- 3.亜細亜、豪州

 

 3-1 中国旅行

 

 

    発言番号:471

    発言者  :萩野谷 徹

    題名    :中国旅行

    登録日時:98/10/30 14:28

 

 10月18日から6日間家内と二人で上海、桂林と北京を旅してきました。

 近畿日本ツーリストの団体旅行を申し込んだのですが、18日出発は我々二人とかで二人の団体旅行となってしまいました。日本からは添乗員は付きませんでしたが、空港には中国のガイドさんが待っていてくれて、パンフレットに書いてある通りの案内をしてくれました。皆様おなじみの場所と思いますので一々の説明は省きます。私は、3回目の中国でしたが行く度に新しくなっていて感慨無量でした。北京の万里の長城までも高速道路が完成して、北京市内から長城まで1時間です。ガイドさんは携帯電話で連絡を取りながらの案内でした。

 湖廣会館で京劇を観覧したあとの俳優さんとの記念写真(これもツアーの一部)をバイナリー(JPG)で送信しましたので、できたらご覧ください。

 

 

  発言番号:637

    発言者  :村瀬敏哉

    題名    :初めての中国旅行−その1

    登録日時:99/05/12 14:52

 

 5月8〜11日上海に行って来ました。中国は油化に居たときにブタノールアルベン等を輸出しており、交易会へ出張の用事が何度も有りましたが、毛沢東華やかな頃で学習から始まると聞いてましたし商談も繰り返しも高いの安いののやりとりですので、私には不向きと毛嫌いしいつも子分に任せ私はそのほかの自由な諸国専門にして居った次第です。

 今回は、4年ほど前から貿易部での部下で上海で発泡スチロールの会社に居るのがおりまして、この男は現地語がぺらぺらで一度いかがと誘いを受けておりましたので出かけた次第です。

 もう一つの初体験は、やはり貿易部にいた部下が是非一緒に行きたいと申しましたので、その趣味は全くありませんが信託さんの某某氏と同じく、野郎二人の同衾の旅となりましたことです。

 上海、抗州、蘇州と近間ばかり歩きまして、何れ若干細かくレポートしたいと思いますし、テスト的に写真もライブラリーに入れますが、上海の活力(人口1450万人と云われておりますが)建設がものすごく凄いです。

 テレビ塔は世界三番目の高さだそうで、これも三番目の高さだと云うビルの80階の展望台にも上りました。そのすぐ横に世界一番の高さになるビルが目下建設中です。飛行場もいずれ滑走路6本のが出来こうなると東南アジアのハブ空港はそちらに行ってしまうのではないでしょうか。

 物価の安さ(タクシー:最初3キロ150円、一般の食堂で紹興酒1本、料理4品取って一人400円等)いかに東京、日本が高いか痛感します。(もっとも先ほどの現地に駐在して居る者が案内してくれたことも関係して居るかと思いますが)。

 取り敢えず帰国早々で若干お疲れですので予告編お送りします。

 

 

    発言番号:640637へのコメント)

    発言者  :深澤 龍一

    題名    :初めての中国旅行

    登録日時:99/05/13 08:18

 

 以前から何時も「君らは<<ホモ>>じゃないか?」と罵っておられた村瀬さんも、とうとう男同士の旅となったそうですね。「旅の記録」もさる事ながら、「男同士」の感想は如何ですか?我々のアベック旅行も前回で6度を数えましたが、男同士はついぞ見掛けた事がありませんでした。その点で村瀬さんは矢張り「強い味方であったのだ!!」。

  オークランドのホテルの2階から見下ろしていたお婆さんも、腕を取って道路を渡る我々の姿をとても微笑ましく好意的に見惚れていたそうです。7年前に脳梗塞で亡くなったご主人が「是非行ってこい」とおっしゃっていたニュージーランドへの旅だから、このお婆さんは余計に感慨深かったのかもしれませんが・・・。

  旅に出ても、女同士の組は沢山見かけますが、男は偶に一人旅の方を見掛けても、大概は奥さんとご一緒、だから「濡れ落葉」等と女性達に馬鹿にされるのだと思いますが・・。(失礼!!)勿論、何時も「連雀会」でお世話になっている村瀬さんご夫妻は、知る人ぞ知る「おしどり夫婦」だから決して濡れや落葉などではありませんが・・・。

 さて、私の相棒の太田さんですが、先般来「日本語が出なくなった」と半角のローマ字でメールを寄越しました。「人間も機械もすっかり駄目になりました」と私には泣き言を言ってきましたが・・・。どうなったのか詳しい事は判りませんが、彼の「名文」が流れないと困ります。

 何しろ「田舎侍」は  ”Can not” とは言いませんので、何方か「修復方法」をご存知の方はこっそり教えてあげて呉れませんか?私からは「タスク・バーを弄って<<ツール・バーを表示>>にチェックしては・・・」と申しておきましたが、一向に音沙汰がありません。 何しろ彼は右の人差し指一本でキーを叩いていますから、ローマ字ではやってはおれないし、そうかといって今更 "can-not"とは言えないし、またストレスが溜まっていると思いますよ。キツト!

 本論を外れたコメントで済みません。勿論、やがては「世界第二の大国」と噂の高い中国のお話を楽しみにしています。

 

 

    発言番号:641

    発言者  :村瀬敏哉

    題名    :初めての中国旅行 その2

    登録日時:99/05/15 14:46

 

 当会には土田泰男さんといわれる大変な中国通が居られホームページ迄出して居られるので余りお役に立つことも無いかと思いますが 折角行って来ましたので自分の記録としての意味も含めご報告します。

 今回の旅行はJTBのパック旅行を利用しました。(単独の場合はビザ取得のためにinvitation letter が必要といわれましたので)5/8 1000発のJALで上海に飛びシャングリラホテルに3泊 5/9は抗州 5/10は蘇州へ日帰り旅行をし 5/11 1515発の飛行機で成田に帰りました。帰路は追い風のため130分のフライトで時差は1時間有りますが国内旅行の延長のようなものです。

 中国に関しましては余りよい先入観を持たずに行きましたがすっかり洗脳されてきました。上海は完全な近代都市で環状高速道路も出来上がっており郊外を含めてビル マンションの建設ラッシュ 市内は新宿副都心の比ではありません。人口も年間100万人も増えて居るようで上海だけ取るとGDPの伸びが十数パーセントも有るとのことです。国全体でも6〜7パーセントと云われてますが。又物価は一般的に日本の1/5位ではないでしょうか。(但し現地の人の収入で考えれば生活はそれほど楽でないと思われます)。治安は大変よくどこへ行っても一度も怖い思いはしませんでした。ただ一般的には日本語は勿論意外に英語も通じず今回のように中国語の堪能な人間が居ないと苦労すると思います。

 上海では到着した日の午後ホテルが黄浦江の対岸に有ったためフェリーに乗って市内に入り豫園とゆう庭園を見ました。最初は1559〜1577年にかけて造営されたそうで面積20000平方メートル中には池 楼閣が点在してます。二人で歩きましたので所々で日本人観光団のガイドの説明を盗聴しながら見物しました。庭園の回りは商店街で様々な店があります。(ちなみに入園料は230円でした)

 非常に合理的だと思ったのは帰りもフェリーに乗りましたが 来るときはただで帰りに往復分の料金を取られることです。

 食事は前回もご報告したように 安い店では一人400円(酒も飲んで)又JTBのパックに入って居る食事は料理10品程でも一人1500円でした。(ただ何故か判りませんが食事の後テーブルクロス シャツ等の押し売りが食堂の中で始まりました)お上りさんですので上海雑技団なるサーカスに行きました。よく日本にも来てますが 一時間半のショウで3000円です。

 夜の町は香港からすべての商売が移ってきて居るそうでカラオケバーにも行きました。若い日本語の話せる綺麗な女性が居ります。私の横に座った子は21歳大学でコンピューターをやって居り自宅に機械があるとのことでしたので帰ってからデジタルカラで写した二人が仲良くている写真を早速送りましたら 今朝お礼のメールが入ってました。インターネットは本当に便利なものです。

 昔から有名な上海バンスキングのジャズも聞きに行きました。8人程の若干老年の楽士が一生懸命いくらか音程の外れたジャズを演奏してまして一曲450円でリクエストを待ってました。

 今一番高層のビルの80階にある展望台に上がりました。三菱電機製のエレベーターで45秒で到着します。残念ながら曇っておりまして展望は余り良くありませんでした。

 次回以降 抗州 蘇州に就いてレポートします。又選んで写真を逐次ライブラリーの方にお送りしたいと考えてます。

 

 

    発言番号:645

    発言者  :村瀬敏哉

    題名    :初めての中国旅行 その3 抗州行

    登録日時:99/05/18 18:37

 

 抗州は上海の南約200キロにある都市です。上海から片側2車線の高速道路が有りまして 5月9日(日)に現地の友人の車を彼の会社の運転手が運転してくれまして訪ねました。車は現地生産のフォルクスワーゲンで上海市内のタクシーもこの車種が大勢を占めておりました。日本と違い日曜日でしたが道路は空いており約90分で着いてしまいましまいました。ただ市内に入ってからベオグラード中国大使館誤爆に対する学生のデモの遭遇し全く走れず往生しました。

 昼食を楼外楼でとりました。この料理屋は終戦後割と早い時期に赤坂の日商岩井ビルの裏に汚い木造の建物で商売を始め 以降六本木さらには吉祥寺の第一ホテルにも開店し吉祥寺の店は良く使用しております。名物の豚の角煮 こじきどり(ひな鳥を蓮の葉に包み、粘土でかためて蒸し焼きにした料理但し今はサランラップで何重にも包んいます。)当地名産のお茶とむき海老を炒めた料理 西湖で取れたじゅんさいのスープ等を紹興酒で楽しみました。何れも美味でお値段も何時も通り日本の何分の1でした。

 西湖(シー・フー)は面積5.6平方キロ、湖周15キロメートルで地質調査によると抗州湾につきだしていた抗州の北の宝石山と南の呉山がうち寄せる波による砂の堆積で二つの岬が繋がり平地となり、残った内海が湖になった様です。

 六和塔と云う北宋の970年に建てた塔に行きました。高さ59.89メートル塔座周囲860メートルの煉瓦と木で出来た八面体の塔で13層あり4層迄上がって写真を撮って来ました。

 龍井茶(ロンジンチャー)と言うお茶の産地に寄り緑茶を購入しました。1斤幾らで売っており結構良い値段でした。お茶の飲み方はまずコップにひとつまみのお茶の葉を入れ 80度の湯を少量注ぎ最初の水分は捨てて以降お湯を注ぎます。飲んで空になる前に次の湯を注ぎ絶対にふやけたお茶の葉を空気に曝してはいけないと云っておりました。

 帰路も渋滞もなく 夜の上海での行事も色々残ってましたので早めに引き上げた次第です。

 

 

    発言番号:646

    発言者  :村瀬敏哉

    題名    :初めての中国旅行 その4 蘇州行

    登録日時:99/05/18 18:37

 

 11日(月)はJTBのオプショナルツアーでバスで蘇州に行きました。今回の集団の特徴はヨーロッパ等と違い18名の団体でしたが、平均年齢は多分60歳以上且つ男10名女8名。やはりまだ中国は若者、女性には魅力が無いようです。此方は抗州より上海から近く、やはり高速道路経由1時間位で行けます。

 昔から蘇州夜曲でも歌われて居りますが、水の都と云われており、ガイド(大変美しい女性で日本語もペラペラ、冗談も交えて説明してくれました。)行ったのは虎丘斜塔、寒山寺、留園、刺繍研究所等です。

 虎丘の雲岩寺塔はピサと同じく、斜塔で961年に完成煉瓦造りで8角形の7重の塔、高さ47.5メートル地震が無いので大丈夫だそうです。但し中には入れませんでした。寒山寺は517年に完成したが幾度も焼失、現存する建物は清時代のものだそうです。鐘楼の鐘を一突きすると10年若返るそうですが、ガイドに云われ各人三回ずつ突いてきましたがどうなるのでしょうか?色々の碑文の拓本を購入している仲間も居りました。拙政園も大変広い綺麗な庭です。面積は4ヘクタールー明朝の1530年に出来たとのことです。

 留園に行く頃雷雨に遭いました。雹も混じっての大雨でしたが、この庭はすべて回廊で繋がって居るため無事見学出来ました。此処は1522〜1566年に金持ちの自家庭園として造られたとのこと。建物、池、岩、樹木大変立派なものです。一日ゆっくりしてたら普段のストレスも取れるのではないでしょうか。

 国立の刺繍研究所にも感心しました。両面別絵柄の刺繍もあり、電気をつけると色が判らないので、皆窓際で作業してました。細い絹糸を使っての大変細かい頭の痛くなるような作業で、大作になると二人で二年位かかるそうで、れは綺麗なものが多く、金魚なんか本当に泳いでいる様でした。

 上海帰着後半数以上のものはレストランで夕食を撮り、雑技団のサーカスを見物長い一日が無事終了しました。

 東京の家に居りますと夜中に何度も目が覚めるのが、野郎二人の今回の旅行では、三晩とも朝迄熟睡出来た理由が未だに判りません。帰った晩から元に戻って夜中に何度も目を覚ましております。

 

 

 3-2 ペナン

 

 

  発言番号:097

    発言者 :巌 隆吉

    題名  :ペナン紀行

    登録日時:97/08/14 20:03

 

  去る8月6日より10日までペナンに行きました。

  ペナンには、行かれた方も多いと思いますが、私自身は始めてですので、感想を若干述べさせて戴きます。

  ペナンの対岸に、長男が肥料工場建設のため長期出張中で単身でいますので、その慰問をかねて、その留守家族(嫁と小学生2人)と私ども夫婦の5人で7月末、急にペナン行きを決め準備もそこそこに出発しました。

  一番心配したのは、温度でした。予めニフテイからクワラルンプールの天気予報を見ても日本と大差がないので不思議に思っていましたが、ペナンに着きましても意外に涼しく熱帯にいるのだという感じは全くしませんでした。尤もペナンは海岸ですし、特に今年はインドネシアの大山火事の煙で空が曇り勝ちという影響もあるようでした。水の方は中国と同様、生水さえ飲まねば全く問題はありません。

  先ず、現地の中国系ガイドや長男の話しを聞くと、マレーシアは目下、建築ラッシュでまた三菱自工と提携の国民車開発、さらに電子産業育成等、施政者は極めて意欲的で日本等東方に学びたい意向が強いようで、そして2020年までに、先進国の仲間入りをしたいとの施策で、そのため各民族、各宗教を同じ立場で扱い統一を計る方針の由。しかし、経済を握っているのは中国系であり、政府は本来のマレー人を優遇したいとしていても、まだ能力不足であり、さらに困ることは一般的に怠惰のようで、このままでは、2020年までの先進国入りはいささか無理ではないかとの見解でした。

  ペナンのリゾート地区は、本当に見事なものでホテルは海岸に望み、その上プールも完備しているので、安くリフレッシュするのには格好の場所だなと思います。

  ホテルで泳ぐことは、当然ですが色々観光もしましたので、2、3印象に残ったことを以下述べます。

 

  マレーシアの健康食バクチーの屋台

 マレーシアに着いた翌朝食べましたが、煮込みはうまいのですが、米に色々なコショーを入れての赤紫色のご飯は私の口には合いませんでした。席の近くに炭火がありヤカンで湯がグラグラ煮えており、中国茶だけはいくらでも飲めるので生水の飲めないペナンでは有り難いと思いましたが....。

 屋外で暑くはあるし、日本人の眼から見ると不潔そうに見えるので、その後、屋台には行かず、バーベキュー、ビフテキ、中華、和食(マレーシアで和食とは贅沢ですが、その和食は今1歩の味)と種々トライしました。暑さバテしないよう極力ニンニクも食べることにしたら、疲れも早く癒えるようでした。

 でも、帰るころになると、漸くマレーシア独特の味にも慣れて来た次第。

 

  コーンウオリー砦

 イギリスが1786年占領、マラッカ海峡入り口のペナンに造った要塞。

  その後、シンガポール、香港と東アジア植民政策の第1歩の基地。第2次大戦ではペナンに日本海軍の基地があったとガイドの説明あり。私の調査では、昭和16年12月、対岸のマレー半島では激戦であったが、ペナンは日本陸軍が無血占領している模様。イギリス統治下にあったためか、ジョージタウンの繁華街は綺麗で中国街は明氏(クー)の菩提寺に象徴されるように裕福であり、インド人街はそれよりも荒れており、さらに郊外には高床の不潔な街もあり、貧富の差は激しいようでした。

 

  クアン・イン寺院

 ペナンには色々な宗教のお寺、即ち仏教、儒教、道教、ヒンズー教、キリスト教が混在している。このお寺は3本の線香を持ってお参りするのだが、その3本は道教、儒教、仏教のそれぞれの神に捧げるためで、その3ツの宗教が渾然一体化している。参詣人も多く線香の煙がもうもうとしており、如何にもご利益のあるようなお寺でした。

 私が驚いたのはその前にボロ布の乞食がたむろしておって、施しの弁当をわれもわれもと争い喧嘩している風景を見たことです。その中には若い人も。

 

  ヘビ寺

 このヘビ寺の印象はまことに強烈だった。

  この寺は、儒教系の寺院だが何時の間にか、毒ヘビが住み込むようになり、逆にこの寺の守護神になっている。ご本尊の前のこんもりした燭台をガイドが棒でつつくと三角の鎌首をニューと上げるには先ずびっくり。また青い木に保護色の小さな緑色のヘビ、さらにその奥の薄暗いところには無数のヘビとヘビ嫌いの私もぞーとした次第。でも、小学4年生の孫は平気で隣にあった写真屋の青い縞の毒ヘビを握り喜んで写真を撮って貰い大喜び。尤もその毒ヘビは、毒歯を抜いてあるそうで危険はないのだが、私には信じ難い光景だった。写真代は3枚で30ドル(1500円)。

  秋篠宮も数匹のヘビと写真を撮っており、写真屋もそれを日本人向けPR用に使っていた。

 

  ペナン・バタフライ・ファーム

 マレー半島は蝶のメッカ。ここには、約3000匹が乱舞している。子供の手にも止るし見応えのある博物館だ。

 その他、サソリ等珍しい昆虫もおり見飽きないところだ。

  孫の希望で、マレーシアにしかいないかぶと虫の標本等を求める。

 

  熱帯植物園

 真上の太陽がギラギラする日中だがジャングルを見ようと入った。一同始めて色眼鏡を使う。途中親子のモンキーも沢山いて眼を楽しましてくれる。

 森の中に入ると始めて南方に来たなと思う。さすが大きな熱帯樹が、昼なお暗く鬱蒼と繁っている。

 

  ペナンヒル

 観光を欲張るよりも、泳ぐ方が良いかなと思ったがやはり、折角だからペナンで一番高いところにも登っておかないと、ネットワークの太田さんや深沢さんにも話すことも出来ないとケーブルカーを使って登った次第。

 そのケーブルカーだが、私より年配の1922年生まれで、全くのノロノロ運転。途中でもう1本上のケーブルカーに乗り換え漸くたどり着き、標高約750メーターの頂上に立つ。

 頂上からは遠くが霞んで良く見えないが、それでもジョージタウンの高層ビル街は眺められた。

 遅い昼食を撮るにも、屋台では心配なので漸く小さなレストランを見つける。孫にチキンライスを注文したら、ご飯の上に大きな鶏肉。見た眼も悪く子供たちもタジタジして食欲も湧かないようだ。

 このように、僅かの期間だが、子供たちも楽しく泳いだり、またマレー語を覚えたり、異国のことに随分と関心を持つようになり、さらに久しぶりに父親とも会う

ことが出来たので大変満足していた。

  ここで少しばかりのマレー語も書いておきましょう。

       有り難う            テリマカシ

       どういたしまして    サマサマ

       こんにちは          サラマトウンガ

 帰りの飛行便は、ペナンークワラルンプールーチノンーコタ・キタバルで三角形の2辺を廻る遠廻り。急に決めた旅行だから仕方がないが、お陰で東マレーシアとの統合独立30周年記念(8月8日がその記念日)の直後、マレーシア政府の期待どうり(?)マレーシア全土を空から見ることが出来た。

  途中機長のコース案内によると、コタ・キタバルからは、南シナ海、フィリッピン、台湾、沖縄、九州経由と聞き、ふと終戦日の近いことも思い出した。このかっての激戦地で亡くなった多くの戦没者の方々のご冥福を心からお祈りした次第。

 このマレーシア航空80便は10日22時成田着。帰宅は翌日深夜1時だった。

 

 

  発言番号:099 (097へのコメント)

    発言者 :深沢 龍一

    題名  :ペナン紀行

    登録日時:97/08/17  08:15

 

 「ペナン紀行」を拝見しながら巌さんご一家の楽しそうなバカンス風景を想像しておりました。そしてマレーシアについて自分が如何に無知だったかも改めて知りました。

  ペナンは15世紀の終りにイギリスの東インド会社がここを買い取った時には 「プリンスオブ・ウェールズ」島と名づけたそうで、先の大戦の緒戦にマレー半島の東海岸に沈んだ英国東洋艦隊の旗艦もこれと同じだったと思い出しました。

  私は外国旅行の経験に乏しいので、海外といえばヨーロッパの極一部しか存じませんが、ボルネオの北部もマレーシアだとは今回のレポートで初めて知りました。島嶼部分は皆「インドネシア」とばかり思い込んでいましたから・・・。この辺りは昔からインド、タイ、ジャワ、ポルトガル、イギリス、オランダと「世界史地図」を眺めると色々の国の色に変わっているのですね。勉強させてもらいました。お帰りの便が立ち寄った「チノン」とは手元の地図には見出せませんでしたが、「サラワク」の海辺なのですか ?

  「クワン・イン寺院」とか、「ヘビ寺」とか東南アジアは昔から色々交流の歴史があっただけに、共感する所も多そうですね。体力が衰えて長い旅が出来なくなったら近い所を廻ろうと、巌さんの紀行文を拝見しながら思った次第です。

  どうもお粗末な「コメント」で済みません。

 

 

  発言番号:100 ( 099へのコメント)

    発言者 :巖 隆吉

    題名  :ペナン紀行

    登録日時:97/08/17  13:22

 

  詰らないコメントを見て戴きまして感謝します。

  お問い合わせのチノンはクチンの間違いで、東マレーシアの南にあります。失礼しました。三菱商事のドル箱の天然ガスのブルネイの南で、コタ・キナバルはそのブルネイの北にあります。

  そのコタ・キナバルにはキナバル山という世界でも名山といわれる山があるようで、帰国後聞きましたところ、隣の家の親戚の山愛好家の老婦人も、その山に既に登られたとか。

  深沢さんもまた、挑戦したい山が増えるのではないでしょうか。

  今回、ペナンに行きまして、私はイギリスの没落は当然といえば当然ですが痛感しました。それにしても中国系のマレー人の底力は凄いですね。生っ粋のマレー人がどのように奮起するのか、将来のマレーシアを占う鍵になるのでしょう。

  また、今回は最初の1日のみ中国系のガイドにお世話になったのですが、日本語でユーモアを語りしかも、英語、中国語、マレー語を話すわけですから、今後のマレーシアの国際化は容易であり、日本人もこれから益々国際化するためには心すべきことでしょうね。

 

 

  発言番号:103 ( 097へのコメント)

    発言者 :太田 中

    題名    :ペナン紀行

    登録日時:97/08/20 18:21

 

  急遽、ペナンへ行かれた由、貴方の好奇心、腰の軽さは敬服の至りです。と言いますのは好奇心は精神の柔軟性、腰の軽さは身体の適応性を現し、老化現象とは程遠いからです。

  今、ペナンに居られる息子さんは、以前チェコに在勤されたお方ですか?「この親にしてこの子あり」。世界を股にかけてご活躍とは見上げたものです。

  ところで小生未だマレ−シァには行ったことがありません。半島突端のシンガポ−ルには行っておりますが。今ヨ−ロッパ、北米に専念しておりますので、アジアは暫くお預けです。

  気候は大変よろしいとか。愚妻は先年3年続けてプ−ル仲間と海水浴に行っており、好印象を持ったようです。

  アジアは乞食と押売りが多いですね。特に日本人と見ると・・・。ヨ−ロッパはジプシ−の乞食は多いですが、白人は見掛けませんでした。黄色人種に頭を下げるなど、やはりプライドが許さないのでしょう。

  過日旅行したロシアでは結構いましたよ。殊に老婆などが。食えない者はいないと嘯いていた共産主義国がこの体たらくですから・・・。

  兎も角、巌大兄の足まめと筆まめには恐れ入りました。

またお会いした時、お話伺いたく存じます。

 

 

  発言番号:107 (103へのコメント)

    発言者 :巖 隆吉

    題名  :ペナン紀行

    登録日時:97/08/23   19:15

 

 確かにおしゃるとうり、ペナンは手頃で安く良いところだと思いました。

 2週間前に急に決めて出発したのですが、JTBのフリー(半日観光のみで後は航空賃とホテル朝食のみで5日間)で15万円ですし、物価は昔に比べますと多少上がったようですが、国内並みに多少贅沢をしてもそれ程費用は嵩みませんでした。

  ペナンのリゾート地区のホテルは、どれも一応しっかりしていますので、一寸気分転換に行くには、手頃のところですので、来年は奥さん孝行のためご一緒されては如何でしょうかね。

  尤も今回は、長男の慰問ということで孫たちを連れての旅行でしたので、何時も多少緊張しておりました。長男はサウジ、プラハから今度はペナンと常に家庭から離れていますので、その点では陣中慰問ということですが、久しぶりに皆と旅行して大変楽しかったです。

  今後、日本人の若い連中はそのような生活をする人が多くなるのでしょうね。色々な問題はありますがやむをえますまい。少なくとも戦前の我々が、外地を転々としたことに比べますと、建設的で良いことだなと思っております。でも、子供にも決して増長しないよう釘を刺しておきましたが..。

  しかし、私はマレーシアの乞食や一部の貧しい街を見ますと、日本もこのままの繁栄が何時まで続けられるだろうかと、老婆心ながら、不安になる時もありました。

  先日、タイとマレーシアの後輩にINETでメールを出して景況を聞きましたが、その返事によるとアメリカは依然好調で2年前の赤字も現在は黒字でタイはバーツの切り下げで、輸入価格が20%upしてテンヤワンヤで、日本と違いまして始めての経験。週休3日を採用する企業も出る等、相当なパンチを受けているようですね。タイの混乱が東南アジアや引いては日本に悪影響を与えないように願いたいものです。一度その国を訪ねますとやはりシンパになりますね。

  偉く持ち上げられましたので、感謝をかねて一筆。

 

 

 3-3 バリー

 

 

  発言番号:126

    発言者 :村瀬 敏哉

    題名  :バリ-旅行記

    登録日時:97/09/20 16:36

 

 3人居る男の子の内 上と下は比較的適齢年齢で結婚しましたが昭和33年生まれの次男が何時までも結婚せず これは一生独身かと諦めて居りましたところ 今回急にそれも一回り以上若い女性と一緒になる事になりました。何分40直前の年齢でもあり国内でさらし者になるのが嫌なので海外で身内だけで密かに式を挙げる事となり 私が従来から1度行ってみたいと申していたのを 聞いて居たのか 気を利かせてBALIでやることになりました。

 INDONESIAには余り良い印象が有りませんでした。20年以上前に会社の出張で行った時まず入国の税関で物品の提供を強要され断ったところ荷物を徹底的に調べられ鞄に詰め直すのに大変苦労しました。此の件に就いては後日面白い話を聞きました。

 それはサウジアラビアの役人がインドネシアに行ったとき彼らが賄賂を要求し然もそれを個人で着服した。我々は1日の収入を全員で分けているのに・・とゆう目くそ鼻くその笑い話です。

 第2に一流のホテルバーウイスキーの水割りを飲んだ処大変な下痢になりました。三菱商事の人に聞いたら水は良いが氷は天然水を使用してないので氷の融ける前に飲まねばならないとゆうことでした。

 この腹痛はその後香港でも治らずフイリッピンに行って逆療法でブランデーストレイトで飲んでやっと治りました。

 前段が大変長くなってしまいましたが今回のバリ旅行は以下の通りです。

1.期間   96日〜12

2.滞在   BALI INTERCONTINENTAL HOTEL

3.結婚式  99日 於いて同ホテルの海岸沿いの庭

 プロテスタントの牧師が約30分現地語で挙式、従って

新郎新婦の名前以外は何も内容の判らない簡単なものでした。

 春に行ったKENYAと比較しますと同じ発展途上国でも格段の差が有ります。物価はやはり安いですが、 KENYAの様に何もせずにうろついている人間は見かけませんでした。

 ホテルのプールで本当に久しぶりに泳ぎましたが平泳ぎでも10メートル位で息切れがし体力の減退を感じると共に85キロの体重を何とかせねばならんと痛感しその一環として半年間の禁煙を解除、15本程度のタバコを復活しました???

 ホテルにはレストランが沢山あり 和食では鉄板焼きのほか納豆冷や奴まで何でも有ります。米も内地米と同じです。シイフウドの食堂では海老蟹魚があるものは生きて並んでおり これを希望する調理法で料理してくれます。プールサイドではカレーライス 焼きめし 焼きそば等が簡単に食べられました。

 10日にはオプションウブド(手書きの油絵水彩画で有名だそうです)キンタマ(ーニ)山 (海抜1100メーターゴア・ガジャ11世紀に建てられたと言う寺で1923年に発掘されたとのこと)チルタ・エンブル寺院(湧水池があり 隣の岡の上にマルコスの大きな別荘がありました。)等を回りました。

 11日にはバリハイ クルーズレンボンガン島へ行き、セミ・サブマリンに乗って海底のサンゴ 熱帯魚をガラス越しに見たり、日光浴したりして過ごしました。

 今回の旅行でもまたまた若い女性が多いのには感心しました。どの様な種族か判りませんが、タバコは呑むしビーチボーイといちゃついたり、たいしたものです。

 

 

  発言番号:130(126へのコメント)

    発言者 :深沢 龍一

    題名  :バリ-旅行

    登録日時:97/09/23

 

  先ずはご子息様のご結婚に心からお祝いを申し上げます。ご立派な息子さんとはいえ40才近くまでお独りだと親御さんとしても気になりますよね。お二人のお幸せを陰ながら心よりお祈り申し上げます。(実は私の甥も同じでして、親の心配など一向に気にせずに、妹夫婦も諦めきっていたのに、一昨年でしたか「反対するな」と予告して村瀬さんと同じ一回り以上年下のを連れてきました・・・今は一児の父で嫁と子供にメロメロのようです)

  それにしても、村瀬さんの85キロはチョットオーバー気味ですね。先日の 「コメント」で巌さんに誉めて頂いた白馬岳 途中撤退」の「73才 氏も、数年前迄は村瀬さんと同じくらいの体重だったそうですが、糖尿病を患って一念発起して減量に努め「現在は13キロ減って73キロだ」と、アルコール が入ると何時も得意げに話を致します。

  当たり前の事ですが、彼に言わせると太るのは採るカロリーと放出するエネルギーがアンバランスだから、これをバランス させばいいと言うので、私が、それなら少しアルコールを減らせば・・・」と申しますと、そういう考え方は「縮小再生産」に繋がるから、彼は「好きなだけ飲み、欲しいだけ食べて、その分を放出させる事でこの数年間を過してきた」と得意気です。その為に毎日3時半に起きて、一日25,000歩を実行してここまで減量したと何時もグラス片手に胸を張っています。何とか60キロ台にするのが目標と、今も毎日の「歩き」を欠かしていません。

  村瀬さんで思い出すのは、何時か権藤さんにお供して、高尾山に「探鳥」に行った時、ケーブル・カーで登られて程なく「途中撤退」された事がありましたが、今回も平泳ぎ10メートルで「Give-up とか、少し気になりました。余りパソコンの前にばかり座っていないで、「カロリーの放出」にもお心掛け下さい。お近くに「井の頭公園」という格好の散策路をお持ちですから・・・。

 

 

 3-4 ニュージーランド

 

 

  発言番号:536

    発言者  :是松 三雄     

    題名    :ニュージーランドの旅

    登録日時:99/01/05 11:10

 

1999年 新年 おめでとうございます

 地球上で最初に元旦を迎える国は何処でしょう? もし貴方が「日本」とお考えならば、世界地図を見て下さい。ニュージーランドは日付変更線の西側にあります。

 南極は別として、元旦のニュージーランドは真夏ですから、日本より遙か前に日が昇ることになります。 ニュージーランドのワインを世界で最初の朝日を浴びる国のワインだとキウイ達(NZ人の愛称)が自慢するのも尤もですね。 

 ニュージーランドは人口の20倍もの羊を飼育し、穀物も豊富で、輸出入に殆ど頼らずに生きて行くことが出来ます。それ故、国連UNなどの国際会議で、他国の顔色を窺わず、正々堂々と正論を吐くことが出来る、世界でも数少ない国の一つであると言われています。第二次大戦の敗戦国として、バッシングに遭い、近隣諸国に懺悔を迫られる我が国にとって、常に頼りがいのある国であり続けたのです。

 さて、NZの南島を地学的に見ると、その中央のやや西寄りにアルプス山脈が走り島を東、西に分けています。山脈の東と西では地形に大きな違いがあり、気候も大きく異なります。

 東に広がる台地には牧草が広がり、羊や牛などの家畜を主体とする農業や林業が行われ、一方の西は急峻な斜面が多く、多雨・多湿で、まるで恐竜時代のミニ版のようにシダ類が繁茂しています。

 地図を観ても、西側には氷河で削られたフィヨルドの多いことが判るでしょう。

 氷河が造った1200mもの絶壁の間を縫う、西南河岸のミルフォード・サウンドの船上観光は余りにも有名です。何億年も前に、南アルプスが太平洋プレートに押し上げられ、島の西側(タスマン海側)の広い台地が、突如、海面下に水没したのであろうと、私なりに推測しています。西側の海は浅く、大きな船の入港出来る港少ない様です。このタスマン海は世界でも有数の荒れる海としても知られています。

 南島の観光で私のお薦めは、日本人観光客の利用は少ない、クライスト・チャーチChristchurch から、Arthur's Pass を通る鉄道で、西側の港グレイマウス(Greymouth)を訪ねる列車の旅です。1980年、私はこの Greymouthからの石炭積出し計画のため(NZ Forest 社の依頼による)、ニュージーランド国鉄副総裁と共に、この列車に乗り込みました。途中アーサーパスの峠の駅で、午前のお茶の為に停車時間が20分ほど取ってあり、乗客も機関士も、みんなが下車して、ゆっくり休憩しました。私達は駅の会議室に招かれてお茶を摂りました。

 最近は、トランツ・アルパイン号と言う列車が11往復し、飲み物と袋入りのピーナッツの無料サービスもある様です。多分、今も相変わらずのんびりしているのでしょう。この列車は Greymouth で一時間停車して、再び Christchurchへ折り返します。しかし、この静かな街で一泊し、大きな波に洗われる海岸の散策もお奨めです。

 観光客が必ずと云って良いほど訪れる場所は、上記のChristchurch、マウント・クック Mt.Cook、テカポ湖 および、前に私のホームページで、私の好きな街の一つとして、挙げた事があるクイーンズタウンQueenstown でしょう。これらの観光名所は、多くのガイドブックに詳しく出ているので、此処では触れません。

 最近と言っても2年半前の1996年春9月に、私がヘリコプターから撮ったMt.Cookの写真をご紹介します。(text文になりませんので、ご興味の有る方は私のホームページ http://member.nifty.ne.jp/KOREMI を開き、随筆をご覧下さい)。

 この時、NZの桜は、ちょうど満開で、観光には最高の季節であった事も付け加えておきます。桜は10月半ばまで咲き続けるようです。とにかく、文句無しに美しいこの南島を、ゆっくりと心行くまで旅して下さい。

 

 

  発言番号:632

    発言者  :深澤 龍一

    題名    :「ニュージーランド」バスの旅(その1)

    登録日時:99/05/11 10:32

 

 4月17日20時55分、「NZ航空」エコノミー・クラスの最後部に席を占めた二人は、乱気流の中を離陸した。 尻餅でも搗いたら一発やなぁ〜」、隣席の太田さんが呟いた。諸般の事情が重なって、これが最後になるかもしれない例の二人だけの珍道中である。「習って未だ半年」という素敵な若いニュージーランド人のスチュアデスの流暢な日本語が印象に残る。

 (プロローグ)我々の旅は何時も太田さんが大袈裟に皆さんに前宣伝をしていたが、今回は厳しく緘口令を布いた事と、彼が体調不良でその前の殆どの「飲み会」に参加しなかったので宣伝の機会がなかった。安定飛行に入って先ず彼が最初に言った事は、「家内と娘が宜しくと言っていた」と。聞いて私にピーンと来た事がある。それは、前回の英国旅行の折のあちこちの自由時間に彼を一人で放ったらかしにして、私一人で街を見て歩いた事、そして、その極め付きが例の「ロンドンの一日」である。既にご報告の通り「タワー・ブリッジ」で私を見失った彼は、半日掛けてイギリス経済・金融の中心地「シティ」探索に出掛けた事になってはいる。何時か巌さんが「この次の旅では、太田さんも是非高級レストランを案内して、名誉回復を計るのも一案でしょうね」と提案され、私も彼にその機会を作ってやろうと折角努力したのに、彼は「ロンドンの一日自由行動の時は精々ホテルの周辺を歩くだけ・・・」などと皆さんに嘯いたものだから、すっかり同行の彼女らの顰蹙を買って「太田さんの案内ならイヤ!」と総スカンを食らったのである。(両者の間を取り持つ私は大変だったのだ)そんな彼が広い異国のロンドンで、一人放り出されたのだから、その心境や如何ばかりかと察するに余りがある。だから、何のことはない。彼としては私達と一緒にホテルを出て、最初に降りたドックランド鉄道の「Bank」駅から、先ず最初に訪れた「ロンドン塔」へ行くのに通った「シティ」で時間を潰すしか術を持たなかったのである。何故ならばホテルの部屋のキーは私の胸のポケットにあったから、彼は帰るに帰れないという訳だった。

  彼の「体調不良」はこの頃のストレスが大きく影響していると咄嗟に感じた私は、今回の旅では「痒い所まで手が届くように彼の面倒を見て上げよう」と心に決めた。”Do not!”とは言えても、”Can not!”とは口が裂けても言えないのが、彼の言葉によれば関東武士の「プライド」と言うものだそうである。(そんなの「田舎侍」じゃないのかな???)だから今回の旅は、私の方から進んで「親切」の手を差し伸べねばなるまい。

 (南島)私の旅で往路の機中泊は今回が始めてである。昨夏、剣岳の山小屋で80翁から「半分で十分利くよ」と言われて貰った「導眠剤」の「残り半分」のお陰で、機中6時間ばかりぐっすり眠って、翌日11時前に無事クライスト・チャーチ空港に着陸した。

  今年のお正月に是松さんが「美しいニュージーランド南島」と題して「列車の旅」をお勧め下さったが、私共の「安物ツァー」はここから全て貸切バスで廻る事になる。ドライバーは人の良い68才の老紳士で、南島の全てを一人で廻ってくれた。我々の一行は夫婦連れ11組を含む36名で、大型バスのシートは略々満席である。大きなボストンバッグ1個だけをぶら下げた私は、旅行中このバスの最後部右側が何時も「指定席」となった。

  クライスト・チャーチでは、先ず大聖堂前の免税店で「両替」をして「ガーデン・シティー」と呼ばれるこの町をバスの中から見物して、すっかり黄葉した木々に囲まれた郊外の古城風レストランで昼食の後、遥か遠くサザン・アルプスの美しい風景を眺めながら、一路マウント・クックへ330キロのバスの旅の始まりである。鉄路に沿って一路カンタベリー平野を南下する。日本の70%の面積に、350〜60万の人間と、5000万頭の羊が暮すこの国の風景は誠にのどかである。此処の羊は雄一頭に雌100頭の割だそうで誠に羨ましい限り。羊には尻尾がないが、これは衛生上の理由と交尾に邪魔になるので焼き切るのだそうだ。1才迄の肉は「ラム」、柔らかくて匂いが無く食べ易い。

  やがてバスは緩やかなカーブを描きながら高原地帯に入る。牧草の色も茶色に変って気温も低下する。途中「紺碧の湖」テカポ湖では雲一つ無い余りの好天に、既に時計は5時半を廻っていたが、湖畔にバスを停めてのカメラ休憩となる。この辺りの湖は全て「氷河湖」、こちらは既に秋も深く、周囲のアルプスの峰々はすっかり雪に覆われていた。

 

1.マウント・クック

 夕暮れ迫るブカキ湖の辺りを回り切った所に、夕日で赤く染まった明峰「マウント・クック」の勇姿があった。尖がった峰を2ツ持つ独特の山容である。NZでの「初夜」はこの山裾のロッジ風のホテルだ。部屋の窓からこの山が見えるのが自慢のロケーションである。夕食後、ホテルの従業員に教えてもらったと同行の奥様戸外に出てかの「南十字星」を指差してくれる。

  翌日も快晴。仲間の内20人は是松さんと同様に「セスナ機」による Mt.Cook「遊覧飛行」に出掛けたが、我々は命とお金が惜しいと「トレッキング」を試みる。ホテルの従業員に一番景色の良いコースを聞いて出掛けたが途中崖崩れの為通行止め、別のViwe −Pointからタズマン氷河を従えたMt.Cookを望見した。ホテルに引き返して違うルートを辿る。途中でカメラを担いだ外人観光客に出会う。すれ違い様、一番後を歩いていた美しい女性が「Sliply!」と声を掛けてくれる。程なく霜で少し凍った木道が向う迄伸びている。

  「もう帰る!」と太田さんが言い出した。限られた時間に展望所迄行こうと少し速く歩いたので参ったらしい。「面倒を見る」筈の私だったが、折角ここまで来たのでもう少し奥に行くからと前後に分かれる。目指す地点には到達できなかったが、それでも山裾を回り切った所で Mt.Cookを眺める事が出来た。案内書では往復2時間の所を、最後を少し残したとはいえ1時間でホテルに戻る。日本を出立する前々日に左足の甲を捻挫して、近くの整形外科でがっちりテーピングをして貰った左足を引き摺ってのトレッキングである。(このお陰で、旅の間中この足はビニール袋を付けて上げたままで風呂に入っていたし、太田さんは疲れるからと毎晩先に風呂に入って直ぐに床に就いていた)。バスで飛行場に「遊覧飛行」の仲間達を迎えに行くと、一行は「天気は快晴で絶好」と皆さん上機嫌で降りてきた。新雪のタスマン氷河にも降り立って最高の気分と至極御満悦。・・・シマッタ!

  此処からプカキ湖を更に南下して湖畔に広がるリゾート地「クイーンズ・タウン」へ260キロ走る事になる。走れど走れど牧草地、途中牧場家庭に立寄る。此処を経営するご夫婦の出迎えを受け、手作りの昼食を御馳走になった後は牧場の見学である。昨秋英国でバスの中から牧羊犬を見たが、ここの犬は2頭1組だそうで、1頭は「吠える犬」で、ワンワン吠えながら羊達を囲いの外に追い立てる役、もう1頭は「吠えない犬」で、囲いの中に入れ込む役である。こちらの方は群の後ろに陣取って「睨み」を利かせ、群からはみ出ようとする羊を鋭い眼差しで睨み付け、群の中に包み込みながら柵の中に追い込むその技は大した物と、皆さんから思わず大きな拍手が湧く。主人の口にしていた「呼子笛」は1個5ドルだと言うので、孫の土産にと買い求めたが、鳴らすのにコツがあって殆どの人は巧く音が出なかった。

  「囲い込み」の次は「毛刈り」の実演である。シーズンは9月だそうだが、大きな羊が1頭、我々の前に引き出され、ご主人の手した電気バリカンで「因幡の白兎」よろしく一気に丸裸にされる。1頭で4キロ、セーター4着分の毛が取れるそうだ。

  ご夫妻に見送られて、更に2時間走り続けたバスは、夕暮れに「女王が住むにふさわしい街」と名付けられた「山と湖の街」クイーンズ・タウンに到着。ホテルに荷物を置いて夕食は「中華料理 。レストランを出て太田さんに昨夜学んだ「南十字星」を教えてあげる。

 

 

  発言番号:634

    発言者  :深澤 龍一

    題名    :「ニュージーランド」バスの旅(その2)

    登録日時:99/05/11 11:17

 

2.ミルフォード・サウンド

 翌朝は7時に出発する。朝焼けの南北84K・東西5Kの細長いワカティブ湖の畔を南下して、 Mt.Cookと共に、今回の旅のもう一つの目玉で世界自然遺産にも指定された「フィヨルドランド国立公園」を目指す。国土の1/3が自然保護区に指定されて「金儲け」よりも「自然保護」が優先されるお国柄とか。途中、テ・アナウの街では湖の向うに大きな虹の架け橋を見たが、山岳地帯に入るにつれて案の定雨が降り出した。何処までも続くブナ(本当は「ブナモドキ」だそうで、此処のは常緑樹)の原生林には、所々美しい散策路が設けられて、我々も2度程バスを降りて、水と濃い緑に囲まれた木々の中、そぞろ歩きを楽しんだ。この辺りの年間総雨量は 7000m/mに達するそうだ。

  ここからミルフォード・サウンドに通じる全長1.3Kに及ぶホーマー・トンネルの辺りは標高937M、周囲は標高2000M以上の垂直に切り立った岩山が取り囲み、この雨が幸いして峨々たる岩山の頂上からは、幾筋もの水が滝となって流れ落ちて将に壮観であった。このトンネルは、13年の歳月を掛けた難工事の末に1953年にやっと貫通したもので、それまではこの名勝「ミルフォード・サウンド」も一介の漁村にしか過ぎなかったという。すれ違ったトラックには日本に直送される生きた「伊勢海老」が満載されているとは現地ガイドの説明である。

 トンネルを抜けると谷間から雲が湧き出てくる。雨がバスの窓ガラスを叩く。1953年にエベレストの初登頂に成功したヒラリーはニュージーランド人、英国にこのような高い山はないので「英国隊」に2人のニュージーランド人が加わったという。(ここの5ドル紙幣は彼の肖像)

  ミルフォード・サウンドのビジターセンターからフェリーに乗って湾内を観光する訳だが、雨で折角の景色も煙っている。船の中で「幕の内弁当」の昼食。お茶も振舞われる。船客の60%は日本人観光客だ。ここでも垂直に水際に下る崖の上から落ちる滝が、雨のお陰で水量が多く壮観を極めた。

  1時間40分のクルーズの後、元来た道を引き返す。途中岩山の中腹に「木のナダレ」の跡を見た。岩山に根づいた木がやがて大きくなって雨が来て、土が無いのでその重みに耐え兼ねてナダレの様に落ちてくるのだという。下を流れる渓谷は2時間の雨ですっかり「濁流」と化していた。

  樹林帯を抜ける頃に青空が広がる。この辺り「鹿牧場」が散在するのが目に付いた。最初1931年にスコットランドから7頭の鹿を野に放ったのが始まりで、70年代には150万頭に増えて乳牛を抜いたそうだ。鹿肉はカロリーも少なくて匂いもなく、キロ1万円と高値が付く上に、角は「漢方薬」の原料として中国にも輸出されるので、近年鹿牧場が増えていると言う。(羊は1頭2〜3千円にしかならないようだ)この島には猛獣がいないから、家畜は一年中外で過すが、牧草を食い荒らすので寧ろ兎が「天敵」だそうだ。

  暗くなってからクイーンス・タウンに戻って、その日の夜はゴンドラに乗って、この街の夜景が見下ろせるボブス・ピークの展望レストランでのバイキングである。私が窓際の席を占めたが、「そこは見晴しが良いね!」と言われて、面倒を見ようと約束した太田さんに席を譲る破目になる。何故だ!!

  クイーンズ・タウンの宿は町外れなので、恒例の朝の散策は湖に面したホテルの周辺を少し歩いただけ。そして今日は再び元来た道を600キロ引き返して「クライスト・チャーチ」に戻る。途中、その昔、金鉱で沸いた「アロウ・タウン」に立寄る。中心部は当時の街並が再現されて、街の外れには当時のままの家並みも続き、街路の黄葉が印象的であった。添乗員が2〜3日前にテ・アナウを飛び立ったセスナ機が4人を乗せて墜落したとのTVニュースを伝えて、皆さん肝を冷やす。

  程なくバンジー・ジャンプ(足首に強力なゴムロープを付けただけで高所から飛び降りると言う、今ニュージーランドで流行のスリリングなスポーツ)で有名なカワラウ川に架る高さ43Mの橋の袂に着く。ラッキーにも、間もなく観光に来た台湾の若い男女がこれに挑むという場面に遭遇して、ドライバーさんまで橋の真ん中に陣取っての見物である。

  途中のクロムウェルは果実の街、トイレ休憩の果物屋さんで買ったリンゴはとても水分が多くて皮もやわらかく皆さんには大好評だった。長いリンディス峠を登り詰めた所には、湖から水路を引いた水力発電所も何ヶ所か散見された。そして再びプカキ湖の辺りに出たが、今日はあの Mt.Cookも雲に隠れて我々を見送ってはくれなかった。そして再びテカポ湖に戻って、「湖畔」と名乗る日本食堂での昼食となる。壁際に座った太田さんの頭の上に日本橋、小田原、蒲原、四日市等々の懐かしい版画を一枚の絵にした「東海道五十三次」の額が掛っていたのは驚きで、こんな所で「五十三次」を思い出すとは想像もしていなかった。「最後の三条大橋では必ず土下座する。その時の台詞を今から考えておかないといけないなぁ〜」と太田さんが笑った。湖畔に建つ「善き羊飼いの教会」の中から覗く湖の風景が「絶品」と言うので私もカメラに収める。

 カンタベリー平野に出て横を走る鉄路で初めて「列車」を見た。50輌以上もコンテナーを引張った貨物列車で客車は旅の間中ついぞ見掛けることはなかった。

  久し振りに「信号」にお目に掛かって、愈々南島最大の都市クライストチャーチに入る。

 

3.クライストチャーチ

 既に夕闇が迫っていたのと、長いバスの旅に疲れて、市内の観光はバスの中から名所を眺めただけ。中心街のホテルに入って、夜皆さん買物に忙しかったようだ。私も家を出る時、家内から「一度くらい土産に<<手編みのセーター>>でも・・・」と請求されていたが、そろそろ旅も終りに近付いたので適当な店を当ってみた。何処の店にも日本人の店員がいて直ぐに近寄ってくる。    Working Holidayの制度を利用しているらしい「彼女」等が、田舎の土産物屋やレストランなど何処にでもいるので、この国で言葉に不自由する事は全く無いが、肝心の「手編み」は近頃大変少なくなったと彼女は言う。同行の奥様に聞いても「手編み」はこれまでにも余り見掛けなかったそうだ。困った事だ。「山の神」の膨れ面が瞼に浮ぶ。

 翌朝太田さんとホテルを出て「追憶の橋」を振り出しに、この街の中を曲がりくねって流れるエイボン川に沿った中心部を散策し、沢山のツァーの仲間にも出会う。皆さんはもうすっかり仲良しの様子だ。我々も昨秋の「ストラトボード・アポン・エイボン」の街並を思い浮かべながら、この川に沿った散策路を一回りする。

  バスでこの街のシンボルとされるゴシック様式のイギリス国教大聖堂(クライストチャーチとは直訳すると「キリスト教会」、今頃やっと気が付いた)を見学。私は高さ63Mの尖塔の中程にあるバルコニー迄登って街を一望する。塔に登る入口で切符切りのお爺さんが「登りますか?」とにこやかに私の膝を指差した。見学を終えて降りてきたらそのお爺さん、良くやったとばかり手を差し延べて握手、にっこり笑って壁の文字盤を指差した。曰く、133段でTopへ。そして  Only other

16,167 steps, and you would have climbed as high as Mt.cook, New Zealand highest mountain!”。

 11時10発の飛行機で「北島」ロトルアへ1時間15分の空の旅。飛行機の窓から覗くと、眼下に頂上を雪に覆われた富士山に似たタラナキ山がキラキラ眩いほど輝いて、とても美しい風景だった。

 

 

  発言番号:638634へのコメント)

    発言者  :巖 隆吉

    題名    :「ニュージーランド」バスの旅(その2)

    登録日時:99/05/12 21:51

 

 テカボ湖の「湖畔」という日本料理店があることにも驚きましたがその中に東海道53次の絵が飾られているとのこと。53次も国際的、非常に面白いですね。

  しかも京の三條大橋で土下座して謝らねばならない太田さんとそれをニタニタして眺めるであろう深沢さんが、仲良く?ニュージランドの旅の途中、その絵を見ながら日本食を食べている図こそ、素晴らしい絵になりますよ。

 4月下旬頃暫くの間、深沢さんたちの音沙汰が全く途切れていましたので或いは何処かに行っているのかなと疑っていましたが、隠密行動でニュージランドまで遠出して、そしてまた相変わらずの野次喜多道中とは全く愉快だったでしょう。

  何れにしましても浜田さんもご指摘の通り、面白い紀行文で飽きることなく一気に読ませていただきました。

  また、村瀬さんも始めてとのことですが中国に行き上海付近の旅行記事の予告編が出ていますが、これからの村瀬さんの記事はもとより、皆さんの色々な紀行文も待っています。

 

 

  発言番号:635

    発言者  :深澤 龍一

    題名    :「ニュージーランド」バスの旅(その3)

    登録日時:99/05/11 11:21

 

4.ロトルア

 ロトルアとは1000年の昔、タヒチから移って来たという先住民族マオリ族の祖先が「2番目に見付けた湖」と言う意味で付けた名前で、我々は先ずロトルア湖の南に広がるマオリ村(マオリ文化を紹介する施設)を訪ねた。バスを降りると、一行はマオリ族の男性から一人一人歓迎の挨拶を受ける。お互いの鼻と鼻を二度触れ合う訳である。20才代の彼が流暢な日本語で良く整備された施設の中を案内してくれる。「彫刻学校」の入学資格は”マオリ人で18〜30才の男性で、且3年間の続けて勉強に耐えうる者だから、皆さんは入れない”と言った具合である。ワカレワレワでは遊園地にある子供列車のような乗り物で大地熱帯を一回りする。別府の「坊主地獄」の様な煮えたぎった泥が跳ね上がる泥泉や、ボブツ間欠泉では丁度10Mを越える高さ迄熱水を吹き上げていた。

  施設を出て、今回から新しく観光コースに入ったという樹齢数百年の広大な樹林帯を散策して市内に戻る。ホテルに荷物を置いた後は自由時間なので、夕食まで湖畔を中心に狭い街を散策する。湖畔で出会った同行の奥さんが「ホテルの売店にマオリ族の人が編んだという手編みのセーターを見た」と教えてくれる。帰って早速覗いたら「Sale」とあって、1着425ドル、2枚買えば1着はタダ、1着なら250ドルとあった。

  夕食ではマオリの伝統料理「ハンギ」とマオリ族によるショーを見物する。終りの頃になると席も盛り上がって、我々も舞台に上がって彼等と一緒に踊ったり歌ったりである。私も彼女の一人に引っ張り出され、手を繋ぎながら音楽に合わせて一緒に「瀬戸の花嫁」を歌う。所がである。私のこの世紀の晴舞台に、首からカメラをぶら下げた目の前の「相棒」はシャッターを切ろうともしない。仕方なく態々前に出て舞台から彼にその旨を促す。ショーが終って食堂を出る時、旅の初めに「南十字星」を教えてくれた同行の奥さんがもう一度囁いてくれた。「お連れの方がカメラを構えないので、バッチリ撮っておきましたから後でご住所を・・・」。ここでも「捨てる神あれば拾う神あり」である。(因みにマオリ族の美男・美女の条件は、女性は3サイズが同じな事で、男性は舌が長い事だと言う。男が舌を出すのは争いの時相手を威嚇するゼスチャーだそうだ)

  翌朝、ホテルの売店で「1着220ドル」に値切ってノルマを果す。

 

5.ワイトモ

 朝食後、ロルトアから150K西のワイトモに鍾乳洞と「土ホタル」を見る。1887年にマオリの酋長が英国人の調査員と一緒に洞窟に入ってこれらを発見したと言う。真っ暗な洞窟の中を鉄舟で静かに廻ると、頭上にキラキラする何千という「ツチボタル」の青緑色の光のショーは幻想的である。このホタル、一回に120個の卵を産むと3週間で孵化し、その後2m/mからマッチ棒位の長さまでエサを食べ、9ヶ月掛ってゆっくり成長してその間に光を出す。さなぎになると繭の中で3週間を過して成虫へと脱皮し、雄は雌を求めて産卵する。成虫は口が無いので餌が食べられずに、2〜3日でその儚い命を終えるという。

 見学の後は野外レストランで昼食。焼き立ての「ビーフステーキ」とデザートに出された手作りのクッキーの味が忘れられない。

  再びバスで200K、最終コースのオークランドを目指す。「南島」と違ってこちらは高い山も見当らず、バスは羊の群れ遊ぶ起伏に富んだ広い草原をひた走る。やがて3車線の高速道路に入ると車の渋滞が続いて、人口100萬を誇るニュージーランド第一の都市に入る。

 

6.オークランド

 ここには64の死火山があるそうだが、その一つ、町の外れの高台は Tree Hill”、てっぺんに松ノ木が1本立っていて、傍に背の高い碑が聳えている。マリオ族に敬意を込めた記念碑だそうだ。市の象徴は高さ328Mの Sky Tower。遠くからでも良く見える。西のタスマン海と東の太平洋を一望できる視界360度のMt.Eaden

は、その昔マリオ族の砦のあった場所、景色を見渡しながらカメラを構える。一寸丘の端まで行き過ぎてバスに戻ったら既に動き出していた。

 先に戻った太田さんが止めてくれないとは気の効かない男だ。起伏の多い街を通って海岸に出て、バスの中からハーバー・ブリッジやヨット・ハーバーなどを眺める。この町の銀座 Queen St.”で自由行動。太田さんと二人でしばしのウイッドー・ショッピング。交差点で信号待ちをしながら市街地図を眺めていたら、マリオとの混血らしいポリネシア系の老人が道を教えてくれる。旅の間中何時も感じていたが、この国の人達はとても親日的で温かい心に触れる機会が多かった。

  帰国の朝、ホテル周辺のアルバート公園とオークランド大学のキャンパスを散策する。信号が無いのでズーッと向うから来る車を見詰めて太田さんはなかなか道路を渡らない。これも「老人力」かと内心独り苦笑する。旅の間中、私が彼の腕を取って道路を横断する事は度々あった。

  9時にバスに乗る。昨日のお返しに「太田さんが未だだ!」と叫ぶ。「ロビーで英字新聞を読んでいた」と誰かが言う。「逆さまに見ているのかもね?」と私。「活字を数えているのかも・」と皆さん結構口が悪い。ロビー前から乗った彼は、右手で軽く会釈してバスは一路空港へ。

  空港ロビーで熱海の老人ホームに暮すと言う72才の元気なおばあさんが言った。「ホテルの窓から腕を取って道路を渡るお二人の姿を見たわよ!」と。この方のエスコート役のご夫人は 免税店」で手編みのセーターを買ったと現物を広げて御満悦。聞けば私の倍の値段。「最高の毛糸」と誇らしげだったが、帰って私のを見たら「 Pure 100% Virgin Wool Made in N.Z」とは書いてあった。(「 Brief storis from Maori mythology for LEGENDS, ・・・」とあったが、家内はその柄に不満のようだ。折角の私からの「お土産」も矢張り余り着てくれそうには無い)

 11時30分離陸。今日も好天で途中、空から眺めるニュー・カレドニアやソロモン辺りの珊瑚礁がとても美しいコバルト・ブルーを漂わせて我々を見送ってくれた。

 (エピローグ)離陸前に機内放送があって、「ロビーにカメラを忘れた方は乗務員が預っています」とアナウンス。又もこの国の 親切」にお目に掛かれて、気持ち良くこの国を離れた。機中で「今度で最後になるかもしれないから、一度君がメッセージを叩け」と申し出たが、件の関東武士はコメントを主張して譲らない。只、「1.俺をこき下ろす事。2.インターナショナルな視点からメッセージする事」との条件を提示した。「1は出来ても、私に2は出来ないよ」と、商売人の倅は即座に  「Can not!」を主張した。

  帰宅後、整形外科医との約束で捻挫の足を看てもらう。年齢の割にとても回復が早いそうで、「深澤さんは若いなぁ〜!」と。医者が言うのだから間違い無さそうである。

  数日後、覚えの無い女性から一枚の葉書が舞込んだ。「オークランド空港を出発の際、カメラの忘れ物を放送していたのを覚えておいででしょうか?我が家のものと気が付きましたのは飛行中のこと。境さん(添乗員)に連絡して頂きましたが未だに届きません。その中に深澤さんの分も入っています・・・」。それから一週間の後、再び彼女から今度は封書が届いた。「嬉しい事にカメラが届きました。成田からの宅急便代630円を支払っただけで手許に戻りました。ニュージーランドという国は、本当に親切な人々の多い国と言う事を実感致しました。・・何はともあれ、今回の旅は最後まで良い思い出を残してくれました・・・」

 

 

    発言番号:668

    発言者  :太田 中

    題名    :ニ−ジ−ランドのこと等

    登録日時:99/06/12 14:59

 

・パソコンの故障

 私のパソコンが5月初め、突然原因不明の脳卒中を起しました。

 最初は「オ−トパイロット」が、<不正な操作です。・・・>とお小言を食って停止してから、次々と諸機能がダウンして、2日間ですっかり脳死状態に陥りました。

 その後、藤倉さんの長時間の電話ご指導により、半分位の機能は回復しましたので、現在は半身不随と言ったところです。 

 従来でも、私の一本指打法では皆さんの2−3倍ののろさと言うのに、この無残な機能では4−5倍かかっても可笑しくないと、ここの所、メ−ル位は兎も角、会議室参加は嫌気がさしていたのです。

 しかし、世の中には「五体不満足」でも健常人以上に活躍している方々もおるではないか、半身不随位で何だと、漸く気を取り直しました。その代わり余計なことは言わない、簡潔な文章で行こうと決めたのです。

 

・ニユ−ジ−ランドのこと

 本来なら深澤さんのメッセ−ジにコメントを付けるのが筋でしょうが、時間が経ち過ぎていますので、此の文章の中ででコメント致しましょう。 

 いつも言う事ですが、彼の旅行記は正確で詳細で、このままガイドブックとして出版してもいいくらいですから、今回も何ら付け加えるものはありません。

 唯、ガイドブックには載っていない、私だけが気が付いたものを挙げれば、

 

@食べ物の持ち込みが厳しい。

 入国審査で携帯食品を申告させ、バッグの中身を透視する国は初めてでした。私の前客は無申告の飴玉1袋を透視で見つけられ、大変お目玉を食っていました。

 羊7千万頭を始め多数の牛や鹿が、若し持ち込まれた細菌で全滅したら、一国の興亡に関わると思いませんか。 牧畜の比重がそれほどでもない英国でさえ、狂牛病の騒ぎが凄かったことを忘れないでしょう。

 何を積んでいるか分からないアメリカ軍艦の寄港を拒否するのも皆環境保護のためですね。

 

A野生生物にとって苛酷な自然。

 私は旅行中、家畜以外の生き物を見たのは、牧草地の境界木と牧草の間を上下して戯れている数羽のヒヨドリに似た鳥を1度見ただけです。

 誰もがこれでは前項と矛盾すると思うでしょう。しかし、木の生えない岩山と果てしなく広がる牧草地では、小鳥達は何に止まり何を食べたらいいのでしょうか。小動物は隠れ場所を何処に求めるのでしょう。羊の群は悠々と新鮮な(日本のゴルフ場と違って農薬や除草剤に汚染されていない)草を一日中食べて丸々太っています。

 ですから、矛盾は無いのですが、どうしても野生生物を見たければ、自動車の入らない森林地帯に行くしかないでしょうね。

 

B宅地は百坪。

 目についた限りでは、何処の都市の住宅敷地も約100坪(英国式ではエ−カ−で測るのかも)一律を嫌う白人にしては珍しいことです。その代わり建物は各人各様個性が溢れていました。

 日本国土の8割の面積を持ち、350万の人口しかないのだから土地等は自由自在と思いきや、このつつましさ。慣習なのでしょうか、規制でもあるのでしょうか。

 狭い東京で片や山手の大邸宅、片や墨田川畔のホ−ムレス(新宿駅は当局の努力により一掃された)の無秩序と比較して甚だ面白い現象です。

 

 以上気がついたことを申しましたが、多分に独断と偏見があると思いますので、お気付きの点がございましたら教えて下さい。

 私も学友のY君(三井物産から出向、NZの農水畜産会社の社長を永く勤め、一時は永住を決意したこともある)によく聞いてみましょう.

 現在の私の技能と機械の状態ではこの辺が限度です.大分疲れました.また、気が向いたら続編を打ちましょう.