C 旅・登山・散策

 

 C1 国外旅行

 

 

1.旅行雑記

 

 

  発言番号:

  発言者 :村瀬 敏哉

   題名  :旅行雑記

  登録日時:

 

(1)年号との奇遇

 MCMXXIX 海外で年号を御覧んになった方でご存じの方も多いと思いますがこれは1929年で私の生まれた年です。世界的な不況時代だった様ですが知る由もありません。然し同じ年とゆうものは何となく身近に感じます。偶々今入っているゴルフの霞ヶ関カンツリークラブも1929年開場です。今回の旅行でもいくつか同い年に対面しましたので報告します。

 セビーリアのマリア・ルイツ公園に同年のイベロ・アメリカ博覧会時に建てられたスペイン広場は半円形の広場を囲む建物がありその前には川が流れています。又建物の壁面にはスペイン各県の歴史にまつはるエピソードを描いた絵タイルが飾られていました。

 アメリカ広場には真っ白の鳩が100羽以上居り中に色のついた鳩が1-2羽遠慮深げに居たのが印象的でした。バルセロナにあるモンジュイックの丘にも1929年に開催された万国博の時にスペイン村があります。

 何れの施設も私同様67年の年月を経過して居る訳ですが皆元気の様で自分もこれから益々頑張らなければならないと思いました。

 尚冒頭の年号ですが私も今回まで全く知りませんでしたのでご参考迄に書いておきます。

  M  1000

  D    500

  C    100

  L     50

  X     10

  V      5

  I       1

 例えば1997年はM(1000)CM(1000-100)XC(100-10)VIII(5+1+1+1)です。

またお便りします。

 

(2)スイスチュゥリッヒユングフラゥ

 MDCCCXCIIX これは日本の明治31年になるかと思いますが、此の年にユングフラウ鉄道は開通しています。日本の交通網がこの頃どうなっていたか不勉強の為良く存じませんが 今回初めてトンネルを通ってユングフラウ・ヨッホに行きまして よくもこの様なものを100年前に作ったものと感心しました。岩盤が堅いせいも有るでしょうが 日本のトンネルと違い壁面は掘ったままの凸凹のままで 別にコンクリートでかためてありません。出っ張った処が電車に当たるような感じです。この間1393メートルの高度差を30分位で登ってしまいます。天候が大変良かったので 周りの山も良く見え又山頂近くには登山している人が 蟻の様に点々と見えました。

 スペインから始まって主として博物館で ピカソだミロだとあまり判らない芸術を鑑賞した後なので 余計に自然の美しさに感動したようです。

 スイスではチューリッヒの市内に市電が網の目の様に走っておりまだ足りずにトローリーバスまでありました。鉄道も大変発達しております。SWISS PASSと言う4日間使える切符が264US$ 国鉄でしたら乗り放題 スイス国内何処へでも行けます。例えばチューリッヒの駅の時間表を例示しますと

12:00           BADEN 行き             21/22番線

12:00   EC     LUXEMBOURG            12 

12:01           TIEFENBRUNNEN       23/24

12:01           LUZERN                   4

12:03           LANGNAU                 1

12:03           WETZIKON              23/24

12:03   IC     GENEVE                   13

・・・・・・

1時間に50-60発車しており  これがまた ベルも鳴らずに黙って出てしまいますので目的地に着くまで大変気をつかいます。それでも4日間無事特に旅行し終えました。

 尚前回の最後の年号1997MCMXCVIIでIが1個余計に付いておりました。お詫びと訂正申し上げます。ではまた

 

(3)ナイロビ

 JUMBO と言ってもゴルフのプロのことではありません。ケニアでは人に会うと必ず右手を挙げてジャンボーと言います。”今日は”の意味でしょう。ナイロビは赤道のほぼ真下ですが海抜が約1700メートル有るので気温も27-8度と大して高くなく又湿度も低いのでそんなに過ごしにくく有りません。三男の住んでいる家は敷地が約400坪位あり 平屋建ての建物も100坪位の広さです。大きなリビングに4ベッドルーム 不思議なことに風呂便所も3箇所あります。大変貧しい国の様で雇用対策としてメイド 庭師 運転手が居り 又治安が悪いので警備保障会社と契約 家の所々にセンサーが付いている他12時間勤務の警備員が2人交代でつめております。皆人は良いのですが何せ貧乏の為なんだかんだと理屈を付けてお金を貸してくれと言われ(それも日本円にして100-200円の事)それ事態はどうとゆうことでは無いにせよ癖になったり日本人は甘いと思われないように等考えなければならない等労務管理に苦労している様です。都心には高層ビルもあり都会はどこも変わりありません。ただ道路は穴だらけ修理するお金もあまり無いようです。何処へ行っても人は多く結構おしゃれしてます。今年はこちらも雨が降らず水力発電に依存しているせいか 毎日4時間位ずつ停電していました。又この為野菜の値段がたかくなっているとのことでした。物価全般は安く日本の食料品も殆ど現地で手にはいります。外食しても6人でお酒も飲んで数千円程度でした。日本からヨーロッパまで13時間 更にそこからケニヤまで8時間といずれにしても大変遠い場所でした。

 

(4)ナイロビからサファリ

 DC 3, TWIN OTTER これはナイロビからマサイマラのサファリに行ったときに乗ったケニヤ国内航空の飛行機です。DC3は戦後日本でも飛んでいたのでご存じの方も多いと思いますが約30人乗りのプロペラ双発機で一応ステュワーデスも乗っておりました。但し飛行場ではお尻をついて停まっており機内のフロアーは傾斜しております。

 帰路のTWIN OTTERはどこで作られた飛行機か知りませんが 14人位の乗客と2人の運転手だけでステュワーデスも居らず 又これが大変揺れまして私の孫と外人の子供と2人もどしておりました。ナイロビの飛行場は一応形がついておりますが 現地マサイマラは保護区のなかにあるので アスファルトも無くただ日本の農道の様に砂利道があり 吹き流しの旗が1本立っているだけで 他に何も建物もありません。そこにホテルの迎えのランドクルーザーが数台居りました。

 泊まったホテルはMAPTASAFARI CLUB と言いましてバブルの時に日本の芸能人他が集まって造ったとのことですが うまくゆかず今は現地資本が経営しているとの事です。丘の中腹にありまして1戸建てのロツジが40戸ほど有りなかにはジャグジイバスが屋外に付いているのもありました。食事は不思議なことにフランス料理で23日おりました間 メインディッシュは 魚 鳥 豚 牛と一応は気を使って居るようです。

 さてこの間本命の動物とのご対面です。午後4時と朝6時 計4game drive と称して車に乗って 1回約3時間広野を走るわけです。日本でも九州でいわゆるサファリパークに行った事がありますが これは 単に囲まれた場所に動物を飼育して見せているだけのことで本物は自然に生活している動物を探して歩く事となります。大雑把に分けてシマウマ キリン その他の草食動物とライオン チータ ハイエナ等の肉食動物に分かれており虎以外の動物は殆どお目にかかりました。ハイエナ チータなどは余り数も多く無いらしく 誰かが見つけますと運転手同士が連絡を取り合って広い原野をその動物の居るところに集まり彼らが他の動物を餌として襲う処を見ようとするのですが そのような残酷な場面はとうとう会いいませんでした。但し食べ終わった骨はあちこちでみかけました。

 偶々新潮社で出しているSINRAとゆう雑誌にジョナサン・スコットとゆう23年もこのマサイマラに住んで写真をとっている外人の動物の写真がでております。

 ナイロビに帰って息子の家の庭でバーベキュウを現地の使用人も含めやりまして この時 シマウマ とトムソンガゼール(日本語で何とゆうのかしりません)の肉も焼いて食べましたが特に美味しくも不味くもありませんでした。ただ何となく原野で見た彼らの顔が思い浮かびました。

 前回も最後の名前1字違ってました。すみません

 

()PICASSO&GAUDI

 小学校の3年の図画の時間に一生懸命書いた水彩画をこんなものは絵ではないと先生に水で洗われてから絵画を書いたり見たりする興味が全く無くなりました。それでも旅行に出ますとメニューのなかに美術館の鑑賞があり 今回も止む終えずプラド美術館(マドリード) ピカソ美術館(バルセロナ)スイス国立博物館(チューリッヒ)市立美術館(チューリッヒ)等を訪れました。

 プラドは大変おおきな美術館で ゴヤ(1746-1828)ベラスケス(1599-1660) エル・グレコ(1541-1614)等の有名な画家の絵を主体に多数展示されておりましたが 記憶に残っているのはゴヤの名作 ”着衣のマハ” ”裸のマハ”位です。

 ピカソ美術館での発見は ピカソといえば顔が半分正面 半分横を見て居るような絵を思い浮かべますが この様な絵は極く晩年の物で多くの絵は非常にまともなものであるである事です。偶々4-5才の子供が先生につれられてピカソの絵を熱心?に見学してましたが 何の役にたつのか判りませんです。

 スイス国立博物館は美術館ではなく勿論絵や彫刻も有りますが、例えば200年前の衣装を着た人形 室内の再現 小さな軍人が数多く集まり色々の武器を持って戦っているパネル等見て楽しい物が多数有りました.

 バルセロナのアントニオ・ガウディの諸作品は今回の旅行で是非見たいと思っていたものです。聖家族教会は未完のもので今も建設を続けております。100メーター位の高さの処までエレベーターで登りましたが 狭い螺旋階段を降りるのに苦労しました。グエル公園には奇妙な構築物が多くありこれがなんともなく楽しいものです。

 さてヨーロッパを歩いて何時も感じることですが 折角日本人のガイドが付いていて色々説明してくれているのに その国の法律によってか 現地人のガイドが日本語も話せないのに必ず付いていることです。彼ら彼女らのやることは入場券の購入 バスでの人数の確認位であれで日当をどれぐらい貰っているのですかね?ではまた

 

 

  発言番号:

  発言者 :深沢 龍一

  題名  :

  登録日時:

 

 村瀬さんの力作「旅行談義」を私の数少ない海外旅行体験と照らして、毎回楽しく拝見しています。

  今日はその中で、「旅行談義  2」の中からチューリッヒの時刻表を拝見して思い出した私の「失敗談」をご披露致しましょう。

 1988年の夏でした。嫁ぐ日を5ケ月後に控えた娘と、隣のご主人の3人で「スイス・アルプス・ハイキングツァー」に参加し、生まれて初めての海外旅行をした時の ハプニングです。 チューリッヒルツェルンを駆け足で廻って、アイガーグリンデルワルドマッターホルンツェルマット、それからモンブランシャモニーに夫々各3泊して西に東にとハイキングを満喫し、アルプスの景色を堪能した後、早朝シャモニーを発ってジュネーブに入り、レマン 湖畔を中心に市内見物。船上レストランで昼食の後は夜までは帰国を前にした自由行動の時間でした。

 その日は8月1日、スイス の「建国記念日」とてお店の大半は休みなので、その頃から好奇心の旺盛な私は、「ローザンヌに行ってみよう!」と囁いたら、我々3人のほかにもう一人、毎年 カメラを担いでスイスの山々を歩いて、アルプスの風景や高山植物にレンズを向けて旅慣れている山形放送の元アナウンサーをしていた方が「一緒に行こう」と乗って来た。フランス語も多少は出来る彼の参加を得て勇気百倍、善は急げとばかりに一行4人はホテルに荷物を置いて早速に コルナヴァン駅に向かう。

 駅の柱に掲げてあったのこそ、正しく村瀬さんの例示された小さな額縁入りの「時刻表」であった。忘れもしない「12:57 ローザンヌ行」。幾ら語学にとろいとはいえこの程度の固有名詞は読めた。自動販売機で切符を買おうとしたが20 フラン札が機械に入らないので窓口で往復切符を求めて指定の番線のプラットフォームに出る。おっしゃるとおり「改札」はなく文字通りの フリー・パスである。

 定刻より5分早く スマートな列車が入って来る。Inter-City」である。アナウンサー氏が乗ろうという。少し時間が早いなと思いつつも、旅慣れた彼に意見する勇気のなかった私は、彼に従って車中の人となる。行先の掲示も アナウンスも無くその上 ベルも鳴らずに静かに列車はプラットフォームを離れた。

 4人掛けの席に座ってレマン 湖畔を快走する特急列車の乗り心地に満足しながら異国の風景を眺めていると、やがて小柄ながら粋な制帽をかぶった検札の車掌が現れた。切符を差出すと「この列車はローザンヌには行かない」という。どうも「不正乗車」の東洋人と睨まれているらしく、 ペナルティーを請求するという。皆は ホテルに大金を置いて来たので小銭しか持ち合わさない。件の アナウンサー 氏が懸命に釈明している横顔を眺めていたが、やがて車掌も解ってくれて「英語ではよく説明できない」と一旦立ち去った後、地図を片手に戻って来た。我々はジュネーブの次は当然にローザンヌと思い込んでいたが、チューリッヒ 行きのこの「IC」はローザンヌの少し手前で北に進路を取って次の停車駅は「ヌシャテル」だと ボールペンで地図に線を入れる。困惑する私達の表情を見て、車掌は「ローザンヌ にはどんな用事があるのか?」と聞くので、仕方なくウイットを込めて「お茶を飲みに・・・」とアナウンス氏。 車掌は笑いながら「 ヌシャテルも良い町だ。ヌシャテル に着いたらお茶を飲んで、午後4時1分発の列車で ローザンヌ に行きなさい」と教えてくれた。料金差額は1000円ばかりなので安心して清算出来た。「楽しい旅を・・・」と親切な車掌はアナウンサー氏にウインクして立ち去ったと彼が後で話してくれた事が今も思い出される。

 ヌシャテルの駅を出て、高台のテラスから街を見下ろして、皆で40分の待ち時間に歩く方向を決め坂道を街の中心部を目指す。由緒の有りそうな支庁舎や美術館の前を通過して束の間の散策を楽しんだ後、車掌の言った列車に乗る。

 ローザンヌへは30分で着いた。駅のインフォーメーション パンフレットを貰って陽射しの厳しい坂道を歩く。途中アナウンサー氏が中年女性に道を聞く。「同じ方向だからついておいで・・・」と彼女。お目当ての大聖堂を見学して再び「インター・シティー」で ジュネーブに向かう。安心して飲めた車内販売のコーヒーの美味しい事。

  休みの多い レマン湖畔の繁華を歩いてやっとモンブラン橋の近くで レストランを見付けて、スープフィレステーキビール などを注文する。永かった一日の夕食はとても美味しく思い出話に花が咲く。他の メンバー ジュネーブの街を ウロチョロしている間に我々4人は 「ヌシャテル」と「ローザンヌ」という思いも掛けない2つの古き街を見物できたのに大いに満足した旅であった。

  後日、持ち帰ったフィルムを現像したら、その中に車掌の検札に驚いている3人の「東洋人男性」の姿があった。皆があたふたしている間に冷静に シャッターを切った我が娘の機転を誉めた事を思い出した。この時の「清算切符」と車掌が説明してくれた彼の ボールペン入りの「路線地図」は今もアルバムで見る事が出来る。

 

 

  発言番号:

  発言者 :村瀬  敏哉 

  題名  :La  Alhambra

  登録日時:

 

  前回の美術館と博物館と同じ様な関係が私にとっては教会と宮殿との間にあります。ヨーロッパに行きますと何処に行っても教会が有ります。キリスト教徒ではないので従来から総本山のバチカンから始まりイタリーのミラノ ベニス フローレンス或いはドイツのケルン等々の地で教会を訪れてますし 今回もスペインのマドリードからバルセロナに至る間も沢山の教会を見ましたが 規模の大小年代の違いこそあれ ステンド・グラスの美しさ以外には特に感じるものは有りませんでした。更にグラナダでは 悪いことに教会に入ったところ 丁度ミサが始まってしまい同伴者と寒いなか約1時間これに付き合わされてしいました。

 それと比較し宮殿は種々バラエティーに富んで楽しいものが有ります。残念なことにマドリードの王宮は改装中の為見学出来ませんでした。

 グラナダにありますアルハンブラはMCCL頃にアラビアの太守によって造られた物だとのことです。宮殿はMCD世紀の建物でメクスアールの内庭 大使の間 2姉妹の間 ライオンの内庭大浴場等がありそれぞれ噴水天井飾り 壁の装飾等美しいものがあります。また建物の外の庭の池 噴水 樹木 植物も大変綺麗でした。

 話は変わりますがバルセロナに動物園がありました。ここに世界で数頭しか居ないといわれる白ゴリラがおりました。大変大きな動物園で殆ど全ての動物の他蛇 蜥蜴等の爬虫類 魚類何でも居りました。それぞれの動物はその種類によって分けられて居ますがそこに違った鳥が同居しており仲良く暮らしてました。その後アフリカに行ったわけですが 都会でのこの様な施設も又有意義なものと思います。

 

 

  発言番号:

  発言者 :巌 隆吉

  題名  :

  登録日時:

 

 村瀬さんの旅行雑談私も、深沢さん外皆さんと同様、楽しく拝見しました。

 連載して戴きまして、ご旅行の全容を詳細知ることが出来ましてまことに有り難うございました。

  今度の村瀬さんの旅行の中で私が印象に残っているところは、昭和45年4月下旬スイスのインターラーケンに泊まりその翌日ユングフラウに登ったことと、レマン湖周辺を歩いた時位で、その他のところは知らない土地でした。

  インターラーケンの宿屋の主人は、前夜、登山電車には早朝1番に乗れと言っていたのですが、同行の他の3人が大層疲れていたためかゆっくり寝てから乗ろうとの意見で、私は折角ここにいるのにといささか不満に思いましたが、翌朝遅い電車に乗りました。

  案の定、途中の乗り換え駅までは良く晴れていましたが、頂上に近づき覗き窓から見ると曇っており、これは駄目だなと諦めまして、頂上駅近くのレストランでワインで乾杯昼食をとって下山しました。村瀬さんのように山を見るためなら、一ケ所に2〜3日逗留するか、天気の良い日でも朝早く出ることが肝要だと思っております。何れスイスの山を見る機会をつくりたいとは思っておりますが、何時のことになるやら....。残念な思い出でした。

  次はレマン湖周辺を散歩していると、遊覧ボートが数隻繋留されているので、同行の一人が「サイトシーン、OK」と聞くと「ノーン」との返事。私は幼年学校で少しフランス語をやったことがあったので、「プールコワ」と訪ねると「イレ、ツレフロワ」と答えてくれたので「非常に寒いと言っている」と皆に告げると、さすが英語のベテランたちも感心。全く語学に弱い私としても昔の幼稚な知識がやっと役にたったなあと思ったものです。

  帰国後、会社の報告会では海外旅行をする人はせめて各国の基本単語を100位覚えておくべきだろうと語ったことを懐かしく思い出しています。

  私自身その100語すら実行していませんが、最近の海外旅行には、数ケ国語の基本単語の入ったポケットパソコンを携行して困った時に活用しています。このパソコンを出して見せますと、周りに人が集まりましてすぐ解決することがしばしばありました。

  村瀬さんのように語学のベテランには全く関係のないことですが、海外に出掛ける時は、会話の弱い私たちは最低困った時にどうするかということの準備が大事だなと痛感しています。

  私はいながらにして、旅行特に海外旅行を身近に体験出来るこのコーナーへの皆さんの投稿を心から期待しておりますので、今後とも宜しくお願いします。

  村瀬さん本当に有り難うございました。

 

 

  発言番号:

    発言者 :深澤 龍一

  題名  :

  登録日時:

 

 海外旅行の経験に乏しい私には、村瀬さんの6回に及ぶ長編力作「旅行雑感」をとても楽しく拝見し、異国事情を学ばせて頂きました。

 お陰様で「MCMXCVII」と年号も自分で読み書き出来るようになりましたし、又、私共旅慣れぬ人間にはSWISS PASS」なるフリー切符を持って好きな所を旅するなど想像もつかぬ事で、誠に羨ましい限りです。私如きはせいぜい行先の決まった地下鉄におどおどしながら「自由行動」の時間に「冒険」をするのが関の山で、バスや市街電車に乗ってみたいものと何時も思っておりました。

 何時かケニヤに行った人から、雪を戴いたキリマンジャロを仰ぎながらサファリにのんびり滞在してバカンスを楽しんだ時の話を聞いた事があります。その人はその時、是非行って見なさいと盛んに薦めておりましたが、そんな所に行ける人は村瀬さんやその人のように海外旅行の経験豊かな人ですね。我々はせいぜい「生きもの地球紀行」で楽しむくらいです。あの番組によく出て来る「シマウマ」や「トムソンガゼール」も召し上がったとか、テレビを見ている時は彼等がその地で食用になるとは思ってもみませんでした。

 スペイン巡礼の時に私達も多くの教会を見学しました。リーダーがキリスト教の司祭でもあったことから、ガウディの建築物には全く見向きもしませんでしたが、「プラド美術館」では、折角現地滞在23年の画家が案内してくれているのに、件の司祭氏はピカソの「ゲルニカ」の前に立ち尽くして全く動かず、「美術館では色々見るのでなくてお目当ての絵に集注するものだ!」と呟いていたのを思い出しました。

 最後は案内の画家が皆の為に「先生少し他のも見ましょう」と促していました。有名作家毎に展示が纏められて、とても素敵な美術館だった印象が残っています。

 その「司祭」か゛先週の土曜日に「未来潮流〜哲学者  門脇佳吉  魂をめぐる対話」と題するNHKの番組に出演して、「能」の梅若さん、「演劇」の蜷川さん、「音楽」の佐々木さん等と「芸術」について対談していました。「絵画」こそ出て来ませんでしたがなかなか芸術にも造詣が深い方と感心しながら見ておりました。

 話しが少し外れましたが、ヨーロッパの「現地ガイド」のお話、言われて見れば肯けますね。とは言っても私の数少ない海外旅行の経験で、それを感じたのは前回の「東欧旅行」が初めてで、その時は日本からのガイドさんは未だ説明するだけの知識に乏しいから、「ミキ・ツーリスト」という確か現地の邦人企業に一任しているのかなと思っておりましたが・・・。先般の「スペイン巡礼」とその前の「業界視察旅行」は共に「司祭」や「業者」による「手作り ツァー」でしたし、初めての「スイス・アルプス・ハイキング・ツァー 」は「郵船航空」さんの企画でしたが、現地では日本人乍ら全部アルピニストガイドとして同行してくれました事を思い出しました。

 ユングフラウ鉄道開通のMDCCCXCIIX(足し算、引き算が大変ですね)の頃の日本の交通網の情況、私もあの登山鉄道に感心させられた者の一人として何時か調べて見ましょう。