A2−2 明治史と昭和史

 

 

  発言番号:

  発言者 :太田 

  題名  :明治史と昭和史(その1)

  登録日時:96.6.23

 

意見

・昭和史に関して巌さんと福田さんのやりとりを興味深く拝見しました。

 しかし、私は昭和史の1コマ、1コマよりも明治前期の歴史にひかれるのです。つまり、絶対君主制と国民皆兵制を中心とした富国強兵策が確立した時に、既に大正、昭和の将来は予測され、そして当然の破局に結びついたのだと思います。

 歴史の歯車と言うものは、一旦弾みがつくと阻止出来なくなるのですね。

 

・私の今一番気にかかっていることは、

1、日本経済は再び急上昇することはあり得ない。

 

2、財政赤字−国家財政の国債・隠れ借金等、地方財政の地方債・借金、旧国鉄債務、その他−500兆円をどうするのか。

 

3、高齢者は2020年に、国民4人に1人、3200万人を養っていけるのか。

 以上3点を真剣に考えない政治は日本を没落に追い込むと思いますが、いかがでしょうか。

 掲示板は初回登場ですので、今回はこの位にしておきます。説明不足の点は承知しておりますが、次回以降追い追いお話するつもりです。

 

 

  発言番号:

  発言者 :太田

  題名  :明治史と昭和史(その2)

    登録日時:96.8.2.

 

  去る6月23日付けの「私の生活と意見」について、説明不足の点補足いたします。しかし、私の-プロ技術の未熟と読み取りのご迷惑を考え、簡明に説明します。

 

(イ)・・・前回の(6)に当たります。

 好きなもの・・・アメリカ、日本の庶民、日本の田舎

  嫌いなもの・・・ロシア、日本の指導層、日本の大都市

 「アメリカ」「ロシア」については前回簡単ですが説明いたしましたので、省略致します。この事は何れお話しあう機会もあると思いますので、その時に譲りましょう。

 「日本の庶民」は世界の中でも最高のレベルにあると考えられます。いろいろ理由はあるでしょうが、その1つとして挙げられるのは内容は兎も角教育の普及程度で9年間の義務教育終了者が、同年次人口の100%近く、高校が90%以上、大学・高専が50%以上は他に類を見ません。

 それだけに、戦後ドン底から立ち上がり、怒濤の如く高品質の工業製品を製造して、驚異的な経済成長を支えたのではないでしょうか。

 その同じ人間が僅か50年前、一握りの戦争亡者に煽動され唯唯として戦争に参加、アジア全域に戦禍を拡大して日本国民300万、アジア各国民2000万の犠牲者を出した上、物的な損害は計り知れず、敗戦になると粛々と引き上げたのです。言うなれば従順な羊の大群で牧童1人と牧羊犬1頭がいれば、面白いように操れると言ったところでしょう。

 恨み言言うでもない。戦争責任を追求するでもない。挙句にA級戦犯を総理大臣にしてしまう等欧米国民には全く理解出来ないようです。何か愛すべきであると同時に哀れを催すのが「日本の庶民」と言えないでしょうか。(続きは次回に致します)

 

 

  発言番号:

  発言者 :太田 

  題名  :明治史と昭和史(その3)

  登録日時:96.8.6.

 

 「その3」をお送りします。

 「日本の庶民」に引き換え「日本の指導層」はどうにもならない代物のようです。

 指導者の資質として要求されるものは、先見性、洞察力、独創性、推理力、理解力、判断力、決断力、実行力、反省力、責任性、指導力、統率力等に加えて高潔な人格、これらが日本の指導者には多く欠けております。記憶力、表現力や目先の損得判断力が殆どのテスト人間ばかり、言うなれば偏差値名人が指導者ですから凡その見当はつくというものです。

  過年、公開された東京裁判の-ナン主任検事の調書によれば、30名程いたA級戦犯の中で戦争責任を認めたのは東条英機と島田繁太郎のたった2人だけだったそうです。他の者はお定まりの「天皇が・・・」「陸軍が・・・」「反対だったが、職務上・・・」等言い逃ればかり。これでは、日本300万、アジア2000万の犠牲者は浮かばれません。

  今でも変わっていません。昨年から今年にかけて震災、オウム、エイズ、金融の4大事件で政・官・財の果たした責任は皆無と言っても過言ではないでしょう。

  日本の指導者には哲学・理念の欠如が見られるのですが、欧米と比較するならば、伝統的にはキリスト教と儒教、騎士道と武士道の相違、現代的には指導者教育の差異等がその理由として挙げられます。

  各界の指導層を多く輩出している英国のオックスフォ-ドケンブリッジ米国の-バ-ドプリンストン等と日本の大学との差は学問水準のみならず人格陶冶の面でも歴然としているようです。

 

 

  発言番号:

  発言者 :太  

  題名  :明治史と昭和史(その4)

  登録日時:96.8.9

 

 「その4」をお送りします。

  日本の田舎」と「日本の大都会」について。

  ロンドンパリでは郵便もゴミも多くが夜間それも地下のベルトコンベアを使います。日本は日中、赤い郵便車が集配に駆け巡り、悪臭を撒き散らしながらゴミ車が走ります。そして、1車線か2車線の街の中は否が応でも混雑に拍車をかけるのです。

  ご存じのように、東京23区の下水道普及率は昭和20年僅か10%、東京の大部分が汲み取り式の便所とは恐れ入りました。最近漸く貧弱な下水道管が通って100%近くなったようですが(全国的には50%強)。

  ことほど左様に、日本の大都会の社会資本は貧しく、兎小屋住居は騒音、汚れた空気・水、ゴミ等公害の渦の中にいると言ってよいでしょう。更に道路を狭める電柱、行灯看板、放置自転車、自動販売機、建物は勝手気儘な形と色、無制限の取付看板等、欧米の都市ではこの中で1つでも見当たるものはありません。これでは世界一の経済大国などと偉ぶっているのが恥ずかしくなります。

 次は田舎のことですが、北海道から沖縄まで農山漁村重視の政治のお蔭で田舎も実に豊かになりました。皮肉にも人口過疎も役にたっているのかもしれませんが、広い立派な住居に少人数、それに道路も下水等も充実してきました。

  人口20万位迄の小都市は周囲の山川も秀麗で欧米の都市のように快適、先程の大都市の欠点は殆ど見当たりません。

 どうして、このような環境に恵まれた所を捨てて大都会に出て行くのでしょうか。ここでも政治、経済の一局集中主義が禍しているのです。もっと地方に収入のある職業があれば、好んで悪いもの尽くしの大都市へ出かけることもなくなるでしょうに・・・

                               (続きはまた次回に)

 

 

  発言番号:

  発言者 :太   

  題名  :明治史と昭和史(その5)私の生活と意見

  登録日時:96.8.22.

 

 ロ、・・・その1「10 、意見」に当る。

 「その1」で日本の近代史の中では昭和史よりも明治史前期に注目すべきであることを述べました。

 戦後、続々独立、開国したアジアアフリカの諸国を見ればお分かりの通り、為政者が先ず執る道は大方富国強兵策です。

 日本はそれを100年以上前に逸早く取り入れただけなのです。絶対君主制と国民皆兵制から成り立ち、強力な中央集権を背景に持ちました。そしてこの推進者に軍隊・軍人と行政・官僚を当て、政治家や国民はそっちのけでした。以来、この2つの組織は止めど無い自己増殖を繰り返して肥大して行きます。

 軍隊は日清、日露の戦役で味を占め、内外の人気をいいことに着々と地歩を固めて、昭和に入っては傍若無人の行為が国内外を問わず、挙句の果て太平洋戦争で全体が壊滅しました。それは恰も恐竜やマンモスの絶滅に似ておりませんか。

 その後数年を経て朝鮮戦争の時、アメリカの都合で自衛隊が創設されましたが、これは全く欧米先進国流の文民統治、模範的な専守防衛、しかも戦力は旧軍隊以上と想定されます。明治の始め何故この程度のものが出来なかったか、文字通り100年の悔いが残りましたね。

 一方、官僚の方はと言うと100年この方、表面政治の裏方を装っていますが、実は真の実力者で政治家を牛耳り、危機は低姿勢で乗りきり、1度も後退のの時はありませんでした。

 藩閥、財閥、軍閥政治に仕え、見送り、自分達だけは何時も焼け太り、知的暴力団と言うも過言ではありません。

 昔の軍隊が武器に依って国の内外を威圧したように、今の官僚は法令や行政指導を武器に政・財・学や庶民を束縛するのです。

 今や22省庁、70兆円以上の硬直した予算を操り、同時に100に近い外郭団体が略同額の効用の薄れた財政投融資を繰返しています。国も国民も眼中に無くがっちり縄張り、天下り先を確保しているわけですね。

 富国強兵の手段の中心に中央集権がありその弊害が現在にも及んでいるのです。一局集中の打破、地方分権の推進、規制の緩和等後進国、旧共産国並みの苦労をしているのは、皆明治前期に方向が定まっていたものです。

 お笑いですが、ちょっと緩めただけでも銘柄米が美味しく食べられ、地ビ−ルがたっぷり飲めるのです。

 先に民営化された国鉄、電電、専売が国営だったのも、みな富国強兵のため、おかしな事だらけでしたね。民間活力をそぎ財投資金を造っている郵政業務も遠からず民営化せざるを得ないでしょう。

 兎に角、省庁の大幅削減、国会議員や公務員の半減位の大鉈を振るわなければ、21世紀の日本は暗黒だと言っても当然でしょう。

 また先般述べた日本経済の衰退、財政赤字の重圧、高齢社会の拡大は勿論何事を考えるにも思考の基盤になることは言うまでもありません。

 

 以上5回に亙って私見を述べましたが、これは論文でなく単なる感想文ですから、論旨の散漫、感情の過多、その他失言、失礼の段はお許しください。有難うございました。

 

 

  発言番号:

  発言者 :巌     

  題名  :昭和史明治史についての感想

  登録日時:96.9.8

 

 久しぶりに掲示板にて、太田さんの再三にわたる掲示板の記載に敬服しつつ感ずるままを、述べさせていただきます。

@  5回にわたるお考えを興味深く読ませていただきました。確かに明治の始めの富国強兵策が禍根を残し、それが、自己増殖を産み昭和史にまで、及んだとのご主張も納得します。

 しかし、当時の日本としては、日本の近代化のためやむを得ない面もあったと思いますが如何でしょうか。

 特に、日清、日露の戦役は、日本史の中で、肯定すべきと思うわけです。

 

A  昭和史の大失敗は、明治の流れによるよりも、特に昭和になってからの国家運営の誤りの方が大きいのでないでしょうか。歴史にもしもはありませんが、うまく歯車を動かしていればこれだけの大惨禍にはならなかったとも思い悔やまれます。もっとも世界の大きな流れには、抗することも無理でしたでしょうが。

 要は、私としては、明治よりも昭和の国家政策の失敗が大きいと思っております。先を見ることは、極めて難しいことですが、国家の最高責任者の責任は、大きいですね。その点日本経済が岐路に立っている現在の日本にとっても、現政府はしっかりして貰いたいものです。

 高齢社会の拡大の折りから、財政危機の問題をどのように噛み合わせるべきか、我々としても大きな関心を払うべきでしょう。

 

B  次に日本の自衛問題ですが、冷戦がなくなりましたので、多少は気を抜いても良いかなとも思いますが基本的には逐次自主防衛の方向に切り替えて行くべきと思います。自衛隊の戦力についてですが、旧軍に比較すると、当然のことながら火力、機動力は優れております。私も、防衛懇話会(平岩会長ー工業倶楽部内)の個人会員として、全国の部隊、基地等を訪ねましたが、まだ海上と航空は極端にいうと米軍の傘下(一寸言い過ぎかな)にありますし、自衛隊員の志気の面でも問題がありましょう。

 特に、防大出身者の任官拒否が多いのに対して、懇話会内でも議論になりましたが自衛隊をまともに遇することを考えないと国防はもとより防災に対しても問題だと感じています。

  以上感ずるままに紙面を汚しました。太田さんのご意見と大筋では同じです多少の感想を述べさせて貰いました。

  なお、まだ会議室で発言が出来ません。どうも調子が悪く困っています。

  また、太田さんに会議室旅行の欄で五稜郭とその後の明治政府の関係について質問していますが(財団のパソコンで発言)ついでの折りお教え下さい。

 

 

  発言番号:00013

  発言者 :太田 中

  題名  :昭和史、明治史について(19)

  登録日時:96/09/15 21:08

 

 巌    好意あるお励ましにいつも感謝しております。

  この度も9/5会議室「函館、小樽紀行」と9/8掲示板「昭和史、明治史について」でご意見を伺いながら、ご返答が遅れて申し訳ありません。此処に二つ続けて私見を述べさせて戴きます。

 

1.「イ」函館小樽は私も10年程前、同じようなコ−スを辿っていますが、碧血碑だけは行っておりません。これについて幾つかの書物に当たりましたら、その一つに次のようにありました。「土方歳三以下796名の榎本軍死者をまつった碧血碑も運転手はその所在を知らなかった。観光地として何とかすべきであろう。この碧血碑は函館八幡宮裏山の車も入らない山腹にひっそり立っていた。・・・・・」昭和46年発行日本紀行全集北海道篇。

 建碑の動機ははっきり分かりませんが、この石碑を明治政そういう考え方をするようです。欧米列強の植民地政策が極東にも及んで残るのは日本と朝鮮等僅かとなれば、危機感を持つのは当然です。

  しかし日本の場合欧米先進国と違って、その歯止めが無かったことです。明治憲法は政治も軍事も最高権力を天皇に持って行ってしまいました。つまり都合が良い時は虎の威を借りる者が出るし、悪くなれば上御一人のご意志にしてしまうことではないでしょうか。全くチェック体制がありません。

  太平洋戦争の勝利を引提げて日本に乗り込み、極東軍司令官として飛ぶ鳥を落とす勢いだったマッカ−サ−元帥ですら朝鮮戦争で大統領の意に反し少し拡大意欲を示しただけで、即刻解任、召喚されたのです。

  そういう仕組みが日本には全く無かったのがいけなかったのです。2千年も昔、老子は「兵は凶器なり」と言いましたがその思想を実践しているのは欧米とは皮肉ですね。

 

2.昭和史の大失敗は明治の流れによるよりも昭和になってからの国家運営誤りの方が大きかったのではないか、国家の最高責任者の責任が大きいとの御意見ももっともと思います。

  しかし、日本には「」で述べた歯止めがなかったことが第一。五・一五事件や二・二六事件に象徴されるように軍事抑圧や軍事テロに脅える最高責任者など居ないも同然です。

  第二番目にはよく欧米の知識人が言うように「日本人は壁にぶち当る迄、決して先を読んで対応する能力の無い民族だ」と。いかがでしょうか。

  ですから、明治の流れは昭和の大失敗の壁まで一気に駆け下ったのではありませんか。

  おっしゃるように、このままでは高齢社会と財政危機の噛み合わせが本当に心配になってきますね。

 

3.自衛問題については巌さんのご勉強には敬服します。逐次自主防衛に切り替えて行くべきのご指摘は、日本人の防衛意識の面からも沖縄で騒がれていますように基地問題からも、おっしゃる通りと思います。

  自衛隊員の士気停滞、防大出身者の任官拒否等はもう少し方策もあろうかと存じますが、彼等も職業として従事している以上嫌な者は止める必要はない、防衛を適職と考えている者だけが残れば良いと考えてはいけないでしょうか。

  自衛隊をまともに遇することを考えないと国防、防災に支障が出ないかと私もそう思います。

  先ずそれは憲法9条の問題でしょう。それについて、識者には二つの流れがあるようですね。一つは現状に合った法改正をして正当に扱えば更に国民のために働くようになる。もう一つは今の憲法でも自衛隊は結構な戦力になっており、国民にもその存在を認知されている。もし法改正をすればどんどんエスカレ−トして行ってしまうだろう。

  両二番目にはよく欧米の知識人が言うように「日本人は壁にぶち当る迄、決して先を読んで対応する能力の無い民族だ」と。いかがでしょうか。

  ですから、明治の流れは昭和の大失敗の壁まで一気に駆け下ったのではありませんか。

  おっしゃるように、このままでは高齢社会と財政危機の噛み合わせが本当に心配になってきますね。

  両論とももっともと思われ、なかなか決定が難しいところですが、少なくとも国民の間で自衛隊問題は日米安保条約を含めて、今後避けて通れない問題だと考えられます。

  以上、簡単に私見を述べさせて戴きましたが、貴方様には今後とも私共後輩をご批判、ご叱正くだされば幸甚です。

 

 

  発言番号:00013 へのコメント

  発言者 :巌  隆吉

  題名  :昭和史、明治史について

  登録日時:96.9.16.

 

 この前、練習のため昭和史、明治史についてこのコーナーに入れておりましたところ、太田さんより、旅行コーナーの函館、小樽紀行の感想とともにまことに詳しいお返事を戴き有り難く思っております。

  昭和史、明治史等については、本来は歴史のコーナーに入れるべきところでしたが、ま信がないので、練習コーナーに入れたわけですので、何卒ご了承下さい。

  若干のトラブルがありましたが、今では漸く慣れ問題なく会議室での発言が出来るようになりました。これも、財団の藤倉さんとモニターの村瀬さんの両ベテランと皆さんの励まの結果と感謝しています。全く動かなくなると本当に弱気になりますね。余程のことがない限り、機械が悪いのではなく、操作により切り抜けられるということを痛感し、もしこのようなことが起きれば、粘り強く対処することと思っております。

  太田さんには、わざわざ碧血碑のことをご調査願いまして有り難うございました。函館にても戦後しかも最近名が知られるようになったと、運転手が言っておりました。私も立の山の中にひっそりとしたところですが、大きな碑が立っているのを見て、それが漸く認れるようになったという歴史の流れというか、史観の変貌ということに興味を持ちました。私どもも、今の時代の一齣だなとしみじみ思います。

  その点では、太田さんの言われるように、明治以降の歯止めの効かない政治形態は問題と認識しております。

  世の中は、国の内外を問わず騒がしくなっております。その時々の決定が将来を大きくするのですから、今に最重点をおき処して行きたいものです。

  太田さんのメッセージに対してまことに不十分ながらお答えします。

 

 

  発言番号:0006

    発言者  :樋口 三男

    題名    :歴史考

    登録日時:96/09/28  20:32

 

 歴史と地理とは、如何なる時代に、如何なる場所に、自分がいるか其の位置を把握するものだといわれている。戦前の歴史教育は、その「位置」を混乱させていた。

  為政者の権力が増大するにつれ、一国の歴史が、御用学者の筆先によつて、漸次、改竄の度を深め、神話、神道主義、軍国主義へと、理論武装され、主権神授説により、天皇の神格化、大日本帝国臣民、臣道実践、八こう一宇と、とめどもなひろがってゆく。

  知性人は、言論の自由を奪はれ、非とするものは、非国民のラベルをはられ、山中へ隠遁を余儀なくされ、言論報道は、暗黒たる様相を深め、戦争へと突入した。

  戦後、一転して、「国の歩み」もさることながら、「民の歩み」への民主的歴史へ の探求が深まり、古い庄屋の家、社寺、地方の「組」や「講」の旧家で埃をかぶっていた古文書、百姓・町人の大福帳など当時の社会の底辺を形造っていた大多数の民族の思想、文化、生活様式が、漸次、明らかとなり、伝説、口碑、の再検討、考古学的史料の研究、調査、隣邦文献の照会と相まって、歪められ、抹殺されていた史実も、段々、書き換えられてきた。