A2−7ー1 家永教授教科書訴訟問題と南京問題(1)

 

 

  発言番号:125

  発言者 :樋口 三男

  題名  :家永教授の教科書訴訟について考える

  登録日時:97/09/19 00:17

 

 65年6月の一次訴訟の提訴から、97年8月29日の三次訴訟最高裁判決迄の32年間に亙る教科書検定訴訟は終わつた。翻つてみると、「教科書検定は、教育への権力の不当な介入」との主張に対し、93年3月最高裁判決は、検定制度そのものは、合憲とされたが、度重なる上告で、検定内容で裁量権の乱用、逸脱論が、検定に対抗する最期の拠り所であつた。

  判決は、教科書検定が、絶対ではないことを、改めて明確にし、検定行政の「行き過ぎ」に対する反省を当局に迫るものであつた。

  では、現在の「中学校社会科歴史教科書」の記述内容は、どうなつているのだらうか。「南京虐殺」「慰安婦」問題にしぼつて、みると次の通りである。

 

・出版社 教育出版株  神保町2−10

 南京虐殺  南京事件の犠牲者は、20万人といわれているが、中国では、戦死者と合わせて30万人以上としている。1941年からは、日本軍は、華北の抗日運動の根拠地などに対し、「焼きつくし、殺しつくし、奪い尽くす」という三光作戦を行つた。

    こうした日本軍の行為は、世界から強い非難を浴びたが、日本国民は、敗戦後になつて、初めて此等の事実を知つた。

 慰安婦  多くの朝鮮人女性なども従軍慰安婦として戦地に送りだされた。

 

・出版社 株帝国書院  神保町2−15

  南京虐殺  南京では、女性や子供を含む多くの中国人を殺害し、諸外国から「日本人の蛮行」として非難されました。−南京大虐殺−

  慰安婦    朝鮮人の皇化政策 戦争にも、男性は兵士に、女性は従軍慰安婦などにかりだし、堪え難い苦しみを与えた。

 

・出版社 日本書籍   小石川4−14

 南京虐殺  「注」日本軍は南京占領後から翌年2月半ばまでに、女性、子供、捕虜を含む少なくとも15万人から20万人といわれる中国人を虐殺した。また日本軍は共産ゲリラ勢力の強い華北の村々で1940年ごろ、「焼きつくし、殺しつくし、奪いつくす」三光作戦を行い民衆におそれられた。こうした事実を日本国民は知らされなかつた。

 慰安婦    朝鮮台湾にも徴兵制をしき、多くの朝鮮人、台湾人が軍隊にいれられた。女性を慰安婦として従軍させ、ひどい扱いかたをした。

 

・出版社  東京書籍 株船堀2−17

 南京虐殺 其の際、婦女子を含む約20万人ともいわれる中国人を殺害した。−南京大虐殺−

 慰安婦    従軍慰安婦として強制的に送り出された若い女性も多数いた。

 

・出版社 株 清水書院東五軒町1−11

 南京虐殺  特に、南京占領に際して、武器を捨てた兵士、女性、子供まで含めた民衆を無差別に殺害した。死者の数は、兵士を合せて拾数万人以上といわれ、中国では、30万人以上と推計されている。諸外国は、此の南京大虐殺を強く非難したが、当時の日本人のほとんどは、この事実さえ知らなかつた。1941年と翌年には、共産勢力の強い地区に対して、焼きつくし、殺しつくし、奪いつくすという三光作戦を行つた。

 慰安婦    また、朝鮮や台湾などの女性の中には、戦地の慰安設備で働かされた者もあつた。

 

・出版社 日本文京出版    大阪市住吉区南住吉4−7

 南京虐殺  10数万人と推測されている。東京裁判では20数万人といわれ中国では30万人以上とする。華北の日本軍は共産ゲリラに対し、「焼きつくす、殺しつくす、奪いつくす」三光作戦を1941年から翌年にかけてとつた

 慰安婦    慰安婦として戦場の軍に随行させられた女性もいた。

 

・出版社 大阪書籍    大阪市東成区深江北2−1−1

 南京虐殺  20万人といわれている民衆を虐殺。

 慰安婦  朝鮮等の若い女性達を慰安婦として戦場に連行した。

 

 東京裁判では、南京事件の犠牲者は20万人と称し、南京郊外の江東門の「侵華日軍南京大虐殺遇難遭難同胞記念館」の入り口には、遇難遭難者30万人とあるとの事。文芸春秋12月号の記事「南京虐殺−参戦者の証言」には、「城内は森閑として、人っ子一人いなかつた。死体などはほとんどなかつた。」−第十軍独立軽装甲車隊敏本元中尉、第六師団通信隊鵜飼元中尉、第九師団第十九連隊土屋元中尉の証言−

  どちらが本当なのか。本当であるならば、改めて深甚の謝罪なり、遺族に対し贖罪をすべきではなからうか。或は、当時米英やソ連の謀略による誇大宣伝によるものだらうか。

  何れにしても、判断力未成熟の中学生の検定教科書に、一方的な記述は考えもので、歴史的に不明確なものは、両論併記し 「−−といわれるが、虐殺は無かつたとする証言もある。」と。又「−−といわれる。」という表現も無責任である。我々は歴史に学ばねばならないが、偏つた歴史は誤つた判断に人を導くことがある。

  これらに就いて、会員諸兄の忌憚のないお意見を承りたい。

 

 

  発言番号:128(125へのコメント

  発言者 :深澤 龍一

  題名  :家永教授の教科書訴訟について考える

  登録日時:97/09/21 08:15

 

 先ず始めに、色々の教科書を調査された樋口さんのご努力に心からの敬意を表します。老いて益々ご壮んですね。

  教科書裁判」の問題は、これが華やかだった当時は正直申しまして、「またこの頑固爺々奴が・・・」くらいにしか思っておりませんでしたが、 「ダイヤ・ネット」の皆さんに特に 昭和史論議 などを通じて色々啓蒙され、そんな私でも 歴史」に少しは興味を抱くようになりました。

  偶々、樋口さんの 「メッセージ」と同時に、NHKのETV特集で「ドイツ歴史教科書」の再放送しておりましたが、見ながら感じた事は我が国とドイツとの違いはどうも素直に自己の非を認めるかどうかと言う、我々昭和の時代を生きた者と同時代を生きた彼らとの間に 物の考え方」の違いがあるように思えてなりません。

  ドイツの場合は正しい 歴史教科書」記述の為に、歴史学者が自ら出向いて隣国ポーランドの歴史学者と長い期間に亙って対話を積み重ねたり、政治家もまた「加害」・ 被害」を乗り越えて、話し合いによって夫々の非を認め合い、明日の平和と共存の為に隣国との間で謝罪と和解を行ってきたと報じていました。

  幼い頃 敷島の  大和心を  人問わば  朝日に匂う  山桜花」と教えられた事を思い浮かべましたが、その潔さは何処へ行ったのでしょう。

  歴史的事実に 両論併記」は有りません。我々も一歩進めて 中国」や 韓国」に出向いて向うの当事者と対話して、事の真相を究明する努力を払う事はどうなのでしょうか?  何が 事実」で何が 嘘」かを明確にする事こそ歴史認識の原点ではないでしょうか? 戦後既に50年以上を経過して、 体験者」も年老いて余り時間的余裕はありません。正しい歴史を後世に伝える為にも、 両論併記」とお茶を濁すのでは済まされない気が致しますが・・・。(樋口さんが挙げられた「文部省検定済」の教科書の全てが、 事件」を認めた記述になっているからには、誠に残念ながら矢張りこれらは「史実 なのでしょうね。そして、なし崩し的にこれを認めていくと言うのが、今の我が国のやり方なのではないでしょうか?

  ドイツの事は余り知りませんが、ナチス・ドイツが近隣諸国にあれだけの事をして、現在の旧敵国との関係は、相互の「国民感情」の面からみて我が国の 韓国」や 中国」との関係と比べて果たしてどうなのでしょうか?  ドイツの場合は、戦後ブラント率いる「社会民主党」が長く政権に有った事も 歴史教科書」の問題に影響を与えた事が大きかったと番組では報じてはいましたが・・・。

  巷間、「小池隆一」に絡んで山一に続いて大和や日興も話題になっています。 某大臣」の辞任問題も起きていますが、これらに共通する事は、世間から指摘されなければその侭「ほうかむり」してしまおうという、「潔さ」を失った昭和に生きた我々の通弊がここにも顔を出している様に思えてなりません。何だか 歴史教科書問題」と重なって二重映しに見えてくるようです。

  「何時から日本人はこんなに駄目になったのだろう」と語った司馬遼太郎の言葉が思い出されてなりません。

  お粗末な 「コメント」で申し訳ありませんが、 発言する事に意義有り」とお許し下さい。

 

 

  発言番号:130(125へのコメント

  発言者 :太田 中

  題名  :家永教授の教科書訴訟について考える

    登録日時:97/09/21 23:10

 

 ダイヤネットワ−クでは野鳥、園芸、山行等について記されることは多いが、歴史について語られることは殆ど無い。

  その意味で今回、貴殿が教科書問題特に「南京虐殺」「慰安婦」について問題提起したことは大いに意義があり、賞賛に値する。

  史実、史料に絶対確実なものはあり得ないから、ことに戦争中戦闘下の事件について貴殿が疑問を呈することも無理からぬと思う。

  しかし、中国はもとより世界各国の史料、情報から判断して、現在教科書の記述は大体了承出来るものではなかろうか。

  日本の旧軍隊は情報に関しては極端な秘密主義で、真実を隠蔽するばかりでなく、虚偽の情報迄流したことは戦争中の大本営発表を見れば明らかな事実である。

  米国軍隊が戦争経過について、戦闘中に正式記録員を配し、新聞記者、カメラマンまで自由に取材させたのとは大違いである。

  更に、文芸春秋の挙げた陸軍の3人の元中尉の証言はいわば身内の発言で取るに足らないであろう。つまり刑事裁判に於いて、身内の証言は原則として無価値であることと同一の論理である。

  結論として言えば、ここに掲げられた7出版社程度の記述は許容されてよいと思う。

  家永教授の教科書問題に関しては小生も何れ全体について感想を述べるつもりでいるが、この度最高裁は教科書検定の是非について違憲判断してよかっただろうし、さらに一歩を進めて文部省を廃止した方がよいとさえ考えている。

  何れにしても、貴殿の今回の発言に多大の敬意を表したい。

 

 

  発言番号:133(125へのコメント

  発言者 :巌 隆吉

  題名  :家永教授の教科書訴訟について考える

    登録日時:97/09/23 22:12

 

  樋口さんの発言、更に深沢さん、大田さんのコメントを拝見しました。

  南京問題と慰安婦問題については、種々論ぜられておりますので、議論の中身については良く判ります。

  また、南京問題の真相はどうなのかということですが、私自身丁度中学1年生ですし皆目判りませんが、戦前中国から復員した人からもそのような30万人もの人を特に非戦闘員を20万人も殺したような話は聞いたことはありませんで、敗戦後戦争裁判で急な話として出たように思っています。当時中国軍は便衣を纏って抵抗したので、その者を含めても2万人前後の民間人が犠牲になったのかなと思っています。勿論戦争ですので、異常心理も重なりまして、多少事件もあったのではとは思いますが..。

  当時の南京の城内人口は22万人、その殆どを殺すとなると、物理的に可能であったかと疑問にも思います。もし20万人も殺されたとなると、広島の原爆以上の惨状で、それが内地に流れない筈はないのではと思います。当時非公開の報道写真で処刑写真もありましたので、一部真相だとも思いますが、農耕民族の日本人がそんな酷いことをする筈がないのではと、信じていたい気持ちです。

  勿論戦争といえども無辜の人々を虐殺することは絶対あってはならないことは当然ですが、戦争はソ連の満州侵入の例にも見られるように、色々な事件が起きることは必定で、その点戦争そのものが悪でしょう。

  慰安婦問題は、軍が直接関与したのか、当時公娼制度があったが業者が甘言を持って勧誘したのか、強引に拉致したのかによってその焦点は異なると思います。でも今それの真相を究明することは困難でしょうが、被害者と認められる人々の救済は是非すべきでしょうね。先日インドネシア占領後オランダ婦人を強引に娼婦にしたと放映されましたが、その通りならば救済は当然とも思いますが..。軍隊は古今戦争につきものの性の問題の処理には、治安対策のため相当神経を使っていたことも事実で、今の世代のご婦人方が聞くと全く憤慨すると思いますが....。軍の規律を守るためと宣撫工作のため、南方戦線では強姦した兵士を軍法会議で銃殺にした事件もあったと聞いたこともあります。

  これらのことにすべて関連するのではないのですが、日本は敗戦によってからその歴史観が大分曲げられているのではないかと危惧する面が多々あります。そのことをあまりいうと戦中派の連中は古いと思われるかも知りませんが、去年の学士会報で東大の藤岡教授が現在のように日本自らが一方的に卑下しての自虐的な歴史観を改めるべきで、特に教育問題について再考の要ありと記載しております。また、電通大の西尾教授もこれに同調しておりますが、私もその点同じように思っております。

  何れにせよ、昭和20年を挟んでその前と後では教育から体験が全く違いますが、戦後52年も経っていますので、この際冷静に過去の歴史を見直し次の世代に正しく申し送るべき点はわれわれシルバー共通の気持ちと思います。

  ついては皆さんからの素直なコメントをお待ちします。

 

 

  発言番号:138(133へのコメント

  発言者 :権藤 拓也

  題名  :家永教授の教科書訴訟について考える

    登録日時:97/09/29 06:42

 

 私は巌さんの意見に全面的に賛成で、太田さんの考え方には疑問を呈します。大体家永問題などというものは不愉快極まりないので、日頃これから目を反らせたり無視してきましたが、この会議室でもその後のコメントが続かず、このまま放置すると間違った認識が定着する懸念もありますので、敢えて発言することにしました。

 私は南京大虐殺などというものは存在しなかったと承知しています。私も巌さんと同年ですから、勿論直接の知見は全くありません。しかし、そのような事件についての実証が確認されたとは聞いたことがありません。

 今回の裁判の本質は教科書検定の是非に関するものであって、教科書の内容を正当化するものではないのに、南京大虐殺や慰安婦問題が正しい史実として一人歩きを始めていることも問題です。

 従来から、日本の一部偏向勢力が外国へあることないことをご注進に及び、その結果不当な内政干渉が行われて、腰抜け政府が唯々諾々とこれに従うことによって虚構が正当化されてしまうという図式がしばしばでした。太田流にいえば、今回の裁判についてもこのようなことが無かったのかどうか。私達は真実を知らないだけに気がかりでなりません。

 

 

  発言番号:140

  発言者 :向山 光雄

  題名  :家永教授の教科書訴訟について考える

    登録日時:97/10/03 15:08

 

 貴兄家永教授の教科書訴訟問題の提起拝承、中国戦線に参加したものとして大変参考になりました。本ホーラムの新人であるが一度皆さんで議論したいものです。

 

 

  発言番号:143(138へのコメント

  発言者 :深澤 龍一

  題名  :家永教授の教科書訴訟について考える

    登録日時:97/10/10 09:18

 

  先日権藤さんから 南京大虐殺は存在しなかった」との自信に満ちた 「コメント」がありました。日頃からその温厚なお人柄をよく存じ上げている権藤さんの発言だけに重みがあり、私もこの問題に多少の関心を持ち初めました。

  その頃、丁度偶々図書館の近くに行く用事があったので、手始めにと 現代史」の書架から 南京大虐殺」とストレートに表示されたタイトルの書物を2冊選んで借りてきました。それらの概要は以下の通りです。

 

(1)「仕組まれた”南京大虐殺”」

   ・・・攻略作戦の全貌とマスコミ報道の怖さ・・・

      大井        展転社発行  平成712月刊

  この本は300頁程度のものでしたが、最初に南京攻略戦に参加した第六師団に属する歩兵第23連隊(宮崎)の戦友会の方が、昭和59年8月の朝日新聞の「南京虐殺」に関する記事を見て「これは捏造だ」と同新聞社宮崎支局に文句を付けた事から、その実態を明らかにする為、戦記物さながら「攻略戦」そのものを詳細に記述する事で 虐殺はなかった」との主張を展開しています。唯、この記述は戦闘に参加した将兵の体験談に基いており(言い換えれば虐殺を体験していない人達のみの証言を集めたものとも受け取れない事はない)、次に掲げる書物との相違は本書が「談話」中心で「資料」の引用が少なく、又、著者の経歴等も掲載されていないのが些か気になりました。

  本書の中でも支那の非戦闘員が殺された事は否定していませんが、支那軍には「督戦隊」と言うのがあって、彼らは農民等から徴用した兵士が逃亡しない様に戦線の後ろで「督戦」し、逃亡しようとする者を背後から撃ち殺す役目を担っていたから、敵軍の「同士討ち」による殺戮が「虐殺」と見誤られた事は否定できないとも述べています。

  又、「便衣隊」(パルチザン)の記述では、市民に紛れて銃を隠し持った兵隊が突如発砲する事があるから、戦闘員と非戦闘員を見分けるのは非常に難しく、便衣隊と思って一般人を殺害した事はあり得るし、戦争中の事だからこれも十分に理解できる事ではあります。

  更に、日本軍は大量の捕虜を抱えて、戦で疲れているのに昨日の敵である彼らに食料の煮炊きまでしてやったとも述べています。(これも又事実であったと思います)

  この本には非戦闘員の殺戮に関する記述は少なく、戦が激しくなれば非戦闘員は居住地域を捨てて奥地へと逃げ出し、南京城内の「難民区」(外国公館の多い所で非戦闘員の避難区域に指定されていた場所)以外にそうした者は全く見掛けなかったと記述しています。

  こうした著者の主張を要約すると次のようになるかと思います。

 

1.東京裁判においては「被告」日本の主張は認められず、 大虐殺」は中国側のシナリオが丸々容認され、中国通で人道的指示を出していた当時の中支那方面軍司令官松井(石根)大将すらも虐殺の罪を負って絞首刑に処せられた。

 

2.朝日新聞を筆頭とするマスコミは左翼と共に何時も 体制」側の主張に反対する事で、大衆の支持を得ようとした。

 

3.戦争の事であるから、捕虜を含む非戦闘員の殺戮や、婦女子への暴行や強姦、更に食料などの略奪があった事は敢えて否定しないが、言う所の2〜30万人もの「大虐殺」は絶対にない。

 

4.日頃の心無きマスコミの報道が如何に世上に影響を与えているか、寧ろその怖さをこそ知るべきである。

  と言う事でしょうか。

 

  一方、次に掲げる藤原教授の主張の概要は、アウシュビッツがナチス・ドイツの戦争犯罪を象徴するように、 南京大虐殺」は日本軍の残虐行為の象徴として国際的に周知されているのに、日本国内に於いてだけは「虚構」だとか「でっち上げ」だとかいう主張が存在している事実から、史料を駆使して「事実を歪曲する政治的意図に基く議論」に最小限言及しなくてはいけないと、藤岡信勝東大教授らの自由主義史観研究会の立場に反対する主張を展開しています。

  本書は大月書店の発行ですから、比較的左翼的である事を承知の上で読んでみました。

  これまで不勉強な私は、「南京大虐殺」とは南京城内のみで行われたものを指していると思っていましたが、どうやらそうではなくて、日本軍が上海上陸以来の広義の「南京攻略戦」の期間に、戦闘以外で行われた非戦闘員や捕虜に対する不法な殺戮を指しているものようである事を今回初めて知りました。

  その概要は以下の通りです。

 (2)「南京の日本軍」・・南京大虐殺とその背景 1997  年8月刊) 前一橋大学社会学部教授  藤原      著    大月書店発行

 

   宣戦布告 なしに始まった北支事変がやがて中支に広がって、蒋介石を懲らしめる為に南京攻略を急ぐ余り、補給線が延び切って糧秣などの「現地調達」の指令も出ていたようですが、血気にはやる最前線では中央からの指示を仰ぐ前に「南京一番乗り」を目指して進撃を続けたようです。従って中央の統制が十分に最前線まで及ばなかった為に、膨大な捕虜を抱えてその処理に困った前線では 処置せよ」との指示もあって、「防衛庁防衛研修所戦史室」編纂の 戦史叢書 や、「防衛研究所図書館 所蔵の参加師団関係資料から引用した当時の軍責任者の状況報告などから、戦争中という特殊状況の中で、一般人を便衣隊とみなしたり糧秣の調達に協力しなかった非戦闘員や強姦後の女性を殺害したり、更にはその処置に困った大量の捕虜を集団処理したりした者の合計が、X0万人だと言う事の様です。(当時、私は中学校の低学年だったと思いますが、支那の婦女子の恥部に暴行を加えて殺したとか言う話は、幼心に店の丁稚さん達から耳にした事はあります。本書の資料によって見ると、私の故郷京都の第十六師団は確かにこの南京攻略戦に参加しているようです)

 

  本書は120頁程の小冊子ながら、豊富な資料を駆使して読む者に、 成る程」と感じさせる内容ではありました。

  例えば第13師団司令部名での「戦闘に関する教示」の一説には、 ”多数の捕虜ありたる時は之を射殺する事無く武装解除の上、一地に集結監視し師団司令部に報告する事を要す。又捕虜中将校は之を射殺する事無く武装解除の上、師団司令部に護送するを要す。これらは軍において情報収集のみならず宣伝に利用するものに付、この点部下各隊に徹底せしむるを要す。但し少数人員の捕虜は所用の尋問をなしたる上適宜処置するものとす。”と。捕虜を射殺したからこうした 教示」が出たとも取れない事はありません。

  〜引用箇所は防衛研究所図書館所蔵文書「第十三師団戦闘   詳報別紙及び附図」第一号〜

  又、第114師団では、歩兵第67連隊の戦闘詳報が残されているとして、その12月13日(南京陥落の日)の記述には ”8.午後2時零分連隊長より左の命令を受く ィ.旅団命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何・・・・・・・・・・・  9.右命令に基き兵器は第一第四中隊に命じ整理集積せしめ監視兵を付す。・・・・・・・・・・・捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首を差し伸ぶるもの、銃剣の前に乗り出し従容とし居るものありたるも、中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり。特に隊長巡視の際は各所にその声起れり。

  〜偕行社編「南京戦史資料集」〜

 

  と、この様に具体的に記述された戦闘記録が多数引用されていました。

  私に現在出来る事はこうして「両論を併記」する以外にその術を知りませんが、両書共に捕虜や非戦闘員の殺戮のあった事は認めています。唯、その主張する数字が大きく隔たっており、だから一方は「大」虐殺の事実は無かったと主張しているもののように見えました。

  先般の樋口さんの問題提起を機に、「南京大虐殺」について私にも興味が湧いてきましたので、もう少し色々の史料を当らねばならないとは思っていますが、何しろ今回は素人の私の本件に関する最初の「コメント」なので、この程度でご勘弁頂きたいと思います。

 

 

  発言番号:148(125へのコメント

  発言者 :前岡 秀彦(藤倉代筆)

  題名  :家永教授の教科書訴訟について考える

  登録日時:97/10/15 11:12

 

 10月14日パソコン自主研修会に参加された前岡様から以下の文を印刷物を預かりました。事務局でテキストファイルを作成し電子会議室に掲載するものです。

 

 

 この度の樋口さんの労作に対し、前岡も意見を述べるべしと、巖さんからメールと電話を戴きました。有り難うございます。只最近視力低下が進んでいますので、ブラウン管を敬遠しておりまして、労作は印刷にして拝見しました。私には発表出来る程の纏まった意見はありませんが、取り敢えず下記拙文を液晶画面で打ち、お二方だけにお届け致します。1997.9.28 前岡秀彦

 (南京虐殺と慰安婦)等の問題については提起されたその昔、「之は手に負えないテーマだな」と直感したものである。自分なりの事実追及の手立てが見付からないからであり、時間的余裕も無いからである。それは私自身が理科的体験的手法を好むからでもあるのである。只当時、雑然ながらいくつかの着眼点を思いついていたので以下それを羅列してみたい。従って纏まった見解になっていない点御容赦願いたいのである。

 

「1」戦争と虐殺

(1)信長や秀吉が攻め落とした敵族の女子、子供迄皆殺しにした事は余りにも有名であるが、同民族でさえこの有様である。

 

(2)フン族のヨーロッパ遠征、十字軍の中近東遠征等でいかに略奪、強姦、虐殺が行われたか。文献の欲しい所である。半世紀前のナチスドイツに因るユダヤ人600万人の虐殺から類推して、膨大な数と見て間違いないと思われる。

 

(3)今回の世界戦争でも日本軍に因る虐殺が発生した事は否定出来ないと思う。只それが二人、三人でも20万、30万でも虐殺は虐殺であって、調べる気がしないのはこんな所に根差しているのかも知れぬ。

 

「2」目立ちがり屋 偽悪趣味 間者の諜略

(1)東京教育大附属中学出身者として、教育大教授のこの言動に うんざり したのが、第一印象である。だから何時の世にもおる「目立ちたがり屋」と片づけたかったのである。而も内容は「偽悪的自己暴露」である。己の回り、引いては己の国の悪い所を殊更あげつらう姿勢には、深層心理学的弱者かなとも想像された。

 

(2)思想謀略に引っ掛かったマインドコントロール被害者かなとも考えた。仕掛け人は外国人かも知れぬ。この手は間者の戦術である。日本の戦国時代、間者が針小棒大なデマを仕掛けた事を思い出させてくれた。

 

(3)若し日本の政治体制が、フセイン大統領や金日成首席と同じであったら、この様なテーマは始めから発生しないであろう。しても押さえられた事であろう。戦時中の日本もそうであった。だから戦時に教育を受けた年輩者にとっては、何となく「売名行為」や「売国行為」に響くのではないかと推測するのである。

 外国の一例を見てみよう。イギリス人は中国に阿片を売り込んだ。おまけに領土迄勝ちとった。阿片に因ってどれ程多くの中国人が精神的肉体的打撃を受けたかは、量り知れないものがある。然しこの忌まわしい事実に就いてイギリス人自らが、反省し謝罪した事があるのか、その破廉恥行為を自らの教科書に載せて訴えた事があるのか知りたい所である。

 

「3」虐殺の具体的数字の掌握

 数学に就いては、被害者側の言い分が一人歩きして、中支派遣軍の現地従軍者の意見は取上てない様にお見受けする。之ではバランスが取れていない。而も相手は「白髪三千丈」のお国柄でもある。

 抑々戦時の虐殺は大小の差はあれ、彼我発生しているもので、一例を上げると、終戦前後に発生した旧満州居留の邦人男女の被害は、散発的にしか伝わっていないが、教授は之も熱を入れて研究発表してくれたら良かったものをと感ずるのである。

 いずれにしても、虐殺数字の正否を実証出来る手立てが無い事は残念で、そういうテーマは、問題提起としては無理ではないかと思う。

 

「4」慰安婦問題

(1)売(買)春

 一般論から入る。売(買)春問題は全く厄介である。太古の時代から売春は行われたと言う。勿論買うのが居るからである。(止めるべきであり、止められる)と思っている人もあろうが、(無い方が良いが、無くならない)と感ずる人の方が多いのではないか。強姦よりはましと考える性と、売春に生き甲斐を感ずる性が共存するからである。合法であれ、非合法であれ、売買春のお陰で一般婦女が救われていると考える面もありそうだ。娘を持っている父親は或程度判るのではないか。だからドイツの如きは国営の売春館を設けている。戦後の復興期に大量の出稼ぎ外国人を単身赴任の形で受入たのに伴い、ドイツの一般家庭の娘を保護するとは、さすがに言っていないが、外人労働者の性の処理引いては犯罪の防止を、念頭に於いて処置したのであろう。だから公定価格も安く、5千円〜1万円位である。余談になるが、東京都に対し淫行処罰条例設置を呼掛けて来た我々が調査した所では、援助交際額の相場は高校生で3万円、中学生で10万円であった。都は遅れ馳せながら、今般条例を作り、テレクラや援助交際の取締りを行う事となった。曽って昭和33年売春防止法が施行された時、先ず憂えたの事は(イ)総売春婦化であり(ロ)性病の蔓延であった。私の体験談として、昭和20年代に赤線地区の医療施設にペニシリンを納入したが、毎週行われる強制検査では7〜8%が発病していたのを承知していたからである。

 

(2)戦争と強姦

 歴史に登場する戦争史は征服者の側面だけが残っている。例えば成吉思汗が遙かヨーロッパ迄遠征したのは、彼個人の征服欲、物欲、名誉欲、あるいは性欲の為であったかも知れないが、その命がけの冒険に付き従った無学文盲の兵士達にとっての張合いは何であったろうか。仮に凱旋して土地を貰っても仕様がないし、第一明日は戦死するかも知れない身にとって、唯一のメリットは手っとり早い略奪と強姦しか無かったと思われる。前回の大戦でもソビエトに侵攻したドイツ軍(中身はハンガリー人等)によってロシア婦人が犯され、末期はソ連軍によってドイツ婦人が犯されたと聞いている。之をどう仕様もないと受止める方が世界の常識なのだろうか。中国戦線初期の頃は日本軍も同様であった。この強姦を止めさせ、一般の中国婦人を救いたいと考え付いたのが、世界にも歴史にも例を見ない従軍売春婦制度である。而も強制検診に因る性病予防も狙っている。事が事だけに誉めるわけにもいかないが、一種の発明ではある。

 

(3)慰安婦

 私の所属した近衛歩兵第3連隊の衛戌管轄地に吉原遊郭があった。日曜日の衛戌巡察で吉原を回ると兵隊連中は罰の悪そうな顔付きだった。当時売春組織は日本中にあった。ここで働いていた女性は日本人が殆どだったのではないか。所謂講談に言う東北の身売り娘の様なものである。彼女達の中には健気にも男性に伍して従軍志願した人々がかなりいた筈であるが、戦後の慰安婦問題では顔を出して来ない様に見える。誇り高いためであろうか。同じ様に強制連行された外国外地の方々であっても、黙して名乗り出ない方もあろうし、逆に売春常習者でありながら高齢者となって、外聞にお構いなく訴え出てくるケースもあろうかと想像させられる。いずれにせよ、誰がどの様にして外地外国の婦人を強制連行したのか、信じられない様なこの蛮行について、詳細な記述は残って無いのだろうか。訴え出た、出ないに拘わらず被害者にはキチットした賠償をすべきである。それでは強姦されっぱなしの方には救いは無いのだろうか。この問題はとにかく厄介である。日本人は建前と本音(本質)の存在を承知しながら、建前だけを振りかざす人間が出て来ると反対の仕様がない。その点はヨーロッパ人の方がずっと現実的でお利口である様だ。

 

 

 A2−7−2 家永教授教科書訴訟問題と南京問題(2)

 

 

  発言番号:147

  発言者 :大田 

  題名:日本近代史断章−自由人の断片的私見

  登録日時:97/10/14 18:15

 

 日本近現代史の中で私見を述べたい項目が若干あるので、それらについて順次発言するつもりである。

  盛夏の頃、巌隆吉氏から促されたのだが、去年の学士会報に載った藤岡東大教授の講演録「歴史教育について」の感想もこの項目の中に入っている。

  先ず最初はダイヤネットワ-で議論白熱の家永教授の教科書訴訟を採りあげるのが時宜に適っていると思う。

「家永教授に思う」

 32年間3次に亙る長い裁判は終った。師にとって決して満足の行く結果ではないかも知れないが、兎に角ご苦労さんと申し上げたい。

  話は半世紀前の終戦直後まで遡る。私は暖房の効かない教室でオ−バ−の襟を立て震えながら、日本史の講義に聴入っていた。

  白せき痩身の少壮助教授は淡々と語り続ける。その人こそ若き日の師の姿で、既に終戦の翌年つまり昭和21年8月、中学教科書「くにのあゆみ」を書き、続いて高校「新日本史」を著して颯爽と学会に躍り出た新鋭だった。

  終戦時、小、中学生であった者なら、大半を真っ黒に消された国定教科書を記憶している筈。GHQから厳しい指令があっても、皇国史観の学者や文部官僚では右往左往するばかりで手も足も出ない。その窮地を救ったのが実証主義の家永助教授で、皆救世主のように尊敬した。

  師はまた35歳という異例の若さで「やまと絵の研究」により学士院恩賜賞を受賞しているのだから、人文、社会分野では希有の天才的学者であり、間違いなく学界の王道を歩んでいた。発表した珠玉のような論文、著書は数百。やがては学士院会員、文化勲章と晩年は栄光に満ちたるものと誰しも想像していた。

  しかし、50歳代に入って高校教科書「新日本史」の検定不合格を機に、徐々に右傾化している国との対決姿勢を深めて行った。

  師は自己に忠実だった。日本人、日本の学者には珍しく自分の信念を息永く貫き通したのだ。(この根気強さ、執拗さがまた一部のDDD会員に嫌われるもとでもあろうが・・・)そして、先進国には希な教科書検定制度に多大の反省を促した。

  これらのことは日本近現代史上に長く燦然と輝き続けるだろう。

 

 

  発言番号:155

  発言者 :樋口  三男

  題名  :南京大虐殺「60年目の真相」

  登録日時:97/10/24 10:35

 

  月刊紙11月号「現代」に、ドイツ人ジョンラーベ氏ーー昭和12年シーメンス社南京支社責任者、ナチ党の現地幹部ーーが現地南京で目撃した、日本軍による略奪ゃ虐殺行為を記述した日記が、平成8年、ベルリンの遺族のもとで、発見され、各国に翻訳された。当時、彼は、中立地帯を南京に設置するため外国人による国際委員会がつくられ、其の代表に選ばれた人である。其の中に、南京事件の被害者は、5ー6万人と記しており、この証言は、今後の実態解明に影響を及ぼしそうである。日記の要旨を参考迄に記してみたい。

 

1.昭和12年7月7日北京郊外のろ溝橋事件ー世に言う「ろ溝橋事件」ーガ発生、7月末天津地区、北京を日本軍は占領し、南下して、8月中旬2.5ヶ月の攻防の後、上海が占領された。

 

2.11月15日南京攻略が決定され、食料、軍需品を補給する満足な兵站もない儘、例えば、兵士の軍靴も無く、地下足袋姿だつた。

 

3.11月19日南京にて、デンマークドイツイギリスアメリカなどの医師、教師宣教師の手により、国際委員会が発足し、「難民区」−城壁の中に、中立地帯をつくり、砲撃された時の非戦闘員の避難所とする−設立の代表に、ジョン-ベ氏は選任された。

 

4.彼は、この難民区ー安全区設置のため、国民政府と日本軍に提案、奔走したが、双方から、認可の得られ無いまま、火ぶたのきられるのを考え、避難民の食料の確保、民警組織、仮の宿泊所に使用する筵の調達を行つていた所、南京防衛の中国軍は、安全区の中に、軍事施設を建設し始めた。この様な、施設がある以上「安全区」とは言えず、攻撃の口実を与え、砲撃の標的となる事は明らかである。123日ー10日の間交渉、撤退の約束にも拘わらず、うまく、行かず、12月13日日本軍は城門を破り、入城した。その後の日記には、略奪、殺戮、強姦の描写がある。

 

5.中国軍の中には、軍服を脱ぎ捨て、市民の中に入り、ゲリラ戦を展開し、所謂、「便衣兵」で、これが日本兵を悩ませ、安全区の中の一般市民との区別が容易ではなくなり、統制のとれない「便衣兵」狩りが市民を巻き込んだ形となつた。

 

6.占拠後の厳冬期の1月半ばに及んでも、それらは、繰り返され、2月11日の記述には、南京で国際赤十字協会を設立し、難民の保護にあたつた米人牧師ジヨンマギー氏は、虐殺の模様を16ミリフイルムで撮影し、138年雑誌「ライフ」で一部紹介されたと。

 

7.日本軍の蛮行も2月末に沈静化された。彼は、帰国後の上申書に次の通りのべている。「我々外国人は、凡そ、5−6万人とみている。遺体を埋葬した紅卍字会によると1日200体は無理だと。彼が、南京を去つた2月22日には、3万人の遺体が埋葬されず放置されていた。」と。

 すると200体×77日−−12月14日より2月28日迄ーーブラス3万遺体とすると5−6万人となる。

8.東京裁判では、中国側は、43万人を主張、南京市内の記念館には、30万人、日本国内の大虐殺派も30万人、中間派は、4ー10万人としているが、現場に身を置いた第三者の外国人の証言として、以上の数は、重みがあるのは否定できない。

 

9.ラーベ氏の動機は、純粋で、道徳的、キリスト教的責任感から、命をなげだそうとし、しかも、無報酬でおこなつた。帰国後も暮らしに困る程、報われない人生を送つたが、南京市では、気高い人間性を示す証として、ラーベの墓石を記念館に展示してあると。

 

 

  発言番号:158

  発言者 :樋口  三男

  題名  :南京問題の着地点を探る

  登録日時:97/10/30 15:42

 

 「家永教授の教科書訴訟」について、というテーマで、問題提起した所、早速、コメントを頂いた各位の要旨をとりまとめると、次の通り要約されると思う。

 大田サンは、旧軍隊の秘密主義、大本営発表の如く事実を糊塗し、都合の良い戦果のみを流す姿勢からみて、教科書の記述が、概ね、妥当ではないかと推論している一方、家永教授のとつた学者として、自己に忠実に、信念を貫き、それによつて、到頭、歴史教科書の教科書検定内容について、検定行政の「行き過ぎ」に反省をうながした点を高く評価し、其の旨、「日本現近代史断章」で述べている。深沢サンは、日本人とドイツ人との違いを、「自分の非を素直に認める」かどうか、国民性の違いに力点をおき、明日の平和と共存から「両論併記」的でなく、真相を究明し史実を明らかにすべきと。これは、彼の棋風よりみて首肯されるが、現在の少年の教科書検定内容に、既に、先般掲載した通り、事実の究明もされず記述されている。従つて、其の間、「両論併記」も止むを得ないと思うが如何。巌サンは、戦争であり、一部真相だとしても、戦争の最中の異常心理説の立場をとり、日本人の自虐的歴史観は改めるべきだと叫び、過去の歴史を冷静に見直し、次の世代に正しく申し送ることを述べている。前岡サンは、このテーマは、「手に負えないテーマ」と直感され、「戦争と虐殺」は、古今東西の歴史的事実が物語り、2ー3人でも、20ー30万人でも、虐殺は虐殺だと。又、偽悪的自己暴露、「目立ちがり屋」的俗悪趣味、思想謀略に引掛かったスパイ戦争と論じ、アヘン戦争により香港を租借し、中国人をアヘンで苦しめた英国が、これを反省し、謝罪もせず返還した姿勢について、疑問をのべている。又、数字の正否を実証せず、被害者の陳述を鵜呑みにした感があると。

 向山サンは、中国戦線に参加したものとして議論したいと。

 一方、早川サンは、スガモプリズンの概況として、「今、語る終戦の時」ーー終戦時の貴重な歴史的体験。誰が誰に語りつぐべきか。奥村奥次氏談ーーの関連資料をだされた。

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 最近のニュゥースでこれと同じ様な事件があつた。1919インドパンジャプアムリッアル市内のジャリアンクラ公園で、集会を開いていたインドの一般市民を英軍が取り囲み、逃げ惑う人々に゜無差別発砲し、120人の死亡者を出し、インド独立運動に火をつけるきっかけとなつた事件があつた。本年10月12日公式訪問したエリザベス女王は、英領インド時代に英軍がおこした虐殺事件のこの地を訪づれたが、其の記念塔に花輪を捧げた。然し、謝罪を求める声がインド国内に高まつていたが、公式の謝罪も無く、「痛ましい出来事だつたが、歴史は書きかえられない」と述べるにとどまつた。謝罪しない女王へのデモが各地におこり、約100人が当局に拘束されたと。

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 「現代」の11月号掲載の「南京虐殺ーー60年目の真相」にもあるが「便衣兵」も混じつた一般民衆を虐殺した事実は、否定出来ないだろう。

 過去の民族や人間同士の戦争、事変、闘争の歴史をひもどいてみても判る通り、勝者の記述が主流をしめ、事の真相も忘れられ、勝者の理論かまかり通り、それが通説となつている事は多い。英国人、ドイツ人、中国人、日本人と国民性や価値観の違いはあるだろうが、事実の真相究明という点に於いて、夫々の国の識者は共通の認識を抱いていると思う。

 

 

  発言番号:208

  発言者 :向山  光雄(巌代筆)

  題名  :改めて南京問題

  登録日時:98/1/31 11:51

 

 南京事件について最近読んだ2冊の本について所感を述べたいと思います。

 

笠原十九司著(南京問題)――岩波新書――

 家永教科書裁判を側面支援するためで、引用資料も本多勝一吉田裕等の{南京えの道}、{天皇の軍隊と南京事件}や中国を始め海外関係のものが多く、虐殺の有り様など恰も自分で見た様な書き方が鼻につく。特に外人記者は戦争の途中で退去していて最終的の実体を見ていないと思う。良い方の事例も引用すべきで、この本は相当割引して見るべきと思はれる。

 

奥村正武著 (私の見た南京事件)PHP研究所

 著者が元海軍中佐で上海事件に従軍していただけに、笠原氏の本に比し遥かに現実的である。例えば松井大将に対する評価も軍規を守らせることに努力している点を記述しており笠原氏とは正反対である。

 

 そもそも捕虜の定義は国際的にも明確でない上に日本は宣戦布告せずに戦いに突入したので、正式に捕虜としての取り扱いがなされなかつたことが虐殺問題を複雑にしている。

 私感として虐殺といふ言葉に疑問を感じる。戦争での相互の戦死者まで虐殺といふのか何処までが虐殺か・南京問題は戦いにより4万人前後犠牲者が出たことは事実であらうがそれが全て虐殺であつたろうか30万−40万虐殺といふ事は私の従軍経験からも物理的にも有り得ぬとおもはれる。これは中国一流の針少膨大、白髪三千丈的表現だろう。