品」で家内もすっかりその味に惚れ込んで、二人とも二皿づつ平らげた。客も少なかったので、家内は其処の専務夫人に味噌の調合の仕方やたれの作り方まで教えてもらった上、田楽用の「串」迄頂戴して、すっかりご機嫌であった。「紹介して頂いた太田さんには内緒だけれど、今回の栃木の旅ではこの味噌屋さんが一番良かった。これで大満足!」とは家内の言。同席の二人連れの御夫人は「これを食べにだけ時々此処に来る」と言っていた。田楽の味を褒めた上、味噌も買い求めたら、かの専務夫人もすっかり喜んで田楽のたれを「オマケ」に呉れた。

  この油伝味噌の面する通りは「日光例幣使街道」で、江戸時代に日光東照宮の例祭(旧暦4月16日)には、朝廷から幣帛を供える為に毎年勅使が差遣わされた。これが「日光例幣使」である。

  この奉幣使は京都から中山道を下り、倉賀野宿(高崎市)で分かれて梁田宿(足利市)・天明宿(佐野市)・楡木宿(鹿沼市)を経て、今市で日光街道に合して東照宮に到着する。この倉賀野宿・楡木宿間を一般に「日光例幣使街道」と称していたそうだ。

  栃木宿から次の合戦場宿に向う道筋は古い家並みも残り、しばし往時を偲ばせてくれる。

  「新栃木」から30分で「東武宇都宮」。駅には嫁と孫二人が出迎えてくれた。デパートの地下で家内は早速「鹿沼こんにゃく」を仕入れて夕食の膳に「味噌田楽」にして提供していた。

付記

 息子の家に着いたら、嫁から「パソコン通信をやりたいから通信設定を・・・」とせがまれた。勿論パソコンはこの爺にはあの想い出の「COMPAQ」、正月に私の部屋から息子が持ち帰った代物である。

  所が電話機とパソコンをケーブルで繋いでいる時に、ピーッとけたたましい音がして、ケーブルを外した後も機械からこの音が消えずに、電源を切って初めて消音し何か不吉な感がしたが、案の定、「通信設定」の途中で画面が真っ暗になって2度と画面が出る事はなかった。 これは寧ろ良い機会と、翌日パソコン・ショップの開店を待って、\179,000. を叩いて\157,000. VALUESTAR NX VE36H/65C」を求めたので、嫁は寧ろ「瓢箪から駒」と大満悦。でもここからが大変で、嫁が「ソネット」に加入したいというので、オンラインで加入したまでは良かったが、見知らぬプロバイダーで色々こね回した末、SMTPとPOP3の記番号を入力する画面まで辿り着いたら既に夜の10時を廻っていた。(このセッティングに時間を取られて、家内は「日曜日は予定がある」と独りまたまたお気に入りの東武で帰京し、将に夫婦生き別れである。)翌朝、苦心惨澹してこれを調べ上げセットしたら無事に通話でき、インターネットもOKとなった。

  役目を終えて午後2時に息子宅を出る。孫とは全く遊べずに彼等に申し訳無かった。帰りに駅前のデパートに寄ったら油伝味噌の専務夫人が教えてくれた「銘柄」の「鹿沼こんにゃく」を見付けて1.5キロばかり買って、私はJRで帰京。

 

 

  発言番号:258

    発言者  :太田 中

    題名    :館林のツツジはいかがですか。

    登録日時:98/04/17 19:33

 

 「館林」と言うと何を連想されますか。「うどん」と「麦落雁」と答える方は相当の年輩者。今では小学生でも知っているのが「美智子様」と「向井千秋さん」で、お二人とも世界ブランドなのです。

  しかし、伝統的な「ツツジ」のことも忘れないで下さい。館林は元来が城下町、代々の城主が城郭とともに守り育てた庭園の一角が世界一を誇るツツジの名所「つつじが岡公園」通称「花山」。

  園内は、約11万平方米の敷地にヤマツツジ、リュウキュウツツジ、キリシマツツジをはじめ20余種、1万株ものツツジが植えられ、なかには高さ5-トル、樹齢8百年に及ぶ古木もあります。ツツジの開花時期は4月中旬から5月上旬。これらが色とりどりに咲き揃う頃は園内すべてが息をのむほどの美しさです。

  この季節、ツツジの傘の下で一杯飲むのも好し(他地ではこんな経験は出来ません)ボ−トに乗って「城沼」の水上から、ツツジを眺めるのもまた格別の趣があります。

  館林は市街地の半分が公園と言っても過言ではないほど、見る物の多い所ですが、今回はツツジだけに絞りましよう。

  行き方を申しますと、先ず東武線浅草駅へ参ります。

  「急行りょうもう号平日」

  浅草発   7、50    8、50     9、40

  北千住   8、01    9、01     9、51

  館林着   8、50    9、50   10、40

  準急は1時間に3本出ていまして90分程です。

  駅前から期間中、臨時バスがひっきり無しに発着していますが、往き位はブラブラ歩くことにしましょう。約2キロですから。

  駅前の大通りをフランスの田舎都市の気分で7−8分行くと、左手に広大な屋敷があります。と言っても目立たない門に続いて、砂利を敷いただけの広場の先に、高い木立がありその中に住居があるのでしようが、外からは何も見えません。これが正田本家です。美智子様が

戦争中疎開されていた所でもあります。

  その屋敷の前に「館林うどん」の本店があります。市内に数々ある「うどん屋」の中でも最も正統的で「三越」にも出店しています。ここで土産を買い、奥の食堂で「うどんの盛」等食してみては・・・

 お気を付けなければいけないのは、営業時間が昼を挟んで3時間位と言う殿様商売のことです。(売店の方は夕方迄やっています)腹こしらえが済んだら、ボツボツ出かけましょう。2−3分で公園地帯に入り、市役所はじめ文化、体育、緑地等施設が20数ヶ所続いた後、目的の「花山」に到着するわけです。

  帰途はお疲れでしょうからバスでお帰りになれば5分位で駅に着きます。

  以上、私の勝手でくどくど申しましたが、ご関心の無い方にはお目に障ったことでしょう。お詫びいたします。

  館林藩、正田家、田山花袋、文福茶釜等話題は一杯ありますが、いずれ機会がありましたら・・・