2.旅の賛歌

 

 

  発言番号:

    発言者 :樋口 三男

    題名  :旅の讃歌

    発言日時:96/10/09-96/10/15

 

 旅は、みしらぬ世界への眼を開かせ、風俗、習慣、国柄、歴史の跡などを自分なりに確かめ、それによって、日本をみつめなおす事ができるこの上もない方法の一つだと思う。私の中学生の頃、青少年の健全な指導という事で、生徒の動静を看視?する「教護連盟」というものがあった。厳しい取り締まりを潜り抜けて、−−この網を潜り抜けるのもスリルがあつたが−−鑑賞した外国映画に「モロッコ」「望郷」等とともに「舞踏会の手帳」という映画があった。それは、往年の写真帳をひもどき乍ら、当時を追想するという美しい物語であった。私も、これに倣い、かって訪づれた数々の処を写真ブックをめくりながら、今一度、想起し、印象に残っているものを「旅の讃歌」として、

      1.アメリカ西海岸の巻

      2.イタリ-パリ-の巻

      3.スイス-ストリアドイツの巻

      4.ベル-ギルクセンブルクオランダの巻

      5.総括

に纏め 、記述する事とした。

 

1.アメリカ西海岸の巻

  幸い、商社マンに嫁いだ娘が、ロスにいたので、1976年から1991年にかけて、アメリカ西海岸を4回程おとづれた。又、娘夫婦達がすんでいた処が、ロスの<West Ave>,<Rochester>,<S.Bundy Dr.>の通りの夫々のマンションであった。

  それらのマンション-は、停年退職後の人で、日本から両親が訪づれてきたといって、お茶の接待を度々うけ、彼らの家族の写真を見せながら、懇談を重ね、今でも、それが縁で、クリスマスカ-ドを交わしているが、市井に住む米国市民生活の一面の実態に触れることもできた。又、孫の通う私立女子高校、日本人学校の学校参観もできた。

  ロス及びその近郊の街にふれてみる。

 

(1)サンフランシスコ

  夕暮れの迫る頃、海から、霧が湧き出し、夜の間、すっかり街を霧が包み込むが、夜明けとともに消える街であった。そして、港町の情緒の濃い街。上下坂の激しい地形をもつ 坂道の街。その坂道を溢れる乗客を乗せて電車がはしっている。シブィック センタ-、金門橋、金門公園、科学アカデミ-は見所の一つ。過去、大きな地震、火災に遭いながら、速やかに、復興を遂げる地力をもつ街である。

 併し、何といっても、旅人を慰め、食い道楽者を満足させるのは、米、中、日、仏、英、コンチネンタルなんでもこいの料理をとりそろえこたえられない魅力の街。新鮮な材料、洗練された味、雰囲気をもっており、特に、フィシャァ-マンズワ-のある店で、緩っくり、ワインカントリ-をたしなみながら、たべる時は、一寸した王者の気持ちになる。

 

(2)ロス及びその近郊

  面積1200K平方米。100以上の衛生都市をもっているといわれているが、それらを結ぶ市内電車も地下鉄もない。フリーウェイに依存する車の街。中心地のダゥンタウンビルが高さを競い、婦人の眼を輝かせるショッピングセンター街は、歩む足を立ち止まらせ、店内に入らざるを得なくする飾り付け。ロス交響楽団のホーム演奏会場のミユージィックセンター。日本人街のリトル東京。メキシコ街のオルペラ街。チヤィナータゥン。夕暮れともなると夜を楽しめるハリウードスターの手形、足型の残るチヤィニーズシァーター等は一見するところ。 世界各国の農産物を集めて賑わうファーマァーズマーケット。金満家、有名人の豪邸がならび、格調の高いビバリーヒル。広大な敷地の中にあるUCLA。超モダンな都市のセンチュリーシティードージャァス球場など。

 常に、新しいアイディア、何回きても楽しめ、大人も我を忘れる程のディズニーランド。無数のヨットが主をまつマリーナデルレイ。このハーバーに面したホテルからそれを眺めるき、時の経つのも忘れる程落ち着いてくる。

 更に、海岸沿いをくだると、海軍の基地で美しいロングビーチ。尽きない想い出の処である。

 

(3)ユニバーサル スタヂオ

  人の波、年齢様々、肌の色も多種多様、色々な言語のゆき交う、ここは、映画の本拠地。個々の館に入らずとも、パーク内を歩くだけでも、エンターテーナの競演にでくわす。米国人の「これでもかこれでもか」と人を楽しませる仕掛かりがまっている。

 

(4)サンディゴー

  ロスから、約150Km南。天然の良港と温暖な天候。直ぐ近くの国境をこえると、メキシコチィファニースペインメキシコ風の建物が其処此処にたち並んでいる。海岸の方に眼をやると、時には、大型空母、原子力潜水艦の姿を見る事ができる。世界最大といわれ、1600種程の動物が、檻の無いところで、伸び伸びと飼育されているサンディーゴ動物園は珍しい。

 

(5)パームスプリング

  椰子と風車の街。ロスから東へ160Km。車で2H。避寒地であり、屈指のリゾート地。山と山 に囲まれた広大な盆地に、青い空のもと、整然とナツメ椰子、グレィープフルーツブッシユが立ち並ぶ。

 インディアンと白人が共存している珍しい街。ゴルフ場は、約30コースは雄大、グリーン近く迄巨塊石が壁の様に迫り、手入れの行き届いたフエーァウェイー、深いバンカーゴルフの醍醐味が味わえる。

 近くの山でゴンドラに乗ると、下界の暑さも忘れて、アルプス的風景に接するのも興味がある。パムスプリングへのハイウェイから少しそれた処に立ち並ぶ風車の姿をみるのも楽しい。砂漠の熱風と西海岸からの海風が出合う山裾に数百基の三つ羽の風車の回る姿は、壮観そのもの。

 

2.「旅の讃歌」イタリーパリーの巻

 19956イタリーパリーの旅にでた。チューリッヒからアルプスの連峰を見ながら、一路、ミラノへ。空港に近づくにつれ、緑の草原、赤い屋根、白い壁が段々とくっきり映しだされてくる。空港着。日本との時差8時間。?T円=20リラの交換。

  旅は、国のたどってきた歴史を頭にいれて、訪づれると一層楽しく、時の流れの中を生きぬいてきた民族は、芸術に、文化に、建築に貴重な数々のものを遺している事が判る。

 

(1)ミラノ

 ロンバルジャー平野の中心。人口14万。商工業、芸術、文化の中心。ミラノといえば、ドゥモオ14世紀から約500年にわたる建築が続けられたというゴシック建築の代表作。2200有余の彫像、100程の尖塔、内壁の16世紀のステンドグラスの見事さ。前の広場のエマヌエレ2世の騎馬像も印象に残る。「マダムバタフライ」「椿姫」なぞのオペラの観られるスカラ座。4階のボックス席、2階の天井桟敷は、聞きしにまさるオペラの殿堂。ルネッサンス期のスフォルッエスコ城は、博物館として開放されている。サンアンドレァ通りのエルメス、シャネル、ヴェルサーチなどの店には、豊富な品が揃えられている。食事は、魚料理、アンティバストは楽しめる。水はノーガス。

 

(2)ヴェネツィア

 正しく水の都。120の小さな島。400の橋。其の間を縫うように操られているゴンドラ。街の形成は、5世紀。共和国体制のもと、強力な海軍力をもつて、地中海に覇を遂げ、18世紀迄長く栄華を誇り、芸術文化の華を咲かせた。

  エス字形にだかれた大運河を挟んで、ゴシック、ルネッサンス、バロック様式の教会、建築物、集会所などが連なり、其の内部には、数々の名高い絵画、装飾品、工芸品、ステンドグラスがある。サンマルコ寺院、ヴェネツィアの過去の栄華のシンボル。13世紀に作られた五つの丸屋根には、東、西洋の様式が巧く調和している。この隣の総督官邸、溜息の橋もみおとせない。このヴェネツィアは、50年に25cmの沈下現象がみられ、寺院1階の回廊は水浸しとなつていた。

 

(3)リド島

 忘れてならないのは、リド島。アドリア海からヴェネツィアを守る様に長く横たわるリド島は、静かな落ち着いた高級住宅地、海水浴の楽しめるリゾート地。8月ー9月にかけてヴェネツィア映画祭には、世界中の俳優、監督が集まるとか。DES BAINS VENICEに宿泊すると最高の気分となる。

 

(4)フイレェンツェ

 ヴェネツィアからピレーネ山脈を越えると商業と金融の自由都市の街として發達したフイレェンツェに着く。この街を語る場合、学術、文芸、芸術を保護し、ルネッサンス「復活ー古代ローマ美術の復活を意味する」文化の華を咲かせたメディチ家を忘れてはならない。レオナルドダヴインチミケランジェロ ラファェーロ、は古来の宗教画より、脱却した数々の名画を遺している。

 サンタマリアノヴツラ教会、花の聖母堂、シヨツトの鐘楼、ミケランジェロ広場と記念碑等シャツターの休む暇のない程目を楽しませてくれる。

 

()ローマ

 フイレェンツェからローマに続くハイウェイの両側には「ミモザ」の黄色の花が一面に咲きほこっていた。「永遠の都、」ローマは、正に歴史と芸術の都。西暦前の古代遺跡。サンピェトロ大聖堂をはじめとする300もの教会は、ルネッサンス、バロック期の巨匠たちによる建物や美術品は人々に膾炙されているので省く事にするが、たつぷり時間をかけてたづねてみると、唯素晴らしいの一言。

 

()ヴァテイカン市国

 世界一小さな国。カトリックの総本山。サンピエトロ大聖堂。身廊、内陣、後陣をみて、警備のスイス兵に敬礼して立ち去る。

 イタリーを旅して感んずるのは、街の人の世俗的生活と宗教的生活が広場「ピアッツァー」を中にして、結びあつている感を深くした。

 

() パリ−

 「あれがパリーの灯だ」とリンドバークに言わしめた華の都パリーにローマよりイタリア航空で向かう。例の如く、100円=0・66フランに交換。

 ノートルダム寺院、シヤィヨー宮殿、エッフェル塔、凱旋門と写真ではみているが、目の前でみたときは、感無量。凱旋門からコンコルド広場を結ぶシヤンゼリーゼ通りは、プラタナスマロニエの緑の並木が、両側にたち並び、とあるテラスで往来するバリジヤンを眺めていると時の経つのも忘れる。モンテニュウ通りには、風格のある一流ブッチング、洗練された豊富に品揃えされた店が軒を連ね、ショツピングする人達で混雑している。ウインドウ ショツピングだけにして、財布の紐を余程しつかりしめて、通らなくてはならない。

 オベラの殿堂、オペラ座。ルーブル美術館、セーヌ川のシテ島にあるノートルダム寺院及びその一帯は、古き良きパリーの名残がのこる。モンパルナスには、マチスフジタ等の芸術家達の溜り場になつたカフエーが今もあるとか。ゴッホユトリロピカソなどの多くの画家、詩人の暮らしたモンマルトン、その周辺は、坂や階段が多い。近くのムーランルージュ周辺は、夜の歓楽街。

 

()ベルサイユ宮殿

 パリ近郊の西部方面には、入り口広場のルイ14世像を中心にして、両翼に翼を広げたよぅなベルサイユ宮殿がある。中央部二階には、ヴイーナスの間、ダイアナの間など七つの部屋と王妃の部屋等があり、調度品もそのままおかれ、王朝時代の豪華さが偲ばれる。北部には、華麗な城でしられるシヤンティ城。コンピエーニユジヤンヌ ダルクが捕らえられたところ。南部の森には、ナポレオンゆかりのフオンテーヌブロー城がみえる。

 

3.「旅の讃歌」   スイスオーストリアドイツの巻

 199510月成田発。パリーにて乗換え、チューリッヒへ。SFr1=77.58円に交換。

 

(1)ルッエルン

 山、河、湖と素晴らしい自然。美しい町並み。旧、新市街をわけるロイス川、瓦葺きのあるカペル橋はこの街のシンボル。瀕死のライオン記念碑は旧跡の一つ。

 

(2)グリンデルワルト

 明峰アイガー連山の山麓のアルペンリゾート地。村の近く迄、氷河が流れ込み、一方の山裾には、牧草地が広がり、牧歌的な絵の様なアルブスを眺めながら、フオンジュ料理に舌鼓をうつ。

 

(3) ユングフラゥヨッホ

 階段式登山電車は緩っくり、左右の風景を堪能させながら登り、両側の牧草地は長閑な田園風景で、空気も緑も綺麗の一言。アイガ−、クレッチャ-等二つの駅を過ぎ、窓越しの雄大な景色と氷河に感嘆していると、頂上駅に着く。静かに、眼前にそそり立つアイガーメンヒユングフラウヨッホの景観には寒さも忘れる程の威容さでせまるものがある。

 スフインクス展望台から、氷河を刳り抜いた洞窟の中のアイスパレスに入ると中に、氷の彫刻がおかれ、床も、壁も青白く輝く正しく氷の殿堂。6-7月には、アルベンローゼ-デルワイスなどの高山植物がアルプスハイキングコ-に短い夏を楽しみにして咲いているとか。

 

(4)ウイ-ン

 音楽の都、杜の都のウイ-。伝統文化の香り高い都。ゴシックロマネスクバロック様式の壮麗な建物が建ち並ぶ街。人、時を超越して悠々と流れてやまぬドナウ川。 ハイドンベ-トベンモッアルトシュ-ベルトブラ-ムスなどの名高い音楽家は、この街で生まれ、或いは、この街を舞台にして活躍、その跡をたずねる人はあとをたたない。ウイ-ンフィ-の本拠地。クリ-色の壮麗なシェ-ンブルン宮殿、美しい左右対象のバロック建築で見事な庭園をもつベルヴェデ-宮殿 には、当時のあとが偲ばれる。 夜は、レストランビァリステンケラ-」で、ワインチタ-の音色を聞きながら夕食を執るのも楽しい。

 

(5)ザルツブルクノイシュバンシュタイン

 ウイ-駅発-ロシティ-ッアルト」号の一等車−−ワン ボックス6人定員の個室−−でザルッブルクへ。-エンザルッブルク城、ミラベル庭園を見て、「カフエ-ウイングラ-」にて休息。翌朝、-ストリア国境を越え、ドイツバイエルン地方に入り、-エンシュバンガウへ。アルプ湖を見下ろす山上の城は、正に、絵に描いた様に美しい白亜ののノィシュバンシュタイン城、ベラ-渓谷に渡されたマリエン橋より見るこの城も見事。併し、美しさの裏に潜む城主-トヴィヒ2世の数奇な運命は誰にも判らない。夜、ミュンヘンの有名なビア---フブロイハゥス」へ。その3階には、バイエルン地方の歌と踊りのショ-がみられた。

 

(6)ミュンヘンロマンチック街道、-デンブルク

 南は、スイス国境に近いフュッセンから、北は、バロックの街ヴェルツブルク迄の350Kmロマンチック街道。その歴史は、-時代まで溯る。古い教会、丘の上の古城、石畳の続く狭い路地、中世その侭の小さな町村が存在している。その一つが人口1万有余の-デンブルク。市のマルクト広場にあるマイスタ-トウルンクは、定刻になると、時計の左右の扉が開き、大きな杯を、飲む人形があらわれる。これも、30年戦争にまつわる物語が秘められている。市街をとり囲む城壁は、通行可能な道路に変わり、そこから、雄大な眺めを満喫する事ができる。

 

(7)ハイデルベルク

 フランクフルトの南約100Km13世紀建てられたハイデルベルクの古城は、廃虚となっているが、山の麓に、ドイツ最古のハィデルベルク大学がある。ここは、本旅のお目当ての一つの処で、数多くの-ベル賞受賞者をだし優秀な学生が集まる。 マィヤ-フオルスタ-の戯曲「ハイデルベルク」の王子ハィンリッヒが眼前に現れ、「遠き国より、遥々と、岸にきませし我が君に−−−−−−−−」と歌う娘の声が聞こえてくる様なしっとりとした街の佇まいである。大学構内の学生牢には、天井、壁、 床、机まで、はめをはずして収容された学生達の落書きで、びっしりうめつくされている。ネッカ-河の対岸には、-ゲル始め多くの哲学者が思索しながら歩いたという「゜哲学の道」がある。

 

(8)ライン

 ドイツの父なる河といわれるライン河は、スイスの山中を源として、北海に注ぎ、豊かな水量を湛え、海上交通の要として、ラインランド流域周辺の経済、文化、の発展に寄与してきた。遠い昔、流域一帯は、西暦以前から、ケルト人系、ラテン-人の植民地として名を留め、-帝国時代には、その軍団の城砦として、その後、自由都市、選定候の居城、騎士団、貴族の館など中世の変遷した歴史を遺し、又様々の様式の教会、搭、小城  <ライン河通行の船舶より、通行税を徴収する >が、周辺の丘に、河の辺りに、姿をみせている。

 マインッよりケルン1320KMライン下りする時、右左にそれらの歴史的遺物がみられる。人変わり、時は移つても、悠々として流れてやまないライン河には、自然の重みを感じる。ハイネの詩にうたわれた魔女伝説の-レライは、速い流れと急-ブになった132mの岩の上に見える。

 一方、この地方の丘の斜面にひろがるブドウ園は、世界にも有数のワインの産地。

 

(9)フランクフルト

 -広場は、西暦前ケルト人が居住していた頃から、フランクフルトの中心地。広場の西側の-「旧市庁舎」は、ゴシック風の段のついた切妻屋根3棟は、フランクフルトシンボル-は、歴代の神聖-皇帝戴冠式後の宴会場としても使われ、内部の広間には、52人の皇帝の肖像画がかざられている。東側には、木組み建築の美しい家並みが軒をつらねている。-マイン河よりにあるド-は、皇帝の戴冠式をあげたゴシック様式の大聖堂。カイザ−通りには、ゲ-テハウスがあり、全焼していたのを1951ゲ-時代そのままの姿に、家具調度類にいたるまで、復原され、開放されている。

 

4.ベルギー、ルクセンブルク、オランダの巻

 19965サベナベルギー航空にて、0830成田発。ブリュセル1605着。1BF=約38¥、ベルギー「英ベルジャム、Belgium」「仏ベルジックBelgique」「和蘭Belgie」面積3万平方kmー略関東並みー人口1000万。其の歴史をみると、青銅器時代西暦前1800900年頃ケルト語のベルガエ民族が居住、これが其の名前の起源。

 同50年頃ローマ帝国、西暦4フランク王国、その後、18世紀にかけて、多くの封建領主国家が誕生、度重なる領主権の交代フランスオーストリアスペインの領地となり、1830年独立。従って、ブリュッセル国際空港にては、案内のアナウンスは和語、仏語、英語で呼びかけている。

 

(1)ブリュッセルー仏語。以下同じー

 市の中心のグランプラスは、ゴシツクバロック様式の建造物に囲まれた広場。15世紀の市庁舎の中央の塔は96m、その向かいの「王の館」ー博物館ー、ギルドハウス の市庁舎の中央の塔は96m、その向かいの「王の館」(ー博物館ー、ギルドハゥスー同業者組合ー)の建物、そのハゥスには、夫々番地と独特の呼称がある。広場の中央は、花市、小鳥市がたつ。

 直ぐ近くに、600才の誕生を経た小便子僧が可愛いくたつている。

 

(2)アルデンヌの古城

 ベルギー東南部に広がるアルデンヌ地方は、丘陵地が続き、幾つもの川が複雑な地形を縫つて合流し、ムース川となり、貴族達が築いた古城、館、庭園、城壁が森の中に点在している。ナミュールディナンは、この国の歴史が示す通り、中世より、戦の場となり 占領された。 ナミュールアンヌボワ城は、周囲を運河がとりまき、豪華な庭園がある。

 

(3)ルクセンブルク

 仏、独、白に囲まれた立権君主国。面積2587平方kmー東京都よりやや大ー人口37万。様々の国の支配を受けたため、混血が多い。古代ローマ時代に發祥、963年城壁を築き、1519西紀の間、外国の支配をうけ、1867ルクセンブルク大公国として、独立したが、1、2次大戦ともドイツ軍に侵略された。

 市街は、渓谷によつて中世の面影を残す旧市街と新市街に分かたれ、それを高さ46m長さ84mのアーチ型のアドルフ橋が繋いでいる。1Lfr=3・7円、市内中央の大公宮殿は、かつて、市庁舎として使用されていた。スペインルネスサンス様式で正面の華麗な装飾は見事。 天を突き刺す様な細く鋭い尖塔が印象的なノートルダム大聖堂は、17世紀の建造。市内には、10世紀の城跡、地下要塞もある。

 ルクセンブルクよりオランダ領マーストリヒトに向かう。此処で、オランダについて一言触れなくてはならない。オランダは、正式国名をオランダ王国と言い、日本語のオランダは、北海沿岸の総称ーホーランドーに由来する。面積42000平方kmー九州より少し小さいーライン河、マース河、スヘルデ河のデルタ地帯を中心に海面下の土地が続き、南西は、低い丘陵となつている。人口1500万、公用語は、和、英、仏、独語。西暦前50年頃、ローマの属州、1013世紀封建領主、15世紀ハプスブルグ家の支配、17世紀連邦共和制。商業の発展により、黄金時代を迎え、海洋国として、豊かな経済力を背景に芸術、文化の華が咲いた。2次大戦では、ドイツの占領下。木靴、チーヅ、風車、チューリッブ。湖と運河。800以上の博物館、美術館がある。

 日本との関係は、古く徳川家康頃よりはし゜まる。オランダ連合東印度会社と長崎平戸にオランダ商館を創設、鎖国時代出島に移され、貿易を続けた。

  有田焼の技法は、オランダデルフト焼に影響を与え、オランダは、西洋の優れた科学技術と情報をもたらした。

 

(4)マーストリヒト

 オランダの最南部、ドイツベルギーの国境近くに位置し、マース川の左岸に、中世より開けた城塞都市。川を挟んで、旧、新市街にわけられ、旧市街の中心地プレスト広場を中にして0世紀より建造の始まつたロマネスク様式で鐘楼と二つの塔のある聖セルファ-教会 ゴシック様式でプロテスタントの聖ヤンス教会。

 夫々の内部には、典礼用具、金銀細工  象牙が又家系の墓碑が並べられている。10世紀以前のロマネスク様式の聖母教会もある。旧市街の南に残る城壁は、かつての戦乱に捲き込まれた跡をとどめ、今はその城壁にそい、水鳥の遊ぶ静かな公園となつている。ヘルボートー地獄の門ーペストハウス 13世紀の建造とか。

 

(5)トーン

 マース川を北へ行くと、街全体が白いペンキで塗られたトーンの街がある。修道女が数世紀にわたつて運営してきた、信じられない位清潔な街。

 

(6)ゴッホの森

 更に、マース川に沿い北上、アーネムをすぎるとヘルダーランド州に出る。オランダ最大の自然 保護区ホーヘフェルウェ国立は、豊かな森が荒れ地となつた所にあるが、野生動物も いて、この付近をゴッホの森という。この中にヘンリームァ寄贈のクレーラミュラー国立美 術館がある。275点のゴッホピカソの作品が配置され、箱根の彫刻の森美術館の モデルとなつたところ。

 

(7)アムステルダム

 アムステルダムは、アムステル川に築かれたダムという意味。17世紀オランダが海上貿易を通して、七つの海を支配していたころ、アムステルダムは、世界の貿易、金融、文化の中心として、絶頂期を迎え、運河ぞいに、豪商達の優雅な邸宅が並び住み、今も変わらず、それらの7000の建物は、歴史建造物の指定となつている。運河巡りのボートにのると、これらのエキゾチックな家並みが、目を惹く。17世紀始めの階段状切り妻の素朴な屋根、18世紀の首の様な形をした長い切り妻とフランス風のものが合体された屋根、夫々の家の紋章がくつきりとうきでている。また、下町といわれるヨルダーンハウスボートには、木を植え、花を咲かせ、気さくで親しみのある人達がすんでいる。街には、多くの美術館、博物館があり、街全体が、芸術の宝庫。レンブラントの「夜馨」などのある国立博物館。自然光の中で、ゴッホの油彩、素描、書簡など陳列されたヴインセントファンゴッホ国立美術館。隣の市立美術館には、印象派、表現主義、新リアリズムなど19世紀ー現代までの絵画がある。アンネフランクの家。飾り窓付近は、歓楽街。

 

(8)アルクマール

  アムステルダムの北西約40km。運河が網の目のように走り、中世の面影を色濃く情緒豊かな街。毎週の金曜日、ワーフ広場のチーズ市は、製造者と仲買人との間で取り引きし、運搬人は色とりどりの麦藁帽子、白いパンツユニホームで、110kgのチーズを軽々と運ぶ。これは、16世紀以来のその儘の形を受け継いだ伝統的なセリ市だとか。

 

(9)ザーン・スカンス

  サーンス地方にある小さな街。白い縁どりの典型的なザーン地方の緑色の家並みが昔ながらのオランダの風景をとどめている。往時には、400基もの風車が回つていたが、現在、4枚の羽根をつけた風車は、マスタードの粉をひき、製材に、食料用の油搾りに、つかはれている。

 

(10)キユーケンホフ公園のチュウリップ

  ハーレムからライデンにかけての海岸地帯は、チュウリッブの産地。その中心のリッセには、有名なキューケンホフがある。28haの敷地のなかに、赤、白、黄色の単色から混色、一重、八重咲きの様々な種類のチュウリップスイセンヒヤシンスが咲き、その間を水路が走り、水鳥が遊び、彫刻が置かれた見事な花園。所要時間3時間。開園期間3ー5月をすぎると、一斉に摘みとられ、翌年迄閉園。

 

(11)ライデン、ハーグ一帯

   チーズで有名なエダムゴーダの街。ゴーダビールでも有名。白地にブルーの絵付で知られる陶器の街デルフト。市街は、運河に囲まれ、岸には、菩提樹の並木がたち並ぶ。画家レンブラントヤンステーンなどオランダの巨匠の故郷ライデンは、16世紀のライデン大学でも有名。

 

(12)ハーグ

 13世紀封建領主の狩猟の館を建てて以来、貴族や王家の伝統的な居住の場として、政治の中心。公園、庭園、街路樹の緑と歴史的な建物が美しく調和されている。騎士の館、監獄の門など中世の建造物は、当時の名残をとどめている。平和宮には、国際司法裁判所が設置され、建物は、米国のカーネギーの寄贈、日本からの豪華な西陣織りの壁掛けがある。

 ミニチュアタウン マドローダムは、2万平方mの敷地にオランダ各地の名所が実物の25万分の1の大きさで、精巧に、迫力をもつて、つくられている。

 宮殿の様な外観と客室をもち、往時の上流階級の人々の華やかな社交の場となつたクールハウス ホテルは、夜となると、北海の荒波の音が、真黒な闇の中に聞えてくる。

 

(13)フエルメール展

 ハーグで開催中のフェルメール展をみた。17世紀のオランダが生んだこの画家の作品は、数少なく30数点。そのうち、スコットランドロンドンワシントンニューヨークベルリンの美術館などから、集められた23点が展示されていた。「赤い帽子の女」「真珠の耳飾りの少女」「牛乳を注ぐ女」「レースをあむ女」など。

 彼の評価がでてきたのは、19世紀末。同時代には、哲学者で、光学者のスピノザデカルトもいて、光の研究をしていた。彼も又、夕暮れの微妙な光の移ろいを画面の中で、絶妙にとらえていた。

 

(14)アントワーブ、ゲント

 ハーグよりベルギーアントワーブに出る。世界第3の港。旧市街のマルクト広場の周辺には、1417世紀の間に建造されたノートルダム大聖堂。内部にルーベンの秀作がある。16世紀のイタリア ルネサンスの要素を調和した市庁舎。1617世紀建造のギルドハウス。屋根の彫刻飾りがめずらしい。また、ダイヤモンド4カツチングセンターの一つ。1500社以上のダイヤモンド業者のオフイスが集まり、研磨、加工、されて世界の市場に。個々の職人が受け継いできたその技術をもつて、所謂、アントワ-プカツトなるものを作り続けている。「青い鳥」の作者メーテルリンクの故郷はゲントゴシック様式の聖バーツ大聖堂。13世紀ギルドによつて建てられた91mの鐘楼。ゴシツクルネツサンス様式の繋ぎ合わされた市庁舎。12世紀のフランドル伯の居城。14西紀建築の考古学博物館に当時の陶器、装飾品、武器衣装がある。

 

 (15)ブル−ジユ

 ブル−ジュは仏語で、オランダ語でブルッヘ< >を意味し、文字通り水の都。市の中心となるマルクト広場の周りは、13-15世紀の建物が建ち並び、高さ83mの鐘楼には、47個のカリヨン <組鐘 >もあって澄みきった音色を街中に響かせている。又、14世紀の市庁舎、 その内部の「ゴシックの間」は必見。西隣のバジリク聖血礼拝堂は、12世紀の建物で、第2次十字軍に参加し、エルサレムより持ち帰ったと言われる聖血の遺物がある。マルクト広場より下ると、ブル-ニング美術館、ミケランジエロ作の白い大理石に刻まれた「聖母子像」のある聖母教会に続く。旧市街の南、閑静な場所に13世紀ペギン修道院 <現在ベネティクト>の修道女が15世紀の侭の僧服を着けている。

 かっての内港は、恋人達の憩いの場として、「愛の湖」と呼ばれている。市街の北東には、中世以来の伝統的な糸巻-を見せる-スセンタ-もある。運河巡りや石畳を行く馬車に揺られて観光するのも面白い。夕食は、木々に覆われ、白鳥の遊ぶ「愛の湖」レストランフランス料理をとるのも乙なものというべきだらう。

 

5.「旅の讃歌」総括

 「旅の讃歌」を綴り得ました事は、パソコングルーブに参加することにより、出来たわけで  、普通ならば、旅の行きっぱなしに終わる所を、何とか、纏める事ができて、一息ついているところです。併し、詩でも、起承転結があるように、今後のことは、別として、これらの総括として、締め括る事としました。

 

(1)夫々、20日間程の旅の事ゆえ、訪づれた国の事、   人々の事をあれこれ

 書き記す事は、「井戸の中のカエル」みたいなものを感じ、躊躇しました。又、記憶、印象もうすれていたので、当時の資料を参考とし、出来るだけ、正確に纏めたものですから、多分に、冗長的なところ、名所案内のカタログ的になつた嫌いもあつた事と反省しております。

 

(2)歴史上の事件、人物

 歴史上の事件、人物が、常に、その地理的状態と結びつけた「風土」との関連で捉え、和辻哲郎博士の「風土は人間の存在しない自然ではなく、主体的人間が働く土地であり、風土と結びつかない歴史は、本当の歴史ではない」という立場にたち、廃墟鑑賞感や史跡懐古の平凡な情感にながされないで 、常に、新鮮で、生動的紀行文を書き、歴史の苦闘に投入される民族と個人のひたぶるな生命の強さに価値基準を置く、所謂、「司馬史観」を実践するならば 、自分の足を使い、運転し、民宿し、民家に泊り、時間をかけて、ゆっくり、その国の人を、遺跡を、文化を、聞き、観る事だと思いますが、この歳になると短い時も惜しいし、又体力も伴わず、従つて、通り一遍のみた侭の姿を記す事になりました。

 

()保存された歴史的建造物、奇麗な町並み

 保存された歴史的建造物、奇麗な町並み、家々の窓辺やベランダにおかれた色とりどりの花、豊富な種類の食べ物等思いおこす事は、多々あります。

 就中、ゴッホ美術館の芝生で絵画鑑賞実習中の男女の高校生の姿を捉えようとカメラを向けたおり、ニツコリVの字のサインをした屈託のない彼らの笑顔、アムステルダムの運河巡りのおり、岸のマンションの三階から、身を乗り出して手を振る二人の姉妹の姿、ハーグの混雑した町中を寄り添うょうに、かばいあつて渡つていた老夫婦の姿など忘れ得ぬ数々の思い出は、尽きない。

 

()結び

 それと共に、一諸に、家内と同行したわけですが、長年に亘り、苦楽をともにした彼女に対し感謝の気持ち<口には出しませんが>を現した積もりで、今、暫く、茶飲話として、これらの話も尽きないものとおもいます。