A2−9 三月十日

 

 

  発言番号:601

  発言者 :権藤  卓也

  題名  :三月十日

    登録日時:99/03/10 11:43

 

 今日は3月10日、昔の「陸軍記念日」です。明治38年、奉天での大会戦で、日本陸軍が勝利を収めた日でした。

 今日はまた、何故か東京の「平和の日」なのだそうです。

 昭和20年3月10日は東京大空襲でした。前夜から、サイパンから発進したB29の大編隊が、東京の下町を焼きつくし、数えきれないほどの一般市民、非戦闘員の死者を出した日です。

 私は当時、東大の理学部の学生でした。前年の暮れには、神宮競技場での学徒出陣の分列行進を冷たい雨の中で見送り(その時の行進曲が何であったかは全く記憶にありません)、やがて私も卒業の暁には歩兵第48連隊への入隊が決まっていました。

 私の家は、その時は市ヶ谷の当時の府立四中の前、今は大日本印刷の本事務所になっている所にありました。その日は幸いやられずにすみましたが、夜が明けて、市ヶ谷から東大に行く途中、飯田橋、水道橋、本郷と歩いている間は、一面の焼け野原。東大は被害はありませんでしたが、竜岡門から医学部の前を通ると、看護婦宿舎が焼け落ちていて、その傍の道路脇ではジンチョウゲの花が満開で、その香りが一面に漂っていたのを今でもはっきりと思い出すことができます。

 それから50年以上経った今日も、沈丁花の花の香りが漂っています。私は今でもこの花を見るたびに、何時でも必ず大空襲の焼け野原を思わずにはいられないのです。

 

 

  発言番号:602

  発言者 :巌   隆吉

  題名  :三月十日

    発言日時:99/03/10 18:51

 

 三月十日というと、当時陸軍にいた者としては、忘れられない日。

  奉天大会戦勝利の日でもありますが、同時に東京がB29の大空襲で多くの市民を巻き添えにして壊滅した日でもあります。

  当日私は座間の相武台にいましたが、空襲警報から暫くたつと東の方東京は真っ赤に染まっていました。また、B29が1機燃えながら南の空にも消えました。それを見た私も東京は相当な被害だと思いましたが、案の定後で東京に行って見るに耐えられない程全くひどいものでした。

  新聞によると今ごろになって犠牲者名簿を作成すべきと報道されていますが遅きに失した感がありますが...。この空襲は市民を狙った無差別絨毯爆撃で、低空でしかも周辺から火の網で蔽う作戦だったといわれています。広島、長崎と同様、今日改めて犠牲者のご冥福をお祈りしましょう。

  さて、今日私は何をしていたか?去年の12月から新たに法律で75才になる高齢者は免許の更新にあたり、事前に教習所で3時間の「高齢者講習」を受ける制度が出来ました。現在で3ケ月経過したのみで、私もこの4月75才になるので該当することとなり、通知書が来てビックリ、早速今日受講しました。3時間の内、1時間講義、1時間コンピューターでの運転適性検査、1時間は自動車を使っての実技と中々盛り沢山でそれはそれなりに高齢者にとっては意味あるとは思いましたが、急に去年の12月からしかも費用を6300円払ってまでやるのかと、私を含めて参加者は不満を述べました。 従来通り、更新時試験場で纏めてやることも可能ではないかなとも思っています。

  ともかく、久しぶりに一応試験を受けるような真剣な気持ちで緊張して過ごした一日になりました。

  只今、昔の三月十日を偲び、今日の高齢者講習のことを思い出しつつ平和の尊さをしみじみと感じています。