A2 歴史

 

 A2−1 満州事変と支那事変

 

 

  発言番号:

  発言者 :福田順一

  題名  :満州事件と支那事変

  登録日時:96.6.13

 

 巌隆吉様にお尋ね致します。

私は、かねがね次ぎの疑問を何方かに教えていただけないかと思っておりました。昭和史をご研究と伺いましたので、お差し支えなければ、お教えいただけないでしょうか。

 

1.昭和初期、満州地方は私的軍閥が跳梁する無政府状態にあり、統治すべき中央政府は無力であった。

 日清日露戦争によって日本が獲得した権益を守るために武力を発動する事は当時の国際通念上非難すべき事であっただろうか。

 満州に日本が権益を持つことは、当時国際的にも認められていたのではないでしょうか。

 

2.ろ溝橋事件は中国共産党の陰謀による挑発ではなかったか。その背景にはソ連の世界政策がなかったか。日本軍が愚かにも挑発に乗せられたのではなかったか。

 

3.19世紀初頭、もし日本が緩衝地帯とし朝鮮半島を領有しておかなければ、日本は南下するロシアの占領下、日本人民共和国となり、今頃はパソコンどころか日毎の食べ物にも事欠いていたのではなかろうか。

   

ご意見いただければ有り難いと存じます。

 

 

  発言番号:

  発言者 :巌       

  題名  :満州事件と支那事変

    登録日時:96.6.13

 

福田 順一

  お尋ねのことは、大変難しい質問と思います。私もそれ程研究していませんので、正しい歴史観を持っていると思いませんが、今現在私が思っていることを率直にお答えすべく、敢えて掲示板でお答えします。この掲示板をご覧になる皆さんも種々異論があると思いますので、掲示板上で論じあうのも本来の趣旨にも合うと思います。

  何れにせよ、私は小学1年で満州事変、中学1年で支那事変、陸士1年で大平洋戦争になった戦中派で、小学校、中学校の同級生、更に幼年学校、士官学校の同期生と多くの友を失っていますので、さきの大戦の意義については、全面否定せず、大筋としては、起こるべくして起こったものと思っています。

  戦争中は、軍部は勿論全国民、概ね国策にそったのが、戦後暫くは極端な議論をしており、私自身も復員後の学生時代は、ある程度左傾化し、次第に特に会社に入っては、どちらかというと右傾化というか、中間的妥協的な考えになったと思います。

  しかし、こんな大きな犠牲を強いることになった、国民に対して政府並びに統帥部の責任は避けることは出来ますまい。

  以下、各論に入ります。

 

@  折角、孫文の辛亥革命の理想を掲げた中華民国も昭和の初期は、中央政府の統制が無力で、日本としても、日本の権益を守りにくくなっていたと思います。

  しかし、第1次世界大戦中の対支21ケ条の要求等による、反日感情もあり、しばしば、中国側による満鉄の爆破があった。

 張作リンを奉天郊外で関東軍が謀殺したとされているが、それが正しいとすれば、国際的に叩かれてもやむを得ないのではと思います。

 私も、この柳条湖を訪ねましたが、まっすぐな線路で、付近に日露戦争の戦跡がありました。当時は、関東軍の仕業と言う話しは全くありませんでしたが・・・。

 当時、日本の発展に白人は驚異を感じており、黄化論が横溢していた時代ですので、日本が叩かれたのは、そのような面もあったのではないかと、思っております。今の民族差別と同じ面もあったでしょうか。

 ただ、日本もここで押さえておれば、あるいは大戦争にならなかったかも知れません。その点では、貴説のとおり国際的に一応納得しておったような感じもしますね。

 

A  ろ溝橋事件は、今でも良く判りません。貴説のとうり色々な陰謀説もありますが、私は、日支両軍の夜間演習における偶発的事件かなと思っています。かってろ溝橋にも行きましたが、何でこんなところで、事件が起きたのか、不思議に思いました。戦後の本でも、中国側が先に撃ったとか、日本の歩哨が迷って行方不明になったとか、お互いの疑心暗鬼が、事件に発展したのかなと思っています。それから居留民虐殺、上海事変と事件が事件を産み、拡大したわけですが、この拡大が、結局大戦に繋がったのですから、政府としてはあくまで不拡大を貫くべきだったと思います。当時の国民与論を納得させても、最初の段階で事件を収拾出来たらと、思いますが歴史に仮定はありませんので、それで戦争が避けられたとは言えないでしょうが・・・。

 その点では、断固として不拡大を唱えた石原完爾将 軍説の方が正しかったと思います。

 

B  19世紀初期の頃のことは、良く判りませんが、1904年日露戦争、1910年日韓併合、1917年レーニンによるソビエト革命政府樹立、1918年日本軍のシベリア出兵ということから見て、私は、朝鮮が不安定であることは、当時の帝政ロシアとまだ健在だった清の進出を許すことになるので、日本の国益を守るために韓国を併合したと思っており赤化問題の危機は、その後のことではと思っています。何れにしても、その後日本は、ソビエトに対して絶えず驚異を感じていましたので、朝鮮を押さえ、満州に進出せざるを得なくなったと思います。日本の陸軍も、昭和19年始めまでは、あくまで対ソで、その点で対米は後手になっていたと思っています。

 このように日本としては、朝鮮を支配下におきたいとしても、だからといって朝鮮統治問題を韓国なり北朝鮮がそのまま、肯定することは到底出来ないことは、いうまでもありません。   

 以上いささか、見当違いのお返事ではないかと心配しております。我々は、日本の近代史については、語りべとして的確に把握すべきでしょう。

また、色々とご教授下さい。

 

 

  発言番号:

  発言者 :福田 順一

  題名  :満州事変と支那事変

  登録日時:96.6.19

 

巌隆吉様

ご教示ありがとうございました。

  昭和史のif(もしも)を考えると、No returning point(引き返し不能点)はろ溝橋事件ではなかったかと思います。昭和3年から満州建国に至る日本の軍事行動に対しては、昭和8年2月国際連盟総会で制裁が可決されましたが、後年ヨルダン西岸占領地区からの撤退勧告を30年間無視しつづけて来たイスラエルのように、のらりくらりと頬かぶりしておけばよかったものを、連盟を脱退して世界の孤児になる必要など毛頭なかったのではないかと、惜しい事をしたものだと思います。

  しかし、ろ溝橋事件以降は、国共合作による抗日救国戦線が結成され、首都南京まで占領してしまっては、もはや和平の手掛かりは失われ、あとは三国同盟、大東亜戦争へと流されて行ったのではなかろうか、まさに中国共産党の思う壺にはまりこみ、操られた結果になってしまい、一方、何も知らぬ国民は No returning point を見過ごしているのも気付かず南京陥落の提灯行列を喜んでいたという、今から考えると誠に残念な事でした。実際に従軍された巌様のご意見とは違うかもしれませんが。

  歴史の if's は広がりも深さも限りなく、考え出すと興味は尽きませんが、単なる暦史懐古でもないように思います。昨日住専処理法案が成立し、今朝の朝日新聞は「日本政治の暗転はあの時からだったと悔やむ事になりかねない」と評していますが、同様に、現今国民の政治不信が議会制民主主義否定、ファシズム待望への turning pointになるのではないか等と考えながら新聞を読んでいると退屈しないばかりか、巌様のおっしゃる「語り部」の役割を担う所以にもなるかと思います。

 この問題に限らず、身辺周囲について、ネットワーク諸賢ととりとめのないおしゃべりが出来ると楽しいですね。

 どうも有り難うございました。

 

 

  発言番号:

  発言者 :巌   隆吉

  題名  :満州事変と支那事変

  登録日時:96.6.24

 

福田 

 再度の私あて掲示板を見ました。去る6月15日に、ある会で聞きましたことを、直接メールでお知らせしておきましたが、その内容は、

 

@  ろ溝橋は貴方の説の中共説の方が通説のようです。それは、中共の幹部の発表と、中国大使舘もその説を否定しないからという理由です。どれが真相かは、疑問が残りましょうが...。

 

A  柳条湖は関東軍説でしょう。部内でも処分せよとの意見があった由。

  

  なお、再度のご意見については、もっともだと思っております。私ももしこの、ろ溝橋事件の不拡大を貫けば、あるいは、この大戦を避けられたのではと思います。しかし歴史にもしもという前提をおくことは、無理がありますが..。

 次に問題とすべきは、昭和16年夏の仏印進駐でしょう。瀬島龍三さんの「幾山河」にも触れられております。これが米英に大きな刺激を与えたといっていますがこれを避けていても開戦を避けられたかは、疑問ですが...。大きな転機だったことは確かでしょう。これが原因で油を断たれ、軍部としては、ジリ貧になるよりはと、踏み切ったといわれていますが...。

参謀本部内でも、「油のために戦争とはね」という言葉が出たとの由。

  ある人は、どうしても「黄禍論」の強かった英米との戦争は避けることは、出来なかったであろうと言っていますが....。我々大正世代は戦争で大きな犠牲を強いられた者として、この昭和史を多少なりとも研究して、後生に語り伝えることも大事でしょう。この点、福田さんのご意見に全く同感であり、この掲示板紙面にても、皆さんよりも色々なご意見をお聞きしたいと思っております。

  それにしても、現在の問題として、竹島については、どのように処理すべきでしょうか。韓国は教科書でも、竹島ー韓国名独島ーは、韓国のものと教えられており、日本では、隠岐の村の一部といい、韓国は、軍隊を駐留させ日本は、日本領ということを誇示するため、年に1回海上保安庁の巡視船を派遣している由。この問題は日本が占領統治された時の禍根とも思いますが、どのように考えるべきか、ご意見をお聞かせ下さい。