2.シニア・ハッピーライフ研究会

 

 

研究会メンバー

  ◎ 五島 吉、大前 安人、東  鶴保

    川瀬 清彦、羽鳥 行郎、高島 雅夫

    山本 明

 

 

活動状況報告

 AARP(米国退職者協会)のRetiredを引退したでなく移行したTreansitedとする姿勢、To Serve Not To Be Served の信条に共鳴。その日本版を作ろうと志を持ち、取り敢えずはダイヤネットワークに如何に魅力を持たせ拡大展開を図って行くかをテーマに、研究課題を「21世紀のシニアライフをハッピーに過ごすための研究」として取り組むこととした。

 

研究の対象

(1)定年後のシニア向けに

 ?@生活を支える制度やサービスの特典(医療・福祉・年金・税金・雇用等)

 ?A生活を豊かにするサービスの特典(旅行・レジャー・教養・娯楽等)

 ?B社会参加で生きがいを(パソコン学習情報とネットワークづくり)

(2)退職準備を考えているシニア向けに

 ?@退職前のプランづくり事例集(出来るだけ会員から募集)

 ?A退職時の手続き等失敗事例とうまくいった事例集(会員から募集)

 

活動状況報告

 各々の詳細はダイヤネットワークのDDD会議室に設けられた「(1)シニア・ハッピーライフ研究会−定年後のシニア向け」と「(2)シニア・ハッピーライフ研究会−退職準備を考えているシニア向け」の夫々に掲載されている。

 

以下それについて述べる。

 ?@医者がすすめる専門病院(資料1)

 ?A本「シニアの特典」(商品科学研究所発行)をご紹介(資料2)

 ?B「シルバーパス」のご紹介(資料3)

 ?C会員になれば特典がある会のご紹介

  () 「朝日メイト」(資料4)

  () 「ないすらいふの会」(資料5)

 ?D資格等修得のご案内

  日本レクリエーション協会(資料6)

 ?Eパソコン初心者に対する学習案内とDOCOKAI見学会の開催(資料7)

  FDOCOKAIでの「マイクロソフトマネー」の使い方講習

 ?G「生命の尊厳について(村上国男医博談)」の会員からの投稿

 ?H退職前の後輩に対する体験談や提言

 

 上記?Hについては、特に「世代間のギャップ」を世話人会に問題提起した項目ですので、別項を設けて下記に掲載します。

 

ダイヤネットワーク会員の定年退職時とその後の「体験事例」

 

〈概括〉

 ?@依頼数 ダイヤネットワーク会員 61名

 ?A回答数 24名(60歳代:8名、70歳代:16名)

 ?B回答内容(「健康」 「生きがい」 「経済」に3分類)

ア.「健康」

 a.予防

 ・現役時代から定年退職しても「定期健康診断」は受け、病気の早期発見に努める

 ・知的好奇心を常に持つ−老化(ボケ)防止と柔軟性の保持

 b.鍛錬

 ・趣味でやってきたスポーツを生涯続ける

 ・特に「歩く」ことと「水泳」がおすすめ、体操もよい

イ.「生きがい」

 a.趣味を生かす−現役時代から何か趣味を持つ(俳句、絵画、囲碁等)

 b.地域と交流を持つ

 c.若年層との関わりを積極的に持つ

 d.現役時代より生涯設計を立てる

 e.新しいことに挑戦する気持ちを持つ(語学・歴史等各種講座の勉強等)

 f.社会と家族のためになることを考える

 g.是非技術と資格を身につける

 h.パソコンとの出会いは生きがいの大きな柱

ウ.「経済」

 a.現役時代のなるべく早い時期に、住居をどうするか計画を立てる

 b.財形年金はおすすめ(非課税限度550万円)

 c.財産形成は言うは易くなかなか実行は難しい−ダイヤネットワークによる情報・指南に期待

 d.現役時代に技術・資格を身につける(弁護士・通訳等定年後本当に使えるものを取ることが肝要)

 e.子供と暮らせる方は幸せで、大方は子供に頼らずどう生きるか計画しておく必要がある

 f.大企業経験者は中小企業への転職は勤まらない

 

要は以下がキーワード

 ○健康は「定期検診」 「歩く」 「水泳」 

 ○生きがいは「趣味」 「交流」 「技術・資格」 「意欲」 「パソコン」

 ○経済は「生涯設計」 「ダイヤネットワークによる情報提供」

 

〈結論〉

 上記のように、会員に対するまたは会員からのいろいろな情報提供を分析してみると、当会員の平均年齢は恐らく65歳〜70歳前後と思われ、右肩上がりの経済成長の時代に苦労はしたがどちらかと言えば恵まれた会社生活を送ってきた人達である。ところが、現在はご承知のとおりの低迷した経済状況で、世間はリストラ旋風が吹き荒れて私共の体験や提言等は通用しない時代となっている。このことが今回の特に体験談から「世代間のギャップ」をこれほど痛感したことはない。

 そこで当研究会としては、今後は後輩に対するものはさて置き、我々の問題を中心に研究を続けて行きたいと思っている。

 尚、ダイヤ研究財団にお願いしたいことは、55歳から65歳位のメンバーの加入である。もし此の世代の人達20人もダイヤネットワークに加入して体験事例を知らせてくれればもっと価値の高いものができると思うのである。

 

〈体験事例〉

       (発信者名の下の( )内数字は年齢)

 

 当研究会では平成10年11月18日にダイヤネットワーク会員各位に、これから退職して仲間に入ってくる人々に対し、提言やアドバイスを、できれば失敗してきずいたことなどを入れた自分の体験談を発信してくださいとお願いしました。具体的に

  1.定年退職当時の反省・失敗談

  2・定年退職後今日までの反省と苦労話

  3.定年退職後のプランずくり

の三つをあげ、例えこの中のどれか一つを取り上げて発信されても 結構ですと付け加えました。

 最終の締めを平成11年9月末日としてまとめたところ結局24名の回答となりました。3月の中間発表当時と少しの人の入れ替わり及び書き直しをされた人もありまして、回答内容が多くなり充実しました。ただ発信された人の視点は特に変わっておりません。

 尚、言うまでもないことですが、この「体験事例集」は年代を見、その時代背景を考えて見ていただきたいと思います。

 

 

  私の体験事例

                               羽鳥 行郎(74)

1.定年退職当時の反省・失敗談

 会社の定年は55歳でしたが52歳で財団法人に出向。65歳迄という条件が62歳で退職しました。口頭辞令で出向条件は情勢の変化もあり当時の人事担当者も居なくなり証拠になる書類もなく・3年間繰り上げて予定が狂いました。口頭というのは当事者の都合が悪くなるとこちらは弱い立場になるので証拠資料は是非必要と痛感しました。

 

2.定年退職後今日までの反省と苦労話

 財団法人を62歳で退職後10ヶ月間の雇用保険を受け取りに毎月公共職業安定所に通いまた人材バンクに登録して適職はないか検討しましたが再就職先は見つからなかった。日本では未だ人材の流動化は微々たるもので・親会社・子会社の系列以外に再就職することは無理な事を体験しました。せめて自分の遊ぶ小遣い位は自分で稼がないと家庭内でも肩身が狭いので関係会社のアルバイトをして文献の翻訳や特許の仕事を5年程手伝いました。

 

3.定年退職後のプランづくり

 年1回家内と海外旅行をする計画をたて昨年迄中国南部・香港・インド・シンガポ−ル・西独・オ−ストリア・ポルトガル・スペイン・イタリ−北部・スイス・英国・ベネルックス3国「オランダ・ベルギ−・ルクセンブルク」・フランスと夫々7−15日間短期間ですが見てまわりました。先進ヨ−ロッパ諸国は過去の遺産で余裕のある社会を形成しているのではないか。日本もバブル時代に立派な公共施設が各地に出来ましたが・これからの維持・管理がどうなるのか危惧されます。銀行預金の金利が過去最低の時代では海外旅行に出掛ける余裕はなく・東京三菱銀行が本店を売却するような時代ですから暫くビッグバンの成り行きを見守ることにしています。

 

 

  私の体験事例

                                 五島 暉吉(79)

 昭和18年10月(大戦争中に付き学業半年繰り上げ9月卒業)日本光学工業(株)(現在の(株)ニコン)本社総務部庶務課に入社、以来応召、復員、また会社の縮小、再建、発展とめまぐるしい変化の中、ただひた走りに走っている間に満37年3ケ月が過ぎ参与の定年61歳の年となり退職の日を迎えた。翌日の昭和56年1月から日本光学工業(株)の子会社恵光不動産(株)(現在の(株)ニコンライフ)に入社、5ケ月経過した6月の株主総会で同社の代表取締役社長に就任となりそれから3期、6年勤めて昭和62年6月2度目の退職金を受領して退任した。後、常勤顧問を1年勤めたところで、折しも親会社の社名も(株)ニコンと変り、私も年の暮れには満69歳になると言うことでもあり昭和63年6月末日約45年お世話になった(株)ニコンにお別れすることになった。

 さてこれからは神から与えられた夢追いの時代がはじまる。時間はたっぷりある。考古学を始め種々の歴史の勉強、美術、演劇の鑑賞、セカンドハウスの鵠沼のマンションへは月2回位は泊まり込み翌早朝の釣りの乗り合い船で魚釣る楽しみ等心がわくわくした。

 しかし、現実は良いことばかりあるはずもなかった。人との交際が極端にへり会話がすくなくなるし、また出歩くことが少なくなった為運動不足となって速くも4ケ月経ったところで体調を崩した。顔の顎辺りから帯状発疹がでて髭剃り後が化膿、面ちょうとなり医者がよい秋に夫婦で四国阿南市へ両親の墓参りと親類回りの予定で買った飛行機の切符も出発当日間際ぎりぎりまで行く気でやっとあきらめてキヤンセル1ケ月後また2枚買うと言う大損をした。

 此の失敗からこれからは規律正しく動き回るボランテイア活動をしようと横浜市神奈川区鶴屋町の県民センターへ相談に行った。そこではからずも相談員からひょんな話から薦められて又勤めをすることになった。勤務先は横浜駅近くに本社のある(株)朋友建設と言うマンションデベロッパーで平成元年3月から2年間の約束で勤めるようになったが、結局約3年間勤めた。勤めて3年目の平成3年秋(株)ニコン人事部からトップの方でOB会の設立を許可しようと言う空気になってきたので細かい打ち合わせをしたいと私のところへ電話連絡があり10月に第1回の打ち合わせ、翌11月には10名のOB会設立発起人を交え来春を期してニコンOB会を設立する目標で活発な意見交換を行った。

 ここでOB会設立準備に打ち込む為、(株)朋友建設退社を決意、翌年の平成4年1月末日で退社した。

 この年3月9日(株)ニコンの常務会でニコンOB会の設立が承認された。4月早々には定年退職者918名に対しOB会設立趣意書発送、同月末には入会者585名に設立総会の案内発送、5月23日の総会はニコン大井体育館で会員348名の出席を得て盛大に開催され、OB会規約,役員,幹事の人事も可決承認され、ここにニコンOB会はスタートを切った。

 会長に選任された私はその責任の重さに今後の精進を心に誓った。爾来、3期6年会長を勤め、運営路線の確立、発展、財政基盤の安定、会員の増加に力をつくし、平成10年5月会員841名の時点でもう若手にバトンタッチしても大丈夫と思い、思い切った若返りをして退任、今後は顧問としてもし相談あれば応ずるということになった。

 ニコンOB会の会長をして2年経過した平成6年6月(財)ダイヤ高齢社会研究財団の高齢社会リサーチモニター制度の発足にあたり(株)ニコンの人事部、及び総務部から人選を依頼され仙台ニコン時代の友人角田正二郎氏、OB会事務局長の金子孝一氏と選んでいるうち、OB会の役員、幹事を出来るだけリサーチモニターにしようと考え、また私もこのモニターを引き受けないわけには行かないだろうと思い入ることにした。

 これに入ったお陰で他社のOB会の活動状況が良く判り、教えられるところも多くあり、さらに平成7年10月財団で始めたパソコン操作の通信教育受講、パソコン通信を活用したコミユニテイ作りにも参加、さらに平成9年からのダイヤネットワークにも参加し活動、平成10年6月以降はこの仕事にのめりこみ、この活動で少しでもこれから定年をむかえる人にお役にたつことが出来れば嬉しいと79歳の今も頑張っている。

 

 

  私の体験事例

                                近藤春雄(71)

1.近藤春雄(70)..現三菱化学の関連会社を平成4年に退社

 

2.定年後を生きる一助にと、厚生省系財団健康、生き甲斐開発財団のアドバイザ−養成講座を受講、第一回生の認定をうけた。しかしこれは国家資格でないので、行政やコミュニテ−からは殆ど関心を受けられなかった。

 

3.生き甲斐というものは、もともと個人的なもので外から指導をうけて得られるものではない、また平均的な会社人間で終わった私には、人を教える実技、能力がないことが日々たちまちに判明してきた。そこで目標の変更を行い、他力に頼らぬ生涯学習を中心に、加えて極力外に出歩くことに努めました。そしてその仲間というのは、地域に繋がるもの、各年代層にまたがるものを選びました。

 

4.体力維持のため山行、ハイキング会に属し、また普段は極力乗り物を避けた結果、幸い今も老人疾病にならずにきました。そしてなんとか、老人大学の内容を越える生涯学習の成果を自力で楽しめるように成ってきたよう思われます。

 

5.高齢者が精神の若さを保つためには、同じ年齢のみの仲間でなく、若く壮なる人々と交われる環境造りの開発が望まれます。

 

 

  定年退職体験談 ー退職したらー

                                高岡 真佐子(63)

 思いっきり、やりたいことを誰の指図も制限もなくやるぞー。時間は充分あるし、きっとのんびりできるだろうな。今度こそ、3食昼寝つきだ。電話はかけほうだい。真っ昼間から、女友達と銀座のレストランでグルメランチ。がら空きのデパートめぐり。午後は美術館を回って、その後ケーキと紅茶で絵画談義。今日も夫の帰りは遅いから、デパートの地下で買ったちょっと高めのお弁当とお茶をお盆に載せてTVの前を占拠しょう。ぬるめのお風呂にゆっくりつかり、手足を伸ばそう。しわとりパックも念入りに。またまた、悪友の長電話で夜は更ける。専業主婦ってやっぱりいいなー。なーんて、新聞や週刊誌で報じられている子育て終了後の主婦の姿をだぶらせて考えていましたが・・・・・。

 身に付いた貧乏性か、奥様業は身に付かず、相変わらず「お外様」です。講演や執筆の仕事を少しと、シニアライフ関連の研究調査グループのメンバーとして活動など、予想とは大分異なった真面目な生活をしています。でも時々、太陽の光を浴びてゆっくりゆっくり公園を散策するときなど昼間の時間をもてる幸せを感じています。少し長めの気ままな海外旅行が出来るのも「自由の身」ならではです。退職ってやっぱりいいな。

 

 

  定年退職前後の体験談

                                  高島雅夫(63)

1.定年退職前後

 

1)57歳(平成5年)三菱化学(株)在籍で(財)ダイヤ高齢社会研究財団(研究企画部門)に出向しました。高齢社会における「健康」、「経済」、「生きがい」について実践的に研究する機会に恵まれ、三菱グル−プ29社の総務、人事、OBの方々や学者と接触し、定年前後の問題点、介護関連の情報を得ることが出来ました。 

2)個人的には定年後の社会参加をするため「健康生きがいづくりアドバイザ−」(健康・生きがい開発財団:厚生省所管)の資格を取得し、同期生50人と共に積極的に地域、全国大会などに出席、新しい仲間が一度に増えました。我国は名刺社会なので会合では必携品と思い、且つ短時間の会話の中で自分を理解して貰う為に裏に自己PR、特徴を記載したところキ−ワ−ドへの反応は良いようです。

 

3)アドバイザ−もいろいろあり、「余暇生活開発士」(レクリエ−ション協会:文部省所管)、「シニアライフアドバイザ−」(シニアルネサンス財団:経済企画庁所管)、「人生設計アドバイザ−」(ビュ−テイフルエ−ジング協会:通産省所管)、「産業カウンセラ−」(労働省所管)などあるが社会参加のレベルは同じと考えたので、ダイヤ財団主催でシンポジウム「中高年の生きがいづくり」を2回実施、好評を得ました。

 

4)又、定年後の興味探しに大書店で立ち読みランダム漁りをしていたところ、偶然に出会った1冊の本がきっかけで約300冊の本を読み、その中から面白い話を勝手に選び「好奇心の窓口」として纏め「健康生きがいづくりアドバイザ−」の立場でボランテイア講演を始めました。

 

5)そして健康生きがいづくりアドバイザ−の仲間10名で発足させた「中高年性教育研究会」で相談員の養成講座を企画、第1期生として資格を取得、一方日本性科学会会員に登録、以後ボランテイアベ−スで養成講座に協力。治療しか教育されていない医師、看護婦や介護ホ−ムヘルパ−の人達も受講しています。高齢社会で「生は性なり」などと重要性が認識されているにも拘らず明治革命以来の社会道徳、倫理観からか中高齢者の”性”は暗く扱われて真面目に議論するのを避ける傾向があるように思われます。

 

6)ダイヤ財団の研究「パソコン通信は高齢社会のコミュニイテイづくりに役立つか?」を企画、(財)長寿社会開発センタ−の助成を受け財団のリサ−チモニタ−26名の参加を得て2年間で成功、ダイヤネットワ−ク(DOCOKAI)へと発展しています。当初私はパソコンに触ったことが無かったのですが、幸いこれがきっかけで初級者のレベルになりました。

 

7)退職後でも参加できる異業種交流会(3つ)に友人の紹介で加入、全く知らない人達との交流の仕方をトライしてみました。会の運営に協力し受付の手伝いや写真を撮ってあげるなど役に立つと会員と馴染むのが早いようです。  

 

2.定年退職後

 

1)幸い上記の助走期間があったのでその延長線をスム−スに歩き続けています。

 

2)自由時間が出来たので男性の絶対数が不足している社交ダンス(グル−プレッスン)に約1年(2〜3回/週)参加、初級から中級を目指しています。

 

3)ある縁で丹田呼吸法(寝る前に5回づつ2ラウンドの深呼吸》教室で驚くべき副交換神経の活性化効果を体験中です。

 

4)映画のロ−ドショウがシニア料金(1000円)で観られるのも活用すべき特典とコ−ヒ-ショップ代わりに積極的に楽しんでいます。

 

5)旅行(国内、海外)のチャンスがあるときは出来る限り参加するようにしています。特に海外は足腰が元気のうちと思いイタリア、ギリシャ、エジプトなど訪れてみました。

 

3.定年退職後のプラン

 

1)現役時代に知己になった方々から仕事に関するお話を頂き大変有難いのですが、残された貴重な時間を自分流に使いたいのでスポット業務か或いはアドバイザ−レベルでのお手伝いで協力関係を続けています。

 

2)年金生活では贅沢は出来なくなりますが、高度成長時代のように利益追求だけで頭と身体をすり減らす生活に戻る気には暫くはなれない心境です。

 

3)やりたいことが沢山あるのに時間が足りないことを感じるので、3年毎位のプランづくりが必要かも知れません。休日の概念が変わりサンデ−毎日ではなく、月月火水木金金の毎日と忙しくなりました。       

 

 以上ランダムに書いてみましたが、定年退職前後に関する実用情報の充実が必要かと思われます。

 

 

  定年退職及びその後について

                               櫻内 義彦(75)

  私の定年退職は昭和59年9月30日でした。その前後は両親は共に80歳を超えて日本人の平均寿命をオーバーしており,母親の方は痴呆があり,その介護に私がその大半を背負って居りましたので,今考えるとよくそれに耐え活動していたものだと思って居ります。

  昭和50年から2年余り花伊電線(株)に出向致しました。弱電の関係特に電源コード等を製造しており,外国の規格を取得して輸出が売り上げの大半を占めて居りました。子会社とする為に私が出向し営業担当の常務取締役として活動致しました。私の後任が出向した時点では資本も入れ系列会社となりました。

  私は,その後100%の子会社日電不動産(株)の代表取締役として電線に全く関係のない仕事に携わり昭和59年9月30日に定年退職致しました。

  退職後は全く自由の身となり,晴々とした気分で心に蟠り一つ無く,毎日が楽しい日々でした。親しい友人に,会社を止めて自由になると言うことは,こんなに楽しいことだったのかと語り合い,両手を挙げて快哉を叫びたい様な気持ちになりました。昔の人が「すまじきものは宮仕え」といったのが,本当に出来る様な気がしました。

  その様な理由で少し休息をとった後,翌年の2月15日に花伊電線の中に1部屋つくって貰い,そこで主として花伊電線の製品の販売をすることの了解を得ました。当時の親の介護関係の日誌と新しい仕事関係の日誌を今回読んでみましたが,殆ど記憶として残っていないのに驚きました。1年間は不動産の売買以外は,全くと言ってよいほど契約(注文)がありませんでした。その間に努力しない訳ではありません。綿密に計画をたて努力を重ねていることが,記入されて居りますが成就出来ませんでした。それには多少理由があった様に思います。例を挙げれば,IBMの当時の社長と私の友人が慶応の幼稚舎から大学まで同級生で種々営業上の便宜を計って貰い,日本の会社の組織とは多少違い米国本社との関係もあり難しい面もありました。親会社(大日日本電線)を窓口にしろとか簡単にはいきませんでした。サンプルの提出とか沢山ある夫々の窓口に接触し努力を重ねて居りましたが,部屋の電話が直通ではないので花伊電線の営業担当に利用され,私の所まで連絡が来ないことが多々ありました。

  しかし1年を経過して(株)ニコンの関係の接触が上手くいくようになり,またその下請会社を含めどんどん成約があがるようになりました。

  その間,友人を始め多くの人々 の親切・好意を痛いほど感じました。また,その逆の面も多々見せつけられました。

  個人でバックが無いと言うことは厳しいものだということを嫌と言うほど認識させられました。

  現在私は来年の2月に75歳の誕生日を迎えますが,昨年末まで仕事を続けて参りました。昨年末には大半を整理して,夫々の友人に渡し,今では1件のみ健康の為に残しました。

  過去には人間の色々な面を沢山みて色々なことを考えさせられましたが,今後はその様なことに関係無く人には親切を尽くしたいと思って居ります。

 

 

  定年退職体験談

                                  山本 明(64)

定年退職後の我が持ち家に関する体験談

 これから定年退職される後輩のための提言やアドバイスを書いて欲しいと頼まれましたが、定年退職後4年半、その間4年間再就職していましたので、発表できるほどの体験談はありません。ただ、特殊例になるかもしれませんが、今年1月に終の棲家となる持ち家を購入しました。下記の情況の大きな変化により「親父の家をリホームすればよい」と言う現役時代の甘い計画を大幅に変更せざるを得ませんでした。

 持ち家の購入は、一生の内で最大の買物であり、また、定年後20年と言う長い余生の幸せを左右する重要なことです。専門家に相談し、また、自分の足で見て周り、関連書籍や資料を検討するなど数ヶ月乃至半年間位時間を掛け慎重にご検討することが重要です。

 私の体験談が、今後持ち家を購入される方や建替えを計画されておられる方にお役に立てば幸甚と考え筆をとりました。

                    記

1.情況の変化

 平成6年12月末日に定年退職し、東京で平成7年2月1日に再就職し、今年1月末日に退職しました。相当以前からから父母との話合いで退職後は、名古屋の父母の家で同居することに決めていたので定年まで社宅生活を継続していました。平成6年春頃から持病の心臓弁膜症が悪化し、上り坂の歩行が健全者より難しくなっていました。東海地区での就職先が見つからず、また身体のことを考えれば再就職を諦め治療に専念すべきと考えていました。丁度その秋に某氏の紹介で再就職先の社長にお会いし、知合いの心臓専門の心臓血管研究所付属病院(以下「心研病院」と略す)を紹介してくれること、その上、その社長の会社に就職してもよいというありがたい話がありました。しかし、紹介者某氏への迷惑を考え、そこまで甘えてよいか悩み、地元の心臓関係主治医の病院に1週間入院し、検査してもらいました。その結果、服薬を継続すれば70歳ぐらいまで働けるとの結論を得ました。

 父は、既に平成5年7月享年88歳で永眠していましたが、母(当時79歳)は、元気に家庭菜園を好んでやる位元気であり、また母は私に東京での再就職を強く勧めてくれたこともあり、近くに住んでいる私の妹二人に母をお願いし、再就職することにしました。

 心研病院では、元気な若い内に手術した方が良いとのリコメンドがあり、平成7年6月に人工僧帽弁への置換手術を行いました。その手術に成功し、その後のリハビリにより今では、ゴルフ、散歩、国内・海外旅行は勿論、1000〜2500m級の登山も行っています。その後、母が平成8年6月急に享年82歳で永眠しました。しかし、世田谷で一人暮しの妻の母(現在93歳)の介護が、3年前より必要となり妻の姉と交替で行っていますが、事情があり、妻は、現在週に5日間介護に通っています。また、平成8年長女の夫の転勤を契機に長女家族が東京に転居して来ました。更に、一昨年結婚しました長男が私らとの二世帯住宅を建てようとの申し出があり、一緒に検討しました。

 以上、情況の変化を纏めると次の5項目です。

1) 私の父母が、永眠し、名古屋に帰る必然性がなくなったこと。2) 妻が新しく世田谷在住の妻の母に対する介護のため週に5日間実家に通うことになったこと。

3) 私の長男、長女家族が東京に住むようになったこと。

4) 上記心研病院が六本木にあり、一生通院しなければならないこと。

5) 長男家族から二世帯住宅建設の申し入れがあったこと。

 

2.二世帯住宅の検討

 先ず、長男家族の申し入れを受けて二世帯住宅の検討から開始しました。折角立派な二世帯住宅を建設し、親子同居したのにトラブルが発生し、子供家族が出て行く例は多いと聞いていましたので、建築家の著書やメーカーの意見を聴取しました。その結果、二世帯住宅は、極力避けた方がベターであることおよび建てる場合でも、玄関も風呂も別と言う完全分離型にすべきであるとの結論に達しました。

 完全分離型の二世帯住宅を建てるには最低60坪の土地が必要であることが判明し、丸の内に1時間以内で通勤できる範囲の東京都、神奈川県を条件に親子夫婦一緒に土地探しを約2ヶ月余り精力的に行いました。しかし、両夫婦の希望を満足する土地は見つからず、やむを得ず両夫婦納得の上で、各自別個に住宅を探すことにしました。

 長男らが二世帯住宅を希望する理由は、親子同居は早い方が良いことおよび二世帯住宅なら経済的であり、長男夫婦が希望する一戸建て住宅を調達することができると考えたようです。ありがたいことですが、両夫婦の希望、特に次項に示す親夫婦の希望を適えられる一戸建て用の土地は見つけられず、二世帯住宅を残念することにしました。その代わり長男夫婦の一戸建て住宅の調達には、資金的に援助することを約束しました。幸い、その4ヶ月後、妻の実家に隣接する土地付き中古家屋を比較的安く買えることになり、今は狭いが、将来妻の母没後両方の土地を使い、建替えることを条件に一件落着しました。妻は、介護に行った時は短時間ではあるが孫の子守りをして上げられること、介護者不在の夜間早朝時の緊急処置を長男夫婦に依頼できたことなどメリットの多い結果となっています。

 なお、私達は極力自活する方針ですが、親夫婦が一人になり介護を必要となったときを想定し、長男夫婦が建て直す時に親用の部屋を一室設けてもらう約束になっています。

 以上の如く、両家族の自由・幸せを重視し、二世帯住宅を断念したが後悔していない。上述の如く二世帯住宅の親子両世帯の同居によるトラブルの例が余りにも多いことを考えるとこれで良かったとも考えています。

 

3.ロケーションの選定

 ロケーションの選定に当っては、上記情況変化に加えて、この4年半東京江東区東陽町、横浜西区戸部町(両方とも社宅)に住んでみてその良さを発見したので、それも考慮しその条件を次の通りとしました。

1) 世田谷にある妻の母の家に1時間以内で通えること。

2) 私の長男、長女家族とも1時間以内で来られること。

3) 心研病院(六本木)に1時間以内で通院できること。また、他の優秀な病院にも近 いこと。

4) 住居環境として緑に接し、日常の買物の店および駅が歩いて10分以内にあり、坂 道がないこと。且つ繁華街に30分位で行けること。

5) 東京の近辺に在住の大学や会社の友人が多いが、頻繁に手軽に交流できること。(友 人との交流は社会参加の第1歩です。)

6) 最新の店舗ばかりでなく老舗も数多く存在し、両方とも楽しめること。新しさと古 さの両方を備えた町であること。

7)クラシック音楽観賞、美術館巡りなどは比較的気軽にできること。

8) 趣味の山登り、ハイキング、ゴルフが公共交通機関を利用して気軽にできる場所で あること。

  

 上記8項目の条件に適した場所として丘の上の根岸森林公園に隣接する横浜市中区山元町5丁目を選択しました。しかし、この場所で次の2点が問題となりましたが、全て良しとする訳にはいかないので我慢しすることにしました。

1) 妻が母の介護に通う方法として時間的に早いことと経済的であることよりJR山手駅まで 十数分歩いているが相当の坂道であるので特に帰りは上り坂が苦しいこと。未だ元気なので運動と考え歩いています。歩くのが苦痛になればバスを併用することにしています。バス停まで2、3分です。

2) 上記条件8)についてですが、目的地は遠方であるが、公共交通機関を利用できるので、時間的に余裕のある熟年者には余り苦にならないので我慢することにしました。しかし、ゴルフの頻度は激減しました。ゴルフをより楽しみたい方には、横浜は必ずしも適していません。

 

4.一戸建て住宅かマンションか

 一戸建て住宅かマンションかを選択する場合に考慮しなければならないことは次の通りです。

 最初に家庭内事故の問題。65歳以上の場合は、家庭内事故による死亡の方が交通事故による死亡より多いと言われています。(1994年厚生省「人口動態統計」)家庭内死のトップは溺死で、次いで同一面上での転倒、3番目に階段からの墜落・転倒となっています。これらの事故を防止するには1)段差をなくす。2)手摺をつける。3)階段を安全に。4)操作しやすい設備を採用。5)室内環境を快適に(床暖房や風呂場・洗面所の暖房等)。など高齢者の身体の特性を考慮した安全で便利で快適な住まいづくりを考える必要があります。マンションでも一戸建て住宅でもどちらでも可能ですが、古い家屋はリホームすることをお奨めします。

 2番目に警備上の問題。高齢者夫婦暮らしや一人暮らしが多くなると考えられるので、外敵から守ることがより重要です。また海外旅行等で留守をする機会が多くなるので管理人と機械的警備の完備したマンションの方が好ましいと言えます。

 3番目に補修・建て直しの問題。税法上の耐用年数であるが、木造造りは24年、鉄筋コンクリート造りは60年となっている。最近のマンションは建設省の指導により少なくとも25年間の共有部分の補修費用は計画的に積み立てることになっています。耐用年数が2倍以上長いことおよび補修は計画的に実施されることで高齢者にとってはマンションの方が安心です。

 最後に、建物外の庭・植木の保守問題。マンションは管理人が実施してくれるが、一戸建て住宅では自分で実施するか植木屋に実施してもらうことになる。家庭菜園や園芸を好まない方は、庭の草取りや植木の手入れが重荷である。腰痛の心配もある。

 上記以外にロケーションの選択の項で述べた条件を満足する土地を入手することは、非常に高価で経済的に難しいのでロケーションの条件を満足させると自ずからマンションにならざるを得ないでしょう。

 以上2〜4の条件を考慮し、前述のロケーションに新しく建設されたマンション「アールヴェール山手」の302号室を購入しました。窓を開ければ森林であり、幸い夫婦ともども満足しています。

 

5.残された課題

 残された課題として次の2項目を考えています。その一つは、我々自身の介護の問題です。前述の如く私達は極力自活する方針ですが、親夫婦が一人になり介護を必要となったときを想定し、長男夫婦が建て直す時に親用の部屋を一室設けてもらう約束になっています。しかし、決めたわけではなく、介護保険ができることでもあり、官公の介護に期待するとか老人ホームにするとかを含め今後じっくり検討することとしています。

 もう一つのは、私方両親のお墓の問題です。現在名古屋にお墓がありますが、妹二人は名古屋に住んでおりお墓の管理をお願いしています。両親の墓まで横浜に持って来ても良いものか苦慮しています。長男としてお墓と家の継承なども含め今後検討して行きたい。

良いアイデアがあれば是非教えて欲しい。

 

 

  生い立ちからインターネットとのかかわりまで

                                  助川  泉(65)

1.生い立ち

 私は昭和33年に大学を卒業した。子供の時から一時疎開中を除いて自宅通学であったので、自宅通学通学は飽き飽きしていたので地方の工場にも勤務出来て、大学の専攻が会社のメインの事業となるような大会社に行きたいと思っていた。当時は就職もかなり難しい時代ではあったがMMCの試験を受けて合格した。私は次男として昭和9年に生まれたが、母親が5人姉妹の末っ子で誰も相続する人が無く、生まれてまもなく母方の姓を名乗り、旧民法で相続し、母の出生地S県の土地家屋の贈与を受けた。疎開中はこの家で暮らした。(昭和18年ー20年、当時9歳ー11)

 

2.会社生活

 私は予定どうり?入社後四国の工場に赴任した。工場に入ったところ、なにしろ亜硫酸ガスのにおいが、鼻につき少々ビックリしたが赴任したところは瀬戸内海にあり、鯛やいかがいくらでもとれ、また海水浴も出来所謂今で言うリゾートエリアであった。この時まだ環境問題など言う人も居なかったが、卒業して、はじめての赴任地であったためか、今でも印象に残っている。ここで教育期間を終わり大阪の工場に約1年半後に転任した。当時、品質管理、熱管理等色々な資格を取れといわれ、あまり後からは役立たなかったが、色々勉強し取得した。普通自動車免許も当時フォード車でないと受験できなかったが、合格した。英会話学校にも通ったがこれは物にはならなかった。仕事の方も忙しく何にしろ増産、増産で私自身はプロセスエンジニヤであったがプロセスの開発、自動化機械の設計、シーケンスの作成等色々なことを担当した。(昭和34年ー41年、25歳ー32)実用新案、特許等もとり、今でもこれら方法や機械化の方式は変わって居ないものが多い。この当時組合の役員もやり、会社の中でも知らない人も居ないくらい有名人となった。この当時に体験したこと、覚えたことは、本当の自分自身の知恵となり、知識となっている。

 昭和41年東京本社に転勤となり、当初は生産管理を担当したが、まもなく企画開発の課長代理となった。(昭和43年、34)プロセス開発、製品をおこなったが、本プロセス開発はMMCのメインの工程であり、現在では技術輸出され外国でも建設、操業されている。開発の手法は、プロセスとして熱力学的に確認されたので、原子力開発で用いられていた、現場試験のあと、プロットタイプの建設、セミコマーシャルプラントのの建設、本プラント建設まで10年余りの歳月を要し、会社としても多大のリスク、資本、人材の投資を行った。製品開発について、現在でも事業の根幹となっているものが幾つか有る。新規事業、製品が世の中で認められ、収益化するのは、少なくとも10年はかかる。現在はライフサイクルの早いものもあるが、なにか、将来の種を残すことが大切である。

 

3.海外勤務

 昭和50(当時41歳)ニューヨーク駐在を命じられた。妻、娘2人で、当時日本に帰国した時学年が遅れないために学校に頼んで、1年上級の上が中学1年、下が小学4年に入学させた。当時はMICの一角の事務所に入れて頂き、通信はすべてお願いしたが、間もなく、TELEXを入れ、自分でも出来るようになり、当時に比べると隔世の感がある。ニューヨークに住むには何処が良いかと色々と検討したが、MICを含めて殆どの人がアパート住まいであった。しかし、米国生活を満喫するには、郊外の一戸建と考え、ウエストチェスターに住み、子供は現地校に通わせた。子供達にとってはこの当時に英語を覚えたことは大きく、現在でもバイリンガルと言はれるぐらいである。またこの当時に体験した生活、文化は忘れがたい思い出として残っている。平成2年にももう一度1年間米国に赴任した。

 

4.家の購入

 米国から帰国した時、3DKの社宅に入ったが、何しろ荷物が多く、玄関まで荷物が溢れ、一日も猶予が、出来ない状況であった。色々調査したが、東京から一本の電車で行ける。しかし駅からはアメリカの経験を生かし、多少と遠くてもよい。土地付き一戸建て。距離、電話料、通勤時間等考えると、東京都内が良いに決まっているが、なかなか高くて手が出ない。色々探したが、なかなか見つからず、偶々東急不動産が開発した、建売り住宅で、東南の角で土地面積200uが見つかった。当時は良い物件は必ず抽選で、当たった人がローンが付かないとのことで、運良く手に入れることができた。(昭和53年、44)東京の隣のM市である。しかしその時は完全に同意していたはずの家内が、東京23区内に住む夢を未だに持っている。女性は便利さ、合理的より、カッコ良さに憧れをもっているようだ。

 

5.アパートの経営

 初めにも書いたが、母方を相続した為、兄弟とは別姓であったが、あまり違和感はなかった。関西ではあるが、S県O市の土地を約500u程、相続した。しかし祖父の代に当時の弟に隣地250uを相続させており、遺族より売却したいので、購入してくれないかとの話があった。(昭和48年頃、39)将来のことを考えると、購入た方が有利との判断となった。しかし当時はローン等もなかなか難しく、やっと事で、親からも借金し、購入し750uとなった。バブルの前で結果的によかったが、資金繰りとしては相当重荷となった。その土地には、昔からの家が二軒建っていたので、賃貸した。しかし固定資産税、修繕費等が相当な負担となり、なんとかしなければならなくなった。母親にも相談したが、遺産なので、売却などはとんでもないことだった。色々研究の結果、アパートを建築することにした。(昭和62年、51歳)積水ハウスと契約し2棟、4 合計8軒を建設した。当時は事業用ローンは問題無く、土地担保であれば、100%出来、殆ど自己資金なしで実現した。家賃を安く設定した為か100%近い入居率が続いている。税法上の恩典をフルにいかし非常に順調に推移した。現在、12年目であるが、償却、ローン金利等の経費が少なくなり、年々税金の負担が増大している。本物件は駅から3分、駐車場付きであるため、成功したが、いま考えてもよく決断したと思う。

 

6.電子メールとインターネットとのかかわり

 M社の役員を退任後、関係会社の役員を経て平成7年子会社の社長になった。(当時60)又平成8年海外合弁会社の社長も兼務することになった。当時丁度上の娘も結婚して、海外赴任となり、ロンドンに駐在し、色々な海外との電話やFAX代がかさんで仕方なくなった。昔ニューヨークにいた頃からパソコンに興味をもってワープロや表等作成していたが、パソコンを利用して、電子メール、インターネットができることを知った。電子メールとしては、昔、米国でプロジェディに加入していたので、比較的入り易かったが、インターネットはそう簡単では無かった。色々研究して見ると、IBMOS/2と言うソフトを出しており、これを使えば出来ることが、わかり早速Windows3.0OS/2でもダブル起動出来るように設定しインターネットが見られるようになった。それから間もなくWindowsでも容易に設定出来るようになった。その間にイギリス、アメリカとも日本語でメールの交換が出来るようになり、海外のことが日々の交信で手に取るようにわかるようになった。また家族内のコミュニケーションも親密になった。

 

7.母と介護

 兄弟は3人で兄、妹だが、私は母の姓を継いでいる関係上特に扶養義務負っているように、皆から言われている。父は13年前に82歳でなくなり、母は現在93(平成11年現在,明治38年生まれ)で横浜に一人で住んでいる。昔からの経緯もあり、子供も皆独立に家を持っており、1ヶ月に12度訪問するのが、やっとである。平成912月母が突然風邪から入院し介護を二ヶ月兄弟及び妻を含めて行った。幸い二ヶ月で元気を取り戻し、横浜市のパートの介護等も受けたが、やはり一人の方が良いと自分で断り、前の生活に戻った。これらを教訓に次の善後策を決定すべき時期であるが、進展していないが、子供、親戚のみでの介護は到底不可能であることも知った。

 

 

  退職後の生きがい(人生これからが面白い)

                                 松本 喜一(73)

  定年退職後3個所の会社に就職して完全にフリーになったのは66才でした。「老後の生きがいとは何か」「自分に何が出来るのか」「心のやすらぎを何処に求めたら良いか」こんな問題に取り組み半年くらい悩んだものである。いまから考えると極めて計画性の無い話で汗顔の至りで、誠にお恥ずかしい話である。 老後の計画とくに与えられた時間をどう生かすか、社会との結びつきを何処に求めるかを決めておく必要があろう。

 私の先輩で、毎日図書館に通い、新聞・週刊誌等を丹念に隅から隅まで全部呼んで、お昼は近所で食事をして、又午後も図書館に戻り夕方帰って来るそうで、面白くてしょうがないと言っていた。そういう話を聞いて私も真似をして見たが、3日と続かず飽きてしまう。色々試行錯誤の末やっと今の生活に落ち着いた。

 それで今やっているのが、水泳・英語・パソコン・庭いじり・登山である。今は区役所・東京都あたりが老人の教育とか、生きがいと言うものに対して真剣に取り組んでいる。例えば、区役所の広報誌、図書館、支所等でいくらでも情報を得ることができる。古典文学・謡曲教室・健康体操等シルバー向けのサークル活動が沢山あり、それに新聞等により大学の公開講座に出席するようにすれば退屈することは先ずない。

 水泳は毎週1回、杉並水連から資格のある先生が来られ初心者・中級者を対象に2時間の授業があり、50代、60代の生徒約30人に交じり楽しくやっている。いかに楽しく、らくに泳ぐかをモットーにクロール、平泳、背泳を交互に練習している。バタフライにも挑戦中で1時間で1000メートル泳ぐことを目標にしている。水泳をはじめてからお蔭様で体調も良く楽しくやっている。

 英語は「60才からの英語」と言う同好会の講座で、月2回会員数は14名で最高年齢78才で平均年齢は68才で今更英語をしゃべるようになるというような大望(?)は一切捨て、宿題・テスト等一切なく、楽しく英語に親しもうというサークルである。テキストは、NHKの「基礎英語3」でラジオ放送を毎朝聞いている。毎日だから適度の緊張感があって、自分の生活リズムをつかむのには最適である。

 庭いじりは、季節々々の花の苗或いは種を京都の「タキイ種苗から取り寄せ庭に植えたりプラントボックスに植えたりして、楽しんでいる。面白いもので、通り掛かりの人に美しく咲いてる花を誉められ、ついその気になり差し上げたりする。

 パソコンはダイヤ高齢社会研究財団のお陰ですでにはじめて5年、お互いの情報交換におおいに利用している。ダイヤネットワークの会議室は旅行・趣味・歴史・時事評論等多士済々のメンバーの発言がとても面白く、参考にさせて頂いている。勉強会も月1度開催されており極めて楽しいサークルである。

 登山は会社の仲間、区の同好会等に所属して月1回か2月に1回の年より向きのやさしい山を踏破している、年に1度は宿泊をともなう登山もある。

 平均寿命が延びた今日、人生80年時代が到来し、サラリーマンは定年後20年以上の人生を有することとなった。できるだけ早く自分自身で生涯設計を考える必要があろう。

 それには先ず、自分自身の趣味を持つことから始めよう。趣味ひとつと言っても非常に幅ひろく、例えば、ライフワークの研究、芸術、スポーツ、リクレーションなどさまざまなことがある。その中から真にやりたいこと、自分の「打ち込めること」を見つけ出しし、その追求を通じて生きがいを獲得することは可能である。また、趣味は共通の関心から見知らぬ人を結びつけ、仕事では得られなかった新しい出合いも期待できる。

 生きがい獲得においては趣味、友人といった「生きがいの対象」を充実させることが非常に重要である。また、人生を生きがいに溢れたものとしていくためには、「生涯学習」という言葉をつねに忘れずに歩んで行く事が大切と思う。折角、この残りの人生を思うように生きられる時期がきたのである。定年は文字どおりハッピイな人生の始まりなのである。老後の健康を切に祈るものである。

 

 

  定年退職前後の体験談

                                  森口 勝(73)

1) 68歳まで働かして頂いたことに感謝

 定年が延長されて、大体60歳定年が普通になってきたが、私は昭和23年に三菱化成(現・三菱化学、以下同じ)に入社し、昭和45年に関西熱化学(三菱化成の子会社)に出向、48年に同社の取締役に就任した。三菱化成は57歳で定年退職となったが、引き続き関西熱化学で平成6年に退職するまでの25年間を勤務させて頂き、退職時の年齢は68歳だったから、退職後は自適の生活を送りたいと心に決めていた。昭和48年に交通事故に遭い、脊椎損傷で5ヶ月間の入院加療をしたが、外見からは分からぬ後遺症が、加齢とともに進行して行く自覚があったことも、残された人生は気の向くままに過ごしたいとの願望を抱く一因になっていた。従って退職後のことについては特に不安は無く、退職を内示された時も、来るべき時が来たと平静に受け止めることができた。会社を退職して、責任と束縛から解放された「開放感」は、自分のみならず妻も同時に味わった爽快な気分であった。

 

2) 一人息子と同居生活

 昭和40年に三菱化成大阪支店に転勤以来、関西で約30年間暮らしたので、関西に住み着くことも考えたが、老後のことを思うとやはり一人息子と共に暮らすのが最善だろうと、退職の年の平成6年11月に、終の住家を鎌倉と決めて最後の引越しをした。これは結婚をしてから15回目の引越しだった。鎌倉の居宅は、交通事故の余後が思わしくなく、会社を辞めざるを得ない場合のことを考えて、当時息子が東京在住だったことから、応急的に昭和50年に購入し、息子がずっと居住していた。これからの時代は子供の世話になれる者は幸いで、子供に頼らずに老後をどう生きるかを計画しておくことも必要になって来るだろう。

 

3) 65歳を過ぎてからの転居は回避すべし

 鎌倉への引越しは、夫婦共に60歳後半になってからだったため、心身共に疲労困ぱいの極に達した。しかしながら予定の期日に家財を搬出できて、借家を家主に明け渡すことができたのは、会社での部下だった者やその奥様達の親切な引越し援助があったからで、心から感謝した。歳をとってからの転居は、老人がぼける一因になるそうだが、確かに鎌倉に引っ越してきてから4年が過ぎたが、未だにしっくりしないような住み心地である。歳を取るほどに環境変化への順応力が低下するからであろう。

 

4) 何が幸いするかは人知の及ぶ所にあらず

 関西に30年間も住めるのであれば、郷里の香川県にも近いし、阪神地区近辺に住宅を手当てすべきだったのだろうが、サラリーマンの悲しさで、そんなことは分かるはずも無かった。長年居住できた所で、退職後も引き続きその後の生活を延長して行ける人は、私の考えからすれば大変幸せではないかと思う。平成611月に西宮市から鎌倉市に引越し、翌年1月17日に阪神大震災が起きたので、危ういところであの目を覆いたくなるような大災難と困窮生活から免れることができた。三菱化成に同期入社した者も殆どが東京近辺に在住しており、同期の会合に出席して今昔を語り合えることや、そのご縁で「熟年から始めるパソコン通信」にトライして、曲がりなりにもパソコンを操作できるようになった。これがきっかけとなって更にパソコン・サークルの輪が広がり、未知への挑戦が楽しめるようになったのは、鎌倉に引っ越してきていたお陰と有り難く思っている。

 

5) 「紺屋の白袴」のマネープラン

 三菱化成に入社以来経理部門の仕事を長く勤めながら、自分のマネープランについては、恥ずかしながら無頓着で過ごしてきた。もう少し才覚を働かしておれば、関西で安い時期にマイホームも造れただろうし、ゴルフ倶楽部の一つにも安く入れていたと思う。親から「借金だけはするな」と良く言い聞かされていたので、馬鹿正直にに守り通して来た結果は、借金も無いが、めぼしい資産も無いという、極めて平凡な暮らしに甘んじている。バブル後の煽りを受けて、年金だけでは収支償わず筍生活の連続であるが、そろそろ我が家の家計のリストラを考えねばなるまいと思っている。これこそダイヤネットワークの会員で、先見の明がある方から良い知恵を授かりたいものと期待しております。

 

6) 人間万事塞翁が馬

 あの戦争末期に召されて戦病死した仲間が多かった中にあって命長らえ、サラリーマンとなってからも大過なく職責を果たし、のんびりとした関西で連続30年間を過ごし、10回の転勤、15回の引越しも行く先先で良き職場、良き仲間、良き隣人に恵まれて知見や体験を広めることができた。交通事故も社長以下先輩同僚部下の温情により、早く立ち直ろうとの意欲が湧き、人間の弱さと、その反面人体の自己回復力の素晴らしさを体得し、障害者への思いやりを身を持って感じるようになった。またバブル後の厳しいリストラの影響をまともに受けることも無く、円満に退職できて今日を過ごせていることを思えば、現在までの私は本当に幸せだったの言葉に尽き、ただただ感謝の気持ちで一杯である。このご恩をいささかでも社会のためにお返ししたいとの気持ちはあるものの、交通事故の後遺症、老化現象の合併症か分からぬが、体調が今一つ思わしくないので、踏ん切りが付かぬままに過ぎている現状である。

 

 

  定年退職時の反省・失敗談

                                  深澤龍一(71)

1.生来厚顔無恥な私は退職時の「失敗談」と聞かれても余り思い当たる節がありませんが、長い間の「社宅暮し」に安住してマイホームの手当てが遅れ、退職金の全額を住宅融資の「返済」に充当したのは、全くの不覚でありました。

  購入後20年を経過した現在、退職4年前に購入した建売住宅はガタガタ。騙し騙して応急修理をしながら、家と私とどちらが長持ちするかと目下競争中です。住居の「大修理」は在職中に済まして置く事が肝要ですね。と心に染みる「失敗談」はこれ位しか見当たりませんが、サラリーマン時代に私の元の上司から退職に際しては「ソフト・ランディング」に心掛けよと勧告された事がありました。何故かその言葉が何時も心の何処かに残って、最後の4年間は望んで「常勤監査役」という「閑職」に座り、その間仕事を通して自由気侭に言いたい事を言いしたい事をしてきた事が、その後の豊かな老後に繋がったように思えてなりません。(厳しい今の時代にそんな事は言ってられないとは思いますが・・・)

 

2.この時代に「ワープロ」を勉強して、「ROTUS123」を使って色々な数表を作成して経理の連中に喜ばれ、この時学んだキーボード操作のお陰で、今の「生き生きパソコン人生」へと繋がって新しい素敵な仲間達に巡り合えたと感謝しています。言い換えれば好奇心を以って「新しい事に挑戦する心」を忘れない事です。「ワープロ」も「パソコン」も私にとっては思いも掛けなかった「新しい事」、その気になれば「趣味」は広がり、それにつれて「お付き合い」の場も自然に広がるのではないでしようか?

 

3.会社を辞めると近隣に心易い友がいる事は大変結構な事です。退職直前前に住宅を手にしたお陰で、同時に入居した地域の人との交流を望む近隣者も多くて、当初は自宅を提供してまで団地の「囲碁同好会」に首を突っ込み、押されるままに15年「万年幹事」を勤めています。でもこれは老後の人生に大変役立っており、電話を掛けたら「サンダル履き」でやって来る碁敵に事欠きません。

 

4.一旦親しい仲間が出来ると、そこから違った輪もできて、最近「囲碁同好会」の仲間から「PCサークル」も誕生して、こちらは又女性3人を含めた新しい輪が今急速に広がっています。(発足の経緯上私は「名誉会長」に祭り上げられています)これに味を占めて「囲碁初心者コース」を立ち上げたら、一度に女性2人を含む9名が参加して囲碁同好会も活気がぶり返しています。

 

5.こうしたサークルを通して感じる事は、近隣の方は皆さん「触れ合い」を求めているという事です。20年住んでいても乙に澄まして頭も下げない人は「旦那」さんに多いようですね。近所とのお付き合いは「声を掛け易い人」でありたいと願っています。先日もこんなことがありました。相手は「元デビス・カップ」の日本代表選手。先日ヒョンな事から私がピョコンと頭を下げただけで、数日の後に再び会ったら今迄視線も避けていた「彼」喋るは喋るは、奥さんが用事があるから帰ってきなさいというまでいろんな話をしておりました。

  要するに近所では余り澄まさないで「地」でいく事・・・特にこちらから先に頭を下げたり声を掛けたりすると、相手も案外「人」を求めている事に直ぐ気付くものです。

 

6.他人様からの誘いは出来るだけ受ける事に努めましょう。特に趣味の世界など自由な他人との交流は、一旦断ると次からは声が掛らない事もあります。自分を多少犠牲にしてでも他人との付き合いを大切する事を心得ると、定年後は「監査役時代」よりも数段に忙しいです。

 

7.自分が家内に気兼ねなく自由気ままにやる為には、身の回りの事(「掃除」、「洗濯」、「炊事」)が自分で出来て、半月くらい家内不在でも不自由しない事が大切です。これは老後の「自立」の第一歩、「濡れ落ち葉」の謗りを免れない為にも一番大切な事です。(デパートの食料品売り場は体裁悪くて歩けないとか、スーパーのビニール袋など持つものかという人は、今時いないとは思いますが・・・)

 

8.楽しい人生を送る為には、何よりも「健康第一」。そのためには「自分の体は自分で守る」心掛けが大切です。「腹八分目医者要らず」の諺通りで、もう「煙草」は止めて「酒」は程々。そのために在職中にこそ「人間ドック」のお世話になって、徹底的に体調を調えて健康な「老後生活」に入って下さい。

 

 

  私の体験事例

                                  是松三雄(69)

@ 退職後俳句を始め、独り善がりにならぬよう、学生時代の友人3人と毎月句の交換と選句を楽しんでいます。雑誌「俳句」11月号には私の句が推薦のTOPを飾りました。定年後からでも遅くない趣味でしょう。毎月3回程度のGOLFと年に1回、友人とハワイ・ゴルフ・ツアーを楽しんでいます。

 

A 資格はいろいろ持っていますが、実力は別物、私にとって、役に立つ物はありませんでした。

 

B 定年退職後のプランづくりは特にありません。

 

次に退職後の生活ですが、

 

C 退職直後、ISOの翻訳を頼まれ約1年やりましたが、苦労の割に報酬も少ない仕事で、面倒になりその後は、時折通訳を依頼されています。

 

D 保土ヶ谷国際交流センターと横浜市YOKEの通訳ボランティアをしていますが、懇親会の出席依頼が多く、実務が廻ってくる事は滅多にありません。三菱の人々と違ってここらの方々は組織的な動きが下手です。

 

E 糟糠の妻を伴い、海外旅行に出掛け、その報告をホームページhttp://member.nifty.ne.jp/KOREMI に掲載するのを楽しみにしています。どうぞ覗いて見て下さい。

 

 親は有料老人ホ−ムに居る妻の母以外に居ないので、苦労の少ない、有り難い身分で感謝しております。後は自分の健康とあまり長生したくないと考える日々です。

 

 

  私の体験事例

                                   青野 淳美(71)

(1)定年退職後10年間会社生活を継続できたこと

 

@ 定年退職後会社の斡旋で、系列の総合商社に再就職することが出来た。1946年4月三菱化成に入社して定年まで、一貫して「コークス」と「活性炭」の生産、販売、技術サービス関係の仕事に従事したことが、運も作用して時流に乗り、中国での事業展開まで経験し、10年間も延長して会社生活をエンジョイすることが出来た。この事に満足し且つ感謝している。

 

A 定年の2年前1985年末アメリカから黒船に乗って鋳物用コークスが輸入されて以来、中国コークスの大量輸入等もあって、鋳物用コークス事業は採算面から窮地に追い込まれ、黒崎に次いで小名浜のコークス炉の火が消える状況下、中国現地で起業化した「脱硫、脱硝用活性炭」の生産目途がついた1998年3月会社生活に終止符を打った。

 

(2)退職当時の反省と勉学

 

@ (定年)退職前から、退職後「何をするか」を熟考し、なるべく早い時機にその目標を掲げること。目標が出来たらその目標に向かって必要な諸準備を進めると同時に、出来る範囲内で会社内及び関係会社並びに会社外(特に地域社会)で新たな人脈の輪を広げておくことが肝腎である。

  その事を怠った為に、退職後拘束されない自由な8時間以上の時間を埋めることに苦労した。(1日の生活リズムの切り替えが円滑に出来なかった)加えて話し相手となる親しい友人も少なく、寂しい思いをした。

 

A 仕事を遂行する為にも、退職後の生活を充実させる為にも、勉強は必要だ。会社勤続中から今日まで、1985年に開校した放送大学に在籍し、会社の仕事にも、退職後の生活にも放送大学の勉強は大いに役に立っている。4年間以上在学し、124単位を修得すれば「教養学士」の学位を授与されるが、勉強は学位や資格を取ることが主目的ではない。より生活の充実を得るために為すべきものであると考える。「山も学問も道楽でやらなあかん」(人類学の今西錦司と川喜多二郎の師弟放談より)自分が好む授業を選び、時間に拘泥されずに学ぶことが出来る放送大学は、生涯学習の場として推奨される。クラブ活動としてインターネット研究会にも入会し、新しい若い友達も出来た。そしてダイヤネットワークの入会が、退職後の生活に潤いを持たせていることは勿論である。

 

(3)退職後の生活プランづくり

 

@ 退職後の生活設計の第1に私は「生きがい」を挙げたい。「自立、参加、ケア、自己実現、尊厳」これは、国連 国際高齢者年99のテーマである。このテーマの実現が人生究極の目標であり、その道程が「生きがい」に繋がると考える。この目標に向かって、自らがやりたいことを学び考え苦しまずに行動することだと思う。

 

A 「生きがい」を充足するには、健康でなくてはならない。健康を保持する為に、主治医の指示に従い食事に注意し、土日祝日を除き、散歩と水泳を隔日置きに、実施することを日課としている。

 

B 家計管理は退職後の今も家内任せ、住宅ローンの返済をやっと済ませたが、蓄えはない。病気で寝たきりになったときのことを考えると不安であるが、年金生活以外に経済方策はなく、また贅沢をしなければ、それでやっていけると考えている。

 

 

  私の体験事例

                                 川瀬 清彦(64)

(1)定年時の体験事例

 

  平成7年三菱商事を定年退職するまで、水産物の輸出入販売と事業経営という仕事で、根っからの商社マンでした。それが、退職後消費生活アドバイザーの資格を取ってからは、全く違った分野で社会の皆さんと関わるようになりました。私の人生における二毛作目は、それまでとは全く違った活動を始めことになった訳です。

  [人生80年時代は二毛作で」という考えは、早くから持っていました。しかし、学生時代から水産業界に入ろうと志していましたので、その40年余の分野には色々な思い入れが強かったと思います。したがって、なかなか足を洗う気にはなれず、実際に踏ん切りが出来たのは定年になってからです。すなわち、定年を過ぎてから、二毛作目の「種まき」を始めたことになります。

  40年余もサラリーマンとして同じ業界にいた人間としては、二毛作目の準備はそう簡単ではありません。伝手も故ねもなく、知り合いもいない世界に入るには「資格」を取ってそのネットワークにはいる以外なかった訳ですが、60歳過ぎという年齢は、その資格取得には矢張り「きつかった」と言えます。

  定年後、私のように全く違った「種まき」をしなくても良いかと思います。しかし、何事もアクションは早く起こすべきです。特に、「資格」を取って今までの経験を生かそうと考えている方は、定年前、できれば50歳の前半迄に取るべきです。どんな資格も、早い時機に取れば取得し易く、更に取得時期が早い人の方がその世界でも「幅を利かせる」ことが出来るからです(資格の世界でも先輩・後輩があるようです)。

 

(2)定年後の失敗事例

 

  定年時、いろいろ勉強したことで、その後役立ったこともありますが、それ以上に「しまった」と思うような失敗・反省の事例が沢山あります。その中で、今でも深刻な問題になっているのは、両親の介護の問題です。

  私は、男ばかり4人兄弟の長男で、97歳と88歳の両親を抱えています。この両親は結構丈夫で、昨年までは両親だけで、それこそ二人は「きままに」生活していました。すなわち、私達は近くに住んで食事などいろいろみてきたとはいえ、同居ではなかったのです。

  ところが、今年の正月元旦に母が脳梗塞で倒れ、右半身に後遺症が残って、一気に色々な問題が出てきてしまったのです。それこそ介護の問題から、頑固な父との問題、更には兄弟・家族の問題にまで広がっていました。それがどんな問題なのか、簡単には説明できませんが、大変なことでした。

  これと似たようなことは、先輩の皆さんも経験されたのかもしれませんが、私の場合全く何の準備もなく「介護」に入ってしまったことが、結局「地獄」見るようなことになったのかもしれません。海外生活が長かったとはいえ、両親と同居していれば、いざというときの準備ができたかもしれません。兎も角、病院・リハビリ施設等についての情報もなく、右往左往してしまったことも、色々な問題を増幅してしまった原因のような気がします。

  このように、私の二毛作目は、芽が出かかったところで台風に遇い、流されそうになりました。このような状態が後一年なのか、もっと続くのか判りませんが、何とか種ごと流されないように、頑張っていかねばならないと思っています。

  現在ある協会で、週3日だけ仕事をさせてもらっていますが、その3日間が新しい種を守っている自分の時間であり、救いになっています。

 

 

  私の体験事例                                                                                               早川 元廣(72)

 86年4月 旭硝子、91年6月 関連会社を退職しましたが、何れも何時の間にか来てしまったとの感が深く、もう少し延ばせないかとの実感は拭えませんでした。

 反省としては、退職後に備えての計画性が無かったことがあげられますが、幸いなことに、ほどなく以前からやりたいと考えていたボランテイア活動として地域のフォーラムの世話人と宗教団体(聖書の無料贈呈国際団体)に所属できたこと、また趣味として近くの俳句の会に入会でき、けっこう毎日を退屈せずに過ごせて今日まで多忙に過ぎる(家内談)ぐらい健康で動けることをよろこんでおります。

 また最近では老人ホームに週数時間通って奉仕させていただいております。 忙しい事と動く事の大切さを痛感しております。毎日が日曜日にだけはなりたくないものです。

 

 

  後輩シニアへの提言

                                  大熊  誠(73)

(1)定年退職当時の反省・失敗談

 

  40歳頃発病した「圧迫性脊髄症」には後半生大変悩まされた。だんだんに歩行困難になり、在職最後の15年は、松葉杖を突きながらの勤務であった。

  しばらく、本当の原因が分からなかったが、最近になって、MRIなど検査機械の進歩によって、脊椎菅の狭窄による神経根の圧迫が原因と解った。結局は、30代までの大酒飲み、あぐらをかいての徹夜マージャンなどの不摂生が祟ったものと解った。

  げに、不摂生は、若い頃からすまじきものである。

 

(2)定年退職後今日までの反省と苦労話

 

  近い親戚に、人に大変嫌われている老人がいた。私が定年の頃、既に85歳であったが、某中規模会社の経営者を50年もやっていた。

  頑固で、人の気持ちを察しようとせず、自分の考えのみが正しいとしてもう50歳を過ぎた子息(後継者)の意見を退け、自分が若い頃成功した手法のみがよいとして、時代の変化などを知ろうともしない。部下にも嫌われ、子息を始め周囲の人が困り果てていた。

  私も、定年後、この老人と接触せざるを得ない立場に立たされ、大いに苦労した。そして、この人の例を反面教師とし、自分は歳を取っても、絶対にこのような老人にはなるまいと心に誓ったものである。

 

(3)定年退職後のプラン作り

 

 私もやっと72歳、老人としてはまだまだ若造(?)であり、教訓めい たことをいうほどの者ではないが、これから定年を迎えられる方々には多少お役に立つかもしれないので、ここに「4つの努力」を提唱したい。

 

第1  健康保持の努力

 

 適度の運動、十分の休息をする。暴飲暴食を避け、130品種の食物を摂る。年に1度はドック入り。その他、少しでも体調がおかしければ即刻信頼できる総合病院に行く。血液、尿、便等の検査をなるべく頻繁にやる。仕事も過労に陥らない程度にする。悩み事はなるべく早く解消する。

 

第2  老化しない努力

 

  頭も体の一部であるから、運動、休息、栄養が大事である。知識や情操の高いものに常に触れるようにする。なるべく高尚な本を読む。文章を書く。(日記のようなものだけでなく、人に読ませることを常に意識する。)  家族だけでなく、なるべく多くの人と会話をする。その他、旅行など、新しい体験を大いにする。真善美に触れて感動する機会をなるべく多く持つ。

 睡眠を十分に取る。眠気を逃さず利用する。昼間の居眠りも大いによい。頭に酸素を送るには、糖分の血中濃度を一定以上にするとよいという説もある。糖尿病以外の人は、適度の糖分を摂った方がよいらしい。

 

第3  人に嫌われないようにする努力

 

 老人は嫌われ易い。(自分の気づかぬうちに、異様な体臭を放つこともある。)

 若い時、上司の顔色を窺った経験はたいていの人が持っているであろう。しかし、同僚や目下に気を遣う人は、割合少ない。しかし、特に歳を取ってからは、子供、孫その他目下の者の気持ちを常に察する心掛けが大事である。これをしないと、家族にもだんだん疎外されますよ。(もちろん、すべてのことについて、年下の人に迎合せよという意味ではない。)

 

第4  生き甲斐を作る努力

 

 社会や家族のためになることを積極的にやるのがまず第一の生き甲斐であろう。

 新しい語学の勉強などもよい。私の知人で、60歳でドイツ語、70歳でフランす語の勉強を始めた人もある。また、テレビで外国語の時間は全部見るという人もいた。

 更に、趣味ももちろんよい。俳句、囲碁、謡曲、スポーツ、絵画、音楽、パソコン、旅行等々限りない。若い頃からやっているものは、ますます奥を極められて面白いが、新たに始めるものでも、結構没入している人が多い。

 

 

  定年退職の体験事例

                                   大前安人(73)

 私の場合、現役中情報関係子会社に出向、退任後も顧問更に、友人の会社に請われて、相談役、完全にフリーになつたのが、71歳、今後退任される方とは、環境も違い、あまりお役にたつかどうか判りませんが、気のついたところを記述いたします。

 

1.健康について。

 

 私は43歳の時メニエール病となり、めまいがひどく、入院。少しよくなつて、退院したものの、再発、ますますひどくなり、一時はどうなるのかとまいつておりました。ところが、家内の友達のご主人の医師を紹介され、その治療、家内の献身的な看護に支えられ、何とか今日にいたつております。

 その間の会社側の配慮、同僚友人達の励ましは、感謝、感謝でいまも忘れることが出来ません。いま私は下手なゴルフを続けて、おりますが、これも友人がゴルフをすれば、フラフラが早くよくなるよと、すすめてくれ、(実はこれにより、私の気力に力をつけさせようとの気持ちだつたと思いますが)始めた次第です。

 私の場合ついていたわけですが、良い病院良い先生の的確な情報がなんとかつかめればと思つていますし「専門医がすすめる病院」「セカンドオピニオンをすすめる会」等いくらかでも良い方向にすすんでいる事も聞いておりますので、どうか関心をもつて戴ければと思つています。

 さらに私なりの健康法としてはありふれたことですが次のことを心がけております。(私の場合糖尿病、ただし軽度食事療法のみ)

早期検診。定期に通院しているので、病院のマニュアルどうり食事。過食禁止、なるべくおおくの種類の野菜をとる。出来るだけ歩く。会社OB会、同窓会の歩こう会に参加うちにこもらない。あまり外との付き合いをさけている方に早死にの方がおおい。最近ではテレビ体操をやつている。全身運動で気持ちが良い。

 私自身の事ではないが、私の家内は心臓腎臓が弱いが、医師にすすめられて、水泳をやりだしたところ、ずいぶん元気になつた。

 

2.生きがい、経済

 

 生きがい、今までは社会、会社、家族、のため少しでも役にたつことを、と考えてきました。会社を離れて思うのは、今からでも遅くはないのでしょうが、ゴルフいがい趣味をもつていないのが残念です。皆さんといろいろ話をしていますと、花、野鳥、登山、絵画、謡、囲碁等々夫々楽しんでいらつしゃる。

 実は入社早々謡を薦められ始めていたが、転勤が多く、そのうち仕事の忙しさにかまけて、やめてしまつたのが、悔やまれる。いまのところ鑑賞のみ。

 更に感心しているのは、定年前あるいは直後中国語その他の勉強をし、日本語教師の資格をとり、現地に赴き、日本語を教えている人。更には、技術士等の資格をとり、定年後も活躍している方々。

 これらの方におよぶべくもないが、人はそれぞれ、社会や家族に迷惑をかけず、長年迷惑をかけてきた、家内、友人たちと仲良く、出来る範囲ですこしでも社会の皆様に役立てばと思つている。

 私の場合今のところ、誘われた会合にはなるべく参加、家内、子どもたちとの旅行は、毎年實施している。また、、仕事柄多くの人、社内は勿論,社外のお客様、さらに情報系の方々に接する機会が多く、いまだに細々ではあるが、お付き合い願つている。

 たまたま、会社の同期会でパソコンの勉強をしたいとの話がで、そのなか8名同期外から4名合計12名でスタート、世話人をおおせつかり、なんとか、初期教育終了後ダイヤネツトのお誘いをうけ、このグループに入会することとなり、三菱グループの皆さんとの交流の輪がひろまり大変喜んでいる次第です。というのは、パソコンの進歩はめまぐるしいものがあり、これをサポートする為の勉強会が必要であり、さらにこれをどのように、運営するかの運営委員会がひらかれており、そのどちらにも参加しているので、皆さんの色々なお話が聞けるからです。

 同じ三菱系という事もあり、はじめから、ざつくばらんな話が出来、皆さん多士多才、いろんな方面での造詣も深く、話していて、あきることがありません。特に最近の金融、証券、保険等の世界はグローバル化、自由化、インターネツトの普及等により、従来と異なり,自己責任によるものが大である事、更に情報化の進展は目覚しいものがあり、その方面の勉強をよくされておく事が、必要ではないでしょうか。

 以上思い付くままに記述しましたが、この大変な世の中しつかりした考えをもち今後に処せられます事を期待しております。

 

 

  私の体験談

                                大中 寛(74)

 私の場合は、55才で定年後、引き続き元の会社で嘱託勤務、62才から子会社に就職、67才で退職後は自宅でパソコンソフト関係の仕事を始め現在に至っています。

 一貫して若い頃から従事して来た技術関連の仕事でしたので、定年退職や転職に伴う仕事上の苦労は殆ど経験せず、この点は恵まれていたと思いす。従って反省・失敗談としてご披露するような思い出はありませんが、自分でも良かったと思っていることは、定年後にパソコンと云う趣味?を見つけたことが私のその後の人生の支えになっていることです。

 62才で転職した会社が、設計図面の制作をドラフターからCADに切替えたばかりで、立場上やむなく勉強を始めたのが私にとってパソコンとの出会いでした。CADによる製図から始めて、表計算、データーベースなどを習得し技術計算のマクロなどが自作出来るようになると、パソコンの魅力にすっかり取りつかれてしまい、お陰で67才で退職した後も自宅で開業してパソコンを楽しんでおります一般に「年寄りはパソコンが苦手」と言われていますが、私の場合は最初にCADから入ってマウスの操作に馴れていたところにウインドーズが出現し、キー入力の不慣れから解放されたことと、CAD製図の必要上20インチの大型モニターを使っていることが老化からくる視力の衰えをカバーして呉れているのが、年齢のハンデを感ぜず長続きしている理由と思われ、運が良かったと感謝しています。 

 

 

  退職挨拶状とその後のこと

                                太田  中(73)

拝啓  陽春の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

 さて、私儀去る三月末をもって永年の職を去りました。顧みますと、三菱信託銀行二十五年、跡見学園十五年合わせて満四十年、この間健康で大過なく今日を迎えることができましたのは、偏に皆様のご支援の賜と厚く御礼申し上げます。

 殊に銀行と学校と全く異質の社会を二つながら経験し得ましたことは、一身にして二生を経る(福沢諭吉)の心境には程遠いものの、望外の幸せと感謝しております。

  中略

老後は一極集中の拮抗から脱却して、故郷佐野庄に帰り清閑な日々を送りたい、これは年来の願望でありました。しかし既に長男が帰郷し田園生活に定着しておりますので、一家に二主は不要と感得し、私と妻は東京に留まることにしました。

 もちろん今後も従前に増して帰郷を重ね、郷里の方々に懇親を深めて戴きたいと存じますので、末長いご交際をお願い申し上げます。

 ところで跡見学園と縁の深い原三渓翁(明治元年ー昭和十四年)は人も知る横浜の豪商にして、かつ偉大な趣味人、余暇活用の神様と私の最も尊敬している一人です。にもかかわらず私の趣味の程度は生来の不器用と日ごろの怠惰のため人並みに達しないものばかりですが、能、俳句、碁、将棋、山行、旅行等余生の無聊を支えてくれるのには十分だと思っております。何卒この面でも幅広いご交誼とご指導を賜りたい気持ちで一杯です。

 終の住み処となる此処葛飾野は花菖蒲の水元公園、寅さんの柴又帝釈天、そして矢切の渡し等詩情をそそる所が結構散在していて、私の散歩道にもなってをります。

 どうぞお暇の折、お立ちよりくだされば幸いです。時節柄、一層のご自愛を心からお祈り申し上げ、御礼方々ご挨拶申し上げます。                                                                                          敬具

 平成四年四月

                                                   大田 

  この挨拶状は7年前の退職時に、私が親戚、友人、知人に送ったものです。

 今まで、在職中の度々の転勤や1回目の退職の挨拶は恒例の葉書を用いましたが、その時は種々の制約もあり、不本意でも仕方がなかったのです。言うなれば手紙を出す側も受け取る側も、事務的に事実だけ知らせる、知るだけの関係です。したがって、その反響は数パーセントで簡単な返事をくれるか、電話がかかってくる程度でした。このことに付いては、私以外の方々でも大体同じだろうと思います。

  これに対し今回はなんの制約もなく、心の内を思う通り明かすことができました。対象は500名、その半数ぐらいの方々から何らかの反響を戴きました。その内訳は丁寧な返書、親しい電話、送別会、食事、観劇、旅行、記念品、餞別など多様なご厚意を受け,感激の極みでした。

  しかし、この挨拶状の目的は単に反応のみを期待したのではなく、長年のご交誼、ご支援に対し、深く感謝するのがまず第一です。第二はこれだけプライバシーをさらけ出して人生観を吐露するのですから、相手方も真情を理解してくださると思ったのです。第三には今後の生き方を公表している以上は、誠実に宣告通りに生きていかなくてはならないのですから、私は気持ちに張りができ、生きがいをもつことができました。その時から7年、明言した通りに生きてきて、今オーバーに言えば青春真っ只中といった気持ちで一杯です。

 

 

  体験談

                               中山  典昭(71)

 頭書の件に関し小生の体験、参考になればと思い報告いたします。

 本年7月胃がんの為胃の全摘手術を致し目下ピンピンしております。

 

1.6月始め胃カメラによる検診及び細胞摂取培養検査の結果、噴門(食道から胃に入った直ぐの所)にガン発生を発見

 

2.7月6へ東大第一外科に入院17日まで諸検査(手術に絶えられるかどうかを含め、患部の詳細)

 

3.21日手術

 

4.23日から歩行訓練

 

5.8月11日退院

 

経過

 昨年6月まで相談役として会社に関係していた為、会社としての定期健康診断を受けていた。

 6年くらい前から2年おきに嫌々ながらも胃カメラを飲まされ、軽い胃炎と診断され、2年前から胃腸薬(ガスター)を服用。昨年4月胃炎が良くならないので、念のため細胞摂取。培養試験の結果はシロなるも、念のため今後は半年置きに胃カメラによる検診12月の検診はOK

 4月三ヶ所の細胞が採れたので再度培養試験、内一ヶ所にガン細胞発見、噴門近く(胃の上部)で見つけにくく、摂取も中々難しい所でやっと採れたと6月13日から予定の北欧旅行はOKしてもらったが、ひょっとするとこれが夫婦揃って最後の海外旅行かと観念して出かけた。6月23日帰国後は上記。

 

反省と問題点

 たまたま継続的に胃カメラを飲まされていた(当時はそう思っていた)のが結果的に早期発見につながったことになります。早期ガンの為大事には至らなかったと思う。これが2−3年後だったら大変でしたと主治医の談(病理の最終結果はまだ聞いていないので安心は出来ませんが)。

 定期的な健康診断は絶対受けねばならないとあらためて痛感。

 会社と関係なくなたときどうするか・・・老人健康診断をやってくれる地方行政関係の保険医に定期的に通うか?その時に胃カメラまでやってくれるか?

 今回発見してくれた三菱診療所(電気ビル2F)がこれからも使えるのか(小生は本年6月まで診療所に通院可能です。6月以降が問題)

 胃の検査はバリウムが良いのか胃カメラが良いのか、出来れば6ヶ月置きの胃カメラが早く確実と私は思いますがどこでやるかが問題。

 先生により発見の可否が違うので多分に運もあるのではないかと思います。(小生は診療所胃カメラ専任の清水先生・・・若いが良く見つけていると聞く、たまたま同室になった患者も清水先生に見つけてもらったと言っていた)要は早期発見、早期治療がガン撲滅の最短距離でしょう。

 くどくなりますが定期的に信用の置ける医師で検査を受けることです。(結果が出るまでの心境はたとえようの無い嫌なものですが)

 

 

  定年退職の体験事例

                                  東 鶴保(66)

 今年は1月〜2月にかけて殊のほか多忙を極めました。その殆どがダイヤ財団絡み、なかでもパソコン絡みが大半でした。ダイヤネットワーク運営委員会、ダイヤかながわ交流会運営委員会、百寿の会(交流会の福祉部会で藤沢10Km圏内の医療福祉施設マップ作成を手がけた)、囲碁会、ハッピーライフ研究会、DOCOKAI等々への出席、DOS会(小田急線友会)開催の準備と開催、また明生OBに対する初心者向けパソコン教室のお手伝い、幼児向けパソコン教室開設準備のお手伝いなどそれに甥の結婚式に九州への帰省が重なり、合間をぬって会社へ出社しての仕事と息の抜けぬ日々でしたが、振り返ってみると大変充実した毎日でした。

 それにしてもダイヤ財団でパソコンを習ったことがこれほど大きな[生きがい」になるとは思ってもおりませんでした。本当に感謝しています。

 

1.「生きがい」

 パソコンが何と言っても今は生きがいの柱です。習うきっかけは、62歳で明生を辞めるに当たって二つのことをやる決心をしました。

 一つは退職挨拶状を今まで一度もやったことのないワープロで打って出すことともう一つは囲碁を習うことでした。

 ワープロについては、息子の持っているもので手引書を中心に息子にアドバイスを受けながら、また補習のつもりで老人福祉センターの講習会に参加してレベルアップを図り、ワープロでの退職挨拶状発信を実現しました。それがたまたまダイヤ財団のパソコン通信教育に参加するきっかけにもなった訳です。

 囲碁については、やはり老人福祉センターでの毎週1回6ヶ月間の講座を受講して修得し、現在下手ながらDOS会囲碁会のメンバーの方に教えを受けながら運営のお世話をしています。また月1回会社同期の囲碁会にも参加しています。

 「生きがい」を求めるには挑戦する気持ちを持つことお思います。

 

2.「経済」

 紺屋の白袴ではありませんが、現在掛けている保険について死亡時の給付にウエイトをおきすぎ入院時等の給付が少ないことを痛感しています。在職中は死亡に、退職後とくに子供さんが自立されていれば入院等にウエイトをおいたものに変更されることを定年前に充分検討されるようお勧めします。

 

3.「健康」

 テレビ体操をお勧めします。飯沼さんがご推奨されていましたが、小生も1年半前から始めていますが、持病の腰痛も軽くなり朝から体調がよいようです。また毎朝6時過ぎに起き規則正しい生活も出来ます。

 

 

  定年退職前後の心構え

                                 藤本 秀夫(71)

 (1) 退職時の失敗談と反省

 退職時の失敗談や反省や苦労話といっても取り立てて言う程のことはありませんが、二/三感じたことをご返事したいと思います。

 

1)技術を持っていない者は、会社の看板が無くなって、裸の身であることを肝に命じて置くこと。

  世間では自分を高く売れなどとよく言う。極端に卑屈になる必要はないが心すべきであろう。

 

2)再就職の甘い話には、裏があることを覚悟すべきである。

  充分内容を検討し、先輩などの意見を聞いて決心すべきと思う。

 

3)再就職期間も2年、5年、それ以上か自分の生活設計とあわせて考えておく必要がある。

 

 以上の三つのことを前提として、身の周りであったことを述べたい。(1980年頃のこと)

  多くの場合、再就職先はこちらの出身企業とのコネや顔を利用して、業務の拡大を期待しているのであり、そんな事は長くは続かない。そうなれば居辛くなる。それで終わりである。再就職先の経営者が見込んでくれて採用されても、その仁が居なくなれば、多くの場合お払い箱である。

 こんなことを考えながら、再就職先を探していた折り、出身企業とは全く異なる業態の教育関係の企業から誘いがあった。一流の大学受験予備校の金庫番の話で、年収1500万円以上、出退勤自由(逆にいえば、土日祭日なし)、往復お車つきというのである。こんなうまい話がある筈がないと思ったが、早速実状を調べたところ、条件にうそは無くその通りだが、講師の給与がバラバラでこれを見直し、支払いの基準もないので作ってほしいしと言う。金庫番といえば格好がよいが、経営者は非常勤、経営も見てほしいと言う。塾であれば、夜や土日が忙しいのは当然である。第2の人生を教育という場で世間にご恩返しが出来ると思ったが、経営者も高齢であり、相談相手もないので、お断りした。もし勤めていれば、自分の自由になる時間も持てず、健康も維持出来なかったかも知れない。金銭的には多少余裕が出来たであろうが悔やむこととなっただろう。

 これと平行してチョット興味のある話があった。中規模の運送業者で、トラックが約50台あり、これの運行システムの構築を主とした仕事である。こちらも年収1500円保証(その会社の経営者と同水準)通勤が大変なら宿舎無償提供すると言う。こちらも実状調査したところ、勤務地が所沢で、運転手の宿舎とセンターがあり、休祭日もなく、24時間運行しており、運転手は三日勤務の一日休みといった変則で、車両は毎日動いており、センターに帰ってくるのは夜中である。これを運行管理するとなれば、体の休まる暇もないと思い、システム構築には大変興味があったが、お断りした。

  この仕事には後で、小生のよく知っている仁が就職したが、システム構築の検討の前に(再就職後三ヶ月)辞めてしまった。

 いずれにしても、大企業の組織の中で育った私たちは、中小企業や団体の中で複数の業務を時間を気にせず働くことは非常に難しいことだと思う。

 

(2) 退職時の体験

 偶々日経の8日朝刊に「財形離れに拍車」の記事を見て次のことをメールする気なりました。

 

財形の活用:

 サラリーマンの財産づくりを促す目的で1971年(昭和46年)に勤労者財産形成制度が創設され、毎月の給与から天引きの形で資産を蓄えていく制度で、預け入れ額の使途を限らない財形貯蓄、老後所得を蓄える財形年金、持ち家取得を目的とした財形住宅の三つがある。

  いずれも、非課税限度額(当初300万円現在550万円)もあり、預金利率も比較的によいが、預金の使途が一部限られている。しかしながら、定年退職は通常60歳であり、退職後は現役中の未納地方税の支払いや、現役時代の収入に基づく地方税や健康保険料の支払いもある。一方再就職しても通常は相当な減収となる。  また、厚生年金の満額を受け取るのは、65歳からであり、60歳から受け取るには収入の制限や減額という問題がある。

  自分の努力で老後の為に積み立てておければ、理想的であるが、難しいと思う。

  この制度を小生が利用出来るようになったのは大分後のことで、1980年の11月に財形年金に加入し、月1万円ボーナス月はこの他10万円からはじめ途中から月2万円ボーナス月20万円で続けた。

  その結果途中で非課税限度(当時500万円)を超えたが超えたものは財形課税口として預金していった。

  当時58歳定年であったが、幸い仔会社に再就職し同制度の継続が可能で61歳の7月まで続けた。おかげで62歳の誕生日の翌月から5年間で3ケ月に一回の割りで23万円強が預金に振り込まれた。(当時年金は2ケ月に1回支払われていたが、財形を始めた頃は3ケ月に1回でこれで財形を契約したため。)

  再就職による収入の大幅ダウンなどを67歳まで若干補ってくれ本当に助かった記憶があります。

  現役の時代は定年退職後の生活のことは考えにくいと思いますが、天引きで出来る財形の活用を現役の中高齢者の後輩にお薦めしたい。

 

 

  定年退職体験談

                                             八木 真之助(65)

 私は平成116月に三菱マテリアル子会社の現役を引退して、相談役という肩書きはついておりますが、実質定年退職者の生活に入りました。本年7月で満65歳に到達して8月より年金を受領しておりますそんな訳で定年退職者のほやほや新人と言ったところです私自身退職に際して色々悩みましたそして諸先輩のご意見を沢山拝聴してきました。退職後の身の処し方について未だに試行錯誤で、はっきりとした方針を確立しておりませんが、この機会に思考の纏めをして見たいと思います

 人間誰しも幾つかの趣味を持っていることと思います私は中でも陶芸、園芸に興味を持ち50歳頃より気の向くままに教室や愛好会に参加して見聞や知識を吸収してきました別に退職後の生活設計を考えていた訳ではありませんが趣味と言うものは人間の心を豊かにしてくれ生活に潤いを与えてくれます。

 退職後は好きな趣味を気の向くままにやってのんびり人生を楽しみたいと考えておりました。ところが仕事人間になっているサラリーマンは、なかなかそうはいきません趣味は仕事あっての趣味であり、余暇の楽しみ方でしかありません。毎日出勤する必要がなくなると、はたと困ってしまうものである。

 出勤する必要も無いのに、その時間になると落ち着かない。先輩の体験談でも良くそんなお話を聞く今まさに私の置かれている状況がこれに符合する。

 シニア新人としては、毎日を楽しく、生甲斐を持って送る方法を模索中である一日を短く感じる、翌日が待ちどうしく感じるそんな生活をしたいものである。とかく定年退職者は自宅に引きこもり、外部との接触が少なくなりがちである世間と離れがちになる。これが益々内向的になる基であろう

 最近は人生80年と言われる時代である。定年退職後の人生は15年〜20年を如何に楽しく有意義に送るかと言うことであるその為には広い世間に出て無限に広かる世界の中で生甲斐を見つけることが大切であろう。最近つくずく感じることは趣味は趣味であり、それだけでは人生の生甲斐を感じることは出来ないのではないか?

 何か世のため,人のために役立っていると言う自負心,世の中での自分の存在価値を示すものが必要であろう 然らばどうしたら良いか?自問自答するが,行き着くところは悠悠自適、気ままに,のんびり生きることが最良かと言う結論に帰着する世のため,人のためなどと言うたいそうな心は忘れることが肝要であろう時間と暇と金は皆さん十二分に持ち合わせている。後は心の持ちようだけである。なんとも締らない結末となりましたが、シニア新人ですのでご勘弁の程

 

 

  退職前後のことと後輩への提言

                                 巖 隆吉(75)

  これから退職されるお方と私たちとは、世の中の環境が大きく異なりますのでこれから私の申し上げることが、後輩にとっては必ずしも参考にならない面もありましょうが、この際当時思ったことや現在気づいていることを、下記の通り申し述べます。

 

@  退職前後実行したこと

  現在の厳しいリストラ時代の後輩の厳しさは想像に絶すると思います。私は、一応満70才まで仕事をしていましたので恵まれました。

  それでも会社に出掛けなくなります空白時代を迎えますと切ない思いをしたものです。

  それを埋めあわせるために何をすべきか?ということに尽きました。

 

イ.先ず会社員生活者最大の弱点は、自分が住んでいる地域に弱いことです。

  そこで、取り敢えずは地域の行事のまちづくり、八ヶ岳への小旅行、市民農園に参加して地域の実状を出来るだけ知るように務めました。−この流れは現在も続いておりまして、現在も地域の環境を守る会(現在は主として道路問題)のお世話もしています。

 

ロ.次は趣味の問題ですが、家内が勝手にNHKの絵の会に手続きをして入会させてくれました。その絵の会は当然のことながら、風景、静物、ヌードの写生を週1回行います。この仲間は年齢差も大きく、また活発なご婦人も多く全く異質な交流となりました。−現在も絵の方の上達は無理ですが交流の輪は広がっています。

 

ハ.ダイヤ高齢社会研究財団からの勧誘もあり、そのモニターを務めました。

  そのモニター活動で色々と高齢者の取り組み方で大いに啓蒙されました。丁度その頃、家内の母が長い間入院加療中でしたので、週1回食事の介護等の手伝いをしていました。このことにより、私自身の高齢社会の認識も新たにすることが出来ました。−現在財団としてはDAA(ダイヤ、アクテイブ、エイジング)制度を今年から始めています。それは今までのモニターが調査研究に主眼をおいていたのが、今度は実践を主とする活動ですがその会員になって、いよいよ活動を開始しかけています。

 

ニ.その財団の試みで「高齢者のパソコン研修」に参加しました。、当初はとてもついて行けないと思っていましたが、時間の経過とともに慣れて、今では、それから出発した色々な小グループを含めたダイヤネットの会の中で交流の輪を広げています。このパソコン研修は自分の挑戦性を助長し、しかもつまらないプライドを捨てることが出来非常に良かったと今でも痛感しています。ー一世話人として、現在は過去約4年間そのダイヤネットワークで討議したことをライブラリーに登録中。追って公開の見込み。

 

ホ.健康のため、ラジオ体操の実施と出来るだけ歩くことにしています。三鷹市で「1千万歩歩こう」という会にも参加して約3年かけてクリアーしました。その後パソコン仲間で「東海道53次を歩く」ことになり2〜3人で手分けしてほぼ全宿場を歩き、漸く後2〜3宿を残すのみまで漕ぎつけました。−この12月1日には有志で大津から京の三條大橋までを歩き打ち上げの計画になっています。

 

へ.さらに、会社や軍関係等出来るだけの会合に出て新しい空気を吸うことにしています。と同時にその幹事も差し支えない範囲で引き受けています。ー現在も記念文集や戦死者記録等の編集で多少お役に立つべく努力しているところです。

 

A  後輩の皆さんに対する提言

  ここまで書いて来ますと、いささか自己宣伝にもなりかねませんが、率直にこの5年間のすべてのことを申し述べることにより後輩の皆さんが多少なりとご参考になればと思っているところです。

  この中から私の提言も或いはお汲み取り出来ると思いますが、念のため下記の通りまとめてみました。

 

イ.先ずは「社会参加」を住んでいるところのことを良く研究してください。これからの高齢社会では特に大事と思います。

  例えば三鷹市は情報化都市宣言をしていまして、SOHOによるベンチャー企業を育成していますので、自分にその意志があればベンチャー企業もおこせましょうし、コンサルタントとしての協力も可能と思います。

  その点では何時の時代でも何か「腕」を持つことは大事でしょう。

 

ロ.情報化社会に遅れないこと

  日本の65才以上のパソコン普及率は僅か1%とか。これからの情報化高齢化社会では高齢者もパソコンは必須でしょう。幸い後輩はパソコンにしんだ時代で過ごしているので先ずはそのパソコンを駆使しての仕事なり趣味を持つのも一案ではないでしょうか。

  ダイヤネットのメンバーでボランテイアを含めた技術翻訳のホームページを掲載されているお方はその先駆者と思い敬服しています。

 

ハ.何か趣味を今更言っても遅いということもありましょうが若い時から何か趣味を持つことが大事と思います。そこでこれならやれそうだということをノルマ化して実行することだとも思います。

 

ニ.極力人のお世話をこれは、言うのはたやすいのですが難しいことです。

  しかし、これからの高齢者は何れ 社会のお世話になりますので、元気な内には極力手近のところから社会貢献したいものです。それがまた同時に、交流を広げることになります。

 

ホ.健康管理を元気でなければ何も出来ないし寝たきりになると社会にも負担をかけます。そこで、出来るだけ歩くようにして元気で絶えず前向きで挑戦出来る「生き甲斐」のある生活をお互いが協力して続けましょう。その点では当然のことながら、健康維持こそが最大の課題でしょう。

 

 

 

(資料)

 

資料1:医者がすすめる専門病院他

 日本における病院の実態は、あまり知られてなく、誤診看護ミス等病院側にも色々な言い分はあるとは思うものの、多くの方々が不安を抱えておられることと思います。これを少しでも減らす目的の本をご紹介致します また誤診による手術等を防ぎその最適治療法を選択するお手伝いがすこしでもできたらという趣旨から「セカンド・オピニオンをすすめる会」が出来たこともあわせてお知らせ致します

 本件生命に関わる大事な事なので、いろいろな、角度で確認をする必要はあるとは、思いますが、すこしでも役にたてばの意味でご紹介致します。

                             

「医者がすすめる専門病院」

  発行所 (株)ライフ企画

  〒465ー0048名古屋市名東区富士見が丘7藤  が丘第2朝日ビル

  TEL052(775)3120

  FAX052(775)4727

  東京都版                     2940円

  東海版                       2940円

  神奈川県版                   2447円

  埼玉・千葉・茨城県版         2854円

  関西版                       2940円

  中国・四国版                 2860円

  九州・沖縄県版               3262円

                                  (税込)

 東京都版の初版は平成6年に発行されたが、情報が古くなつたので、この程全面的に改訂。改訂にあたつては、専門医に対するアンケートを最初から取りなをしをした。

 そのアンケートは、「ご自分やご家族が重い病気にかかつた時、かかる科はどこですか」というもので、回答していただいたのは、東京都内の専門医182人です。選出されたのは、都内202病院、862科、になる。その科を38のジャンルに分類し「スタツフ」「特色」[症例数・治療・成績」医療設備」外来診療」「医師略歴」を紹介。がんの治療では、成績(5年生存率)、心臓病では手術死亡率まで紹介している。

 また、インターネツトでも情報が得られるようにホームページをも収録しているが、現時点ではそれほど多くはない。

本書の利用法

(1)ホームドクターを持つていない場合

 自己診断をして、本書の紹介に大病院に直接出向かないように。体に異常を覚えたときは、近くの開業医か病院で一次治療を受け、それでも原因が判らなかつたり,長いあいだ、症状がとれなかつた場合に活用

(2)ホームドクターを持つている場合

 ホームドクターの紹介は多くは人脈といわれている。本書は、その不足部分の穴埋め。ホームドクターと共同で活用を。

 

「セカンド・オピニオンを推進させる会」のお知らせ。本書の終わりのページに書いてある。

 具体的には、最初に受診したA医師から、検査データを借りて、別の病院のB医師に診断してもらい、治療について、意見を聞くことをいう。米国では誰もがしつているほど定着しているが、日本ではほとんど普及していない。

 誤診を防ぎ、その最適療法を選択するお手伝いが少しでも出来たらという趣旨で1998年6月に設立された。

(対象疾患)

 全領域。ただ申込すべての人ではなく、明らかにセカンドオピニオンを必要とする人に限定。微妙な場合は、専門家に判定を依頼する。

(セカンドオピニオン医師数)

 1992年2月現在390人

(申込方法)

 電話で条件にあつているかを、お聞きしてあつている方に限り、申込書を送付する、(紹介料)6000円

(セカンド・オピニオンを推進させる会)

  代表者   中村 康生(本書編集者)

  TEL   052(760)0868

  FAX   052(775)4727

  ホームページ

      http://MediaZone.tcp-net.ad.jp/Life

  Eメール      life-so@tcp-ip.or.jp

 

 この本は市の図書館で見つけたのですが(但し旧版)、近くの本屋で新版を売つていましたので買い求めたものです。

                                  報告者 大前

 

資料2:シニアの特典

 「シニアの特典」:知っているつもりで意外と知らないシニア(60歳以上の人に新しいイ  メージを託した呼称)への行政、民間組織の応援の知識(東京、神奈川、埼玉、千葉の範囲内の施設、催し、サービス等に見る特典)入門書、A556頁、昨年8月商品科学研究所で世にだしたら2ケ月で第4刷にもなった。

内容 part1 生活を豊かにするサービス

    1,社会参加 2,学ぶ 3,スポーツ

    4,教養娯楽 5,旅行

   part2 生活を支える制度やサービス

    1,医療と福祉 2,お金のこと 3,住まい

    4,就労 5,相談窓口 

 以上多種多様に渉って紹介されておりそれぞれ問い合わせ出来る様に担当部署、電話番号が記されている。

この本の購入について

 セゾン総合研究所

  電話03−3942ー8551

  〒112−0013

  東京都文京区音羽2−10ー2音羽NSビル8階

へ請求し、本到着とひきかえに本代金300円、送料160円合計460円を郵便振替口座 口座名セゾン総合研究所

  口座番号 00190ー9ー47378へ振り込む。(振込手数料70円は当然注文者持ち)

                                                 報告者 五島

 

資料3:シルバーパスの利用

 頭書の件取り敢えず東京都についてお知らせ致します。

(1)目的

  70歳以上の都民の積極的な社会参加のため、東京都が都営交通機関や公営民営のバス に補償し、その利用ができるパスを交付

(2)使用出来る期間

  10月1日から翌年9月30日まで

(3)使用出来る方

  このシルバーパスに記入されている方のみ

(4)都営地下鉄利用

  三田線(西高島平ー三田)

    浅草線(押上ー西馬込)

    新宿線(新宿−本八幡)

    12号線(新宿ー光が丘)

   私鉄と相互乗り入れで区間外利用の場合所定運賃を支払う。

  営団地下鉄は利用出来ない。

  バスの場合 東京都内のみ利用出来る

(5)同伴幼児(1才未満,但し八丈町営バスは3歳)無料

  また1歳以上6歳未満の場合は2人(東海汽船バスは1人)まで無料。

)介護人を要する場合、シルバーパスに印をもらい提示、介護人の運賃は半額(又は子供料金)となる。

(7)利用出来ない運行系統

  各社共通

  深夜バス 2階建バス  快速バス  高速バス 定期観光バス 自治体コミュニテイバス  季節臨時運行バス

 

 以上ですが所得が一定の基準額以下の方は無料で、それを超える方は一定額を支払って利用出来る

 

付記

 保谷市の場合交付は有資格者になると市から葉書で申請の有無の照会があり希望の返事を出すと市で所得額を調べ9月中に基準額以下の人には直接パスを送付、基準額を超える人には納付額の連絡あり2万円程度支払う事で交付を受けられる

 一部の区では民生委員を通じて交付する所もあるとのこと。

 他の関東各県も調査中だが、いま判明しているのは、神奈川県の横浜川崎市が所得制限なしで交付され当該市のみ通用とのこと。

 また、せつかくの特典なので有効に利用したいのだが地下鉄はとにかく(といつても12号線は意外とご存じない方もある)バス路線時間等がよく判らないのが残念。(但し都営バスについては権藤さんに案内書を戴いたので活用したい。なんでも丸の内中央郵便局前の案内所でくれるそうです。)

 以上ですが上記につき,付け加える事があれば宜しくお願いいたします。

                                          報告者   大前

 

 大前さんからのご報告に蛇足を加えますが、私はこのサービスをフルにエンジョイしていますので、その利用法についてお知らせします。

 

1.シルバーパスはある程度の収入があると、20,510円を支払わないと交付されません。私は毎週1回コーラスに出席するために吉祥寺まで西武バスを利用していますが、バス運賃片道210円ですから、

  210円×2(往復)×50(週/年)=21,000円

で完全にモトがとれます。(帰りのバスで時々村瀬さんや巌さんと一緒になったりします)。

 

2.新宿に用事がある時は練馬から都営地下鉄12号線を利用します。この新宿駅は京王新線/都営地下鉄新宿線の新宿駅の下で地下7Fと深いところにありますが、都営新宿線への乗換は比較的楽なので、市ヶ谷、神保町などへはそのままシルバーパスで行けます。また神保町で三田線に乗り換えれば大手町、日比谷などへもそれほど面倒はありません。

 財団へ行くときは池袋から文京区役所行きの都営バス(都02乙)に乗って、途中で錦糸町行き(都02)に乗り継いで本郷三丁目で下ります。また東京駅や神保町付近からは荒川土手行き(東43)を利用して本郷2丁目で下りると財団は目と鼻です。

 帰りには阿佐ヶ谷か荻窪から長久保行きの西武バスを利用すると、わが家のすぐ近くにバス停があってこれも便利です。

 とにかく、JR、私鉄、営団地下鉄は仕方がないとしても、その他はできるだけシルバーパスのご厄介になることを考えていますが、金額換算でどれくらい得になっているかは勘定したことはありません。

 

3.これらのバスを利用するためには情報が必要です。大前さんからご紹介のあった「都バス路線案内」は都バスの回数券売り場や案内所で無料で貰えます。所によっては少し古いものしか置いてないことがありますが、中央郵便局前の売り場はいつも最新の都バス案内を置いているので安心です。

 路線地図を見てもなかなかよくは判りませんが、しかしこの地図が唯一の頼りです。運転間隔はマチマチですが、系統番号が「都○○」となっているものは大体4〜5分から10分間隔で来ますから利用する価値が有ります。

 都01 渋谷−六本木−新橋

 都02 大塚−本郷−錦糸町

 都03 新宿西口−日比谷−晴海埠頭

 都04、05   東京駅南口−豊海水産埠頭、晴海埠頭

 都06 渋谷−古川橋−新橋

 都07 錦糸町−東陽町−門前仲町

 都08 錦糸町−押上−日暮里

 その他にも間隔10分以内の路線はかなりあり、路線案内に表示されていますので参考になります。

 その他の私鉄系のバスは大変です。東京バス協会が発行している「東京都内乗合バス・ルートあんない」というのが950円で駅の売店や書店で買えます。総合的なバス路線案内地図はこれしかないのではないでしょうか。それにしても随分複雑で判りにくい地図ですが、都バス、私鉄バスを含めて全部の路線バスが収録されているようです。大体私鉄の沿線毎に地域分類されていて、主要駅前でのバスのりばの位置と、行先・経由地・運転間隔などを頼りに探します。ただ、この案内地図だけでは結局判らなくて、普通の地図(特にバス路線が表示されているもの)と見比べながら確認しないと駄目です。

 以上、シルバーパスの利用法です。ご参考になれば幸いです。

 

資料4:朝日メイト

 安く誰でも入会できる15年の歴史をもった会員制サークル私も入って便利に利用している。

 

特典

1.ガイドブック「WALK]年1回(但し入会すると直ちに)割 引で利用できる40種目1700ヶ所の商店、施設が記載特 典掲載の情報誌、63頁お札をのばした位の大きさ。

 会員証提示の利用が多い。但し私が使ったワシントンホテルは朝日友の会へ直に申し込み10%引きの利用券を貰うことになっていた。

 

2.会報「PASS]春夏秋冬年4回送ってくる、カラーB4判1 6頁の情報紙、コンサート・ステージの情報チケットは割引料金で購入できる朝日新聞社主催の美術展や展覧会は申し込むと招待券を送ってくる。首都圏有名遊園地等のレジヤー施設の招待券は申し込むと送ってくる。カルチャー、旅行は割引料金で参加でき又映画上映会の招待もある。その他通信販売の案内等が紙面を飾っている。

 申し込み方法他

 TEL03−3545−9348

 〒104ー8665東京京橋郵便局私書箱172朝日友の会

 入会係へ電話して入会案内を送付して貰いその用紙に付いている払い込み取り扱い票に入会申し込み必要事項、金額( 1年会費1200円、3年会費2800円どちらか決め)を書き込み口座番号00150ー5ー67914朝日友の会事務局へふりこむ。

                                  発表者 五島

 

資料5:ないすらいふの会

 「ないすらいふの会」は、より充実した生きがいのある楽しい人生を送つていただくことを願って創られた会です。後述する社団法人 中高年齢者福祉管理協会により、1975年に創立、レジャー旅行健康等についての数多くの特典や情報を提供し、15万人に及ぶ会員に喜ばれている。三菱各社10数社も既に賛助会員になっています。私も昨年末に入会しましたがご存じない方もおられるようなので、ご紹介致します。

 

特典

1.入会者全員に「ないすらいふガイド」を進呈

 

2.会報誌NAICE LIFE]を年一回配布

 

3.一人の入会で同居家族全員が利用出来る

 

4.年令に関係なく入会出来る。

 

5.ライフプラン(生きがいずくり、経済、健康)に関する情報を掲載

 

(いきがいプラン)

1.旅行レジャーに手軽で安価な宿泊施設約600

  (普通では利用困難な官公庁共済組合や大手企業健保などの宿泊施設利用可能また一部のホテル旅館の宿泊割引なども含む。)

 

2.レンタカーの割引 1800ヵ所(基本料金の20ー47%)

 

3.カルチャー講座等の割引(朝日カルチャーセンター・NHK文化センター講座の入会金が割引または免除、趣味、生きがいずくりに最適。また社労士、マイライフプラン等26の通信講座が割引)

 

4.海外旅行の割引参加(ベストワールド社)

 

(健康プラン)

1.半日人間ドックの特約受診12ケ所

 

2.継続会員にはヘルスブツクレツトをプレゼント

  その他ないすらいふ講演会の無料参加やないすらいふ相談室の利用等

 

(経済プラン)

1.車検整備の割引 (提携整備工場で10%引きで安心利用)

 

2.結婚式場の割引き

 

3.その他 暮らしの財産にかかわる相談は、特約金融機関のないすらいふ相談コーナーで。またDCカードから会費の自動引き落としも出来る。)

 

入会方法

1.申込、問い合わせ先 

   本部事務局  東京都港区新橋4ー29ー6 寺田ビル

  TEL03ー3432ー6381

 

2.入会費  500円  会員会社の方あるいは65歳以上の方は免除(要確認)

 

3.会費   3500円 (2年間有効)

 

.入会方法

 申込の際の記入事項は氏名年令住所電話番号職業(又は勤務先)

  申込後約3週間程で「会員証」・保養宿泊施設等の利用特典等を満載した「ないすらいふガイド」会報誌がお手元に届けられます

 

社団法人 中高年高齢者雇用福祉協会

  設立年月日     昭和48年11月30日(労働省認可)

 会長             文兵衛

 基本財源       入会金会費寄付金

 会員数         会社労働組合・厚生年金基金など

                 賛助会員数370

 (平成7年度末)「ないすらいふの会」個人会員45250名 主な事業

  1広報啓発(会員の普及講演会研究会・出版物)

    2調査研究 PREP経営研究所・国内外実態調査)

    PREP研修(退職準備および生涯生活設計研修・

   ミドル研修)

    4雇用就労開発(エプサ教育・就労開発)

    5無料職業紹介(首都圏中高年令者を対象)

 地方事務所  大阪他5都市

 職員数      47

 研究所員数  136名

                                       報告者 大前

 

資料6:日本レクリエーション協会

 みなさんのレクリエーションにお役に立つ情報が得られるのではないかということで訪問しましたので、その概略を下記にご報告します。

                          記

1.名称:(財)日本レクリエーション協会

 

2.場所:千代田区三崎町2ー20ー7水道橋西口会館6F

    TEL 03ー3265ー1241

 

3.沿革:1938年設立された日本厚生協会が母体となり、1948年に財団法人日本レクリエーション協会が結成され今日に至る。

 

4.目的:国民の余暇生活を開発・充実させるため、レクリエーションの総合的な普及振興及びレクリエーションに関する活動を行う他の団体に対する支援を行うとともに、レクリエーションに関する国際交流の推進を図り、もって国民の心身の健全な発達と明るく豊かな国民生活の形成に資することを目的としている。

 

5.事業:

 ア、レクリエーションの総合的な普及振興を図る。

 イ、加盟団体の組織の強化及び発展のための支援と相互の連絡協調を図る。

 ウ、レクリエーションに関する諸団体との連携を図る。

 エ、レクリエーションに関する全国大会を開催する。

 オ、レクリエーションに関する国際的事業の実施及び交流等を行う。

 カ、レクリエーションに関する指導者を養成し、その資格を認定する。

 キ、レクリエーションに関する調査研究をする。

 ク、レクリエーションに関する施設、資材及び用具の調査・研究及び開発をする。

 ケ、レクリエーションに関する広報及び啓発を行う。

 コ、その他、前条の目的を達成するために必要な事業

 

6.組織:名誉総裁(三笠宮崇仁親王殿下,総裁も兼ねる)、会長(坪内 嘉雄)以下副会長や理事等30数名、会員制度で、賛助会員(主に法人)協力会員(主にスポーツ団体や地方団体等)個人会員(左記法人や団体に所属しスポーツに知識経験を有する者)から成っている。

 

7.資格:下記の資格認定を行っている。

 ア、レクリエーション・インストラクター

 イ、レクリエーション・コーディネーター

 ウ、余暇生活相談員

 エ、余暇生活開発士

 オ、福祉レクリエーション・ワーカー

 カ、グループレクリエーション・ワーカー

 

8.広報:ア、「余暇生活・レクリエーション相談所」の開設

 (余暇の過ごし方、定年後の生活などについて電話による相談を受け付けている。毎週月・木曜日の12:0016:00TEL 03-3265-1454

 イ、月刊誌「REC}とレク関連書籍の出版

 ウ、「インターネット・ホームページ」の開設

  大人と子どもの遊びのページとして11月に新設。これに伴いパソコン通信PRINは閉鎖。

  アドレスは  http://www.recreation.or.jp

                                   報告者 東

 

資料7:初心者向けパソコン教育

 

 去る11月18日 ダイヤ財団の高齢社会リサーチモニター制度に参加しているモニターの方々による「高齢社会リサーチモニター交流会」が開催されました。

 この席上、常務理事よりダイヤネットワークが紹介され、モニターでダイヤネットワーク会員が20名参加していたこともあり、モニターの方々には当ネットワークを良くご理解いただいたものと思います。また、参加したモニターの方々に「パソコン通信技術習得」についてご希望を伺ったところ、10名からパソコン教室紹介希望がありました。この方々には財団から直接ご案内の手紙をお送りすることを考えていますが、ダイヤネットワークの皆様のお近くにパソコン通信技術習得希望者がいらっしゃいましたら以下ご紹介下さい。

 なお、ご紹介する「パソコン教室」は、ダイヤネットワーク会員のご協力を得て、特に、ダイヤネットワークに入会希望者に便宜を図っていただけるよう配慮いただいているものです。

 

1.株式会社 エム・アンド・イーシステムズが実施するパソコン教室

 

◎明治生命グループが実施しているもの

 当初は、同社関係会社「明生システムサービス(株)」が提供する「家庭教授」をご紹介してきまして大変ご好評を得てきましたが、この部門を平成11年1月より廃部致しましたので、現在はご紹介を致しておりません。

 現在明治生命のOB会の集まりである明和会に於いては、パソコン教室を開いていますが、「株式会社 エム・アンド・イーシステムズ」社に機器・教材等の斡旋を依頼し、必要な方にはご紹介を致しております。

 もし、ご相談がありましたらご自宅へ伺ってのセットアップ等懇切・丁寧にご指導を致しますので、下記へご連絡下さい。

  

  株式会社 エム・アンド・イーシステムズ

  〒104-0061

  東京都中央区銀座3丁目14番18号

             小野寺ビル4F

    TEL 03-3524-8724  FAX 03-3248-1504

    営業本部 部長 小川 正長

 

以下、株式会社 エム・アンド・イーシステムズ資料から転載

 

パソコンと在宅学習システムがセットになったP−PAKKS(ピーパックス)在宅学習システム

T?@「インターネット入門」2ケ月コース

 (パソコン+在宅学習システム+接続・設定

  サービス付き)

 ?A「ワード98・エクセル97入門」4ケ月コース

 (パソコン+プリンタ+在宅学習システム)

 ?B「ワード2000・エクセル2000入門」

  4ケ月コース

 (パソコン+プリンタ+在宅学習システム)

U 接続・設定サービス

  専門スタッフがご自宅までお伺いして面倒な作業を全て行います。

 ?@商品の開梱、組立

 ?A機器の接続(プリンタも含む)

 ?Bセットアップ(初期設定)

 ?Cインターネットの接続(ニフティへのサインアップ)

 ?D基本的な操作指導などをおこないます。

V 特徴

  課題中心のカリキュラム、結果として機能を覚えられる

    自分のペースで学習を進める3段階の学習システム

  教育は通信講座ですが、担当の先生が1人ついて最後まで指導いたします

    あなたの家がそのまま教室になり、周囲に影響されず自分の好きな時間に学べます

    コンピュータの専門学校より修了証を発行します

W 価格

 ?@ 207,700円(パソコン+プリンタ+在宅学習システム+接続・設定サービス)

 ?A 197,700円(パソコン+プリンタ+在宅学習システム)

 ?B 197,700円(パソコン+プリンタ+在宅学習システム)

  (*パソコン 富士通 FMV-DESKPOWER ME2/405)

  (*プリンタ エプソン スーパー・カラリオ PM-670C)

◎在宅学習システム

 「インターネット入門」       30,000円

 「ワード98・エクセル97入門」  45,000円

 「ワード2000・エクセル2000入門」  45,000円

◎接続・設定サービス(交通費実費)    25,000円

*消費税は別途頂きます。

*分割払いをご希望の方はご相談下さい。

在宅学習システムは、「?鰍l&Eシステムズ」が早稲田電子専門学校とおこなっているヘルプデスク付き通信講座です。なお、同社は明治生命明和会(OB会)パソコン教室に、機器・教材等を提供している会社です。もし、ご相談がありましたら下記へご連絡下さい。

  株式会社 エム・アンド・イーシステムズ

  〒104-0061

  東京都中央区銀座3丁目14番18号

             小野寺ビル4F

    TEL 03-3524-8724  FAX 03-3248-1504

    営業本部 部長 小川 正長

  

 

 

 

2.Neonetシニア・パソコン教室

 カリキュラム、単元、料金(基本形)

・Windows95     2時間    4,000円

 電源の入れ方、マウスの使い方などの基本的な操作を行います。

・キーボード練習       2時間    4,000円

 文字の入力をじっくり練習します。

・エクセル(表計算)     6時間    12,000円

 エクセルという表計算用ソフトでパソコンの醍醐味を味わっていただきます。

・ワード           6時間    12,000円

 案内状を作ったり、写真付きの年賀状を作ってみましょう。オリジナルの絵を描くこともできます。

・インターネット       4時間    8,000円

 いろいろなホームページを見たり、電子メールのやり取りを練習します。

・総合練習          2時間    4,000円

 「ここをもう少しやりたい」「こんなこともやってみたい」というあなたのリクエストにお応えした内容で練習します。

場所

 Neonetシニア・パソコン教室

 東京都中央区日本橋浜町2−45−1 アルトマークビル 3階

 電話:03−3249−8226 FAX:03−3249−8228

交通:浜町駅 A2出口(都営新宿線)より徒歩 3分

 人形町駅A1出口(日比谷線 )より徒歩10分

 人形町駅A3出口(都営浅草線)より徒歩13分

 水天宮駅 7出口(半蔵門線 )より徒歩13分

備考

・1クラス6名です。

 1人で参加して他の方々と一緒に勉強するも良し、気のあった仲間6名で1クラスを構成することも可能です。6名の希望に添ったカリキュラムを組むことは可能とのことです。

・それぞれのペースに合わせて練習しますが、グループでレベルを出来るだけ合わせた方がやりやすいでしょう。

・年明けてからの開講となります。

申し込み

 一般の方は、Neonetシニア・パソコン教室事務局に直接 申し込みますが、ダイヤネットワーク入会希望の方については、ダイヤネットワーク事務局或いはNeonet紹介者である大前安人会員経由で申し込まれると、何かと便宜を図っていただけそうです。

         

 なお、ここでご紹介する「Neonetシニア・パソコン教室」は、株式会社ネオネットが独自に実施しているものです。